複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.78 )
- 日時: 2018/05/30 00:25
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「さあ! 来いよ、アマデウス」
夜の闇をまとったような携帯端末から、珍しく翡翠色の閃光が迸った。自分の所有物から黒色のオーラ以外が漏れ出るのを見るのは、知君自身初めての事であった。自分の周囲で守護神アクセスするものなど、phoneを用いる必要も無い琴割くらいしかいなかった。彼のオーラは真っ白だったため、こんなに鮮やかなエネルギーの奔流は初めての事だった。
「多分この守護神アクセス、十分持つかも分かんねえ。飛ばしてくぞ」
「十分って、充分長くないですか?」
「普段は一晩いけんだよ!」
「奏白さん、思ったよりすごい人なんですね……」
「ま、俺天才だかんな」
今後の段取りを確認する。確認というよりもはや、奏白の指示を知君が聞く程度だったが。普通のエレベーターは使わない、それが作戦だ。エレベーター前のホールは人間で溢れ返っている。そんなところの昇降機を使おうとすれば、確実に、密室の中に入り込んでくる。狭い空間の中に入り込まれると、二人のお荷物を抱えた状態で戦えたものではない。
それゆえ、貨物を運ぶためのエレベーターを利用する。今、電波塔の中心から見て西側にいるが、北に向かって伸びる従業員区画にはそのエレベーターが存在している。一度ホールに出て、障害となる連中を突破して、貨物ではなく自分たちを載せてロクマルまで一気に駆け抜ける。
「まず間違いなく犯人はそこにいるはずだ」
「ですね……本部もそこでしょうし」
「この子をどうするか、だよな……」
「僕が抱えていきます」
「お前脚大丈夫なのかよ? ふらっふらだったろ?」
「休んだので大丈夫です。これは、やせ我慢じゃありません」
もし仮に、足がつろうが肉離れになろうが、何なら付け根から足が捥げようが何としてでも走り抜ける。それだけの覚悟はもう据わっていた。護るべき誰かを抱えた際、彼は限界をいくらでも超えることができる。どれもこれも、琴割達の躾の結果だった。
皮肉なものですねと、声に出さず知君は自虐的に、そっと胸の内にだけ呟いた。あれだけ僕を苦しめたはずの教育に、こんなに奮い立たせられるなんて。それでも、不安で怯える少女が、抱え上げると同時にその不安も和らいだ様子に知君の胸の奥にも暖かい何かが走る。この感覚は、一体なんだろうか。今まで大切なものなど何一つ手にしていなかった彼にとって、初めての感慨、感傷。その暖かさを表す言葉を彼はまだ知らなかった。何でも知っているはずの彼なのに。
強い決心を込めた瞳。きっと大丈夫だと奏白も信頼することに決めた。何、何かあっても自分が守ってやれば済む話だ。今の自分なら、暴徒の数百人程度どうということもない。
「道は俺がこじ開けておく。だから知君! ビビらず真っすぐ走ることだけ考えろ!」
「了解です!」
「行くぜ、もう時間もねえ」
前だけ見てろ、その一言だけ言い残すと共に、奏白の姿が消えた。床を蹴る音がいくつもこだまするのに、それを発したであろう本人の姿は見えない。はるか彼方にて、爆音が鳴り響いた。電波塔全体に振動が伝播する。
続かないと。呆気に取られている暇など無い。その足跡をなぞるように知君も、中央部向かって走り出した。
ホールでは、室内だというのにつむじ風が巻き起こっていた。北側の通路へと向かうよう、直角に折れ曲がるように人垣に隙間が生まれていた。おそらくその空間にだけは、意図的に人を立ち入らせないように、奏白が大立ち回りを繰り広げているはずだ。走りながら目を凝らすと、不意に現れるブラウンの髪が揺れ、いくつかの人影がよろめくと同時にまたその姿が高速で消えた。
あの状態で殴ったり蹴ろうものならば大怪我を負わせてしまう、それが分かっている奏白は、ひたすらその音波の衝撃で後方に追いやることで花道を作り上げていた。中学の卒業式で、ろくに知りもしない下級生たちが体育館の外に作っていたトンネルみたいな通り道を思い出す。
あれと比べると、少々物騒すぎますね。そんな事を思うが、それでも卒業式の花道はあまりに寒かったなとも思い返した。部活にも入っていなければ、図書委員の活動もそこそこにしかしていない、そんな知君の卒業を祝福する人間なんていなかったのだから。当然家族などいないため、まだ熱の冷めやらぬ後者を背中に、一人寂しく帰路についた事までありありと思い出される。
あんな風に、標的として、だとしても……僕を一心に見てくれる方が幸せなのかもしれないだなんて考えるのは、流石に不謹慎ですかね。だなんて、考えては自分で打ち消した。
「よっしゃ、早いところ走り抜けろ!」
戦いながらも、奏白の声が耳に届いてくる。こんな風に音を指向性スピーカーみたいにして届けることもできるのかと、その能力に感激する。この能力はきっと、応用すれば人を楽しませる事にも使えるのだろう。そんな推測、それは彼自身の「どう足掻いても不幸しか招かない」能力への、後ろ向きな思いへの裏返しだった。
略奪、それでどうやって誰かを幸せにできるというのだろう。自分がかつて使っていたphoneも、今彼が握りしめているphoneも、全く同じ機械なのに、もたらす影響が正反対に位置しているのがどうしても口惜しかった。
自分のせいで守護神と別れた女性の事を思い返す。間違いなくあの時自分は、彼女の今後の華々しい研究生活を断ち切った。それは一人の人物の殺人と何が違うのだろうか。その人の輝かしい成功の物語を、ぐちゃぐちゃに踏み荒らした。これはどう考えても、他者の冒涜に他ならない。
両脇から掴みかかろうと腕が伸びてくる。時折、知君が着ている制服の裾に手がかかる。首元を指先が掠めたり、爪が頬に食い込んだり。しかし、迷わずに走り続けた。身の回りのことは奏白が何とかしてくれると信頼して。事実もう少しで手が届きそうだというところで、知君に掴みかかろうとしていた体は後方へと押しやられた。祭りで大きな和太鼓が叩きつけられるような轟音。強すぎる振動は、もはや音と呼ぶにも相応しくない。差し迫ったロボットみたいな人々の身体がまとめて打ちのめされる。
「ぼさっとすんな!」
「全力ですよ」
「もっと気合入れな!」
「善処します!」
「はい、でいいんだよそこも」
中央の広間を抜けて北側の通路に入り込む。下層では関係者用通路に中々踏み込もうとしなかった観光客たちだったが、今は知君達がそのエリアに入り込む姿を見ているからか、迷いなく追って来ようとする。
しかし、それは叶わない。狭い通路を塞ぐような透明な障壁。それは形ある隔壁などではなく、あまりに強すぎる空気の振動。踏み入ろうにも、津波に何もかも押し流されるように後方へと突き返される。
奏白の足止め、それをしている間はその場を離れられない。奏白が超スピードで動けるとは一連のやり取りで理解した。その分知君は急いで上へと昇る準備をする。貨物運搬用の昇降機を下から呼び寄せる。モーター音のようなものが扉の向こうで鳴っている。
「大丈夫ですか?」
胸の内の少女に向かって呼びかける。しかし、あまりに衝撃的な光景だったからだろうか、彼女は一切言葉を発していなかった。きっと、知君だけではなくこの子も先ほどの人々に掴まれかけたり触れられたりしてしまったのだろう。そのせいで酷く怯えていても仕方ないと納得したところだった。
抱き抱えている少年の胸元だけを見ていた幼女は、ふとその視線を上方へ持ち上げた。その視線と少年の視線とが合う。驚きのあまりに、知君は体を動かすことができなくなってしまった。首をもたげ、こちらを窺ってくるその瞳に感情は何一つ宿っておらず、あんなに怯えていた表情は、まるでお面みたいに固まってしまっていた。
「かはっ」
少年の喉仏を、あまりにあどけないもみじが襲う。小さな子供のそれとは思えないほどの握力。脳のリミッターが解除されているのだろうか、本人の指さえも軋むほどの力。肺に空気が行かなくなる。
意識が白みそうになったその時、ふと彼女を抱える腕を離してしまった。体にかかる重力に、少女は耐えられず、滑り落ちてしまった。何とか尻餅をつくだけで済んだ少女は、すぐに立ち上がり、噛み付かんばかりの勢いで脛に飛び掛かってくる。
「そんな……能力者と出会ってないのに……」
「どうした知君!」
昇降機はまだ着いていない。この時知君の脳裏を過る一つの推測。この洗脳状態は、触れるだけで伝染するのではないか。今のところ奏白は素肌同士で触れ合わないように人々を追いやっているため問題は無さそうだが、このままだとその内奏白までもがその毒牙にかかる。
それゆえ、今この場においては嘘も方便だと、知君は大声で大丈夫だと叫んだ。
「ですが奏白さん! 絶対にその人たちに直接触らないでください!」
「ん……? まあ何か知らねえけど分かった」
音の障壁に群がる大軍勢。流石に体重で押してかかられるとそろそろ突破されてしまいそうだと、切羽詰まったその瞬間の事だった。チンと短い声がして、昇降機が現れた。
よし来たと言わんがばかりに、その音を察知した奏白は、音速でエレベーター前にまで駆け付ける。口を開いたその箱の中に二人は乗り込んだ。乗り込む前に上の階層のボタンを押しておく。扉を閉めると同時に動き始めるのだが、閉じる直前に知君は、抱えていた少女を通路の方に押し出した。
「何してるんだとは、聞かないんですか」
「さっきお前首絞められてただろ?」
「何だ、見てたんですか」
「まあな。一人で何とかなってそうだから放っておいた」
「不親切だなあ」
「信頼してんだよ」
「きゅ、急にそんな事言わないでください」
先ほどの推測、おそらくドルフコーストの能力にかけられた人間に触ると、そのコンディションが伝播する可能性を伝える。先ほどの少女の様子が豹変したのもそれが理由ではないか、と。
「いや待て待て待て」
「どうしました?」
「いや、合ってるとは思うぜ? じゃあお前どうなんだよ」
知君もあのホールを駆け抜ける際に、何度も触れられてしまっていた。その事実を当然奏白は見逃していない。ばれちゃいましたかと、少年は弱弱しく笑う。琴割との約束がある、というだけではない。自分が『そう』であるなどと明かしてしまえば世間がどう騒ぐか分かったものでは無い。
「あ、僕……能力効きにくい体質なんですよね」
咄嗟に吐いた嘘。あまりにも漠然としている言葉に、当然腑に落ちない捜査官の男。その目が細められ、冷静に彼を見定める。場合によっては脅威になりかねない。おかしな挙動があれば音撃で鎮圧する。それだけの覚悟を決め、一挙手一投足に注目する。
「待ってください! 今の言葉を信じないにしても、僕の意識が正常だとは分かるはずです!」
「それもそう、だけどよ……」
見る限り、彼の様子は先ほどまでと何一つ変わっていなかった。あれだけ怯えていた少女でさえ、能面みたいに感情を失ったというのに、疲労が浮かぶ知君の顔は倦怠感が隠しきれていない。
本当に、能力が効きにくい体質なのか。それが真実であるかはさておき、この少年がただならぬ存在であるとは先ほども感じた通りだ。大人でさえ持っている者が少なかった頃からphoneを持っていたという言葉。しかもそれは実際にphoneとして機能した。
旧型のphoneを肌身離さず持ち、守護神の能力を寄せ付けない。一般人と呼ぶには、存在そのものがあまりに歪だった。
あまりに長い数十秒が過ぎ、通称ロクマル、高度600メートル地点に到着する。降り立ち、奥に進んでみても人影は一つとして無かった。
「どういうことだ?」
いくら周囲を窺おうと、アマデウスの能力で感知しようとも人間の気配は一つも無い。半径二キロ以内の音ならば全て拾える。それゆえ、同一フロアに潜む人間の呼吸音、心拍音も余すことなく拾える、はずなのに。
本当に、人っ子一人いなかった。ここに行けば確実に立てこもり犯と遭遇する。そう勇み足でやって来たというのに、この無人は想定外であった。無機質な音のみが空間を支配する。無鉄砲に周囲の音を手繰り寄せたところで、有益な情報など得られない。この不気味な静けさは、一体何由来のものなのだろうか。
「奏白さん、これ……」
不可解な点に気が付いたのは知君の方であった。エレベーターが、あり得ない位置に辿り着いていたのだ。本来この上層部に留まり、誰も利用できないようにしていたはずの輸送機。使われた痕跡があるとすれば、追っ手を差し向けるために一階付近へと雑兵を送り込んだタイミングであろう。
ただ、そうだとしても昇降機は一階で留まって然るべきである。それなのに、電光のモニターが示す階層の数字は、その真逆を表していた。『80』表記上そうなってはいるが、これは800メートル地点、初めに二人と、とっくに外へと逃げ延びた親子連れにバックパッカー、女性三人組などが居合わせていたあのフロアである。
直通のエレベーターがあるにはあるが、このエレベーターも一応最上部まで連絡している。それゆえこの地点から最上部へと一気に向かうことができる訳だが、どうしてそんな所に。ただこの電波塔を破壊したいなら、このエリアが最も効率がいいはずだ。何せ精密機器の類は何もかもがここに集まっている。上層部などそれこそ、空に近い以外のメリットは何もない。
だが、一応奏白はそのフロアの様子をアマデウスの能力で探ってみることにした。そうすれば、重なる足音が幾重にも幾重にも聞こえること聞こえること。
「上に、いやがるな……」
「でも、どうしてわざわざ」
「わっかんねーよ。でもまあ悲しい事に一個だけ分かってんのは」
「わざわざ一番下まで行ったのに」
「気が付いたらまぁた最上階に戻る羽目になったってこった」
エレベーターをこのフロアに呼び寄せる。上の様子を窺えども、もう侵入者に用は無いとでも言いたいのか、動く気配は別段なかった。もしくは何が起きてももう問題無いという余裕からくるものだろうか。開いた扉、昇降機の中には当然誰もいなかった。一番上の階層を示すボタンを押し、上層へと上がっていく。
ここまでたどり着くのに、あれだけ苦労したというのに、最後の最後でこんなにあっさりと進むなんて。拍子抜けした奏白だが、まだ気を抜く訳にいかなかった。むしろ主犯と顔を合わせる本番はこれからなのだから。
彼が兜の緒を締めなおしたのは、正解と言えば良かったのだろうか。確かに一筋縄ではいかなかった。しかし、わざわざ締めなおした意味があったかと問われれば、それは肯定し辛い。
なぜなら最上階に向かうエレベーターに足を踏み入れたその瞬間、奏白は罠にかかったも同然なのだから。