複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【File9後編・完】 ( No.83 )
- 日時: 2018/06/20 08:05
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
血の匂いがする。
倒壊する灰色の瓦礫、空間を劈く悲鳴の重奏。煙で黒く淀んだ炎が舐めとるように半壊した建造物を飲み込んで、蜘蛛の子を散らすように人々は逃げ惑う。もうこの光景を何度となく目にしてきたが、未だに飽きることは無い。
胸の内に渦巻く高揚。いけない事だと分かっていながら、いけない事にどっぷりと手を染めた自分が愉快でならない。口角が意識の外で自然と持ち上がる。踏み歩いたその背後には町だった残骸と、誰かが大切にしていた何かが横たわっていた。
初めから、彼女の頭巾は真っ赤に染まっていたと言うのに。返り血がより鮮紅に染め上げていた。銃を構える機械的な音、照準を定めるように銃口が右を向き、左を見る。その先には、逃げ惑う人ごみに紛れることもできない、走り遅れた老婆の姿があった。裕福とも貧相ともとれない、無難な身なりをしている。
おばあちゃんのためにパンとワインを届けに行く。そんなけなげな少女であったはずなのに。猟師に命令してその銃身を老いた女性に向けた彼女は、自嘲気味に乾いた笑みを漏らした。
その砲身が自分に向いているとは、一心不乱に走る女性は気が付いていないだろう。むしろ、見ないようにしているというべきだろうか。狙われていてもいなくても、危険には変わりない。その気になりさえすれば周囲一帯蜂の巣の焼け野原にできる、そんな彼女の前では警戒なんて意味を為さない。
その気まぐれな好奇心が、向かないように、あるいは向いてしまう前に、遠くへ進むしかない。運がいいか悪いか、それだけの差異。
「あのお婆さんも災難っすね」
こんな所であたしに会っちゃったのが運の尽きだなんて。背後に聳え立つ、上半身のみの霊体の猟師に赤ずきんは問いかけた。猟師の身体は実体化しておらず、何人たりとも彼を傷つけることはできない。逆に猟師が触れることができるのもまた、己が握りしめる銃くらいのものであった。
その銃だけが、猟師の虚像と人間たちとをつなぎとめている。防ぐことのできぬ狙撃手、回避するだけの敏捷性の無い一般人にとって、その照準を定められた時にはもう、死を覚悟するほかない。
照星の先に老婆を置いて、狩人は指先に力を込める。そのまま、赤ずきんの掛け声と共に。
「猟師さーん、発射(ファイア)!」
力ない民の背中を、撃ち抜く。
◆◇◆
心配してくれる誰かが居る。今度こそ任せろと言ってくれる仲間がいる。その安堵と幸福をただ享受している訳にはいかない。知君は、緩んでしまった頬を再び緊張させた。赤ずきんが現れた、ならば一刻も早く誰かが現場に向かわなければならない。
真っ赤な布で頭を覆っているのがトレードマークの彼女は、フェアリーテイル屈指の殲滅能力を有している。かつて何千という兵と共に、数十分かけて渋谷を焼き払った壊死谷がいたが、赤ずきんの影響力はその比ではない。およそ数分、使役する駒はたったの三つ、それだけで渋谷くらいなら破壊しつくす。勿論、警察の妨害が入らない前提はあるが。
誰もが奏白の顔を見た。最も早く現着できるのはお前だと。だが、奏白は力なく首を横に振った。行きたくないのではなく、行くことができなかった。この感覚は一度経験したことがある。今にも駆け出そうとしているのに、脚が床と溶けて混ざり合ったみたいに、離れようとしない。
第三者に、ここに踏みとどまれと、この部屋を離れることを『拒まれて』いた。
「こんな芸当、あんたにしかできないよな?」
「えらい生意気な口聞くようになったなあ、一応上司やぞ、こちとら。……まあええわ、あんま敬われんのも好きちゃうからのう」
「それで、今回は何の用だよ」
「ああ、今知君が話しとったやろ、その事についてや」
昔そいつに施した教育の話しとった頃には着いとってんけどなあ。わざわざ部屋の外で黙っといたんやから感謝せえよと、入室してきた彼は言う。
蛇のように真っ赤な舌を口の隙間から覗かせる、人を化かす狐のような糸目。顔は若々しいと言うのに、その頭髪だけは歴戦の猛者として真っ白になっていた。世の中では英雄とされている、現存する中で最古の守護神アクセス成功者、琴割 月光。知君を作り出したその人である。
元々、知君筆頭に第7班の三人には話が合ったから、二人が揃って見舞いに来るタイミングで自分も向かおうとしたらしい。王子がいるとより一層都合が良かったようだが、癇癪を起こして席を外していると聞き、難儀な話だと肩を落とした。
唐突に現れたその様子に酷く驚いた知君は、声を焦りで揺らしながら白髪の男に問いかけた。
「話して……よかったん、ですか?」
「こんな事にまで巻き込んだしのう。特に洋介からは守護神まで奪い取ってもうたし、しゃあないやろ」
これまでずっと、この話は他人にするなと言い含められてきた彼だ。むしろ、言ったら殺すと言外に伝えられているような絶対的な命令と受け止めてきた。世界的に、守護神の能力を戦争やテロに悪用しないようにと平和の代行者を担っている琴割である。試験管の中で人間を作り上げたこと、その遺伝子を意図的に改変したこと。それだけでも倫理的に問題があると言うのに、秘密裏にELEVENの契約者を作り出し、私兵としてフェアリーテイルとの戦いに投じてきたのだ。それを知られる訳には行かない。
自分で制定させた、ELEVENは自分の判断で能力を多用してはならないとの国際条約。知君に戸籍も無く、そのナンバーが世間的に割れていないからとその力を好き勝手使ってきたと知られたら、その信用は地に落ちる。情報の漏洩をジャンヌダルクの力で防いでいても、アメリカの大統領がELEVENである以上、いつまでも出し抜いてはいられない。彼が本気で調べようと、部下のサクセスストーリーを紡いでしまえば、分の悪い情報は知君や琴割のあずかり知らぬところから漏れていくだろう。
「それに、ほんまに聞かせる気が無かったら、こいつらが聞くのを拒むように働きかけとるからな、必要以上にびくびくすんな」
はらはらとしながら、気が気じゃないと言わんがばかりに部屋中の人の顔色を慮る少年に嘆息混じりに琴割は苦笑を浮かべた。彼の心の中には、わずかばかり自責の念が渦巻いていた。彼がこう思うようになってしまったのも、全て自分の伝えてきたこと、教えてきたことが原因になっているのは火を見るよりも明らかなのだから。
「それより総監、私達は赤ずきんの元へ向かわなくてもよいのですか?」
「ああ、えーっと……お前は奏白の妹か」
「はい。それより、早くお答えください」
赤ずきんは放置する訳にはいかない。もう既に、守護神ジャックをされてしまった数名の人間が生命力の枯渇による衰弱死を引き起こしている。そしてその膨大な力は全て、街の破壊と殺戮とに用いられていた。
被害総額は億を超え、犠牲者は死者だけで千を上回った。一刻も早く駆け付けねば、また秒針が進むごとに被害は増えるだろう。それゆえ神経を憔悴でくすぶらせ、線香花火のようにゆっくりとすり減らした彼女から、火花が弾けるようにして質問が口を付いて出たらしい。
「勿論最終的には向かってもらう。じゃあ太陽、お前弟連れて先行しとる1班や2班に追いついてくれ。多分奏白の方が先に着くやろけど、奏白には少し話がある」
「分かりました。……しかしお言葉ですが、奏白だけでも先に向かわせた方が良いかと」
話ならば、妹の側に伝えておけば後から奏白にも伝わる。それならば先に、すぐに現地に駆けつけられる音也だけでも向かわせるべきだと太陽は主張した。
当然、彼の中には打算的な思い、後輩ながらも自分以上の実力者である彼に縋ろうとする思いは間違いなく存在していた。かつて自分は、能力をほとんど用いていない桃太郎にさえ軽くあしらわれてしまった。今ならあのような失態は二度と起こさない自信はあるがそれでも、赤ずきんから王子を守り切るだけの自信が、兄である太陽には無かった。
自分は最悪、戦場で死ぬ覚悟はできている。しかし、弟を失う覚悟はまだできていなかった。そのため、大切な末弟を失わないようにと太陽は、先に奏白にも駆け付けてもらえないかと、藁をも掴む思いで請願した。
「というより、今はまだ誰も着いてないんだろ? やっぱり俺が行くべきだと思います」
「いや、一人既に向かっとるし、もうそろそろ着く頃やろ。……ただ、そいつが足止めしてるとはいえ増援は必要じゃろうな」
「一人って……赤ずきん相手にそんなの無謀です、早くその人だけでも、引き返させてあげて下さい!」
「安心せい知君。勝つまではいかへんやろけどそう簡単に殺されるようなタマちゃうぞ、あいつらは」
「あいつ、“ら”……? もしかして」
一人しか向かっていないと言っていたのに、今度はあいつらと、複数人を示唆するような言葉を用いた。確かに彼女たちならば、赤ずきんの足止めくらいならば容易だろう。もしかするとそのまま赤ずきんにまで打ち勝ってしまうかもしれない。
何せ契約している彼は、日本一の剣士なのだから。
◇◆◇
逃げる細い胴に向かって、弾丸を撃ち放したはずだった。炸裂する火薬、焦げ臭い硝煙がまた頭巾に染み込んだかと思うと、鼓膜を殴りつけるような銃声が轟く。瞬きするほどの刹那の後に、背を向けて遠ざかろうとする白髪交じりの通行人の身体を貫通する、そのはずだったのに。
銃声を後から追うように、金属同士が高速で擦れる甲高い悲鳴。名残惜しそうな残響と共に消えてゆく、火花と同時にチュンと鳴く鉛の弾丸。金属製の小鳥が囀ったのかと、耳を疑った。しかし、狙撃したはずの一般人が無傷で走り続けている様子から、猟銃による発砲が防がれたのは幻でなく、目の前で起こった現実だと赤ずきんも受け入れた。
それ以外の者は全て此方から遠ざかろうと躍起になっているというのに、突如飛来した『彼女』にはその様子はなく、むしろ立ち向かうために来たのだと言わんがばかりに堂々としている。その手に握りしめているのは、一本の刀。白銀の刃を支える峰は黒光りし、直線のようで僅かに弧を描いたシルエット。この国で古くから用いられ、一時は権力の象徴とも言えた一振りの剣。日本刀である。
袖の無いシャツにホットパンツという、涼し気で開放的な服装に似つかわしくない長物。その製鉄技術は切腹や打ち首に用いる刀と同じ製法で作られているため、かしこまった空気を醸し出すのもそれは当然のことと言えた。
身に纏う面積の小さな衣類からは、彼女の肢体が隠れることなくほぼ全てが顔を見せていた。黄色人種らしい顔立ちだと言うのに、その肌は焼き立てのパンのような小麦色に染まっている。虎が獲物を見つけた時のような鋭い眼光が、赤ずきんを射抜いた。
整った顔立ちに、冷静な瞳。銃をも切り捨てたその反応に速度、精密性。たった一つの動作だけで只者では無いのだと雄弁に物語っていた。刀を見るに、銃弾と衝突したであろう刃の腹一点から小さく煙が上がっている。これで宙を高速で走る、小さな弾丸を両断したのはもはや疑う余地も無いだろう。
有象無象、大して強くも無い捜査官に取り囲まれたことは何度もあるが、その度に蹴散らして逃げおおせてきた。時として、相手を殲滅することもあった。しかし一度、音の能力を用いる能力者とぶつかったことがある。地上に現れてから、数日と言った時期だった。
何とか隙を突くことができたものの、あの時がこれまでの最大の窮地であった。最初にジャックした人間の生命力を奪い過ぎて、能力が使えなくなりかけていたためだ。そんな時に、それまでで最も強い捜査官などと対峙したため、あの時ばかりは負けるものだと自分でも恐れてしまった。
その者と同じだけのオーラが、目の前の女からは感じられた。よく日に焼けた褐色の肌からは、それだけ彼女が太陽の下で活動していることを示している。群れの力で襲う他の捜査官とも、圧倒的な実力だけで押しつぶしてくる実力者とも異なる。
赤ずきんは、先日シンデレラと出会った際にある剣士に関することを聞かされていた。一人敵陣営についたフェアリーテイルがいる、と。人魚姫が向こうにいるとは以前から聞いていたが、それ以外で敵対するのは初めてだった。
誰であるのか聞き出してみると、本来はこちら側の駒であり、敵を討つために向かっていたはずだったと言うではないか。裏切り者の存在に、舌打ちをしたのは覚えている。まさかよりによって自分が、その背信者と相対する日がこようとは思っていなかったが。
そんな事などつゆほども知らない女性。細くしなやかな手足をリラックスさせるその様子から、彼女が修羅場をいくつも越えていると判断できた。体は幾分も硬直していそうにない。獣のような虎視眈々と、付け入る油断を窺う様な眼光が冷たく光っていた、ばかりだというのに。
不意にその張り詰めた表情が緩んだ。
険しかったはずの表情はどこへやら、気が付けばその頬は緩み切っていた。破顔し、少女のようなあどけない笑みを浮かべた彼女が満面の笑みを浮かべて見せたのは、まるで大輪の花火が弾けたようであった。
リラックスしていなるのではなく、緊張感がまるでないだけ。虎のようだと思っていた瞳は、実のところ移り気な猫のようなものである。そう判断し、認識を改めるのにそう多くの時間を要しなかった。呆気にとられた直後、もはや呆れかえったフェアリーテイルを尻目に、空気の読めない褐色の少女は明るい声を轟かせた。
「ちぃーーーーっす! どうもぉ! クーニャンでぇーーーーっす!」
一瞬でも、この女がかなりの切れ者なのではないかと考えた自分が馬鹿だったと、赤ずきんはクーニャンと名乗った彼女に向ける目を白くした。図体だけやけに大人びているが、頭の中身は自分よりもずっと子供臭い。
乳臭い、十歳にも満たない男の子とよく似た腕白度合いだ。
「いやぁ、今日これからはヤバい奴と戦っていくんですけどもぉ、増援は誰一人来ませんでした。なぁにがいけなかったんでしょうねえー!」
「急に何なんすか、あんた」
「ありゃま知らなんだか、何かな、昔動画サイトで広告収入得るのが流行ったらしくてな、当時の面白そーな動画見てたらその内の一人が、んな事言ってたんだよなー」
「いや、知らねっすよ。人間の趣味なんて」
「そっすね、あんた守護神だもんなっすね。しゃあねーわっすね」
「……茶化さないで欲しいっす」
あんま自分の真似されるの好きじゃないんすよね。そう言いつつ、立ち塞がるクーニャンを手で指し示した。その指示を理解したのか、首肯することも無く背後の猟師は、その照準を今度は少女の方に合わせて見せた。
「おっ、やる気かい、イカガール?」
「目ぇ腐ってんすか、どっからどう見てもあたしはイカじゃなくてアカっすよ」
「つれねーなー、流行りのゲームのキャラなのに」
「だから人間の趣味なんて」
「知らねっすよー、ってか?」
天真爛漫に振る舞うクーニャンの姿に、次第にフラストレーションが溜まっていく。眉を吊り上げ、眉間には皺を寄せた。への字にした口からは、明確な不機嫌が溢れ出ている。
「もういいっす」
「どしたよ、怖い顔して」
「とっととぶち殺してその口永遠に閉ざしてやるっす」
「短気だけど嫌いじゃねーぜ、そう言うの。オラ、わくわくすっぞ?」
「ワクワクするのはあんたの勝手。ただ、減らず口はしまいっす。……猟師さん」
声をかけると同時に、後ろの髭面の男が照星越しにクーニャンを見つめた。銃口を彼女の身体のど真ん中に向けて、指先に力を込めていく。先ほどと比べて、威力を高めた強力な一射。刀ごと撃ち砕いてみせるという強い意志と共に、険のある声で少女は発砲の合図を下した。
「発射(ファイア)!」