複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.81 )
日時: 2018/06/08 21:06
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「phoneナンバーは110! 来てください、ネロルキウス!」

 迷いはしない。人々を助けるためならば、この身を、心を、悪魔にだって売ってみせる。自分自身を悪魔にだって変えてみせる。きっと目の前の誰かを助けられない方が自分は後悔してしまうだろうから。
 だから、どれだけ呪われた剣であっても、封を破って鞘から引き抜いて、戦うんだ。いつかきっと、誰かが自分を救ってくれる。誰かが認めてくれる。それが誰なのか、『未来の事が分かる』訳ではないけれど、そう信じている。誰か、いつか、どこかで、どうにかして、何故だか知らないけれど受け入れてくれる。全知の力を持ってしても将来のことなど読み取れはしないけれど、『そんな』人が現れてくれてもいいじゃないか。
 5W1Hなんて気にするな。強いて考えるとするならば、今自分が立ち向かおうとするその理由だけだ。奏白の正義が捻じ曲げられていい訳が無い。小さな女の子が、傷つきながら誰かに傷を負わせて言い訳が無い。
 僕たちの振るうこの力の終着点に、何があるのかは分からないけれども、奪う事しかできないかもしれなくても、ここで逃げてしまうよりも、ずっと正しいはずだから。だから抗うんだ、不条理な運命に、目の前の犯罪者に、あまりに強大な暴君に。数年の間感じることも無かった、脳裏を過るノイズ。ネロルキウスの干渉はもうとっくに始まっていた。
 地上に溢れ返る湯水のような情報がとめどなく脳に流れ込んでくる。視界全てを文字列が埋め尽くすほどに膨大なデータが、脳みそをショートさせようとしている。しかし、昔の自分とは違う。脳のキャパシティも上昇した。データの要不要を判断する要領の良さも手に入れた。
 そして何より、昔は器になることを必然の定めだと受け入れていたが今は違う。誰かを不幸にさせないため、自分らしく戦い抜く必要がある。我儘な王様になど、この体は明け渡さない。耳元で囁く、しわがれた威圧的で傲慢な声を振り切る。
 この場における最大の敵は、ドルフコーストの契約者である倉田などでは決してなかった。異世界に潜む最恐最悪の暴虐の皇帝、己の守護神に他ならない。知君自身成長したとはいえ、この干渉能力はやはり伊達ではない。気を抜けば、首筋を掴まれたような息苦しさ。あまりに必死になっているせいで、呼吸さえ忘れていた。
 真っ黒な手が絡めとってくるような錯覚。しかし、振り払えと強く自分に指示する。ここで折れる訳にはいかない。もう、誰かを失望させるようなことなどあってはならない。

「僕は、救うための人間なんだ」

 絶対に化け物なんかじゃない。人々は決してそれを認めてくれないだろう。だが、だからこそ、僕だけはそれを肯定し続けなければならない。誰か、いつか受け入れてくれはしないだろうか。奏白のような温かい兄のような人、あるいは同じように気高い、姉のような人がいたらいいのになと、居もしない家族を求めて溜め息を吐いた。
 ネロルキウスの責め苦は途切れることは無い。気を抜くだけでまた、意識は混濁して死に似た深いあの闇と出会うことだろう。しかし、今はそんなもの受け入れてなどやらない。この場は、僕の意志で最後までやり遂げるんだ。
 暴君を使役すると言うのに、こんな腰が低い態度だからいけないのだろうか。だとすれば、どうにかして強い自分を演じることはできないだろうか。彼をも屈服させられるような、強い人間。果たしてそれは誰を演じればいいのであろうか。
 奏白だろうか。確かに頼りにはなるが、それはあくまで一般人目線での話。ELEVENの契約者である自分にしてみれば、少し頼りない。ならば琴割だろうか。駄目だろうな。あの人も結局は、ネロルキウスを御することなんてできなかった。
 じゃあ、僕にとって『一番強い日と』って誰なんだろう。その答えは考えるまでも無く、すぐ傍にあった。


 そうか。そうだね……君より強い人なんて、どこにも居やしないんだ。
 それなら、君を従えるには……誰よりも強い君の真似をするのが一番なのかな。
 少なくとも、僕はそう思う。だから。



「図に乗るなよ、ネロルキウス」

 思わず肝が冷えるような低い声。他人に対して凄んでみせたことなんて、彼にとって生まれて初めての経験であった。それにしても、堂に入った暴君ぷりだなと自分でも何だか可笑しくなる。緊張感も飛んでしまいそうだったため、笑みを漏らすことは無かったが。
 何せ手本は何度も何度も体感しつづけてきたから。今だって、少し驚いた声を上げて、それでも威厳を損なわぬよう威圧を繰り返している。けれどもそれには耳を傾けなかった。知君にはもう、目の前の悪しか見えていない。後方の圧政など、歯牙にかけるつもりもない。

「俺がお前の器だと? 冗談じゃない。貴様こそ所詮俺の剣でしかない。一分一秒でも長くこちらに顕現していたいというなら、せいぜい俺にその力を寄越すんだな」

 普段であれば攻撃的な口調になってしまわぬように気を遣っている彼であったが、今では荒々しく挑発的な語調になっている。自分とて相手から舐められぬようにと、強がっているのもあるのだが、それ以上に言葉尻に気を配っている余裕なんて残っていなかった。
 今まで感じたことのない知君の覚悟が据わった声に、ネロルキウスも違和感を感じ取ったのだろう。その意識がこれまでの彼とは違い、一切薄れようともしない様子に感嘆する。知らず知らずのうちに、年月が脆弱だった器を強固に鍛え上げていたのかと未だ青い彼の成長にほくそ笑んだ。
 今この場で肉体を奪うことができないのは惜しいものの、その将来性を考えればこの成長を確認できたことは儲けものだ。むしろ、ここで自分を御したと知君が勘違いしてくれようものなら、今後も体を乗っ取るための機会はいくらでも訪れようと言うものだ。
 それならば、ここは彼の好きなようにさせるのが得策。力を持つのみならず、狡猾な暴君はそう判断した。事実この判断が功を奏し、後日彼は少年の肉体を乗っ取ることになるのだが。
 この時、二人は揃いも揃って知らなかった。今後彼が歩むその軌跡こそが、彼を苦しめたものの、その足跡故に少年が報われることになろうとは。全知の暴君でも知り得ない『未来を知ることができる』『そんな』誰かのおかげで、彼の心が救われることを。

「待たせたな、俺の準備は万全だ。……して、レタラと名乗っていたか、貴様の準備はできているか」

 あれだけ長い間知君がネロルキウスと闘っていたというにも関わらず、目の前のレタラはというと、ただただ茫然として、目の前の様子を眺めつづけていた。先刻この少年が口にした言葉が信じられないと、ひたすらにその目を皿のようにして、じりじりと後退していた。首を横に振って、これは悪い夢を見ているのだと自分に言い聞かせようとしている。
 悲しい事にこれは揺るぎようのない現実だと言うのに。先ほどまで優勢だったが故に粋がっていた姿を思い返すと、そのネズミのように怯えた姿が情けなくて仕方ない。

「嘘……嘘よ、その守護神って、まだ契約者居ないはずでしょ? ねえ、どうしてそんな……そんな恐ろしい力」
「ほう。ネロルキウスの存在を知ってはいたか」
「当然でしょ、まだ顕現していない最後のELEVEN、その力を知る者なんて、地上にいるはずない、のに……」
「滑稽な話だ。今の世の中ならいくらでも情報など隠蔽できるというものを」
「そんな訳! 検索に看破、調査にダウジング、様々な能力を持った守護神に、その契約者が溢れ返っているのよ。誰もが一度は調べたことがあるはずよ、ELEVENの契約者は誰なのか、なんて」
「超耐性がある以上、調べられる訳が無いだろう。無知とは恥ずかしいものだな」

 思い付きだけでここまでのことをやり遂げておいて、存外頭の回らぬ女のようだなと少年は失笑した。畢竟、貴様などその守護神におんぶにだっこなだけの脆弱で矮小な存在に過ぎないのだと、先ほどまでの思い上がりを指摘した。

「好き勝手言ってくれるわね、貴方だって私とそう変わらない、守護神の性能任せのチビじゃないの!」
「そう、見えるんだろうなお前たちには。こちらに立てば分かるぞ、その言葉が如何に見当外れか」

 道を開けろ。思わず底冷えしてしまう、冷たい声音。その色は深く暗い夜のとばりのような黒に淀んでいた。常夜の闇のように、明けることの無いような底なしの深淵に引きずり込まれる恐怖を頭の隅に掠めさせるような、そんな。
 この能力は本来使うべきではない。それは重々承知していた。しかしこの女には手加減は不要だと判断する。この女が二度とこの能力を使えないようにする必要がある。そして知らしめねばならぬのだ。この世で最も、民を深い絶望に陥れたネロルキウスこそが、最大の支配者であると言うことを。洗脳のファシズムとは違う、理解していようとも抗えぬ根源的な畏怖こそが、彼が彼である所以だ。
 その事を身をもって教え、記憶に刻み込む。それゆえに知君は、一度誰かを不幸にさせてしまったその力を使うことに決めた。先ほどの道を開けろとの号令に従った人々は、その命令を聞き届けて知君から今まで以上に遠ざかった。そして彼らは、レタラの退路を塞ぐように彼女の後方の空間を埋めていく。

「ちょっと、どきなさいよ! 私が逃げられないじゃないの!」

 人ごみをかき分けて逃げ出そうとする彼女の四肢を、正気を失った人々が押さえつける。いう事を聞かない人々の様子に彼女は目を白黒させた。能力の行使中は、彼らは自分の忠実な手先のはず。それなのに、むしろ少年の言うことに従う様子に怯えてならなかった。そもそも自分が勝てるビジョンなど、彼のナンバーを耳にした瞬間にすっかり失せてしまった。

「逃がす訳が無いだろう」
「ひっ……」

 背後すぐ傍から聞こえた声に、思わず悲鳴を上げるレタラ。これではどちらが悪人なのか分かったものではないな。そう言う彼の顔に悲壮感など浮かんでおらず、むしろ楽し気にほほ笑んでいた。
 なぜか。それは当然、戦意を失ったその様子から確信したからだ。もうこれ以上、誰も傷つかなくて済むことを。だからこそ彼は、最後に彼女への処刑だけを断行した。

「折角だからとくと見るがいい。この俺が使役するネロルキウス、その能力を」
「やめてください! お願いです、自首でも何でもしますからぁ!」
「安心しろ、何も怪我させるつもりなど無い。さあ、始めるぞ……ネロルキウスの能力を行使する!」

 振り返った彼女の顔を左手で掴む。指の隙間から覗く知君の顔が、その女性にはもう、鬼や悪魔のものにしか見えなかった。

「対象は倉田 レタラ。奪い取るのは、その守護神のドルフコースト!」

 宣言すると同時に、彼女の身体を覆っていたオーラが剥がれ落ちていく。剥がれ落ちたオーラが宙を漂い、漂ったかと思えば凝集し、一人の守護神の姿がそこに現れた。その守護神は自らが掴まれている訳でもないのに、ネロルキウスによって押さえつけられているようにじたばたと頭を抱えたまま暴れていた。
 契約者であるレタラが頭を掴まれているからか、緊箍児(きんこじ)に苛まれる孫悟空さながらに、頭蓋を駆け抜ける激痛に雄たけびを上げている。野太い絶叫が収まったかと思えば、知君はレタラから手を離した。そのまま今度はドルフコーストの腕を掴む。真っ黒な染みがドルフコーストの腕を汚染するように滲む。少年の後ろに聳える暗黒のオーラに、小さく悲鳴を上げた守護神も次の瞬間には全てを察し、諦めた。

「守護神アクセス! ドルフコースト!」

 その能力は全知……あらゆる情報を奪い取ることによりとっくに把握していた。色によりその特性は異なるが、毒ガスを吸わせた者を己の支配下に置く、あるいは自立した兵として己に従わせる能力。
 解除できるとすればドルフコースト自身の命令。それゆえ少年は、過去の苦い記憶を掘り起こすことを代償に、この手段に踏み入ることに決めたのだ。

「ドルフコーストの名において『この電波塔内にいる者』に命令する。ただちに俺の支配下から解放されろ!」

 指を打ち鳴らす、それと同時に能力にかけられていた人々の身体から、黒いガスに赤いガス、それぞれが浄化されたように立ち昇ったかと思えばすぐに消えてしまった。支配されて以来、ずっと酷使され続けていたのか、その束縛から解放された途端に人々は膝から地面に崩れ落ちた。
 ところどころ、取り戻した痛覚のせいで痛みに喘ぐ声も上がっている。子供が泣き叫ぶ鋭い金切り声も上がっている。もっと早く自分が決心できていれば、そうやって自己嫌悪に陥ってしまいそうになった。
 けれども次の瞬間、幾重にも重なりあって聞こえる「助かった」の一言に、その後ろ向きな考えは全て打ち消された。自分の力で助けられた人々がいる。それだけで歯を食いしばって立ち向かった甲斐があったものだと、ようやく安堵した。Callingを終了し、奏白に駆け寄る。
 この後すぐの事だった、ここに琴割が現れて奏白に知君のことを紹介することとなったのは。




「あの時だけですね、琴割さんが僕のことを褒めてくれたのなんて」

 長い、長い昔話。彼の生まれた理由、境遇、そして再起の決意。全てを聞き届けた人々は何も口を出すことができなかった。奏白とて、出自を聞いたのは初めての事だった。
 ずっと、ずっと重たかった。思っていたよりも、ずっと。この少年が生まれた理由を納得するより、誰よりも大きな力を持っていることを再確認するよりも早く、全員の頭をかすめたのはただひたすらに後悔だけだった。
 俺たちは、私達は、一体どんな子に冷たく接してきたのか。その事実があまりに強く胸を締め付ける。何度も謝りはした。けれどもそれだけの事で許されていいだなんて、彼らには到底思えなかった。
 誰にも愛されず育ち、何度も助けてくれた少年を疎外し、仲間外れにしていた。それがどれだけ彼の心を深々と抉っていた事だろうか。
 倫理観に反する出自に始まる、道徳を教えるために道徳を無視した教育。恐怖と不安に押しつぶされそうな学生生活。もしネロルキウスを呼べないままであれば、宣告された命のタイムリミットにも震えていただろう。それこそが、彼が虐げられてきた日々。琴割と、奏白と……そして誰よりも、ネロルキウスと少年との、出会いの物語だった。


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