複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.79 )
- 日時: 2018/05/30 22:17
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「やっぱ速いな、こっちのエレベーターは」
「そうですね、さっきのは狭くて乗り心地も微妙でしたしね」
エレベーターを囲む壁は、景色の側だけでなく全方位がガラス張りになっている。それゆえ、さっきまで自分たちが立っていた60階に位置する大きな広間の様子が、ぐんぐん遠ざかっていった。ものの十秒ほどで最上階へと到着する。
一体、この事件を引き起こしたのはどのような者なのだろうか。相手は大人なのか、子供なのかはたまた老人だろうか。男か女かすらも明らかになっていない。それでも、これだけ多くの人を大混乱に陥れた、大罪人であることに変わりはない。一歩間違えていれば死者が出ていても間違いない。
実際横目で窺う限り、掌の形をした痣が知君の首筋に残っていた。先ほど、庇っていたはずの少女から首を締め上げられた時についたものだ。
今更だが、彼がこの一連の騒動を引き起こしたとは考えられないだろうか。Phoneを手にしていたということは、充分にその可能性はある。ただ、その場合自分にこうやってその端末を貸し与えたり、わざわざ自分の首を絞めたりする演技の必要性があるだろうか。
いや、無い。本当に彼が全ての黒幕で、自分を陥れようとしているなら、ここに至るまでにさっさと捜査官の彼に能力をかけてしまえば済んだ話だ。わざわざこんな風に回りくどく策を弄する必要も無い。
それにしても、どうして彼には洗脳を思い起こさせるような能力が感染しなかったのだろうか。それが気がかりだった。彼自身、守護神同士に相性があるという世界のルールを知ってはいなかった。それゆえ、ドルフコーストの生前の姿でもあるアドルフ・ヒトラーにとって苦手な人物と契約している可能性すら出てこない。
実際のところ、知君にドルフコーストの能力が効かないのはもう少し道を逸れた所にあった。相性と言えば確かに相性の問題ではある。しかし知君の守護神である彼がこちらの世界で生きていた時代はヒトラーと比べると千年以上昔の話。苦手意識など微塵も無い。
「もうすぐ開くぞ」
「ええ」
昇降機が天空向かって疾走する速度が徐々に緩やかになる。揺れも無く静かに停車する様子が、先ほどの貨物用輸送機とは天地の差だった。
それにしても、わざわざ夜に最上階まで至る理由が、まるで想像できなかった。文字通り、奪われて困るものなど何もない場所だ。一体何が目的だと言うのだろうか。
それなら、捕らえてから聞き出せばいい。完全に制止したことを体で感じ取る。扉が開いたら即座に飛び掛かると決めた。軽く触れられるだけでゲームセット。扉の先に誰かが待ち構えているだけで危険。箱の中、奥の方へと身を潜める。誰かがそこに居れば音波の衝撃で吹き飛ばす。居なければ音速で元凶のところまで駆け抜ける。
二つの場合を想定した奏白だったが、誰も待ち構えてなどいなかった。後者のパターンだったかと、後方の壁を腕で押し、反動で一気に加速した。突風だけを残して、最高層の展望台に彼の身体が躍り出る。
一瞬で終わらせてやる。そう固く心に決めて踏み出したというのに、その目標は達成できずに終わってしまった。ガラス張りのフロアに降り立った途端に急激な頭痛が押し寄せる。ぐらりと体が傾く感覚、咄嗟に立ち止まって足で踏ん張った。割れて磨り潰される様な鈍痛が、頭蓋骨のさらに奥底、脳からも押し寄せる。
これが、此度の事件における黒幕の持つ能力なのか。今にも叫びだしてしまいそうな苦悶に精神力だけで抗う。心臓が一度だけ、一際強く跳ね上がった。そのまま口からでも飛び出してしまうのではないかと錯覚するほど力強く。それと同時に脳裏に紅の衝動が押し寄せる。血を見たい、火が欲しい、破壊を求む、そんな暴力的な情動が火山から流れる溶岩のように零れていく。
このままじゃ駄目だと、理性の残っているうちに奏白は守護神アクセスを中断した。その身体を覆っていた、緑色の闘気がたちまち霧散して消える。その身を案じて駆け寄ってきた知君に、phoneを押し付けた。
「これ、今のうちに返しとくわ」
「どうしたんですか、急に……」
「いいからとっとと下がれ。このまんまだと、お前の事どうするかわかんねえ」
心臓が高鳴る度に、理性らしき枷が外れそうになる。それを何とか意地で抑え込み、体が勝手に動いてしまわないようにと抱きかかえるように蹲り、体を押し込める。
周囲の人間も同じ様子だった。あまりに強い破壊衝動に駆られた結果か、周りにいる同じような状態の仲間同士で殴り合っていた。鼻の骨が折れる音に、殴られ喘鳴する声。掴みかかる際に発する叫び声は耳に痛く、拳が肉に減り込む音など、聞くだけ気が滅入る。血もリンパ液も、唾液に汗が飛び交う空間。薄くたなびく雲の隙間から満月が覗く、幻想的な景色からは想像もできないほど、この空間は狂っていた。
目の前でその激情と真っ向から向かい合う奏白も、いつこうなったものか分からない。だからこそ早いところ下へと逃げろと言っているのだろうが、それでも助かるとは思えなかった。下層へ逃げ延びた所で、結局は無表情の一団に捕まるだけ。結果はきっと変わらないだろう。
いっそ同じように操られてしまえば楽だったろうか。突き返されたphoneを両手で握りしめつつ、彼はそんな事を想う。強く握りしめた端末の角ばったところが掌に食い込む。しかしそんなものが痛いと感じぬほどに、今の彼の心は崩れかけていた。
なぜなら、目の前で欲に溺れるまま暴れている彼らの姿が、彼自身に暴走の二文字を思い起こさせたから。誰かを不幸にさせた事、泣かせた事、出来損ないの烙印を押された事。そういった、思い起こしたくも無い劣悪な日々を再生させ、当時の負の感情を呼び起こす。
「いいから、とっとと逃げろって……」
「駄目です、こんな事。こんな事……あっていいはずないじゃないですか」
その光景に恐れるがあまり、無意識の内に少年は一歩、また一歩と後方に退いた。逃げる気になってくれたのかと奏白もホッとするが、一筋縄ではいかなかった。チンとまた、昇降機が到着する鈴の音。予想外の到着音に目を丸くした奏白がそちらに目をやる。現れたのは、下層からやって来た玩具みたいに無感情な兵隊。
はち切れそうなほどパンパンに人間が詰まっていた。重量オーバーを告げるアラームが鳴っている。鳴っているのにそのまま無理に動かしたようだ。中からどっと吐き出される人の群れ、もみくちゃになった二人は、空いている方へと足を動かす。
拳を振りかざし、地べたを這う人を踏みつける暴徒の隙間を抜ける。ひたすら走り抜け、なぜだか唯一開けた位置に出た。一か所だけ、人々が自ずと避けていたのか、明らかにスペースが空いているところがあった。弾かれるようにそこに辿り着いた二人は、ようやく探し求めていたその人物と出会えた。
ようやく出会えたその人物が犯人だと確証するのは容易かった。新聞紙と同じ色、グレーのオーラが身体中覆っていたのだから。手には新型のphoneを持っている。それなのに強制終了させられていないとなると、改造を受けたイリーガルな代物だ。
「あら、抵抗する人がまだ居たの」
主犯の契約者は女性であった。それほど若くは無く、顔には皺がいくつも浮かんでいる。スレンダーと言えば聞こえはいいが、ひどく痩せた体。ダメージジーンズを履いているようだが、ただ擦り切れてしまったズボンに見えてしまうくらい、高く伸びた背に似つかわしくない体の細さだった。
今でこそただ不健康に痩せているだけに見える体だが、奏白には見おぼえがあった。まだ小学校に通うような頃、テレべの画面越しに彼女の姿を見たことがある。
「倉田 レタラか、お前」
「あら、まだ覚えてくれる子もいたのね、あんまり売れてなかったのだけど」
「そりゃ覚えてるさ、何せあんな事して捕まったんだからな」
彼女は元々、それほど名の売れていないモデルであった。美人ではあったが、周囲の人間と比べると霞んでしまう程度の容姿。背丈も高いと言ってもモデルの中では中ぐらい。トークが他の人よりほんの少し慣れていて、お笑いに興味があったことから時折バラエティに出させてもらっていた、タレント寄りの元ショーモデル。
であったはずなのに、奏白が中学生の頃に彼女は唐突に書類送検された。違法な薬物を所持していた疑いで、だ。この件に関しては彼女は無罪に等しかったのだが。
「捕まっては無いわ。あの世界からは追放されたけど」
「だったな。悪かったのはあんたの友人だ」
「そうね。と言っても私自身、叩けば埃は出てきたんだけど」
彼女の中学時代の同級生が、倉田にスーツケースを送り届けた。田舎から東京に観光に行く際、面倒だから荷物だけ預けるのに住所を使わせてくれないかと。快諾した彼女は届いたケースを数日自宅に置いていたのだが、その友人が上京してくる前に逮捕されてしまった。その結果、ついでに倉田自身も書類送検されてしまった訳だ。
事情を説明し、それが真実だと理解されたため、何とか彼女は釈放された。当然執行猶予などという形でなく、無罪という形でだ。しかし倉田の周囲には、全く違った穢れが蔓延していたため、そちらに目を向けられてしまった。
「あの頃は意味分かってなかったけどよ、枕営業してたんだっけ、あんた」
「そうなのよ、ここぞとばかりに面白がったマスコミに攻撃されてね、仕事無くなったのよね」
「で、憂さ晴らしにマスコミが縋ってる電波塔をぶっ壊そうとした訳か」
「いや、違うわよ」
お金はちゃんと溜めていたため、慎ましく暮らせば老後も苦労しない程度の貯蓄は合った。それゆえ悠々自適に第二の人生を歩むため、引退はむしろこの上なく丁度いい機会だったと彼女は言う。
「じゃあ、ふっつーに楽しく生きてたのかよ」
「そうなるかしらね」
「じゃあ何で、わざわざこんなことしてんだよ」
平和大国と皮肉交じりに讃えられる日本において、ここ数十年でもトップクラスのテロ行為。日々をつつがなく過ごす人間がわざわざするような事ではない。一体、何が彼女を突き動かしたというのだろうか。
恨みも無く、怒りも無く、動機らしい動機など一つも見当たらない。ふと奏白は、真凜から伝えられた情報を思い出す。まさかそんな訳はないと否定していた。それは本来の目的を隠すために適当に口にしていると思っていた。しかしどうやらそれは嘘偽りでも虚言でもない、真実であったと知る。
何せ彼女の口から飛び出した答えは、より一層に不可解な代物であったからだ。
「さあ? 何となくってところかしら」
「……は?」
理由は特に存在しない。それこそが彼女の論理だ。そんな余計なこと考えるものではないと、奏白により一層意識を集中させる。同時に、今までよりも一際強い衝動が腹の底から湧き上がってきた。何とか頭を地面に打ち付けて理性を保とうとする。握りしめた拳で何度も地面を殴りつけても、痛みより怒りが湧いてくる。
「止めて下さい! みんな、皆傷ついてるじゃないですか!」
「あら、貴方どうして私の能力が効いていないのかしら?」
「生憎と僕には、あらゆる能力が無効化されるものでして」
「何それ、化け物みたい」
「……そう、ですね」
化け物、その言葉が胸に冷たく突き刺さる。知っているさ、自分が人間よりむしろ、銃や刀、それどころか爆弾や大砲によく似た存在だとは。あらゆるものを略奪する能力。相手の素性など何一つ知っていずとも、その命を『奪う』ことも容易い。死神のノートなんかより簡単に、誰かを殺すことができる。
「まあいいわ。あんたみたいな貧弱な子供、どうとでもできるでしょう」
どうせなら、貴方がやりなさいよ。彼女はその場に蹲り、何とか自分の事を抑制している奏白に呼びかけた。頭を抱えたまま、彼は倉田の方を睨み上げた。敵意を通り越して、軽く殺意まで覚えるほどに。警察に属するこの俺に、民間人を殺せと指示するのか。
「何その反抗的な目」
教えてあげるわと、高笑い。私の守護神はヒトラーをモデルにしているのと、得意げな宣告。ファシズムを貫こうとしたドイツの独裁者、事実処刑されるその時まで彼は、ドイツという国を己の主義と主張とで染め上げて率いて見せた。
「最強の統率者、アドルフ・ヒトラー。それが転生したのがこのドルフコースト」
番号も666と上位の守護神。止められるものなど居はしない。勝ち誇るように高笑い。その視線は東から南に登りつつある月に向けられていた。この時初めて、毒ガスみたいな気体がそのフロア一帯を覆いつくしている事に気が付いた。薄くたなびく真っ赤な霧が立ち込めて、その向こうに浮かんでいる満月は血が滲んでいるような顔色をしていた。
「さあ! 早くしなさい」
「があぁ!」
獣のような咆哮。それは、苦悶に抗う声などではなく、飢えた野犬が獲物に襲い掛かる掛け声によく似ていた。起き上がった長身の捜査官が、腕を一振り。適当に振り回された拳が、少年の頬に食い込んだ。ただ長身というだけで、小柄な少年にとっては充分な不利対面。運動もろくにしてこなかった彼が咄嗟に避けられるはずもなく、地面に這いつくばるように滑り転げた。
「すまねえ……体が、言う事……」
早く逃げ出せと奏白は指示する。地面に腕を突いて立ち上がろうとする知君が、その顔を見る。今日半日を共にした捜査官が、大きく顔を歪ませていた。セットされていた髪も自分で抱えていたからかぐしゃぐしゃに乱れていた。しんどくても、自分が最も年長者だからと堪えて笑い飛ばしていたあの奏白が、だ。
「逃げる場所なんて、ありませんよ……」
僕は一体どうすればいいんですか。奏白に突き返されたphoneを強く握りしめる。胸に押し当てたその機体は、心臓の拍動を強く受けていた。どくんどくんと蠢くその鼓動を、端末越しに受け取る右手は、まるでphone自身が蠢いているように感じ取った。
まるでその殻が、破られるのを待つように。