複雑・ファジー小説

Re: 誓イハ焼ケ爛レ5-1 ( No.12 )
日時: 2020/12/07 15:48
名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)

 空気の焦げる匂いがする。炎が自分や母や、匿ったバケモノごと、家の骨組みを焼き尽くそうとしていた。
 息を吸い込むと、焼け付くような熱気と煙が肺を満たして苦しくなるから、直ぐに噎せ返る。寝室にはまだ火が回っていないらしくて、閉ざされた扉の向こうから激しく燃え盛る炎と崩れゆく家の節々の悲鳴、煙の臭い、それに混じって、何か……考えたくない程酷い異臭もして、眉を顰めた。
 扉の先には母がいた筈のリビングがあって、多分開けたら火の海が広がっているのだろう。“バケモノの家族”を断罪する業火みたいだ。
 きっと村の誰かが火を放ったのだ。前から脅されていたし、いつかこうなると、思っていたし、そうなる理由なんて、分かりきっていた。

「ルーカスは、逃げないの」

 床に蹲っていたバケモノが、そんな事を口にする。
 彼の幼い顔立ちだけ見れば、ただの10歳前後の子供だと言えただろうが、その肌の至るところを覆う深緑の鱗と、大きな蜥蜴の手足や尻尾は、見る者を怖気立たせるには十分で。そんな見た目で生まれてきたのだから、村の者達は少年と兄とその母親を“バケモノの家族”と呼んだ。そうして、村で迫害し、蔑み、最終的に火を放った。悪かったのは、母と、生まれてきてしまったバケモノだけなのに。


【番外編】 No.05 誓イハ焼ケ爛レ


「放火……か」

 中性的で聞き取りやすい声が、ぽつり。
 机を挟んだ向かい側の椅子に腰掛ける、暗い赤色の長髪を緩く結んで前に流している男は、俯きがちに声を漏らした。伏せられた睫毛の下、深緑の瞳が思い詰めるように揺れている。
 彼は中身が半分くらい減ったグラスに手を伸ばし、ゆったりと自分の口元へ持って行った。傾けたときにカラン、と氷と硝子の触れ合う音がする。

「俺にも弟がいた」

 彼、ルートがぽつりと言う。ルートが自分のことを話し出すのは珍しいことだった。彼が負けず嫌いで人に弱みを握られたくないからか、思い出したくない出来事ばかりだからか。バーコードを駆除するために結成された、バーコード殲滅部隊ハイアリンクに所属している時点で、まともな過去を持った人間の方が少ないだろうが。

「俺の場合は放火ではないが、炎を操るバーコードに、家を焼かれて。家族を失った。弟と俺は生き残ったんだがな、その数年後に再び同じバーコードに襲われ──弟を失った。この火傷もその時のものだ」

 思い出しているのか、少し遠い目をしながら、悲しげに笑う。けれど、微かに優しさを窺わせる笑み。
 ルーカスはそれをどことなく羨ましく思った。
 ふと思い出して、愛情や優しさを感じさせるような、そんな顔ができる存在など、ルーカスにはいない。握り締めた右手の平がじわりと痛む。爪が食い込むほど、手を握り締めてしまっていたらしい。

「へえ。んじゃ、オレにはその痛みは分かんねぇな。だってオレの弟は、死んでいい弟だったから」
「……死んでいい人間なんて、」
「人間じゃない」

 思いのほか大きい声が出て、ルーカス自身、少し驚いた。
 ルートは少し考える素振りを見せたが、直ぐにハッとして翡翠、と喉からか細い声を漏した。

「そ。オレはバケモンの兄貴なんだ。気持ち悪ぃだろ」

 バーコードの父親と、人間の母の間に生まれた弟。どうしてルーカスと弟の父親が違うのか。あるとき姿を眩ませた弟の父親はどうなったのか。何故、母親は弟のようなバケモノを、最期まで愛したのか。それを母が生きているうちに教えてくれることは無かったが。でもきっと、相当に頭のおかしい女性だったのだ。
 ルーカスが弟を思い出して抱く感情は、身を焦がすような憎悪や憤怒ばかり。愛情や優しさなんて、微塵もない。ルーカスの中では、直向きな復讐心だけが、あの日家を焼き尽くした豪火よりも激しく燃え盛る。


***


 バーコード殲滅部隊ハイアリンクである、ルーカスとルートはソレイユという街に来ていた。同行していたもう1人の女性と、群青バーコードに街の見回りを任せて、2人は宿で今回の任務内容について話し合っていたところだ。 

 ルートという男は、細身で小柄で、中性的な顔立ちをしており、更に少し癖の付いた長髪といった容姿のせいで、一瞬女性に見間違われる事もあるが、26歳の若さで班長を任される程の実力者である。
 ルーカスは、ルートよりも先にハイアリンクに加入した先輩であり、彼の4つ上で、実力もそこそこあったはずだが、感情的に動いたり、仲間との連携が不得意であったりして、上の人間からは責任感が無いと評価されていた。ルーカス自身も、そんな面倒な役職を担う事に必死になって、バーコードを仕留め損ねでもしたらなどと考えているため、自らそういった役割を任されそうになると、蹴っていた。
 だが、ルートとしては、先輩であったルーカスに命令する立場になったことに抵抗感を持っていたため、作戦会議中も、不自然に敬語を混ぜたり、命令口調に戻してみたり。とてもではないが、ルーカスとしても集中して話し合いを進めることができなかった。

 現在、一通り任務内容の確認が終わって、話すこともなく、2人の間に沈黙が続いていた。
 ルートは今回の任務の目撃情報等の書かれた資料にぼんやりと視線を落としている。どうせ真面目なルートのことだから、出発前に何度も目を通して、内容を空で言えるくらいに把握しているくせに。対するルーカスは、宿の店主が出してくれたお冷の入ったグラスの表面をなぞってみたり。つまるところ、2人して暇を持て余していた。

「あー、班長」

 無言の空気が気まずくて、ルーカスは話題も浮かばないまま、彼を呼んでみる。ルートは顔を上げると同時に、目元にかかる髪を軽く払った。

「何だ」
「……良い天気だな」
「ああ、そうだな」

 会話終わった。
 2人して視線を合わせたまま、無言が続く。ルートが少し困ったような顔をした。気不味い。
 ちょっと間が空いてから、再びルーカスが口を開く。

「……ところで、前から気になってたんだけど、首のそれ。オレのと一緒だよな」

 言いながらルーカスは、肌見放さずに着けていた右の黒い革手袋を外してみせる。その下からは赤黒く変色し、引き攣った痛々しい皮膚が覗く。ルートはそれを凝視して、顔を強張らせた。それから視線を落として、首元に巻いたスカーフをきゅっと握り締める。その拍子に前髪に隠れていたルートの金色の左眼が覗いて、ルーカスは彼がオッドアイであったことを思い出す。
 そういえば、ルートはオッドアイなんて珍しいもののせいで、バーコードと勘違いされ、バケモノ扱いされて虐げられ、それが理由でハイアリンクに志願した、なんて噂を聞いたことがあった。
 ルーカスも過去にバケモノ扱いされていたため、一方的に親近感を抱いていた。ただ、それだけではないのだろう、とも思っていた。以前、ルートがいつも首に巻いている黒いスカーフを緩めたとき、その首筋に皮膚の引きつるような跡を見たことがあったのだ。

「一応隠しているつもりだったんだがな。俺の火傷、知っていたのか」
「まあ。……悪ぃな、あまり触れちゃいけない話題だったか?」
「いや。ルーカスさんも、同じなんだろう?」

 バケモノと呼ばれた過去と、火傷の跡。きっと彼も復讐のために戦うハイアリンクなのだ。だからか、ルーカスは自分のことを話したいと思った。

「……興味なんかねぇかも知らんけど、ちょっと昔話していいか」
「いや。是非聞かせてほしい」

 ルートの方から食いついてくるとは思わなかった。ルーカスは少し瞠目してから、苦笑で顔を歪ませる。
 火傷の跡が痛々しい右手に、力が篭もる。思い出せば、豪火の如くその怒りがルーカスの焦げ茶色の瞳の中で燃ゆる。気がつけば、机の表面に爪を立てていた。

「あれは、オレが18歳の頃だったな」

 燃え盛る炎の熱気。爆ぜる木の音。焦げていく大気の匂い。
 それから、弟の存在。