複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.77 )
日時: 2022/05/26 21:12
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: m3Hl5NzI)

「さてと、ここらで一度休憩挟んでおくか」
「そうですね。それにしても……随分登って来ましたね」
「まあな。東京タワーはもうすぐ追い抜くってとこだろうな」

 脚は大丈夫かと、まだ余裕のありそうな奏白は、隣に立つ彼に尋ねた。問題ありませんと笑う彼だが、実際の所足取りは段々重くなっていた。正直に答えろと厳しい声音でもう一度問う。微笑みが苦笑いに変化して、乾いた声が口から漏れた。

「ちょっと脚が棒みたいになってきましたね」
「ったく、端からそう言えよ」
「すみません、我慢しがちなんですよね」
「いいよ、迷惑かけたくなかったんだろ」
「はい」
「でもな、俺から見たら君も護るべき市民なんだよ。しんどい時にはしんどいって言え」
「前向きに検討しますね」
「そこもはいの一言で答えろよ……」

 意地でもやせ我慢を続けようとするその様子に、とうとう奏白の方が折れた。どうしてこうも俺の周りには無茶しがちな若造が多いのかねと嘆息を一つ。脳裏を過るのは、ポニーテールを揺らす妹の姿だった。そう言えば連絡が途絶えているがどうなっているのだろうかと、スマホを開いた。
 特に連絡は入っていない。おそらく、彼女は彼女で自分の管轄の仕事をしているのだろうと推測し、代わりに何か情報を得られないかとワンセグを繋いでみた。日曜の夕方に報道されているニュース番組が画面に現れる。見慣れた顔のアナウンサーが、今日も報道を促していた。夕刻のニュース、二つ目のトピックには今まさに自分たちがまきこまれているハイエストスカイリンクの立てこもり事件が挙がっていた。

「このままこの番組見て状況把握するか」
「そうですね」

 二人は黙って、画面中の男の話に耳を傾ける。渦中の話題の一つ手前のトピックは、パブロルイスと呼ばれる守護神の契約者がついに見つかったことに関してであった。ピカソが転生した姿である、十人目のELEVENである。
 まだパブロルイスに関しては取材が進んでいないのか、ニュースで取り上げられるELEVENが切り替わった。それは、数年前に見つかった、九人目のELEVENだ。名をキングアーサーと言い、ELEVEN屈指の身体能力と剣の技巧を有する。
 キングアーサー、アクセスナンバーは102、伝承界に住まう守護神を統べる王。神話や各地の古い伝え話に出てくるような、実在とフィクションの狭間にいるような人物が住む世界。日本で言うと、真田十雄姿などが該当するだろうか。奏白の身近な人間で言うと、まさしくアーサー王伝説に出てくる予言の魔法使い、マーリンことメルリヌスもここの住人である。
 その異世界の統率者であるELEVEN、キングアーサー。その存在こそ既に知られていたが、契約者が見つかっていなかった。しかし日本時刻で言う昨日の十九時。ロンドンに住む当時十八の少女がその契約者だと発覚した。それゆえ、地上に存在するELEVENがとうとう十名となったのだと、鼻の穴を大きくしながらアナウンサーは主張していた。残すところは最上人の界に住まうELEVENのみだと。
 その最後のELEVENが、ひどく傲慢なことだけは以前から存在していた残るELEVEN達から聞いていた。そのアクセスナンバーも割れている。ただし、その契約者は地上にはいないと彼らはそれぞれ口にしていた。あの強欲な王が、自分の力を人間なんぞに貸す訳が無いと。
 それゆえ、ELEVENと言いながらも実際のところ、人間界から見れば十人しかいないも同然だった。

「能力は万物を両断する、か。ELEVENにありがちなどうとでも取れる能力だな」
「多分、他人の絆や物事の因果関係まで断ち切りますね、これ」
「こっわ」
「それでもジャンヌダルクやシェヘラザードよりましですよ」

 彼女らは自分にとって辛い道を拒み、楽な道を自分勝手に作り上げることができる。嫌いなものからは簡単に逃げられる、そんな力を秘めた連中よりかはよほど真っすぐで潔い能力だと知君は語る。
 それもそうかと納得した奏白だったが、知君がやけに詳しいのが腑に落ちなかった。もしかしたら、こいつも守護神に憧れているタイプの学生なのかと、奏白は尊敬している先輩、その弟に関する噂話を思い出した。
 と同時に、トピックが次のものに切り替わった。雑談をしていた口を互いに閉ざし、画面に集中し直す。アナウンサーはキャスターにバトンタッチし、映像はスタジオから電波塔の足元に切り替わった。
 中々、おぞましい光景が広がっていた。下層の外壁は全面ガラス張りで中の様子が見えるようになっているのだが、一階から四階まで、これまでずっとロクマル付近で幽閉されていた人質で溢れかえっていた。うじゃうじゃと多数の人影が、顔色一つ変えることも無く、ロボットのように規則正しく徘徊している。等間隔で並び歩いているその様子は、コンベアで運ばれる工場のパーツのようだ。
 おそらくは自分たちを探しているのだろうなと想像はつく。カメラは次に周壁をぐるりと見まわすように、東西南北に設置された撮影車からの映像を、順々に切り替えて放映した。電波塔全身の様子が明らかになる。その内の一台、外部に設置された職員用の階段を捉えたカメラがズームになった。遠くの視界に焦点を当てて、グッと近づいていく。大体200メートル地点。そこには、淡々と階段を駆け上がり続ける何十人もの姿。
 それを目にした二人は目を丸くする。まだ100メートルほど離れているようだが、それでも着実に追っ手が迫っている現実に。慌てる必要はまだない。歩きながらでも上を目指そうと、どちらから言うでもなく再び登り始める。時刻は五時を少し回っていた。段々と、太陽は西の地平線に近寄っている。

「時間も無いってのに下から追っても来てんのかよ……」
「ただ、これを見る限り上はあまり人がいなさそうですね」
「そこが唯一の救いだな。とりあえず真下十メートルぐらいはこっからでも見える。ある程度近づいてくるまでは体力を温存できるペースで進もう」

 アマデウスさえ呼ぶことができれば、奏白はその言葉を飲み込んだ。それさえできればすぐにでも犯人の所まで駆け付けて、人垣押しのけて検挙できるというのに。だが、phoneを置いてきてしまっていたので、それも不可能だ。
 ただこの時、それを口にしていればその後の運命は大きく変わっていた事だろう。何せ知君が背負う鞄の中には、誰にでも使えるphoneが眠っていたのだから。

「警察は動いていないって報道されてますけど、奏白さんの事は情報開示しないことになってるんですか?」
「ああ。だってそのせいで犯人に勘付かれたらどうなったものか分からねえしな」
「確かにそうですね」

 映像は奏白達を映さないように巧みに撮られていた。上の様子と下の様子を、丁度奏白に伝えようとするように。上から寄せる人波は無い。おそらく、本当にこの階段伝いに二人が迫っているとは思っていないのだろう。あるいは、主犯の考えでなく、駒が自分で考えて階段を上り始めたか、だ。

「400メートル地点、とりあえずそこで……」
「仕掛けるんですね」

 そのつもりだと頷く奏白。呼応するように知君も、黙ったまま深く息を吸い、思い切り吐き出す。顔を両手で叩いて喝を入れる。疲労でぼやけていた頭も急に冴え渡った。
 少しずつ、足裏が鉄の板を踏み叩く音が重なる斉唱が下方から聞こえてきた。ついにうかうかしていられない距離にまで近づいてきた足音から、遠ざかるように二人は歩みを速める。まだそれほど近くは無い。しかし、この後上に着いてから扉を開けるのにも時間を要すると思えば急がなくてはならない。
 早足で段差を登り続ける。またしても疲労で足が痛くて熱く、さらには重苦しくなってきたが、泣き言は言ってられない。そうこうしているうちにも、陽は沈みつつある。五時半も回れば、東の空からは満月がほんの少しだけ顔を見せていた。まだ明るい夕空に、薄く、存在感すら朧げな弧が、覗き見しているようであった。
 そしてようやく、二人は目的の場所に辿り着いた。後方から迫っていた軍勢の気配は、今は感じ取れない。途中から速度を上げたためだろうか、さっきよりは距離が開いたようだった。もう太陽は下方三分の一程度が大地の下に隠れてしまい、月はというともうほとんどその姿を露わにしていた。

「うっし、着いたな」
「それで、どうやって中に入るんですか」
「ドアぶち破る」
「流石に厳しくないですか?」

 目の前の扉は、特別頑丈という程ではなさそうだが、それでも人力で無理やり突破するにはあまりに強固に映る。ちょっとやそっと体当たりしたところで、別段筋肉の達磨でもないこの二人では破れるとは思えない。
 実際、彼らが二人そろって無理やり押してもびくともしない。最悪ダクトがあるためそこから入れなくも無いのだが、ダクトだと次何処に出るか分かったものではない。敵陣ど真ん中以外に出口が無いと言った状況にも陥りかねない。
 ずしんずしんと、肉体がガラス張りのドアに打ち付けられる。その扉のガラスは強化ガラスでは無いようだが、それでも守護神アクセスしていない肉体には充分すぎる障壁だ。段々と、下からまた行進の声。薄い鉄板が何重にも打ち鳴らされて、田んぼ脇の蛙のコーラスのように五月蠅い。かつて己を管理していた埼玉の研究所、その周囲の田んぼの梅雨明けの景色を思い出した。
 このままじゃ本当に、ダクト以外選択肢が無いかもな。そんな風に、汗を浮かべ決死の形相で堅牢な扉と向き合っていた時の事だった。シリンダーの回る小さな音。それと同時に、薄く扉が開いた。
 小さく驚嘆の息を漏らし、二人は揃って一歩退いた。何事かと思っても、目の前に誰もいない。そう思っていたのだが、か細い声が足元の方から聞こえてきた。

「入っていいよ」

 膝の高さ辺りに、怯えた小さな顔。さくらんぼのヘアゴムが特徴的な幼い女の子が、真っ赤になった目と嗄れた声で二人を招き入れた。その顔色に、彼女はまだ操られていないと判断し、心を許した即座は電波塔内部に飛び込んだ。すぐにまた鍵を閉めて、外から誰も入ってこられないようにする。
 こっちだと、手を引かれるままに通路の脇の薄暗い備品置き場に案内される。そこでは、誰の息遣いも感じられなかった。そこに着くや否や、ホッとした知君達は尻餅を着いた。もう腿も脛も尻の筋肉も限界だった。軽くストレッチをしながら、ぐるりと見まわしてみる。整備用品にパーテーション、消火器に応急手当の道具と、様々なものが並んでいる。
 従業員用の一室。すぐにそれは悟られた。疲れ切った知君の隣では、奏白が少女にいくつか質問を投げかけていた。

「お嬢ちゃん一人?」
「うん」

 たどたどしく、幼子らしく足りない語彙で必死に彼女は状況を教えてくれた。彼女の話を、所々推測で補いながらまとめなおしたところ、以下のような具合らしい。
 そもそも彼女は、中々に腕白な女の子らしく、この400メートルの展望台まで家族と一緒に上がって来たのに、かくれんぼ感覚で関係者用通路に勝手に入り込んだらしい。親も気が付いていなかったらしく、一通り散策がてらぐるりと見て回ったらしかった。
 満足した。そして今度は自分が置いて行かれたりしないか心配になったようだ。それゆえ逸りながら大きなホールに戻ろうとした時の事だった。あんなに観光客でにぎわっていたのに、シンと静まり返っていたことに気が付いたのは。

「あんなに皆わぁあーって言ってたのに、全然話さなくなっちゃったの」

 それが、幼いながらも変だと感じたようだ。子供の直感も中々馬鹿にできないもんだなと、尋ねながら奏白は舌を巻いた。両親が怒った時と同じように、誰もが無表情で眉一つ動かさなくなった様子に酷く竦み上がった彼女はまた来た道を引き返してこちらで震えていた、そうして二時間弱ほど待ったところで、何かが揺れる鈍い音。
 様子を窺いに行ってみたら、丁度この二人が外からタックルしているところだったようだ。ドアが軋む様子に、初めは怯えていた彼女だったが、二人が決死の表情であったことに逆に落ち着いたようだ。この二人は、広間で顔色一つ変えず整列する人々と違って、生き生きとしているそんな風に思ったらしい。
 それゆえ、恐怖に痺れをきらした彼女は、藁にもすがる思いで二人を招き入れた、という顛末であった。

「何か、一人だけ様子違う奴とかいなかったか?」
「いなかったよ……。皆ね、アンドロイド? みたいだった」
「ふーん、やっぱこの階じゃないのか」

 とするとさらに上に向かう必要があるのかと奏白は溜め息を一つ。守護神アクセスも使えないのに、どうやって強行突破したものかと肩を落とす。

「奏白さんはどういう守護神と契約しているんですか?」
「ん? あー、アマデウスって言ってな、結構強いんだよあいつ」

 その言葉を聞いた知君は、頭を抱えた。こんな事ならばもっと早いところ聞いておけばよかったと。

「どうしたんだよ、急に」
「あるんですよ、この場にphoneが」
「はあ?」

 呆気にとられた彼の口からは、思いの外大きな簡単が漏れた。慌てた知君が、静かにしてくださいとその口を押えた。悪い悪いと謝る奏白を、じとりと鋭い目つきで眺める。

「悪かったって。気ぃ付けるよ。……で、何でこんな所にphoneがあるんだ?」
「僕が持ってるんですよ」

 そう言って知君は背中からポーチを腹側に持って来てチャックを開ける。がさごそと、奥底を探る。出かける際に奥底に強く押し込んだため、中々探し当てられない。

「何だ、随分奥底に詰め込んだのか?」
「そうなんですよね……。勢い任せに」
「頼むぜぇ、この場においてはそれが、最後に残された希望みたいなもんなんだからよ」
「分かってますよ」

 最後の最後に、詰め込まれた希望が、たった一つ出てくる、か。出がけに自分でパンドラの匣などと例えたことを何となく思い返した。あのphoneはこれまで彼にとって、災厄しかもたらさなかったというのに、こんな場面で一転、希望の後光差す救世主となろうとは。

「でもよ、最近のphoneって、他人のやつ使えなくね?」
「問題ありません。僕のphoneは十年近く前の型ですので」
「古っ! てかお前何歳からphone使ってたんだよ!」
「ごめんなさい、ちょっとサバ読んでます。十歳の頃ですね」
「とすると六、七年前とかか。いやサバとかどうでもいいけどよ」

 七年前、phoneが未だに恐ろしく高価だった時代だ。車よりもずっと高い。警察や一部の高所得者ぐらいしか持ち合わせていない代物。それを知君は、幼い時分から手にしていたという。こいつは一体何者なのか。随分傷つきボロボロになった真っ黒なガラパゴス携帯型の端末。確かにこれは年季を感じるなと、冷や汗を浮かべる。

「ですので、所有者に対する特異性は無いです。ちなみに、callingしてもセンサーに感知されません。何分型が古すぎますので」
「お前、これ普段悪用してないだろうな……」
「それは絶対に無いです。もう僕四年間は一度も彼を呼んでいませんので」
「ふーん。ならいいけどよ」

 今はとりあえず感謝するぜと、手首のスナップを効かせてワンモーションで端末を開いた。暗い画面に時刻だけが表示される。少女から話を聞き出したこと、そして休憩していたのも相まって、いつしか六時半になっていた。もう大分空は橙と紺とのグラデーションを見せつけている。
 タイムリミットはもうすぐそこ。

「これは普段奏白さんが使っているものとは別端末ですので、普段よりも接続時間が短くなることに気を付けて下さい」
「わーってるよ、任しとけ」

 素早く649、自分のアクセスナンバーを入力する。想像していたよりもさらに小さなナンバーに、ほんの少しだけ知君は心揺らした。と言っても、彼と比べてしまうとその数字も形無しだが。
 守護神アクセス、奏白は小さくそう呟いて、相棒の名を呼んでみせた。

「さあ! 来いよ、アマデウス」