複雑・ファジー小説
- Re: AnotherBarcode -アナザーバーコード- ( No.1 )
- 日時: 2020/12/07 17:42
- 名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)
- 参照: https://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=article&id=2186
【本編】No.00 空虚と黒の目的
まるで、運命を嘆き叫んでいるかのように。書き殴られた文字は苦痛を、悲愴を、あるいは憎悪を。訴え掛けて来ているようだと、少女は思った。
桜色の長い髪を高い位置で束ねた少女は、古びた家屋で見つけた手帳をなんとなく眺めていた。
色あせた壁紙と薄汚れた絨毯に囲まれた埃臭い空気の室内。その部屋の中央に置かれる、表面の木がささくれだった、古そうな木の机の上。同化するように机と同じ暗い茶色の表紙をした手帳が、置かれていた。
開いてみると、黄ばんだ紙に日付とその日思ったことや、感じた事が荒れた文字で綴られている。字体や筆圧が途中から変わってるようにも見えるため、数人のヒトが書いたと推測できる。どれも書き手の感情をそのまま表したように、それともただ焦って書いていたのか、文字を書くのが得意でなかっただけなのか──真相はわからないが、砕けて汚い字で、読解には時間がかかった。
人間が書いたものではないのだろう、とわかってしまうのは、内容のせいだ。
──生きてさえいれば、いつか幸せになれると思っていた。
──そんな夢を、見ていた。
──永久に叶うことはないのに。
1番最後のページを開いたまま、少女は小さく息を吐く。1文1文が少女の胸を抉るには、十分過ぎるほどの悲しみを秘めている。これを書いた名も知らぬ彼らは、どんな思いで生きてきたのだろう。存在するだけで疎まれ、蔑まれる日々を、どうやって生きてきたか。彼らは幸せだったのだろうか。想像して、胸を痛めようとしたが、そんな感情も次の瞬間には鉄の表面を滑る水のように、滴り落ちてゆく。下唇を噛み締めていた少女の表情も、いつも通りの朗らかな微笑みに変わっていた。
もしこの手記の書き手達と対面したとしても、少女は今のように柔らかい笑みを浮かべ、へぇ大変だったね、と他人事のように呟いて、その命を奪っただろう。
先程まで息をしていたはずの、彼女の足元に転がる2人分の肉片にしたのと同じように。迷いも同情も持てないまま。軽く手をかざすだけで殺せてしまう彼女は、きっと作業でもするみたいに、殺すのだ。
もしかするとその2人こそが、この手記の書き手だったかもしれない、と少女は未だに血液を溢れさせる死骸の顔を覗き混んだ。男性か女性かもよく分からないが、その点は少女にとってはどうでも良かった。生気の消え失せた濁った瞳にはもう、何も映っていなかったし、血に汚れた顔はあまり見ていて気分の良いものではない。彼女の作り出す死骸は皆、目やら口やら耳から血を垂れ流すので、少女には、なんだかそれが泣いている風に見えた。
死骸は泣いたりなんてしないのに。
「用は済んだのかい」
部屋の入り口で腕を組んで待機していた女が、耳の下で2つに結った太陽を思わせるオレンジ色の長い髪を、指先で弄りながら少女に声をかける。
その女の瞳は全ての光を飲みこんでしまったかのように黒々としていて、見る者の心をざわつかせる。何処までも、何処までも続く空洞みたいな彼女の黒い瞳を、少女は未だに少し恐ろしく感じてしまう。
彼女の顔を見ないように微笑みながら、少女は先程手にしていた手帳を手渡した。視線も合わせずに会話をすることはいつものことなので、手帳を受け取った彼女がそれを気にする様子もなく、黙って中身を適当に捲ってみる。
「これは?」
「日記……なのかな。誰が書いたのか知らないけど、読んでたら虚しくなっちゃった」
相変わらず目を合わせることが出来ない少女は、それを誤魔化すように、自分が殺害した2体の死骸を見据えて、紅色の瞳を細め、小さく口角を上げる。
対して興味も無さそうに手帳の中身に目を通していた女は、殆ど呟くように少女に話しかけた。
「あなたにも虚しいという感情はあるのだな」
不思議そうに女の方を振り返った少女は、首を傾げてみせる。少女の仕草を見て、女は続けた。
「あなたはいつも、感情を殺しているように見える」
「……そうかな」
酷い暴言をぶつけられたとき。殺されそうになったとき。殺すとき。彼女は怒るでも悲しむでもなく、ただ楽しくもなさそうに目元を細めて、口角を上げる。笑顔や微笑に近いだけのそれは、全ての感情を覆い隠すための仕草なのだろうと、女は解釈していた。
感情を殺している。少女は彼女の言葉を口の中で転がしてみた。確かに恨むことも、怒ること、悲しむことも、嘆くことも、いつの間にか止めていた気がする。もう全てを諦めてしまったみたいに。
そう。きっと諦めているのだ。少女は力ない笑みを浮かべて、息を吐き切るように声にする。
「私の中にはもう、死骸しか残ってないのかもね?」
殺された感情が、そこに横たわる2体のバーコードのように。ヒトの命を腐敗させる〈能力〉を持つ彼女には、朽ちた感情の残渣しか残されていないのかもしれない。
──当にそうなら良かったのにね。
声もなく呟いて、少女は笑った。笑ったつもり、だった。
そんな少女の表情をまじまじと見つめて、女は肩を落とす。また何かを隠したのだろう、と気付いてしまったから。このヒトはいつも、何か言いたいことがあったとしても、自分には話してくれないのだ。伝えたくないというよりは、伝えることを諦めている。女は、そんな少女に無理に干渉しようとは思わなかった。他人のような距離感が、互いにとっても丁度よかったのだ。
「どうか、安らかに」
2つぶんの、ヒトならざる者の死骸に声をかけると、少女はそれらに背を向けて、部屋の外へ向かう。
名前も持たない少女はヒトならざる者を。バーコードたちを屠るために、その足を進める。果たせる確証もない約束のために。たった1人の少年のために。