複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【File10・開幕】 ( No.84 )
- 日時: 2018/06/26 17:53
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
「発射(ファイア)!」
炸裂する銃声。肉眼で捉えられない速度の弾丸の軌跡が赤ずきんとクーニャンとを繋いだ。だが、その弾頭はクーニャンの頭蓋には届かない。人ならざる速度で反応した彼女はというと、手に持った日本刀を振り抜き、再び銃弾を空中にて両断した。文字通り金切り声が小さく上がる。二つに斬られた弾丸が、悲鳴を上げながら地を転がった。
カランコロンと転がる金属片。それを悠長に聞く二人では無かった。もう既にドーピングアイテムであるキビ団子を二つ摂取していたクーニャンは、続く発砲より先にと駆け出した。猟師はというと次の弾を用意している。
チャンスは今。赤ずきん本体が攻撃してきた報告は無い。しかしそれが、できない事実に直結する訳ではない。真正面からの特攻は危険、そう判断したクーニャンは一度陽動をかけることにした。
剣気を纏わせた刀を地面に突き刺した。頑強な刃はアスファルトに立てたところで刃毀れ一つしない。そのまま刀身の内側に圧縮した剣気を衝撃へと転換、振り上げると同時に一息に解き放った。黄色い閃光が爆風を巻き込みながら赤ずきんへと襲い掛かる。赤ずきんが市街地を焼き払い生まれた瓦礫を巻き込み、礫の雨霰が横殴りに襲い掛かる。
「おばあさん!」
誰もいない虚空へと呼びかける。次の瞬間、どこからともなく二本の腕が現れた。まるで巨人の腕と思えるような、巨大な腕。それが愛しい我が子を抱えるように赤ずきんを抱擁し、壁のように取り囲んだ。爆風も瓦礫も、その障壁を貫くことはできなかった。
「狼さん、あんたも出番っすよ」
抱きしめる腕の防壁の中で、指笛を高らかに吹き鳴らす。開放的な空間を軽やかな音色が突き抜けたかと思うと、次の瞬間には真っ黒な毛皮に身を包む大柄な狼が降り立った。その体躯は人間一人くらいなら丸呑みしてしまいそうな程だ。フェアリーテイル同様の血走った目を輝かせて、牙を剥き出しにして喉を鳴らしている。
おばあさんの加護を無理やりこじ開けようとしていた桃太郎達であったが、現れた狼が地を踏みしめたのを確認すると、標的を赤ずきんからそちらの獣へと移した。あれが獰猛な眷属であることは充分に理解している。右へ、左へ。狩りになれているのであろう狼は、翻弄するように地を踊り、クーニャン目掛けて飛び掛かった。
迫る前足の爪を何とか刀で受け止める。もう一方の前足が振り上げられたのは確認したため、迅速に刀を突きあげて狼の身体を押し戻した。後ろ側へと重心を崩した獣だったが、すぐさま後ろ足で大地を蹴り、体勢を立て直した。
狼が今にも飛び掛かろうと、低い姿勢を取りはしたが、後方で猟銃を構えた猟師の姿も当然見逃してはいなかった。
「ファイア!」
叫ぶ銃声、同時に走る斬撃。三度目の金属音と共に、また弾頭は真っ二つに。だがその剣を振るった隙を突いてか、大地を蹴った狼が今度は一直線にクーニャンの眼前へ。首もろともその頭を噛み千切ってやろうと大きな口を開いてその鋭利な牙を覗かせた。
咄嗟に屈みこみ、跳びかかる狼の懐へと下からクーニャンは潜り込んだ。駆け抜ける狼の血濡れた牙を上空に見送り腹の真下へと潜り込む。そのまま片足で地面を踏みしめ、もう片足で上空めがけて射抜いた。猛スピードで疾走していた大狼の身体が、腹部を蹴られ真上に突き上げられる。
太陽の下、無防備に宙に放り出された一匹の四足動物。空中ではもがいても上手く動けないようだが、それでも猫のように体を捻って着地のための姿勢だけ整えている。そう上手くいかせてなるものかと、クーニャンは薄い肌色の球体を空へと投げた。
狼の黒い毛並みを追い越して、その代価は青空の下へ。その瞬間、突如現れた影が狼を覆った。現れたのは、ゴリラのように屈強な家来の姿。
「カモン、モンキー。叩き落しちまえ!」
丸太のように太い両腕。手を組み合わせ、両腕を一本の太いハンマーのようにして振り下ろした。空気を捻じ曲げる鈍い音。ブンと勢いよく叩きつけられた剛腕が四つ足の獣の背中に打ち付けられた。打撃と同時に地面へと加速する体。衝撃が、狼の身体を突き抜ける。受け身を取り切れぬまま、重力に負けて大の字になって地面に広がった。
これで眷属一人は封じたため、猟師の弾丸にのみ気を向けていればよい。そう思っていたのだが、クーニャンは瞬時に、宙に浮かんでいたショットガンがいつの間にかマシンガンに変わっている事に気が付いた。途切れることも無さそうな一連の弾倉が垂れ下がっている。果たして何百発、何千発連射されることになるのだろうか。
「あんたが避けりゃあ後ろは壊滅。あんたが立ち止まればあんたが蜂の巣。どっちに転んでもあたしの思惑っすよ!」
「はっ、やってみなきゃ分かんねえだろ」
「威勢はまだいいみたいっすね。でもこのエンドレス・ワルツは、あんたが死ぬまで終わらない」
「技名なんかつけてんのかよお前……」
「その方がアガるってだけっすよ! 黙って死ぬまで踊りくるいな、発射(ファイア)!」
次から次へと弾ける火薬。炸裂する銃声が、戦場一帯を覆いつくした。反響し、重なり合い、その場全てを塗りつぶしてしまうような軽快な炸裂音が、一秒に何発と、ほんの数秒間で何十発と積み重なる。瞬きするだけで人一人穿ち抉り取ってしまいそうな物量の弾丸が襲い来る。
赤ずきんの言う通り、背後にはまだ逃げる人々がいる。この銃弾が減速、地面に落ちるとは到底考えにくかった。だとすると、ここで退く訳にはいかない。自分が琴割から与えられた役目は、桃太郎の力を使ってこう言った凶事から人々を守ること。凶事が何を指すのかは、彼女はよく理解していなかったが、それでも怪我人を出してはいけないとは理解していた。
これまで生きてきた道とは正反対の指針。その羅針盤の指す方へ進むのは酷く困難ではある。困難ではあるが、彼女には『退くことのできない理由』がしっかと存在していた。そして、シンプルな結論にしかたどり着けない彼女は、その唯一の解答を愚直に体現する外に取れる道なんて無かった。
目を見開く、決して離さない。進む道を曲げなければ、その意志を折ろうともしない。ただ剣を振るう。飛び交う弾丸の雨を、次から次へと切り伏せる。瞬きが惜しい、呼吸をしている暇など無い。ただ、剣を振り下ろしてはまた切り上げ、薙ぎ、受け、弾き、また斬る。
一つだけ救いがあるとしたら、クーニャンを殺すことを念頭に置く赤ずきんが、全ての弾丸を彼女の身体に照準を合わせていることだ。これが滅多打ちで後ろの連中にもランダムに飛ばされていたとしたら、とてもではないが守り切れない。
迫る弾丸を斬る。今度は腰の辺りに迫っているし、次の弾丸は心臓目掛けて迫っている。弾き、打ち上げ、眉間を射抜かんとする一射を両断する。また斬っては構え、構えては斬る。そこに思考など必要なく、ただ本能と反射のみで刃を振るい続ける。
振り抜いた斬撃の太刀筋が幾重にも重なり合い、彼女を守る防壁を形成しているようだった。実質のところ、全ての弾丸を超人的な集中力と身体能力とを駆使し、細い一本の線だけでさばいているだけだというのに。何千と重なる斬撃の剣閃は、鋼の防壁のごとく弾丸を余すことなく殺していく。
斬って、斬って、斬って、斬って。斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って。
もう、何度振るったのかなど数えてなどいない。疲労もスタミナ不足も全て置き去りにして、目の前にだけ集中する。焼き千切れそうな筋繊維も、途切れそうな集中力も。シャットダウンしてしまいそうなニューロンも、全部構わずその身をかなぐり捨てる。
知君とはまた違った、戦うこそが存在意義の彼女にとって、その程度の苦痛は屁でもない。生きていると実感する。亜音速の弾丸の衝撃を受け止める手が、腕が、次第に痺れてくる。だがそれと同時に湧きあがる、生きているという、戦っているという幸福感。これこそが生き甲斐、生の実感。ならばどうしてここで、命を燃やせずにいられようか。
考えるよりも体を動かせ。桃太郎の能力の中核、キビ団子さえあれば多少の疲労は吹き飛ぶのだから。死なないことだけ考えろ。またその意識を、精神を、残された体力を、全て一刀に注ぎ込む。
猟師の手元では薬莢がいくつも飛んでいる。何百もの薬莢がそれはもう、山のように積み重なっている。弾み、転び、飛び交うその甲高い声すらも、早くクーニャンが地に伏さないものかと急かしているようであった。
だが、斃れない。撃って撃って撃ちまくるその機関銃の乱射にもめげず、引けを取らず、数え切れないほどの斬撃を振るう。もう痛みも疲労も意識の地平線のそのまた向こうに投げ捨ててきた。まだ彼女の握る日本刀は、一発たりとも討ち漏らしておらず、クーニャン自身にも、後方の人々にも傷一つつけることを許していない。
足りない頭は技術で補え。育て上げてくれた傭兵の師の言葉だ。幸い体を使うことと、それに関する物覚えは良かった。だからこそ、考えるより先に行動しろという言葉に強く従ってきた。今だってそうだ。よりよい手段を考えるよりも、こうして全部断ち切った方がよほど早い。
それこそが、彼女の生きる術、その全てだった。
何分経ったであろうか。あまりに意識を奪われてしまった彼女には、その猛攻は一瞬で終わったようにも、三日三晩続いたようにも感じられた。積み重なるは、無力化された弾丸の死屍累々。あるいは、ただ無駄撃ちに終わった薬莢達が仕事を終えて、怠惰に転がる姿だった。
訪れる静寂。両者ともに、口を開こうとしなかった。険しい顔つきで息を荒げるクーニャンに、息も切らしていないというのに目を丸くする赤ずきん。目の前の光景が信じられないという風に、間抜けた表情で口を開けている。満身創痍なのは褐色の肌の少女の方だと言うに、これではどちらが優勢か分からなかった。見せつけるようにクーニャンは、たちまち涼しい顔を作って赤ずきんに語り掛けた。
「私が死ぬまで終わらない、じゃなかったか?」
「冗談すよね……こんなの、人間業じゃないっすよ」
「なぁに言ってんだよ。私だって立派な人間だ」
「次々弾丸打ち落とすだなんて、非常識にも程があるっすよ」
「へっ、こんなのチャラ男ニキと比べたら屁でもねえよ」
大見得切った割に、少女一人仕留めることができない。先ほどの宣言が失敗に終わったことは認めざるを得なかった。得意げにする少女に対し、赤ずきんは苦々しく歯を食いしばる。紙の束を噛み締めたような歯がゆさが、一気に襲い掛かってきた。
「何なんすかあんた、ご丁寧に後ろの人間まで守って。あんたには全然関係ない人達なのに」
「しゃあねーだろがよ、それが私の仕事なんだ」
「仕事って……それこそあんたの意志なんてまるでないじゃないすか。そんなんで命賭けるだなんて、やっぱり向こう見ずな阿保なんじゃないすか、あんた」
「分かってねーなー、これだからがきんちょは」
肩を竦め、やれやれと首を横に振る。その様子が赤ずきんの勘に障った。自分の何が分かっていないというのかと、棘のある口調で詰問する。侮られたという実感が、そして怒りが使命感を超えて彼女の心を埋め尽くしていた。
「あのな、私はちゃんと、私がふざけてるように見えるってのはちゃんと知ってる。でもこれでもな、れっきとしたプロなんだよ。訓練受けた、一人のよーへいなんだ」
「立派な言い訳してるつもりみたいっすけど、あんた結局はただの裏切り者じゃないすか」
「ちっげーよ。私はいつだって私なりに戦ってる。雇い主がお前らのボスだったから私はぷりんすやネロみんと戦ったさ。でもな、今の雇い主はうさんくせー狐男なんだよ。そいつが金出して人々守れって命令してきてんだよ。そしたら私はそれに従うしかないんよ、プロだかんな」
いつだって、自分の仕事と真摯に向き合っている。殺せと言われれば殺す。倒せと言われれば倒す。死ねと言われたら死ぬかもしれないけれど、護り抜けと言われたら身を粉にしてでも護り抜く。それこそが、仕事として、傭兵として、戦うことを生業としている者として戦場に立つ、彼女なりの矜持だった。
「私は提示された目的を、私情全部取っ払って達成することに関しちゃ、ネロみんにだって負けねえよ」
険しい顔つきでも無ければ、神経を逆なでるような場違いな笑顔でもない。ただ彼女は、当たり前のことを当たり前のように行う、至って真面目な顔でそう述べた。食っていくために戦っている以上、クライアントの意向には必ず報いる。それこそが、彼女なりのプライド。それを理解しようともせず、まるで『仕事なんか』と言わんがばかりに、それに命を賭けようとすることを否定する赤ずきんのことを彼女は子供だと言っていた。
「さて、そうこう言ってる内にみーんな逃げちまったぞ? 私は充分仕事遂行したけど、お前はどうだ?」
「うるさいなあ……」
「んー、私一人殺せねえちびっこに、これ以上悪いことなんてさせねーよ。それとも、さっきのを防がれてまだ打つ手があるっての?」
「当たり前っすよ。……この私を、カレットを舐めたら痛い目見るっすよ」
「じゃあ、どうするってんだ?」
「全力の一撃、お見舞いするだけっすよ」
右手の親指と人差し指とで輪を作り、それを口に含んだ。そのまま大きく息を吹き出すと、汽笛のような号令が鳴り響く。これは確か、狼を呼んだ時にも聞いたものだと、クーニャンは肩で息をする体を引きずる思いで身構えた。片手を、腰に現れた巾着の中に突っ込んで予め次の展開に備える。
予想はしていたため驚きこそしなかった。桃太郎の家来が一人、猿に叩きつけられて地面に突っ伏していた狼が、ようやくその片足を突いて立ち上がろうとする。あの素早さは油断できないと、視線をそちらの方に向ける。すると今度こそ彼女は、驚愕を隠し切れない光景を目にした。
よろめきながらも立ち上がる狼はというと、その姿を異形に変貌させていた。首から上、要するに顔だけが異常に肥大化して膨れ上がっていた。ぶくぶくと肥えた訳ではない。細長く引き締まっていることに変わりなく、そのまま縦にも横にも大きく広げられていた。その口を大きく開くだけで、周りの地面ごと人一人丸ごと飲み込んでしまうぐらいに、引き伸ばされた顎。
アンバランスで今にも崩れ倒れてしまいそうな体躯となったというのに、細くしなやかな四本の足はふらつきながらも支えていた。そして、口だけ肥大化しただけあると言うべきか、予想通りにその獣は、そのまま顔が裂けてしまいそうな程に、巨大な口を最大まで開いて見せた。
そこにはどす黒い闇が広がっていた。血濡れたナイフのような尖った牙も、獰猛に瞬くその瞳も、喉の奥に繋がっている底なしの闇と比較してしまえば、何とも思わない。それほどまでに底知れぬ絶望を突き付ける、黒狼の喉笛。踏み入れば二度と光差す外界に出られそうにない。
足を踏み入れたくない空間、それが自ら跳びかかってきたならば、どうしたものか。大きくなった体に受ける抵抗も大きくなっているだろうにそれもものともせず、野を駆ける狩人らしく狼は一瞬でトップスピードに達した。
散らばるコンクリート片も、剥き出しになった土の大地も全て巻き込んで、無明の闇に飲み込む一匹の獣。それはまさしく、宮殿ヴァルハラに住まう隻眼の神を飲み込んだ神に仇なす狼のごとく。
天まで届きそうな上顎に、大地まで掘削し抉り抜く下顎。天地の狭間に属する万物を喰らい尽くさんとする、己が眷属のその様子に彼女は、以下のような名を付けていた。
「これがあたし達の全身全霊っすよ、グランフェンリル!」
終末の日の黄昏が訪れる。真っ赤な瘴気に侵された、血に薄汚れた牙の葬列が、クーニャンの身体を捉えた。