複雑・ファジー小説
- Re: AnotherBarcode -アナザーバーコード- ( No.14 )
- 日時: 2020/12/07 15:51
- 名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)
【番外編】No.06 さよなら、幸福。またいつか。
(No.02読後に読むことをおすすめ致します!)
こんな、薄い布を被っていても肌寒い夜。それでも母が隣で寝てくれるから、寒さなんて気になったことはなかった。
先に布団に横になって、目を閉じていたのに、母が来る気配は無い。薄暗い部屋でぼうっとしていると、突然、耳を劈くような、甲高い悲鳴が聞こえてきて、クラウスは思わず跳ね起きた。
なに、いまの。
耳を澄ませていると、酷い騒音が続き、得体の知れない音が怖くて、クラウスは、きゅっと薄い布団を握り締めてじっとしていた。悲鳴。これは母のものだ。そこに知らない誰かの笑い声が交じる。床や壁を殴りつけるような音。また悲鳴。
怖くてたまらなかったが、じっとしていられなくなって、クラウスは音の正体を確かめに玄関に向かった。
「おかーさん」
「来ないでクラウスッ──」
母の背中と、その奥で知らない男が、身の丈程もある大きな刃物を振り下ろすのが、見えた。それが母の右肩から、胸を通って腰に振り切られる様子。クラウス側に崩れ落ちた母の、限界まで目を見開いた恐ろしい顔が、こちらを見ていた。
「…………おかあ、さん?」
血走った金色の瞳は、急速に光を失っていって。鉄錆の臭いの中に沈んだ体は、ピクリとも動かなくなった。
瞬間、足の感覚が無くなって、立っていられなくなる。指先が冷える。心臓が痛いほどに跳ね回る。体中がガタガタと震えて動けそうもなかった。
「ああ、子供がいたのか」
男はそう言って、深く息を吐き出すと、持っていた大きな剣を放り投げた。床にぶつかるガシャ、と無機質な音がして、刃先についていた赤色がそこらじゅうに散った。母親から溢れ出るものと同じだということくらい、クラウスにも理解できた。この色彩が母の中から失われていって、多分もう動かないこと。10歳を超えたばかりのクラウスでも、それくらいのことはわかった。だが、“死”というものは、明確に理解できなかった──というより、しようとしなかったのかもしれない。
ぼくはどうなるのかな。おかーさんと、おなじように動けなくなっちゃうのかな。母の遺体の顔を覗き込みながら、ぼんやりとそう思った。
男はその場に膝を付いて、両手で顔を覆った。それから、苦しそうに歯を食いしばって、しばらく唸っていた。押し殺すような、引き攣った声が、感情が内側から溢れて塞き止められないみたいに。
ごめん。ごめんなあ。上擦った声を聞いて、ようやく男が泣いていたことを知った。クラウスは横たわった母と嗚咽を堪える男の姿を、黙って見ていた。このヒトはどうして泣いてるのか。おかーさんはなんでこんなことになっているのか。狼狽するクラウスの様子を気にすることもなく、男はただ、謝罪を繰り返した。
「……おれだって誰も殺したくなんかない、おれにも妻と子供がいたんだ、もう生きてるかどうかも、覚えてないけれど、もしかしたらおれが殺したのかもしれないけど、殺したくないのに、楽しいんだ、わからなくなる、おれがもうひとりいるんだ、そいつはこうやってヒト殺して笑ってるようなやつで、おれじゃない、違うんだ、ああ、ごめん、本当にごめん、おれはこんなこと、こんなこと……ああ、楽しくて、しかたない」
男が自らの顔を覆っていた両手をそっと離した。優しげな向日葵色の瞳が、潤んで揺れていた。彼の顔は、母を動けなくさせた人物とは思えないほど、穏やかだった。
「逃げて、くれないか」
男は腕を震わせながら、先程放った大剣を握り締める。
「すぐに逃げて、近くの大人に言うんだよ。紅蓮バーコードに、殺されそうになったって。いいね? そしたらおれはそれを追いかけて……追いかけて、追いかけて、追いかけて、ころ、す、ころす、から」
優しげだった男の表情が、一瞬で豹変するのをクラウスは見た。巨大な刃物が振り上げられる。
「ひぃ……っ」
「早く逃げろや餓鬼ぃぃぃ! アハハハハハハ、は」
恐怖に竦んだ両足は、見えない誰かに掴まれているみたいに上手く動かすことはできなくて、自然と力が抜ける。尻餅をつくような形で倒れ込んで、クラウスはそのまま動けなくなった。
「逃げろって言ったのにおれの言うことが聞けねぇのかよアハハッアハハッハハッ」
「や、やだ、たすけて」
銀色にギラリと光る刀身が振り上げられる。その勢いで付着していた赤色が滴る。こわい。こわくてたまらない。だがもう、いつも守ってくれていた母は動かない。歯がガチガチと鳴る。
涙で濡れた頬を無理矢理吊り上げて笑う男の顔は、泣くよりもずっと辛そうに見えた。
「──いたぞ! 紅蓮バーコードだ!」
不意に、男の背中側から知らないヒトの声が響いた。
それから、鼓膜を震わせる破裂音が、1発。続けて3、4発。
耳を塞ぐ間もなく響いた音が銃声だと気が付いたのは、男の額、それから左胸、右腕、右肩、左太腿。点々と赤い色が着いていて、それがじわじわと、紙の上に水を垂らしたときみたいに侵食していったのを見てからだ。
ガラン、と甲高い悲鳴を上げて男の腕から落ちた大剣は、男が膝をつく頃には消失してしまって。傾ぐ彼の体は、母の遺体に重なるようにして倒れた。
その後、唖然とするクラウスの元に、ぞろぞろと大人のヒトが集まってきて、「もう大丈夫」とか「怖かったね」なんて、優しい言葉をかけてくれて、わけがわからないままに何処かへ連れて行かれて、知らないヒト達に何度も同じような質問をされて。クラウスにはシンセキやミヨリの言葉の意味も分からず、ただ、困惑していた。
「ねえ、おねーさん」
連れてかれる途中に、俯いていた青い首輪を付けた女性に声をかけたのは、彼女が比較的若くて話しかけやすそうだと思ったからだ。
クラウスに見上げられていることに気が付くと、ブロンドアッシュの肩に付くくらいの髪を耳にかけながら、彼女は薄く笑った。優しげな顔立ちのヒトだった。彼女はできるだけ穏やかな声色を作って、クラウスに問う。でも、声は微かに震えていた。
「……どうしたの。不安かい」
「うん。ねえ、ぼく、これからどこに行くの? おかーさんとは、いつ会えるの?」
一瞬目を見開いてから、彼女は困ったように笑った。その笑顔が、僅かに母と似ている、と思った。
彼女は後ろ手に隠していた物を腰のホルダーに仕舞い込んでから、クラウスと目線が合うように屈むと、柔らかく髪を撫でてくれた。
「悪いね。私も詳しいことはわからないんだ。でも、独りが怖かったら、私もできるだけ側にいてあげるから。そんな顔しないで。ね?」
灰色の瞳は優しく細められていたが、彼女は微かにあの男と同じ──鉄錆の臭いを纏っていた。
***
本編No.02の加筆修正していたらふと書きたくなった話。突発的だからなんか雑な感じしますね()
この時点でのクラウスは死というものを理解しきってないでしょうけど、でも、確実にこの日のことはトラウマになっているんたろなと思って書いてました。本編より7、8年くらい前の話。