複雑・ファジー小説

Re: 誓イワ焼ケ爛レ ( No.13 )
日時: 2020/12/07 15:49
名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)


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 爬虫類らしい琥珀色の双眸は、ぼんやりとルーカスを捉えていた。あの眼は嫌いだった。半分と言えど血の繋がりがあるせいか、自分と目元が似ている。だから兄弟であることを自覚しなければならない。けれど、その瞳は人間とは程遠い、バケモノのそれで。ルーカスの目玉だけを入れ替えたら、こんな感じなのだろうと思った。

 カシャン、と甲高い騒音が響いて、ルーカスは思わずそちらを見る。バケモノが何かを窓に叩きつけたことで、蜘蛛の巣状にヒビが入っていた。もう1発。どうやら尻尾を使っていたらしく、今度の衝撃で、窓は激しい音を立てて砕け散った。
 バケモノはふう、と息をついてからこちらを振り返り、割れた窓ガラスを指差した。その向こうには曇った夜空が広がっていた。

「ここから出られる」

 そう言ったバケモノにズカズカと近寄っていくと、ルーカスは彼の頬を手加減無しの拳で殴りつけた。その衝撃で壁に叩きつけられたバケモノが、頬を押さえて顔を歪める。

「てめぇのせいだろが、出られるじゃねぇよ!」

 バーコードがいなければ、こんな事にはならなかった。ルーカスは歯を食いしばってバケモノを睨み付ける。

「うん。だから、俺はここで……」

 自分のせい、という自覚はあったのだろう。バケモノはルーカスを無表情に見上げて、それだけ言った。
 言葉の続きを想像したたけでも、ルーカスの胸の中は怒りやら恨みやら悔しさが轟々と渦巻いて激しく燃え盛る。
 ルーカスの心中など知りもしないバケモノが、ふらりと立ち上がって、また表情も抑揚もない声で、口を開く。

「母さん、死んだみたいだ」
「あ?」
「肉の焦げる臭いがする」

 ルーカスは表情を強張らせた。ずっと、煙や木の焦げる臭いに混じって、吐き気を催すような異臭がしていた。考えないようにしていたその正体を言葉にして突き付けられては、否定のしようがない。

「だから、ルーカスも早く」

 感情のやり場が無くて、思わず拳を振り上げた。その動作に肩を震わせ、目を固く閉じたバケモの姿を見ると、遣る瀬無くなって、行き場を失った怒りは炎の音に紛れて霧散する。
 殴られないと分かった弟が黙ってルーカスを見上げる。鱗に覆われた皮膚の中に嵌め込まれた、琥珀色の目玉が揺れている。そこにどんな感情が渦巻いているか、ルーカスにはわからない。

「なんでてめぇが、オレを助けんだよ」

 ルーカスの不幸の全てが、バケモノのせいだから。今まで、何度も怒りをぶつけてきた。暴力を振るって、罵詈雑言を浴びせて。本気で殺してしまいたいと思ったときもあった。そんなルーカスを、何故弟は助けようとするのか。
 何故。なんで。どうして。
 ルーカスはふらりと寝室とリビングを繋ぐ戸のドアノブに手をかけた。炎で熱されたそれは当然の様に高温で、熱さを通り越して冷たくすら感じた。

「!? 何してるんだ!」

 だが、すぐに弟に腕を捕まれ、止められてしまった。それを振り払う。心配そうにこちらを見上げる、気持ちの悪いバケモノの瞳を見たくなくて、ルーカスは視線を落とす。
 助けられたくなんてなかった。ルーカスは幾度となく恨みをぶつけて来たのだから、弟にも同じように、自分を恨んでいて欲しかった。
 ルーカスは弟と向き合い、彼の頬に手を伸ばした。鱗の肌に触れてみる。人間とは似ても似つかない肌触りが、気持ち悪い。

「バケモン、ばっかりだ。お前も、村のヒト達も、お母さんも。あのヒトは、こんな気持ち悪い蜥蜴ニンゲン育ててたんだ。なんだよ、オレの弟が蜥蜴って。オレは人間だ。お前なんかとは違うんだ……ふざけんなよ、気持ちワリィ」
「ごめん。ルーカス」

 吐き捨てるように口にしたルーカスの言葉を聞いて、彼は、掠れた声を返す。
 なんのための謝罪だろう。弟は俯いて、痛々しげな表情で、言葉を絞りだす。

「生きてて、ごめんなさい。生まれてきて、ごめんなさい」

 瞬間、ルーカスの中で、家を包み込む豪火よりも激しく感情が揺らめいて、バケモノの左頬を殴り付けていた。更に、バランスを崩して倒れ込む彼の腹部を容赦無く蹴り上げる。床に蹲って数回噎せ返るバケモノを忌々しく睨み付けて、ルーカスは声を荒げた。

「謝って何になるんだよ! てめぇがいたからオレは、オレは……ッ!」

 蔑むような視線。
 心無い陰口。
 謂れのない暴力を受けた事もあった。バケモノの家族だから。バーコードを匿っている家だから。お前も見た目に変化がないだけでバーコードなのだろう、と言われたこともあった。お前もバケモノなのだろう? と、疎む視線に晒されて、ルーカスの内側で静かに燻る炎は、ただ只管に、弟に対する激しい憎悪となり。
 握り締めた拳の中、爪が自分の掌の皮膚を突き破った。視界が霞むのは薄い酸素と煙のせいか、或いは。

「許されようとしてんじゃねぇよバケモノッ!」

 バケモノの瞳の中で、一瞬瞳孔が揺らいだ。だが、それだけで、表情の変化などは殆ど無く。
 彼は俯いて、ぽつりと言葉を零した。

「許さなくていい。俺も、俺が嫌いだ」
「…………」

 吐き捨てるみたいだった。

「ここで、母さんと一緒に逝く。俺を愛してくれていた。ちゃんと、母親として。あのヒトだけだった。俺には、他には何もないし、ルーカスの言う通り、誰にも許されないから」

 でも、少しだけ怖いな。燃え盛る炎をぼんやりと見つめながら、弟は小さく笑った。

「……トゥール」

 いつからだろう。弟を、バケモノとしてしか見られなくなったのは。ルーカスがもっと幼い頃、母と共にまだ赤子のバケモノを見つめて、笑っていた日のことを思い出していた。

『オレ、おにいちゃんだから!』

 “どんな姿でも、世界にたったひとりの弟で、大切な家族だ。”
 そんなふうに思ったことだって、確かにあったのだ。
 息がしづらくなってきたのは、火事のせいだけでは無かった。
 いつの間にかこの部屋にも炎が回ってきていた。自分たちの周りを耐え難い熱気とオレンジ色の光が包む。部屋に充満する煙で噎せてしまう。

「ルーカス、早く出ないと」

 弟に腕を引かれて、窓の側まで連れて来られていた。
 窓枠には所々鋭い硝子片が付いていたため、窓枠に触れないよう、飛び込むような形で外に脱出した。上手く受け身を取れずに、ルーカスは地面に肘やら背中を打ち付けて、おまけに落ちていた硝子の欠片で腕に切り傷ができた。
 立ち上がろうと、地面を押した瞬間、右手に激痛が走って、初めて自分が酷い火傷を負っていたことを知る。
 ルーカスはなんとか立ち上がって、家の中を見た。煙に噎せながらも、バケモノは炎を背に佇んでいて。

「……おい、バケモノ。ちょっと来い」

 呼ばれると、素直に窓枠に寄ってきたバケモノを見つめて、それで、自分がどうしてそんな行動を取ったのか。薄い酸素のせいでまともな判断をできなかったのかもしれない。
 気が付いたら、ルーカスは無理矢理バケモノの腕を掴んで、自分の方に引き寄せていた。

「ちょっと、ルーカス痛い、やめて、痛っ」

 無理に引いたせいで、窓枠の硝子片で体の至るところに傷を作りながらも、バケモノも家の外に転がり出ていた。
 痛みに顔を歪めながら、バケモノはルーカスを困惑したように見上げる。

「なんで、助けたりなんか」
「ちげぇよ。オレは、オレの手でてめぇを殺したいんだ」

 バケモノは黒目がちな目を見開いて、言葉を失っていた。驚いたときの、瞳孔の開いた爬虫類の瞳は相変わらず気色悪いと感じた。

「早く行けよ。村のヒト達、お前が生きてんの見たら殺しにくるぞ」

 深夜であっても、これだけの炎だ。既に数人の野次馬や、火を消そうと奮闘する人影もあった。火の手が薄いこちら側ですら、恐らく窓の割れる音を聞いて寄ってきたのか、離れたところからこちらを見守る人間もいた。
 バケモノはルーカスを一瞥してから、ぱっと何処かへ走り出して行った。そうして、火の粉の舞う闇夜に消えていく。

 ルーカスは焼け爛れた右手を握り締めて、バケモノの消えた方向を睨みつけた。
 この誓いが果たされる日は来るのか。自分がバーコードを殺せる立場になれるのか、それまであいつが生きているのか。微かに脳を過る可能性を、一々気にしているようでは復讐は遂げられないだろう。
 必ずいつか、このバケモノを。トゥールを殺す。燻る憎悪と怒りを秘めて、ルーカスは闇夜を寡黙に睨み続けた。