複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.88 )
日時: 2018/07/06 17:53
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「いやいやいやいや、流石にこれは無理だろ」
「泣き言言う暇あったら動け!」
「いやいや、これただの愚痴だっつの」
「いいから! ボサッとすんな右来てんぞ!」

 奏白の声を受けて、初めて右側から狼が跳びかかってきているのに気が付いた。小麦色の脚が地を蹴り、逃げるように瓦礫の山を駆け上る。そのまま瓦礫の山を盾にするように赤ずきんと距離を取った。
 追いかけるような発砲音が、瓦礫の向こう側で。三発の鉛が折り重なるアスファルトを貫いた。覗いた風穴からは向こう側の景色。奏白が、赤ずきんが従えるおばあさんと真っ向からぶつかっている。さらに見えるは猟師の構えた狩猟用の長い銃身。
 当たれば儲けもの。それぐらいの考えで撃ち放したのであろう。仕留めたかどうか確認する素振りさえなかった。
 一人でも何とかしのぎ切れていたため、奏白とさえ合流してしまえば何とかなると侮っていた。しかし、エネルギー消費を考慮せずにひたすら攻め立てる赤ずきんは、自分たちが想像していたよりもずっと隙が無い。
 クーニャンと、正面から一対一で戦っていた際には、消耗を避けるためか狼や猟師と言った眷属を同時に使役することは無かった。しかし、数的に不利な状況になった途端に、自分で勝手に定めていたその制約を解いた。正直なところ、狼による俊敏な動きに、気を抜けば飛び交う弾丸、強固な防壁と重撃を共に担うおばあさんの腕、それら全てが次々襲い掛かるのは脅威でしかない。
 三つの眷属全てが強力で、一体一体対処法が異なる。それら全てに気を遣い続けるなど不可能に近い。それに特化したような能力者でも無ければ話は別である。奏白は確かに合流した。しかしそれ以上に、本気を出した赤ずきんの実力のギャップが、形勢に響いていた。

「ちっくしょ、真凜お姉さまいつ来んのさ、チャラ男ニキ!」
「ぶっちゃけ来れるかも分かんねえよ!」

 ここで一番求められる能力は、まず間違いなくメルリヌスの予知能力だ。相手にいくつ選択肢があろうとも、未来さえ見てしまえば考慮すべき次の展開は一つに絞れる。だが、今彼女は琴割に引き留められている。もしかしたらそのまま知君が無理をしないよう見張りの番になる可能性もあるため、合流できるかは分からない。

「いやいやいやいや、お姉さま来ないと終わりだっての」
「そうはいっても仕方ねえだろうが」
「いや、だってよ! 冷静に考えろよ、他にここで足引っ張らない奴って誰がいるんだよ。悪いが王子に来られても邪魔でしかねえぞ!」
「そうだけどよ! お前絶対本人の前で言うなよ」
「わーっとるわ! だから今ここで愚痴ってんだよ」
「おい、もう一回黙れ! 後ろ来てんぞ」

 奏白の言う通り、背後にはまた涎を垂らした一匹の獣。しつけえなと一声吐いて、その場で跳躍し、体を捻る。その勢いで、左足のつま先を叩きつける。槍のごとく深々と肉に突き刺さり、大砲のような勢いで側方へと吹き飛ばす。だが、それでダメージが通っているようにはちっとも見えない。
 赤い瘴気による暴走度合いは個体差があるようだが、少なくともこの狼はそれこそ動けなくなるまで戦い続けるであろう。バーサーカー、そう呼んでやるに相応しい姿。月に吠え、次々と得物をむさぼり続ける餓狼のごとく、己の血すらも美酒のように啜る。
 こんなもの、お子ちゃまには見せらんねえなと、また険しい瞳で睨みつける。

「クーニャン! 狙撃来る!」
「気づいてる!」

 クーニャンの応答を覆い隠すように轟く銃声。だが、それと同時に桃太郎の刀が飛び交う弾丸を弾いていた。この場において最も無視してはならないのは、撃たれたと気づいた直後には死にかねない猟師の銃。それゆえ、狼やおばあさんへの注意が多少おろそかになってもそちらへの意識は常に向けている。
 何とか対応できた。一瞬の安堵。しかしその隙がさらなる窮地を産む。途端に足元が陰ったかと思えば、エネルギー体の握りこぶしが、空から振り下ろされつつあった。これのどこがばばあの腕なんだよ。ガス欠気味の身体から活力を振り絞る。天から落ちる鉄槌に正面から衝突する。若い女性らしい小さな拳が、巨大な腕を打ち砕いた。

 だが、そんなところで攻め手は終わらない。

「よっしゃ今っすよ! 狼さん!」

 もうずいぶんと使われていなかった、赤ずきん最大最強、最高範囲の攻撃能力。首から上が特撮映画に出てくる怪獣のように大きくなった狼が、がぱっと口を開く。その喉元の先に広がるは奈落、あるいは無間の地獄。全てを飲み込みかねない神喰らいの一噛み。
 その褐色の肌を引き裂き、鮮紅の血潮を舐め、鍛え抜かれた筋肉にむしゃぶりつこうと、牙が振り下ろされていく。それはまるで、断頭台のよう。退避しようにも、すぐに動ける態勢ではない。

「今度こそ決めるっすよ! グランフェンリル!」

 大地ごと喰らい尽くそうとする、その姿は北欧神話の終末の日に活躍した、フェンリルのごとく。とはいえ、当のクーニャンはそんな事知りはしないが。
 考えろ。今の状況では回避ができない以上、迎撃が唯一の手段。しかし一度目の時とは違い、体力が尽きかけている。さっきできたからと、今もできるとは限らないし、言ってしまえば不可能な気をもしていた。
 一点集中して、自分に当たりそうな牙だけ追ってみるか。駄目だ、上と下の牙を同時に撃ち砕くだけのクイックネスが残っているとは思えない。急いで雉を呼びだしてみるか。しかし、上方さえももう狼の口が覆っている。横に飛んで逃げようとしたところで、口の中から飛び出す前にその口が閉じられる。
 今度こそどうしようもないか。諦めかけた、その時だった。彼女は忘れていた、今の自分は一人でないと。
 上顎の牙と、下顎の牙、乱暴に打ち付けようとしていた狼の身体が大きく吹き飛んだ。横向きに宙を舞ったため、牙の隙間から何とかクーニャンは無傷のまま脱出する。何とか着地する時には、茶髪を振り乱して空中に佇む奏白の姿が見えた。

「空中ならどうせ動けないっすよね?」

 赤ずきんが、奏白へ銃口を向けるように指示する。それに従い、猟銃の暗い銃口がしっかと奏白を見つめる。

「ちょろちょろ庇い合ってて鬱陶しかったっすけど、これで流石に終わり! 猟師さん、発射!」

 太く、皮が固く張った指先が引き金を引き切る。またしても、火薬の炸裂音。しかし赤ずきんには大きな誤算があった。
 途端に奏白の姿が消えた。先の尖った弾丸が、誰もいない虚空を駆けると同時に、眼前に現れた男の姿に気が付いた。

「わり、俺空中でも動けるから」

 直接殴るけるなどの荒っぽい手段を取りたくなかった奏白は、地盤がめくれるほどの台音圧の衝撃を、その空間に叩きつけた。狭い範囲に衝撃を圧縮したせいか、揺らぐ大気にその景色さえ歪んでいるようであった。周囲に漏れた衝撃だけでも、充分に内臓を揺らされる不快感。
 赤ずきんの両ひざが、地に落ちようとする。何とかこれで終わったか。そう思っても、安心しきれない奏白は一度、距離を取った。

「すまん、助かったぜニキ」
「気にすんな。……あれ、終わったと思うか」
「まあ、クリーンヒットしたし、終わったと思いたいな。後は起きる前に王子が着いてくれれば万々歳」
「でも、なーんかこんなにあっさり」
「終わる気しねーよな。なんせ赤ずきんだし」

 狼も猟師も、主が弱っているからか動こうとしない。指示が下りていないから、でもあるだろうか。
 しかし二人とも共通してある認識を持っていた。絶対に、このまま終わりはしないだろうと。
 刑事の勘と、野生の勘の双方が告げていた。



「真凜さん、今の戦況は、どうですか?」

 未来視の能力の応用。座標指定を戦場に定め、一秒後の未来を視ることで、ほぼほぼ現場の様子をリアルタイムに知ることが出来る。自分がいない土地の映像を見るのは、映像にもややモザイク、黒塗りなどが現れるので、本来見るべきではないが、たかだか一秒や、それに満たない時間の未来ならば鮮明に見る事ができた。
 病室、知君の目の前で守護神アクセスを行っている真凜だったが、今すぐにでも行かねばならぬと理解していた。しかし琴割ができることなら知君が無茶をしないか見張っていろと言う。それができるのは心を許されている数少ない人間ぐらいのものだと。
 残されている人間はさっきから変わっておらず、王子 洋介に、琴割、そして真凜。さらにはベッドで横たわる知君ぐらいのものだ。人払いは為されている。琴割さえ居れば、ボディーガードなど必要ない。

「今のところ、苦戦してるけど問題無さそうね」

 変に嘘をついてもバレてしまいそうな気がした。それゆえ偽らずに、今の状況を伝える。ほんの少し話を盛ってしまったけれど、この程度なら気づかれないだろう。苦戦しているところは事実だ。しかし、問題が無いかと言えばそれはむしろ願望に近かった。
 何とかクーニャンの危機を兄が助け出したところは目にした。その後赤ずきんに手痛い一撃を見舞うところも。しかし、その後の様子がやけにおかしい。現場の二人は安堵するどころかより一層警戒しているし、倒れかけた赤ずきんも、不安定な姿勢で踏みとどまっている。眷属の狼たちはというと、怯えているように見守っている始末だ。
 アリス戦時のトランプ兵に、ドロシーとの戦いにおけるライオン達の報告。それらを参照する限り、本体から生み出された守護神の眷属は本体の気絶と同時に完全に消えるか眠るか、あるいは戦意を全て捨ててしまう。しかし今の猟師たちの様子はそのどれとも違っていた。
 善戦していると告げれば、嘘をつかねばならぬほど不味いのかと彼は勘繰ったろう。しかし部分的に真実を織り交ぜたことで彼は何とか信じ込んだようだ。

「言うとる間に王子達も着くやろうし、他の対策課員も駆け付けるはずや。そしたら多分戦力は大丈夫やろ」
「そう、ですね……」

 真凜には歯切れの悪い返事しかできなかった。どうにも彼女には、そんな風に楽天的に見ることができなかったからだ。大量殺戮に長けた能力を有する彼女相手に、中途半端な実力者を何十人とぶつけるよりかは圧倒的な強者一人をぶつけた方がよほど有意義なのではないか。
 何より、クーニャンも音也も、自分の援護が必要だと述べていた事に、突き動かされそうになる。早く向かわなければ、手遅れになるのではないかと恐ろしくて堪らない。

「……琴割さん、やはり僕が出た方が」
「あかん。まだ病み上がりや。戦場に出るべきちゃう」
「でも、超耐性が僕にはあります。今後シンデレラ相手に僕はあまり強く出られません。それなら、赤ずきんぐらいは僕が!」
「……お前が戦わなあかん相手は、むしろネロルキウスや。お前、今の状況でほんまにネロルキウスに抵抗できるか?」

 普段は精神的に滅入っていたものの、体の調子だけはすこぶるよかった。脳細胞も毎回、疲れるたびに数日昏睡して快復させていた。しかし今はそれだけの余裕がない。抗い損ねた途端に体はネロルキウスに支配されてしまうことだろう。

「だい、じょうぶです」
「お前の大丈夫は信用ならん。悪い意味でちゃうぞ。無理しすぎじゃお前は」
「だったら、証明してみせますよ」

 ベッド脇のphoneに手を伸ばす。いつも通りの旧型の端末を開閉し、ダイヤルキーと対面する。1と0、二つの数字だけが擦り切れてしまった携帯電話型接続端末。その、丁度擦り切れている部分のボタンに指を合わせた。


 合わせた、はずだった。

「えっ?」

 その間抜けな声を発したのは他ならぬ少年自身だった。頼りなく漂った弱音は、宙を彷徨い、宛ても無く消えていった。次に、phoneが床を叩く少し大きな音。何が起きたのか、知君は理解ができていなかった。勝手に、phoneがひとりでに逃げていったように滑り落ちてしまったのだ。
 何で。そう己を問いただす。嫌だと駄々をこねて首を横に振る子供のように、両手は左右に震えていた。嘘だと否定したくて、その掌を顔に押し当てる。体は固定されている、震えているのは掌だけだ。だからその震えを打ち消すためにも顔に押し当てたと言うのに、より一層自分が怯えているのを自覚しただけだった。
 ベッドから飛び降りる勢いで知君は再び、phoneを手に取った。その危なっかしい様子を止めようと真凜は寄っていこうとするも、琴割が止める。その必要は無いのだと、首を左右に振るだけで示した。

「そんな、そんな訳ない。何で……何でッ!」

 拾い上げたphoneはやはり、お化けを見た子供みたいに、ぶるぶると震えていた。あるいは、父親の背中で、馬に乗りながら魔王を見た子供のように。今度こそ落としてしまわないように、両手で支える。ぶれぶれの指先を、何とか1番まで這わす。押し込もうとするけれども、ボタンが異常なまでに固かった。どれだけ指先に力をこめても、押し込まれてくれない。

「何で……何で押せないの……? まさか、琴割さん……」
「あんなあ、儂がお前相手に能力使える訳ないやろ。お前もELEVENやぞ」
「です、よね。じゃあ、これは、何で?」

 知君に能力は効かなくても、phoneの性能を阻害すれば邪魔はできる。そうやってcallingを拒んでいるものだと思ったのだが、そうですらないようだ。琴割は、本当に何もしていない。とするとどうして、ボタンが受け付けてくれないのか。

「真凜さん! これ、一番のところっ、押せますか?」

 突きつけられた端末。勢いに押されて真凜は示されたボタンを押した。軽やかな電子音が鳴り響く。そう、すなわちphoneにすら異常は無かった。

「どうせや、奏白妹。110まで全部押したれ」
「しかし……」
「大丈夫や」

 琴割に指示されるまま、真凜はネロルキウスのナンバー、三桁全てを入力した。その状態で知君の方へ押し返す。後は、発信ボタンを押すだけだ。

「琴割総監」
「何や? どうした洋介」
「これは一体、何が起きているのですか」
「見とったら分かるわ」

 またしても、同じ現象が起きていた。真凜に端末を渡してからは止まっていた掌の震えが、また。動悸は激しくなり、息切れすらも感じる。後は、左上の発信キーを押すだけなのに、それができない。どれだけ指先に力をこめたつもりになっても、反応なんて一つもしてはくれない。

 どういうことだよ知君ぃっ!
 返して……返してよ……。その子がいないと、私は。
 俺らが大事にしてたもの全部奪い去ってぐちゃぐちゃにしやがったあいつは、何なんだって聞いてんだよ。
 お前のせいで……お前のせいでぇえええっ! 私の、私の人生はっ……。

 顔が真っ黒に塗りつぶされた人々が、知君に背後から詰め寄ってくる。その顔には人間の生皮なんてついておらず、ただただ深い怒りと、憎しみとだけが、煌々と燃え盛る様に塗りたくられていた。

「違う、僕じゃない僕じゃない僕じゃない」

 唐突に、頭を抱えてしまったように真凜には映ったが、実際は違っていた。聞きたくない声から逃れるように、彼は耳を塞いでいた。さっきまで戦っていたphoneも投げ出して、その場に一人蹲る。
 けれども、幻聴は一つとして消えてくれそうにない。今までネロルキウスの暴走によって生み出した、誰かの恨みと嫌悪が、彼の心を蝕み囁き続ける。

『何を言っているんだお前は』

 脳裏に、ネロルキウスの声が響いた。当然、本人の声などではない。知君が観ている、耳にしているだけの幻想だ。だが、何よりもリアリティを持ち、目の前に現れる。

『余はすなわちお前の力だ。余が為した罪はすなわち、お前が犯したも同然だ』

 そら見てみろ、お前の両手を。思い出せ、あの日自分がしたことを。彼は囁き続ける。耳を閉じてもやみはしない。きっと、鼓膜を破っても止まらないだろう。

『洋介の能力を奪った、それもお前の罪だ。ああ、そう言えば……』

 目の前の女を傷つけたのは、それこそ余が顕現していない時の出来事でなかったか。
 一層低い声で、存在するはずのない暴君が囁いた。見上げた先にいた真凜と目が合う。確かにあの日、自分は彼女のことを自身の手で傷つけていた。

「違う、違うんだ……僕は……僕はっ……」
「ねえ、どうしたの? しっかりして! ねえ!」

 知君の嗚咽と、真凜の声が交わる中、放り出されたphoneは役割を果たせぬまま、ただ眠っていた。