複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.86 )
- 日時: 2018/06/27 22:42
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
同刻、奏白も太陽も出ていった病室では四人だけが残されていた。極秘裏に話さねばならぬ内容であるため、院長に人払いを頼んでいる。残っているのはもう戦えなくなってしまった洋介に、戦線に出てはならない琴割、満身創痍の知君にそのお目付け役の真凜だ。真凜の場合は、この後語られる話を兄に届けるという役割も担っている。
何から話したものかと琴割は頭を掻いた。話さねばならないことがあると、赤ずきんを差し置いてこの集会を開いた割に、いたく歯切れの悪い物言いだった。何らかの言葉を言おうとするも、躊躇しているようである。いつも堂々としていた彼がそのように悩んでいるのを目にするのは、知君からしても初めての事だった。
「……まずは、シンデレラの事から話しとくか」
「シンデレラが、どうかしたんですか?」
「前置きは後回しで本題をまず言うなら、シンデレラは契約者を見つけとった」
話題を絞ってからは、いつもの覇気ある口調に戻る。その様子から、複数ある話題の内都合の悪い方から逃げているような雰囲気を感じ取った。おそらく、こちらの話も充分に重要なセンテンスなのだろうが、それでももう一方と比べると口にするのは軽いのだろう。
それよりも重大なのは、話題そのものだ。しばらくの間なりを潜めていたと思っていたシンデレラが、白雪姫と同じ時刻にまた姿を現した。むしろ今まで消えていたのが不可解であったため、ようやく戻って来たかと納得したほどのものである。
「そんな……いつからですか?」
「おそらく、最後に観測した日からや」
最後にシンデレラが現れたのは、王子と人魚姫がそれぞれ出会って間もないような頃であった。その頃世間では、世界の歌姫と呼ばれている星羅ソフィアが行方不明になったと騒がれていたと琴割は言い添えた。
「あの夜、ほんの少しだけ姿見せとったシンデレラの観測値は、メーターを振り切っとった」
警察は、フェアリーテイルの行動を赤い瘴気の強さで観測している。そしてシンデレラはというと、その他のフェアリーテイルと比較し、一、二を争う程度の観測値を有していた。そのため、シンデレラが示している値をメーターの上限近くに設定していたのだが、ある日一度だけそれを大きく上回り、計器が故障するほどに振り切っていた。
当時としては事故や故障、エラーとしか思えなかった。何せその頃は警視庁が「守護神アクセスしたフェアリーガーデンの守護神」を見たことが無かったためだ。人魚姫はまだその存在を知君以外に知られておらず、桃太郎もその頃はまだ単独で行動していた。
それゆえ、気が付く事が出来なかった。観測値の上昇は、赤い瘴気に侵されたままの守護神が契約者と結ばれたが故に起こる現象だとは。気づこうと思えば二か月早く理解できていただろうに、白雪姫を解放したつい先日まで、シンデレラが契約者を見つけた事実を知ることができなかった。
「シンデレラがしばらくの間活動してへんかったんは簡単な話やった。契約者が日本におらんかったからや」
「海外にいた、ということですか」
「せや。それも公演のためにな」
「公演? 劇団にでも所属していたということですか?」
「ちゃうちゃう。傾城絡むとほんまにお前は察し悪くなるのう。さっき言うたばっかりじゃろが。シンデレラが丁度いなくなったんは、ある人物が日本にいた頃や、って」
「先ほど総監が申し上げた、と言いますともしや……」
「気づいたか、奏白妹」
「星羅……世界の歌姫、星羅ソフィアですね」
「そん通りや。元々顔立ちがシンデレラとよお似とるって言われてたしのう」
星羅、その名を耳にするや不意に、知君は表情を曇らせた。気分でも悪くなったのかと、屈みこんで真凜は目線を彼に合わせた。しかし、顔色自体は悪くなっていない。しかし、その瞳の光だけは何かを憂い、嘆くように翳っていた。
「その方って、もしかして……」
「お前の想像通りや」
彼の握りしめたシーツに皺が寄る。それと同様に、眉間にも細かな皺が寄っていた。どうしたのと尋ねながら彼の肩に手を置いた真凜は、不安げにその顔を覗き込んだ。
「さっきの話の、初めの方に出てきたんですけれど……僕を作る時の卵子の提供者は、星羅 朱鷺子と言うんですよ」
「同じ苗字……血縁者、ってこと?」
「せや。そいつの母親……と言っても別に腹痛めて産んだ訳ちゃうけど、その女は星羅ソフィアの母親や」
「でも、待ってください。娘のソフィアの守護神がシンデレラなんですよね? でもその母親の守護神って確か、天上人の界に居たはずじゃ……」
「別に、親子間での守護神の相関なんざ的中率は七割強ってところや残りの三割弱は両親と全然関係あらへんところから生まれる。王子一家見てみろや」
ウンディーネは幻獣界、アイザックは科学史に名を残す者が集う世界、そして光葉に至ってはフェアリーガーデンと、それぞれ契約相手の属する異世界はてんでバラバラである。多少の偏りはあれども、基本的にはその契約相手はランダムでしかない。
「しかも妻の契約相手はジャンヌダルク率いる女傑の巣窟に住んでいるからな。俺の一家は全員誰とも被ってないよ」
「そう……なんですね」
「話を戻していいですか。つまり、シンデレラの契約相手は僕の姉だってことなんですね」
「まあ、そうなるなあ」
頭を掻き、白髪を揺らしながら琴割は問いに応じた。知君の顔を覗き込んでいた真凜は、その目が潤む瞬間を捉えた。
「どうしたの、大丈夫?」
「いえ……大丈夫です。その……不謹慎なのは重々理解しているんですけど、ほんの少しだけ嬉しくて」
「嬉しい?」
「ええ」
鼻水を啜り、虹彩を僅かに滲ませたまま知君は、真凜と目を合わせた。隈はまだ消えていないが、それでも穏やかに瞳孔はぶれずに座っている。落ち着いてはいるようだと、真凜も僅かに胸を撫でおろした。
「これまで僕は、血の繋がった人と会えるだなんて思ってもいなかったから……」
「琴割総監とも繋がってるんじゃないの?」
「悪いが、儂はそいつのことを今一息子とは思ってへんからな」
冷酷にもそのような事を告げる月光を、鋭い目つきで睨みつけんがために真凜は振り返る。憎悪に似た怒りが込められた眼光が、真っすぐに男の瞳を見ていた。しかし同時に、狼狽を得る。睨み返されたのであれば、それを受けて立つだけの覚悟はしていた。しかし振り返って目にした警視総監の糸目はというと、知君と同じく今にも涙をこぼしそうであった。目じりの辺りに力をこめて、何とか堪えているようである。
「……別に道具やと思ってるからちゃう。儂にとっての家族はな、ジャンヌダルクと会うた日に死に別れた、あいつらしかおらんから、認められへんってだけや」
もっとずっと若かりし日。力など何一つ持っていなかった時分。今では人外のように思われがちな琴割とは言え、一般人に過ぎない時代は確かに存在した。愛する妻も確かにいれば、わが身より大切な娘も生きていた。
だからこそ、実験的に生み出した愛の無い個体とはいえ、別の女性との間に生まれている彼の事を、紛れもない自分の家族であると認めたくは無かった。胸の内に生き続けている、未だに唯一愛している女性の残り香が、掻き消えてしまいそうだったから。
「すみません。今の態度は……出過ぎた真似でした」
「いや、さっきの話聞いてすぐの話や。お前が感じたように受け取られてもしゃあない。それだけの事をしてきた自覚は、ちゃんと儂の中にもある。……あると言うよりかは、芽生えたの方が正しいかもしれんがのう」
男は何十年と、幻聴と幻想とに突き動かされるように、彼なりの正義を求めていた。その結果として、自分が矛盾を押し通し、人道を外れていることから目を背けていた。これは人々のためだからと、自分は力を間違った方法で用いないと言い聞かせて、いくつも不正を重ねてきた。
それが過ちだと気が付けたのはおそらく、ELEVENでも何でもないただの人間に過ぎない奏白の正義感に焼かれてしまったのが原因なのだろうなと理解していた。ドロシーが出現した時、何とか貴重な戦力である奏白を失わぬようにと努めた。しかし奏白はそんな制止など振り切って、それまで陥っていたスランプもものともせずに仲間を救い出して見せた。
そうして、己の行いが正しい事が揺らいでいた。けれども、意地だけが彼の意志を変えないまま突き動かしていた。芽生えた疑念も罪悪感も見ないふりして、今まで通りに振る舞う。知君が暴走したら即座に殺処分する。そう、元々決めていたから先日も暴れるやすぐさまその首を刎ねようと現場に赴いたはずだった。
そう決めていたはずなのに、現実には知君の、正しくはネロルキウスの反旗はあっさりと静まった。それは当然、琴割が手を打ったという訳では無い。大切な同僚、班員、認めて欲しいと願っていた仲間の真凜が彼のことを大切な存在だと認める言葉だけで、事態を鎮圧した。
まるで駄々っ子みたい、人間みたいじゃないかとようやくそこで思い至った。初めから、生み出した命は人間であったはずなのに、道具としてしか見ていなかったと気が付いたのはこの瞬間だった。
「儂自身の幸せは、とっくの昔に捨ててしもうたからな。それを知君にまで強いとった。ELEVENなんざ所詮は人知を超えたバケモン。儂もそうやからこいつもそうやなんて一方的に思い込んどった。自分で、手ひどい教育施して、誰より思慮深い人格形成までしてもうたのに、そいつのことを人間やのうてよく出来たアンドロイドみたいに信じとった」
その幻想を、奏白を姓に持つ二人が打ち砕いた。さらには知君の友である王子の躊躇が、人魚姫の優しさが、彼を憎んでいたはずの太陽の後悔が。必死にネロルキウスを押さえ込もうと抗い続ける知君を前にして、率先して殺そうだなんて考えていたのは琴割くらいのものだった。奏白も手にかけて楽にしてやろうとは考えていたものの、それはあくまで知君の幸せを願って。私利私欲のために、少年の人生を無かったことにしようだなどと考えたのは、年老いた彼一人だけだった。
「儂としちゃあな……こっちの方が本題のつもりなんやけどな」
もしかしたらお前らにとっちゃ、こんな言葉どうでもええ代物かもしれへん。頼りなさげに、消え入りそうな声で彼はそう続けた。
どうしてそんなに落ち込んでいるのか、自己嫌悪しているのか当の本人以外は分かっていなかった。何せ彼が知君に施した非人道的な所業の数々は、理解の上で意図的にしていたものだと思っていたのだから。
だからこそ、少年も、その細い肩を支える女性も、見守っている中年の男も、白髪に塗れた老兵の後悔を、首を傾げながら見守っていた。
「……んかったな」
「はい?」
ぼそぼそと囁いたその言葉が、にわかに知君には信じられなかった。弱弱しく細められていた目が丸く見開かれ、顔ごと目を伏せた男の頭頂部を眺めた。もしかするとこれは彼なりに、頭を下げていると言えるのだろうかと、そんな事を考える。
付き合いの長い知君でも、そんな姿を見たことは無い。付き合うの長い彼だからこそ、目の前の光景が全くもって信じられなかった。こんな姿、夢に見たことだって一度として無い。
「琴割さん、今なんて仰いました?」
おそらく自分の勘違いだろう。そう思った彼は、本当は何と言っていたのだろうかと琴割に問い返してみた。疲労のせいか上手く聞き取れなくて、そんな風に言い訳がましく付け足しながら。
しかし、再び琴割が口を開いて発した言葉はというと、たった今聞き間違えたかと判断したその言葉と何一つ変わらなかった。何度聞き返したところで、その文言は決して間違いではないのだろう。
「今まで長い事、すまんかったな」
「…………琴割さん、謝れたんですね」
煽りでもなく、心底感嘆していた。己の思想こそが正しいと信じて疑わないこの男が、その非を認めるだなんて思ってもみなかった。
「儂を何やとおもとんねんお前は」
「いえ、総監はそれこそ生きるネロルキウスみたいなものかと……」
「奏白妹ぉ……お前も結構生意気言うようになったなあ」
「琴割さん! お願いです、僕はどうでもいいですから他の人には」
「真に受けんなや、今は儂が悪い言うたばっかやんけ」
今更何を、そう詰られると覚悟して頭を垂れ、詫びたつもりだった。であるのに、実際こうして謝辞を述べてみても、素っ頓狂な返事が返って来るばかり。冗談だと受け止められているのかと思えばそうではなく、ただ純粋にその言葉が嘘だと思い込まれているようである。
そう受け取られても仕方ないかと、琴割は苦笑した。ジャンヌダルクと契約してから、これほど真っ当に誰かに謝ったことなど無かったはずだ。それほどまでに、盲目的だった。大規模な犯罪に巻き込まれて、妻と娘は死んでしまった。銃弾が心臓を射抜き、自分ももうすぐにでもこと切れようとしたその瞬間、強く死を『拒んだ』が故に生死の狭間で契約を結ぶ事が出来た。
それ以来は、やりたい放題だった。今でさえ思う、あの日自分が破壊活動でなく権力者としての支配による世界平和に踏み切っただけ、まだましだったと。もう既に死んでしまった者の死は、ジャンヌダルクにも拒絶できなかった。故に、愛した家族を失ったまま、強すぎる力を抱えて彼は生きていかねばならなくなった。
ジャンヌダルクの能力で、自分がまきこまれた事件の被害者の抵抗を拒み、すぐさま自首、投降させた。バックに控えていた大きな組織さえも一人で壊滅させた。あらゆる事象を拒絶する彼女の能力さえついていれば、琴割に怖いものなど無かったからだ。
かたき討ちが終わり、生きる理由を失った琴割は家の整理を始めた。そんな時だった。HDDの録画装置に残っていた、娘が毎週見ていたアニメの保存された映像を見たのは。その一話の中で、主人公の少年は愚直なまでに正義を訴え、平和を願っていた。
娘がそんな物語に心酔していた。ならば、そんな世界を作り上げれば、彼女の意志がこの世界に生きているような気がして、琴割は能力を濫用してこの国の頂点に立つと決めたのだ。実際に立つ事になったのは治安維持の組織の頂点だったが、平和を実現するのはその方が都合がよかった。
だが、ようやく気が付く事が出来た。今の自分は、その唯一愛し続けた家族に顔向けできるような人間でないことに。自分勝手に作り出した命を、教育という名前で洗脳を施し、ただの武器として都合よく使役する。
そんなもの、悪役と言わずして何と呼ぶのか。
もうとっくに、手遅れなのかもしれない。しかしそれでも、知君の今後の幸せのために、彼を解放してやる必要があった。そして今は、労わってやらねばならなかった。
誰かから認めてもらいたい、そう願い続けたもう一人の我が子にかける言葉は、道中で予め決めていた。
「やっぱな、息子とは認められへんけどな」
「ええ、僕もあまり、貴方がお父さんとは思えませんので」
「そうか」
おそらくその言葉は、自分の旨の内を汲んでくれたものなのだろうなとは考えずとも分かる。それだけ、泣き我が子への愛情が深いのだろうとは、短いやり取りだけでも察してしまったのだろう。それに生まれて以来ずっと、彼と自分とは家族などでは無いと何でも言い聞かせてきていた。むしろ今更、父親ぶる方が互いにとって奇妙な話だ。
「せやけどな」
代わりに、とっておきの言葉をくれてやろうと、いつも通りの胡散臭い口調で、彼は目に見えない贈り物を差し出した。それは、賛辞という名をしていた。
「お前は儂が見てきた中で、一番よう出来た部下じゃ。これ以上なく信用しとる」
何せ今となっちゃあのネロルキウスの手綱もどうにかこうにか握れとったしな。こないだはたまたま失敗したけど。そんなフォローは、知君の謙遜を予め断ち切るための言葉だった。退くための言葉を失った知君は、どれだけ照れ臭かろうと日の本最強の称号を持つ男からの、賞賛から逃れる術は無い。
「後な、『人間として』尊敬しとる」
ずっと我慢させて悪かったなと、彼の頭に手を伸ばした。そのままくしゃくしゃと頭を撫でる。
もっと蛇の肌みたいにひんやりとしていると思ったのだけれど。案外、太陽みたいに暖かい掌をしているのだな。口には出せないけれど、恥ずかしそうに目を伏せながら、そんな事を少年は考えた。