複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス【File10・開幕】 ( No.85 )
日時: 2018/06/27 16:00
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 終末の日の黄昏が訪れる。真っ赤な瘴気に侵された、血に薄汚れた牙の葬列が、クーニャンの身体を捉えた。
 目に見える傷こそ無いものの、ずっと剣を振るい続けた筋肉の細かい傷は体内に蓄積されている。その場から跳び退くエネルギーさえ中々生み出せない。ただしそれは、あくまで現状においての話だ。
 予め準備をしておいて正解だった。手に握りしめた三つ目の団子を一息に飲み込んだ。もう既に、ここにたどり着くまでに二つ接触していたため、これがリミッターを外すための最後の一口。あの状態に移行すれば理性が飛びかけるため、周囲に人がいる状態ではろくに使えないのだが、人民の避難が完了した今となっては問題ない。どうせ援軍が来るにもまだ時間がかかるだろう。
 それならば、悩む必要は無い。胃袋に極上の団子が落ち、全身には力が漲った。しかしその力はというと、決して正義の力などではない。物語の中で人々を恐怖と絶望とのどん底に陥れた、鬼の血統。どす黒い血を解放するための三度目のドーピング。体から真っ黒な蒸気が迸る。それはまるで、蒸気機関車のようであった。身体中に赤い痣が浮かび上がり、肌も十代の女子のしなやかで柔らかいものから、まるで岩のように固い膜へと変容する。

「傷も疲労もたちまち元通り。これってば、仙豆みたいだって思わねーか?」
「だから、せんずなんてもん知らねっすよ!」

 決着はついたと思い込んでいた。自分はフェアリーテイルの中でも最上位に位置する一人。流石にシンデレラには敵わないだろうが、それでも日本くらいでしかもてはやされていない桃太郎などには負けるはずもないと高をくくっていた。それなのに、現実はどうだ。鬼の血統を解放したクーニャンはというと、刀の柄で殴りつけるだけでグランフェンリル……と彼女が呼んでいる形態の狼、その上顎を吹き飛ばした。
 実際のところ、桃太郎と赤ずきんとでは赤ずきんの方がよほど強力な能力を有した守護神である。しかしお互いの能力の出力は今や拮抗していた。その理由が分からないほど馬鹿ではない。守護神アクセスと守護神ジャックの違い。あくまで紛い物の顕現に過ぎぬ彼女が、正規の手順を踏んだ桃太郎を圧倒できると思っていたのが間違いであった。
 しかも、クーニャンは桃太郎の相方となるに際して、これ以上相応しい者が居ないと言わしめるほどの人材であった。強化された脚力に腕力を使いこなすだけの運動センスに、唯一桃太郎に欠如していた柔軟性も天性の代物として予め持っていた。これにより、近接肉弾戦闘においては、これまで奏白が最強だと信じていた警察の面々に舌を巻かせるの傑物となった。
 パズルのピースのようにぴたりとかみ合うパートナー、それを得た桃太郎が孤独に抗う赤ずきんと逼迫している現状は、むしろ当然と言えた。大きく仰け反った狼は、むしろ的が大きい方がよほど不利だと判断してか元の大きさに戻った。元々充分に脅威だったその身体能力がさらに底上げされた事実を本能が察したのだろう。
 これ以上思い通りにさせてなるものかと、赤ずきんへと跳びかかろうとする進路を遮るように立ちふさがる。
 しかし、先ほどまでの状態の桃太郎達に既に手玉に取られていた狼など、今の二人にとっては小型犬に過ぎない。大地を蹴って、跳び上がって、縦横無尽に走り回ろうとする。そんな姿さえ酷くのろまに見えてならなかった。
 跳び上がり、着地。また跳躍、着陸。前へ、後ろへ、右へ左へ。赤ずきんまでたどり着く道を見出そうと俊敏に跳び回るクーニャンに置いて行かれないようにと、巧みに最短距離を移動する。だが、そのにらみ合いの時間は瞬く間に終わりを迎えることとなる。
 狼が前足で着地をした、その瞬間だった。その狭い視野の死角に潜り込んだ彼女はというと、気が付いた時には狼の真上を取っていた。見失った影、突如遮られた陽光。落ち着いていれば上空にいるとは察せられただろう。しかし、激戦に余裕を失っているのは人間も獣も、守護神も相違ない。
 むしろこの場において一番平然としていたのは、ただの人間に過ぎない中国からやってきた少女だった。齢十六に過ぎない少女は、これまで数え切れない死線を超えている。それこそ、知君や王子など、足元に並び立つ事さえ敵わないくらいに。何せ彼女は生まれながらにして、生き抜くことが戦いの連続だったのだから。

「狼さん! 上っす!」
「もう、おっせーよ!」

 振り上げた右足を、鉄槌のごとく振り下ろす。真っ黒なスニーカーが黒い毛皮さえ貫いて後頭部に叩きこまれた。守護神、およびその眷属に怪我や死の概念は無い。しかし一定のダメージを負えば人間同様に意識を失うとはこれまでのフェアリーテイルとの戦いで幾度も報告されていた。なぜそこだけ不便な生物の仕組みが流用されているのかは分からないが、それでも守護神の暴走に対して人間側が反逆できる、唯一付け入られる隙だった。

「狼突破ぁ!」

 意気揚々と、今度こそ赤ずきん本体へと向かおうとするクーニャン。もうちょろちょろ跳び回る邪魔な犬はいない。そう思って前を向いたのと、それは同時だった。
 チャキ。あえて擬音語として表現するなら、そう言ったものだろうか。部品同士が噛み合う金属音がしたかと思うと、眼前に拳銃の大口径があった。宙に浮かぶ猟師の腕が、もう目の前まで迫っていた。その手が厳かに握りしめている銃は機関銃から今度は拳銃に変わっている。

「弾丸沢山錬成するとあたしも疲れるんすよね」

 その銃口から伸びる、弾丸を忍ばせた穴はというと先ほど見た狼の喉奥の様子によく似ていた。死を想起させるような深い暗闇の奥底は、見ることもできない。まるで、恐怖という概念がヒトの形を成している人形と目を合わせているようだった。背筋に悪寒が走り抜ける。
 親指で後ろに下げられた撃鉄は、打ち鳴らす瞬間を今か今かと待ち構えている。もうとっくに、クーニャンの両足は踏み切っており、宙に浮いていた。ここから方向転換をするのは不可能であろう。真っ黒な砲身に、ごつんと額をぶつけた。その口径は流石人知を超えた守護神の代物というだけあって、クーニャンの顔ほどもある、もはや大砲と言って差し支えない大口径。
 ただ、完全に先ほどの狼の胃袋の先と同じかと言えば、それとは異なっていた。よくよく目を凝らすと、奥にはぎらりと尖った弾頭が、舌なめずりして少女の脳天を粉々に砕くその瞬間を待ち構えている。
 得意げにしている赤ずきんと、背後霊のごとく控える仏頂面の猟師と、それぞれ目が合った。両者とも、嬉々としていたり淡々としていたりと差はあれど、間違えようのない勝利を確信していた。もうここからクーニャンが回避する手段は無い。

「案外手こずっちゃったけど、今度こそしまいっすね」

 これでこの女も、今まで殺してきた何百人、あるいは千を超える屍の仲間入りだ。今これだけ苦戦したといっても、骸となった後はその他大勢と何も変わらない。結局のところ赤ずきんにとっては、自分より弱かった誰かに成り下がる。
 拳銃を握りしめる猟師の指に、少しずつ力が込められていく。重力に負けて落下する自分の速度があまりに遅かった。着地さえできれば、すぐにでも回避に踏み切れると言うのに。しかし、どう足掻いても自分が駆けだしてその銃弾を回避するよりも、その銃弾が自分の頭蓋を木っ端みじんにする方がよほど早いと、クーニャンは察してしまった。

「あー、ここまでか……」

 引き金が完全に引かれ、撃鉄が打ち付けられる。火薬が炸裂し、その発破に乗じて、弾丸が銃身の中のレールを駆け抜けた。

 激しい音が、周囲一帯に鳴り響いた。そして同時に、何かがバラバラに砕け散る暴力的な悲鳴。
 死骸が、辺り一面に散らばった。






 ただしその死体とは、決して人間のものではなかった。

「って、諦めてやると思ったか?」
「あんた……どんだけ常識欠けてんすか……!」

 激しい音が鳴り響いていた。というのも、クーニャンの振り抜いた刀が、赤ずきん達の拳銃を一刀両断し、粉々に打ち砕いたからだ。精密に作り上げられた銃がほころび、はじけ飛びながら悲鳴を上げている。金属片があたり一面に飛び散って奏でる音が重なり合い、やけに五月蠅い悲鳴が辺りに充満した。
 拳銃だったはずの、金属質の死骸が、霰のように地面に降り注ぎ、転がった。

「いやー、反射だったぜ。頭がぶつかったからよ、ワンチャンこれ斬れんじゃねー? ってぶった切ったら案の定何とかなったわー」
「……くっそ、野生の勘働きすぎじゃないすかね」

 幾度となく繰り返したが、またしても苦虫を噛み潰す赤ずきん。
 この直後、彼女はさらにその表情を歪ませることとなる。足音をも置き去りに、どこからともなく駆け付けたもう一人の尖兵に。
 穏やかな風ばかりだった空間に、飛来する一つの影。同時に、衝撃波に近い突風が吹き荒れた。嵐を纏って現れたのは、王子 太陽の請願により下された、琴割 月光の指示を受けた、クーニャンと肩を並べるほどの実力者。

「おっ、いいところに来たじゃんチャラ男ニキ」
「誰がチャラ男ニキだ、ぶっ飛ばすぞ」

 その顔には、赤ずきんにも見覚えがあった。かつて一度、この男に追い詰められた経験があるからだ。撃ち放した弾丸と同じ程度の速度で駆け抜け、狼をもやすやすと退けるだけの能力者。宿した守護神は、偉大なる音楽家アマデウス。
 そう、男の名前は。

「あんた確か、ドロシー倒した男っすよね。奏白とかいう」
「おっ、可愛い子に知られてるのは光栄だな。でもどっかで会った事なかったっけ俺たち?」
「ナンパの常套句みたいに言ってんじゃないすよ。……一回手合わせしてるっす」
「じゃ、今度こそお縄にかかってもらおうか」
「ご冗談。今度こそ、冥土の砂でも味わうといいっす」
 赤ずきんの強がった声とは裏腹に、不利な状況になったとは痛いほどに彼女自身、理解していた。