複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.98 )
- 日時: 2018/07/23 14:34
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
一連の出来事を目にしていた赤ずきんは、未だに体が強張っていた。
金縛りにあったようであった。誰、ではなく、何か、に首を掴まれているような。捕らえられていると言うよりコンクリートで周囲を固められてしまったように。指一つ、動かせなかった。言うなれば恐怖、言うなれば威圧感。そんな根源的な畏怖の心が自発的に歩みを止めていた、武器を振り上げるのを拒んでいた。
あの桃太郎を下した男がいる。シンデレラからはそう伝えられている。赤ずきん、カレットはその言葉をそれほど重大に受け止めていなかった。桃太郎は所詮、自身や頭首であるシンデレラと比べれば下位の守護神である。それゆえ、桃太郎を討ったと言っても、自分より強い証明にはならない。そう侮っていた。
しかし現実はどうだ。目の前の男は、戦闘態勢にすら入っていなかった。守護神アクセスもしないまま飛び出してきたと言うのに、グランフェンリルを一声でかき消した。その後、隙をずっと晒していたのに、猟師は引き金を引けなかった。おばあさんは拳を振り下ろせなかった。狼だけが素直にも毛を逆立てたまま怯えている。
あの少年は一体何者だ。守護神アクセスしたかと思えば、唐突に苦悶の表情を浮かべた。そう、誰よりもあの男自身が苦しんでいたはずなのに。それなのに、脂汗は止まらなかった。細胞一つ一つが竦み上がっているように、震えは止まらず、寒くて寒くて仕方ない。
いっそこのまま尻尾を巻いて逃げ帰りたかったが、後から後から湧いてくる破壊衝動の名残がそれを許さない。その衝動自体は既に、相対した少年から漏れる黒色のオーラに塗りつぶされ、根源的な恐れに溺れてしまっていたのに。
壊したいのに、戦えない。逃げたいのに、振り返れない。気を緩めれば息さえできなくなりそうだった。酸素も足りず、白みかけた頭脳。しかし、プライドだけが彼女を支えた。自分こそが、親友であり、首領でもあるシンデレラの懐刀。頼るべき右腕であり、彼女に次ぐ二番手の実力者。むしろ多人数との戦闘においては自分の方が得意。
そう、自負していたはずなのに。今日も皆殺しだと息巻いていたのに。現状はどうだ。途中までは好調だった。沈みかけた意識の中、反射だけで体は動いていた。また別の親友でもある人魚姫、セイラの契約者などあと一歩で死ぬところまで追いつめた。
それなのに。
強い意志とで、己をも蝕んでいた守護神であろう、ネロルキウスと和解した少年はというと赤子をあやす母のように、そこにいるだけで無害に変えて見せた。
「嘘っすよ……このあたしが、赤ずきんが、こんな簡単に……」
「ごめんなさい、準備が長引いて。ところで、覚悟はいいですか」
これから死闘を繰り広げる相手だと言うのに、礼儀正しく少年はその場で腰を折り、頭を下げた。待たせてしまって申し訳ないと言葉では口にしたものの、表情からはそのような態度が見られない。心底、嬉しそうにしている。気に入らない、あの赤ずきんと相対しているというのに、怯えるでもなく警戒するでもなく、他のことに現を抜かしてただ喜んでいるあの男が、気に入らない。
「覚悟? 大きくでたもんすね。あたしが、あんたなんぞに、何を覚悟するって?」
「いえ……その瘴気を取り除く時って、相当な痛みと苦痛をフェアリーテイルに与えるらしいんですよね。ですから、予め心の準備をした方がいいですよ」
「何を勝手に、あたしが負ける前提で話してるんすかね……」
ようやく、瞬き以外に体を動かすことができた。眉間に皺が寄り、眉はつり上がっていく。憤怒がゆえに口角は忌々し気に持ち上がり、握りしめた手はわなわなと揺れた。動ける、そう自覚した瞬間に彼女は、すぐさまその右手を振りかざした。
その掌が指し示した先は、知君 泰良以外にあり得ない。
「ぶっ殺してやる……! 猟師さん、全弾装填!」
指示された狩人の男は、赤ずきんの背後で山のように巨大な銃を構えた。これまでに見た銃とは趣が違う。これまで使っていたのはどれもこれも規格外の大きさだったとはいえ、歴史上で本当に使われてきた銃火器の数々であった。それなのに、今度のものだけは違っていた。
未来を舞台にしたSFに出てくるような、ごてごてと派手な装飾のついた機械の銃。スコープやら、サイレンサーやら、エネルギーの増幅装置やら、機動性も利便性もかなぐり捨てて、少年のロマンを叶えるためだけのド派手な砲塔。
バズーカと呼ぶには細身であり、銃というには太すぎる。ただ一つ言えることがあるとすれば、あれは今の今まで隠しておいた、もう一つのとっておきだという事。
「充填したのは、今のあたしに残されたありったけ! これが効かなきゃ勝機は無いっすから……これで終わらせる」
「行くよ、ネロルキウス」
「ちったぁこっちも見てもらいたいもんすね……!」
見向きもされない憤りに、奥歯が軋み、悲鳴を上げた。侮辱するのも大概にしろと、怒りどころか憎悪をも知君へと向けて見せた。許さない、許せない、許してはいけない。己の存在のためにも、その力の証明のためにも。こんな局面で視線さえ向けられない屈辱など、あってはならないのだ。
「泣いたところでもう容赦はしないっすよ! 穿ち貫け、全部蜂の巣に変えちまえ! ありったけを乗っけるんだから、もう技名なんて必要ない!」
「君の能力を行使する」
憤り、猛る、そんな赤ずきんをじっと見据えて知君は背後のネロルキウスに呼びかける。戦闘中にこんな風に、力を借りるよと呼びかけるのは新鮮な心地だった。後を押すようにネロルキウスの、『見せつけてやれ』との声。
やはり彼からの後押しは新鮮で、くすぐったいけれども、それでも心強い。真凜に認めてもらえた時のような、柔らかい励ましの声とは違う。これは、自分の心に灯をともしてくれる。無骨で、硬いけれども、それでも活力の湧いてくる、そんな鼓舞だ。
誰もが傲慢だと言っていた彼が鼓舞してくれる、それなら、応えない訳にいかないではないか。
「最後まであんたは……。もう、あの世で泣いて哭いて狂い喚いて……後悔するといいっすよ!」
血相を変えた彼女の怒号が轟く。だが、怖いとは思えなかった。救わなくてはとしか考えられなかった。あの子は、あの人魚姫の親友の一人だから。ほんとはもっと優しい女の子に違いないのだから。白雪姫と戦っていた時もそうだ。知君のことを気にかけてくれていた、彼女の表情には余裕は無かった。人魚姫は知っているのだから。優しい優しい、友等の本来の姿を、人格を。
きっと今も、変わってしまった友人の凶行に、心が傷ついていることだろう。彼女が諭してくれたからこそ、真凜は知君を認めてくれたのだから、今度は自分が彼女の助けにならなければ。
王子は再び自分と友達になってくれると言ったのだ。その王子が大切にしている人魚姫が幸せならば、きっと彼も喜んでくれるだろうから。
だからこそ、赤ずきんは何が何でも取り戻す。奪い返して見せる。誰かを、何かを奪うことで、人を不幸にするのでなく幸せにもできるのだと証明するためにも。
「猟師さん、発射!」
「彼らの弾丸を、全部奪い取ります」
弾丸の雨が力なく降り注ぎ、地面の上に死体のように散らばった。直後に打ち鳴らされる撃鉄の鐘、炸裂する火薬の衝撃が大気を揺らした。
そう、弾が撃ち放たれるよりも先に、その弾丸全てを奪い取って見せた。
「随分と沢山作ったものですね」
積み上げられた鉄くずの山。それはゆうに知君の腰の辺りまで届いた。そんな鉛と鉄の残骸の峰が、いくつもいくつも。ありったけ、という言葉は一切嘘ではなかったようで、これまでずっと撃ち続けてきたよりも遥かに多くの弾頭が、薬莢が、海のように一面散らばっていた。
使命を失ったそれらは、自らがもはや死体であると自覚したのか、空中に溶けるように紫色に煌く光子となって霧散していった。昇華する光の粒子は、まるで蛍のようにふわふわと漂いながら宙にたなびいて消えていった。
「そんな……あたしの全力っすよ。なのにこんな、抵抗さえ許されないだなんて……」
「申し訳ありません。僕は君より、ずっと強い人を知っているから。ずっと高い壁を知っているから。だから、貴女は何も怖くない。強いて挙げるとするならば、僕は君を救えないことだけが、とても怖いです」
「ははっ、偽善者みたいなこと言ってら。もう、あたしのプライドなんてズタズタだってのに」
彼女が先ほど高らかに吠えた事は、紛れも無く事実だった。自分に残された全容量を使い果たした。それなのに、そうして撃ち出そうとした最後の悪あがきだったというのに、放つより早くに鎮圧された。
「何なんすかあんた……。全部バカみたいじゃないすか。こうして立ち塞がって、調子こいてたあたしも、それに死にそうになりながらも抵抗してたそいつらも……全員、何のために……」
「馬鹿なんかじゃありませんよ」
力強い否定の声。まるで意味の無い遊戯のように思えるような一連の出来事も、決して無駄ではなく、ねじの外れた馬鹿騒ぎでもない。
「君の犯した行いは、紛れも無く罪である代物です。君は何百人、何千人もの人を殺しました。今だってそうです。この場において誰も死んでいないのに、あれだけの弾丸を錬成するために誰かの生命エネルギーを使い切った。……今でさえ僕らの敗北と言って差し支えありません。だって僕たちは、君が守護神ジャックした、見ず知らずの誰かを見殺しにしてしまった」
君にその意志が真にあったかと言えば無いという事も直後に知君は認めた。正気に戻った後の赤ずきんがそれを気に病む必要が無いという事を。
「だから今、フェアリーテイルという事件が生んだ悲劇、その罪は宙に浮いています。所有者のいないまま、仕方の無い災害だったと、罪を見て見ぬふりしかできない」
赤い瘴気に狂わされた君がしでかした行いを詫びるのが、無実で無垢な本来の彼女であってはならない。罪を償わなければならないとしたら、赤ずきんにそんなことを強要させた別の誰かだ。
「君にその罪は背負わせません。その罪悪感と罰さえも、この僕が全て奪い取ります。君さえ笑って暮らせるように、誰もが笑い合う東京をもう一度取り戻すために、僕ら全員の力で」
奏白達が苦戦し、結局赤ずきんを仕留めきれなかった事実も決して無駄ではなかった。彼らが居なければ、特にクーニャンがいなければ今日という日にまた何百という犠牲者が出ていた事だろう。
それをさせなかった。彼らが時間を稼いだからだ。赤ずきんを消耗させたからだ。そして自分が間に合うよう、ずっと耐えしのいでくれていたからだ。
「みんながいなければ僕は間に合いませんでした。ここにいる人が欠けていれば僕はもう二度と立ち上がれはしなかったでしょう」
けれども、立ち上がれた。それは承認してくれる暖かさのおかげだった。心配してくれたぁれらの優しさのおかげだった。奮い立つことができたのは、洋介の叱咤の力だ。こうやってネロルキウスの力を得られたのは琴割が発端だ。
怖いと思っていた人も、ずっと憧れていた人も、全部大事な宝物であり、かけがえのない縁だ。一つとして、無くてもよかったものなどない。
「だから、馬鹿なんかじゃない。無駄なんかじゃない。君が居るからこそ生まれ得る悲劇を、皆さんがいたからこそ回避できた。もう二度と、仲間に卑屈なことは思わせません。僕がこうやって戦えるのは……同じように立ち向かう人が居るからだ」
その人達を無駄だという言葉は、決して許さない。正さねばならない。他の誰でもないこの自分が。君のおかげで僕は再び立ち上がれたんだと。そしてそれを証明する礎こそが、この場においては赤ずきんに他ならない。
「僕は謙虚なんかじゃありません、すごく我儘なんですよ。だから、だから欲してしまう。王子くんが夢を叶える将来を、奏白さんたちが胸を張って正義を執行する姿を、琴割さんが平和な世の中を作ることを。そして何より、僕たちが幸せだと自信を持てることを」
赤ずきんは、親友にとって大事な女性、から見て親友だ。彼女が傷つけば人魚姫が傷つくだろう、彼女が涙すれば王子も悲しむだろう。力ない友達の笑顔を見れば自分も落ち込むだろう。そんな未来は彼にとってお断りで、人畜無害ながらも欲深い彼は望んでしまう。
誰もが笑っていられるだなんて幻想を。笑えない人間は自分が笑わせて見せるだなんて傲慢を。
「ついさっきも言いましたね、僕は、君さえも救いたい」
掌で真っすぐに赤ずきんの方を指し示す。狼は、もはやネロルキウスに怯えて牙も爪も失ったに等しかった。猟師とて、その弾丸を撃ち尽くし、途方に暮れている。当然、おばあさんとて抵抗の意志を今更示そうとはしていなかった。
残されたのは赤ずきんただ一人。しかし本体である彼女はまだ折れていなかった。誰も自分のいう事を効かないのなら、自分がやるしかない。そう思い至った彼女は薪割用の斧を手に取った。振りかぶり、地面に向かって一息に叩きつけようとする。
しかし。
「……何一つ、抵抗なんてさせてくんないんすね」
しかし次の瞬間、その斧は知君の手元にあった。ネロルキウスの略奪の能力により彼女の手から奪い取ったのだ。打ち付ける得物も失った彼女の腕は、虚しく空を切っただけで、ぶんと腕を振る音が切なくたなびいた。
「きっと、正気を取り戻した貴女は、この惨状を見て後悔するでしょう。ですからこれ以上……罪は犯させませんよ」
「ほんっとに、あたしの心配なんてしてくれるんすね」
圧倒的な力、に加えて救心の意志。清々しいまでの善人、その姿は絵に描いたようであった。それこそ、お伽噺の主人公みたいだ。そんな恨み言を、そっと赤ずきんは呟いた。
「赤ずきんさん、僕は貴女に聞かなくてはならないことがあります。ですからここに出てきました。何とか……耐えきって下さいね」
「はっ、あんたに負けて、今度は月の瘴気の苦痛にも負けるなんて、だっせー姿は晒さないっすよ、あたしは。あんたが何を知りたいのかは知らないっすけど、さっさと一思いにやって欲しいもんすね」
「分かりました、では……。ネロルキウスの能力を行使します!」
ふと、忘れていたことがあった。
忘れていたと言うよりもむしろ、考える必要が無いと、勝手に切り捨てていた可能性だ。
元々、フェアリーテイル達の症状は見覚えがあった。あの日、初めて奏白と出会った日、あるいは久々にネロルキウスを呼び寄せたあの日、操られていた人々だ。
しかし、フェアリーテイル達がドルフコーストの能力を受けていたとは考えられなかった。というのも、あの日にドルフコーストとレタラの契約は無かったことになった。フェアリーテイル事件が起きたのはあの直後でなく少し日が経っての事だ。
それゆえ、この一連の事件の元凶が、守護神ドルフコーストだとは考えもしなかったし、調べようともしていなかった。だが、あの日の出来事と、そして知君自身が考察していたある可能性を結びつけると、その思い込みは撤回するべきではないかと思われた。
だからこそ、今この場でそれを確認する必要がある。
「行使する対象は赤ずきん、奪い取るのは……ドルフコーストの能力による赤い瘴気です」
もしここで、その予想が外れていれば、推測は一からやり直しになる。しかし、その心配は杞憂に終わった。今の言い方で赤ずきんの身体から赤い瘴気が漏れ出始めた。奪い取る代物を指定し間違えれば、奪い取る対象は本来持っていないと判断され、ネロルキウスの能力は不発に終わる。
先ほどの指定により赤い瘴気が彼女の身体から溢れ出したという事により、彼女達フェアリーテイルを蝕んでいた赤い瘴気の正体はドルフコーストのものだと断定できた。
「ドルフコースト……何であいつの能力が?」
それが奇妙な話だと、奏白だけが唯一思い至った。そう、フェアリーテイル事件が始まった頃、ドルフコーストを呼びだせる者が地上にいないという事実だ。レタラがフェアリーテイルと出会っていたという話など、当然聞いていない。
すなわち、誰もドルフコーストの能力をフェアリーガーデンに住んでいる守護神達に行使する隙など無かったはず。もしそれが可能だとすれば、いつだと言うのだろうか。
奏白のそんな疑念を解消するより早く、赤ずきんの身体からは例の瘴気が全て取り除かれる。宣言通り、彼女は少し辛そうに顔を歪めていたが、今までのフェアリーテイル達と違って、苦悶の声を上げようとしなかった。それはただ、彼女のプライドだけに依るものであり、それを理解していたネロルキウスも、そのちんけな誇りを貫いた、ある意味で固い意志を見て呆気にとられた。
ふらふらになり、消耗した赤ずきん。今にも倒れそうな彼女に知君は駆け寄った。先ほども彼が言った通り、確認したいことがあったためだ。