複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.99 )
- 日時: 2018/07/26 19:25
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「大丈夫ですか」
自分よりも小柄な少女の身体を知君は正面から支えた。自分自身、ずっと寝たきりだったためあまり足腰に力が入らなかったはずなのに、気づけば楽になっていた。おそらく、ネロルキウスによる補助であろう。有難い事だなと、後ろも振り向かずに柔らかな笑みを漏らす。こんなにも穏やかに守護神アクセスできる日が来るだなんて思ってもみなかった。
弱り切った赤ずきんであったが、まだその意識は保たれていた。おそらくは、随分長い事あの瘴気と共にあり続けていたせいで、耐性ができていたのだろう。赤ずきんは最初期からずっと見られていたフェアリーテイルの一人。かれこれ三か月近くあの瘴気と共に在った。
「貴方達がそうやって、理性を失った理由に関して尋ねたいことがあります」
「あっはは……。しゃあないっすね。なーんて、偉そうにはもう言わないっすよ。今まで散々やらかしてきた罪滅ぼしっす、何でも聞いて構わないすよ」
「ありがとうございます」
立ったままというのも疲れるだろうと、その場に膝を付くよう知君は促した。まず自分がその場に屈み、片方の膝を地につけた。その態度に甘えるように赤ずきんも、茶色い布に隠れた両膝を地面に立てた。弱り切った目を、知君に合わせる。その瞳には、赤ずきんが困憊していやしないかと慮る光が宿っていた。
おそらく、ここで自分が休養を訴えればこの少年は時間をくれるだろうとは理解していた。しかし、それを受容してはならないと、罪悪感が逃げ道を断つ。シンデレラの契約者のことを考えるに、もうほとんど時間が残されていないのだ。ここで眠ってしまう訳にいかない。
「貴方は、倉田 レタラという女性を知っていますか」
「知らないっすね。あいにく、あたしはあの赤いガスに侵されるまで人間界に出てきたことは無いっすよ」
「なるほど。やはりそうでしたか」
「おい知君、どういうことだよ。あの女が何か関係あんのかよ」
もう事態は鎮圧できた、それが分かった奏白達が知君のもとへ駆け寄った。彼の身を案じて、というよりもむしろ彼の功績をたたえるために。しかし、知君本人の様子を見るにそれどころではないようである。
今まで見当がついていなかったフェアリーテイルという一連の事件、悲劇の元凶。それが分かっているような口ぶりであった。赤ずきんとの交戦時にもその予測を確かめたいとの言葉を述べていた。
この中で知君を除けば唯一レタラと面識のある奏白が、全員を代表してその問いかけをぶつけた。今更、守護神さえも奪い取られたその女を何故考慮せねばならないのかと。しかし知君は、倉田レタラという人間自身には、さほど意味は無いのだと首を横に振る。
「倉田さんは関係者……であると同時に使い捨ての駒のようなものだったのだと思います。ほとんど無関係です。少なくとも、誰かの思惑にとっては」
「じゃあ、何であいつの名前が挙がるんだよ」
「先ほど、赤ずきんを、例の呪縛から解き放った時の言葉を覚えていますか?」
「……ドルフコーストの能力による瘴気を奪い取る、だよな?」
「ええ。そしてそれが認証された。つまり……」
フェアリーテイルというのは、奏白と知君が初めて出会ったあの日、最上階でレタラに操られていた人々と同じ症状が現れていた。つまり、無理やり取り込んだものを凶暴化させる毒に囚われていたのである。
「あくまで大事なのは、彼女ではありません。大事なのは、その守護神……ドルフコーストの能力を受けていた事です」
「いや、でも……」
「奏白さんの言いたいことは分かっています」
レタラからは、当然フェアリーテイルと接触したような証言は取れなかった。そんな事を確かめようとした取調員が居なかったことも事実だが、きっと何も関与していないのは事実だろう。一度ネロルキウスの能力で『守護神達を凶暴化させたのは誰か』という検索を行ったところ、ドルフコーストだとは分からなかった。本当にあの守護神の仕業であったならば、ネロルキウスの能力で特定できるというのに。
「他者を洗脳する類のELEVENは存在しません。なので、僕らの能力で特定できない以上、考えられる可能性は二つのみ。傾城の特質を持った者の仕業か、誰も知らない自然現象が原因か」
自分は後者だと思っていたと知君は言う。それはやはり、あの赤い瘴気の影響力がドルフコーストとあまりに酷似していたせいだ。あれが本当に守護神の能力由来ならば、元凶として特定できる。特定できねばならない。ネロルキウスに対する隠し事は、本来あってはならないのだから。
誰も理解できない世界の神秘が元凶。そうであって欲しいと言う願望もあった。これは誰かの悪意に由来するものでなく、自然災害であって欲しいと。
「ですがやはり、これは守護神の能力によるものでした」
「けどよ、じゃあ誰がやったって言うんだよ」
「……始まりは、倉田 レタラで間違いありません」
「うん? でも知君、お前さっき違うって……」
「ええ。彼女は、そんな意図など知りはしなかったのでしょう。誰かの操り人形となって動かされてしまったのです。自分がしてしまった事を理解していないのでしょう、今でも」
あの時レタラは、「何となく」「そうしようと思いついたから」「突発的に」事件を起こした。その後警察に捕まってしまうことも顧みず、明確な目的も動機も無く、大犯罪を引き起こした。
しかし彼女は、あの日話した口ぶりから察するに、それほどこの世界に失望していなかったはずだ。それなのに、どうして電波塔ジャックなどという真似を、大勢の人間を死の危険に晒しながらも実行できたのか。モデルとして活躍していた時代でさえ、あの世界においては比較的内向的な人間だったはずなのに。
「僕は自然現象が由来だと思いたかった。しかし、一抹の不安が常に付きまとっていました。その不安を初めに抱いたのは、赤ずきんさんが宣戦布告した録画映像を見た時の事です」
真凜は、フェアリーテイルの対策課が設立された日の出来事を思い返した。あの日集められた腕利きの捜査官に知君が紹介されるよりも先に、二つの映像を見せられた。両者ともに、フェアリーテイルの凶悪さ、手強さを伝える内容の動画となっていた。その時、赤ずきんの動画に何か不審なものなどあったのだろうか。
別段思い当たらなかった真凜は、ただ黙って知君の言葉を待った。当の赤ずきんはというと「ああ、そんな事もあったっすね」と消え入りそうな笑い声をこぼした。
「赤い月の加護にかけて……貴女は、そう言いましたね」
「そうっすね」
「あの時、少し引っかかるものがありました。『ある守護神』の可能性が脳裏を過りました」
しかし、ただフェアリーガーデンの月が異常をきたし、その光を浴びた者が暴れているだけなのかもしれない。しかしアリスを検挙した途端にその可能性がぐらついた。ガス状の毒気を奪い取って事件は終息した。月を見て守護神が凶暴化する、それだけなら理解できる。しかしそれなら、瘴気は一体どこから来たと言うのだろうか。
「僕は、この三か月間……考え続けました。それこそ色んな可能性を。ですが、僕の仮説に関与している彼女は、ネロルキウスの力では調べられません。それゆえ、これまで捕えたフェアリーテイルだった方々に逐一確認していました」
しかし、知君の知りたい情報を持っている者はいなかった。そもそも自分が暴れ出した瞬間を覚えている者も少なかった。そう言えば、突きを最後に見たような。そんな反応を示したのも、アリスやドロシーといった強力な守護神ばかり。抵抗力の強い守護神ほど、直前の出来事を強く覚えているようである。
それを裏打ちするように、赤ずきんは迷いなく『赤い月』が関与していると言い切っていた。赤ずきんほどの位階であれば、何が起きて自分がフェアリーテイルとなったのか覚えていたのだろう。
ちょっと待ってくれ。奏白の後ろ側でそんな声が上がった。呼びかけたのは王子だった。知君一人だけ納得しているようであるが、彼を筆頭に周りの者は何も理解していない。それも当然だ、知君が確信を未だ突いていないのだから。
「待てよ知君。肝心なこと隠してるせいで、何も分かんねえよ。レタラの名前が消えたかと思えば、今度は月のせいっていうけどよ。その、レタラ? と月に何の関係が……」
「いや、あるんだよ王子」
答えたのは奏白だった。レタラと対峙したあの日、あの瞬間。自分だからこそ覚えている。あの日、東京のどこよりも天に近い場所で彼女と向き合った自分だからこそ。
「あの日は満月だった。お前が何を考えているのか分からねえけど、多分こう言いたいんだろ? あの日レタラは……」
「もしかして、月に能力をかけていた、っていうことかしら」
「俺の言葉取んなよ真凜。まあいいか、そういうこった」
「ええ、そうです。あの日彼女は月に立っていた人物にドルフコーストの能力をかけたんです」
破壊衝動に支配される、取り込んだ人間を、守護神の理性を蝕み、暴走させる瘴気。あの時ドルフコーストを奪った知君は『ハイエストスカイリンクに居る人間』のみその支配を解いた。そのせいで、違う場所、月の表面に立っている人物は解放できていなかった。
「月に能力? でも、宇宙に誰が居るって言うんだよ。別に月の上に研究基地なんて今のご時世無いだろ?」
「宇宙研究よりも異世界研究を進めた方が有意義。それが今の世の中よね。王子くんの言う通り、どうしてそんな所に能力を……」
「別に、この世界にいるのは人間だけじゃありません。守護神だって現れます」
「いやいやいや、守護神はアクセスしないとこっちに顕現できない、それがこの世界の決まりだろ?」
「王子くん……貴方と私が、それを言ってはいけません」
「あっ……」
最も次元の位相が近いフェアリーガーデンの守護神は、人間界に実体を持って顕現できる。
「でも、でも待てよ。本当にそんな奴居たらネロルキウスの能力で分かるだろ?」
「いいえ、分かりません」
「何でだ? ふつーの守護神だったらネロみんモードでいくらでも調べられんだろ?」
「普通の守護神、でしたらね」
クーニャンの疑念もあっさりと否定される。普通ではない守護神、そう言われて全員がある可能性に思い至った。それは勿論、ネロルキウス自体がその肩書を冠しているのが原因であった。
「ELEVEN、ってことか?」
「いいえ、王子くん。それはあり得ません。僕と琴割さん以外のELEVENは好き勝手に守護神アクセスできない。そう取り決められているはずです。……一人、例外がいる可能性はありますがね」
含みのある言葉と共に、じっとクーニャンの顔を知君は見つめた。見つめられていることに気づいたクーニャンは、ぱっと明るい笑みを浮かべて、どうかしたかと小首を傾げた。知っている、彼女は知っているはずだ。ある男が暗躍していることを、依頼人と請負人という関係から。
しかし、それを聞き出すのはルール違反。それゆえ、それ以上強い減給はできなかった。
「ネロルキウスの能力が及ばない相手、もう一つ可能性がありますよね?」
先日の一件、知君が消耗し、ネロルキウスに体を奪い取られた一件。あの惨事が今度は思い返された。ネロルキウスの力では浄化できないため、王子とセイラでないと治癒できなかった白雪姫。彼女は、とある特質を持っていた。
「傾城の守護神です」
これで、大体首謀となるフェアリーテイルが見えてきたことでしょうと彼は言う。察したのはセイラぐらいであった。情報が小出しすぎて、他の者は真相に辿り着けていない。しかしセイラは、知君が示唆する最後にして、原初のフェアリーテイルをとうに理解していた。名前ぐらいは聞いたことがあり、月を媒介に能力を使うという事も知っている。
これまでずっと、シンデレラという太陽に隠れ続けてきた、フェアリーテイルのもう片方の首領。表舞台には決して現れなかった最後の障壁。その正体を知っているのは、フェアリーテイルの中では赤ずきんとシンデレラの二人のみ。
ネロルキウスにより特定することのできない傾城であり。
現世の月に顕現できるフェアリーテイルの一員である。
「月にまつわる傾城、何か思いつきませんか?」
それは、作者不詳の物語。
またの称号を、日本最古のお伽噺。
五人の貴族のみならず、帝をも篭絡した絶世の美女、彼女の地上での日々を綴ったもの。
「ははっ、その通りっすよ」
応じた者は赤ずきん。彼女は知君が言うより早く、その答えを肯定した。もう、それ以外あり得ないからだ。
「あたしは、その女に直接目の前で会ったんすよね。それもあって、月の加護だなんて言い切ることが出来た訳なんすけど」
ずっと、シンデレラという明るすぎる陽に隠れていた彼女の名は、日本人ならば誰もが知っていた。王子も、奏白も、真凜も、誰もが一様に目を開く。
「そう、あたしらにとってもう一人のボスだったのは」
十五夜が近い一日、快晴の空には、上弦の月がぼんやりと浮かび上がっていた。
「かぐや姫っす」