複雑・ファジー小説
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.20 )
- 日時: 2020/12/07 16:13
- 名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)
【番外編】 No.08 小鳥は鳥籠を壊して、
紅蓮バーコード一体の討伐任務が終了したのは、その日の夕方のことだった。
金色の髪を微風がさらって、毛先が口の端に入るのが鬱陶しく感じる。青年は痛々しい銃創の残る右肩を庇うように手で押さえつけながら、ズルズルと壁にもたれ掛かった。心臓が脈打つたびに、激しい熱が傷口から湧き水のように溢れるみたいに断続的に痛む。呼吸をするのも苦しくて、彼は歯を食いしばって、掠れた息を吸い込んだ。
紅蓮バーコードは年端も行かぬ少女であった。何処で入手したのか、拳銃を無茶苦茶にぶっ放して辺りを攻撃し続け、弾が完全になくなった頃、金髪の青年──ニックがとどめを刺したのだ。少女が何発も発射した拳銃の弾は、ニックの右肩を深々と抉り、今も彼の体を蝕んでいる。
「ニック……辛い?」
仲間であるマリアナが、海色の髪を耳に掛けながら心配そうに問いかけてくる。ニックは口角を上げて、なんとか笑顔を作ってはみるが、束の間の笑みは肩の銃創に崩されてしまう。笑う元気ももうなかった。
「馬鹿みてぇに痛えッス……死んじゃい、そう。死なねぇけど」
バーコードの治癒能力。ニックも元々人間だった基準で考える癖が抜けないため、このまま血を流し続ければ死ぬかもしれない、なんて思ってしまうが、既に傷は塞がりかけているのだ。呼吸をするたびに痛みは増していくかのように思えたが、バーコードの体が命を永らえさせる。だから、自分はこんなところで死にはしないのだ。マリアナも大袈裟に心配しているが、命に別状がないことは理解しているはずで。それでも、痛みに呻くニックを見るのは辛いのだろう。
その日紅蓮バーコード討伐に参加していたのはハイアリンクの人間2人と、カイヤナイトの群青バーコード3人。バーコードはニックとマリアナ、それからもう1人、初対面の少女がいた。腰の下まである、燃え盛る炎を思わせる紅の髪と、痛々しく皮膚と皮膚を継ぎ合わせた跡が体中に張り巡らされた、まだ10歳の彼女、アケ。4年前にニックがカイヤナイトに入隊したのは13歳のときだったから、アケがどんなに過酷な運命を請け負っているかが、なんとなく想像できる。こんな幼い少女まで戦場に立たせるなんて、ハイアリンクの人間達は何を考えているのか、とニックは心の中で思っていた。
とはいえ、流石にアケに戦闘技術などがあるはずもなく、紅蓮バーコード討伐中はハイアリンク達とともに安全な場所で待機していたらしい。彼女の今回の参加はその〈能力〉に理由があったのだ。
「あの、ケガ」
「ん?」
ずっと安全な場所にいたはずのアケが、ニックの姿を見つけるなり辿々しく声をかけてきた。表情も乏しく、何を考えているのか伺い知れないアケだが、ニックの傍らに膝をついて、じっと銃創を見つめ始めた。
「ケガ、なおさせて」
ニックが聞き返すよりも先に、アケは両手をニックの右肩の傷口に宛てがう。急に触れられたことにより少し驚きはしたものの、アケはそのまま〈能力〉を行使する。
何が始まるのかとニックは固唾を呑んでその様子を凝視していた。すると、傷口の辺りにじわりと優しい温もりが広がってくる。炎だ。傷口では確かに暖かなオレンジ色の炎がゆるゆると燃えている。陽炎のように柔らかく、穏やかに。だが、熱くはない。それは母親に抱き締められるときのような、心地よい暖かさで。
「……お、おお?」
炎が完全に消え去ったとき、あれだけ脈打つようにニックの体を蝕んでいた痛みがほぼ完全に消え去っていたのだ。傷跡も、綺麗さっぱりと。あるのは銃弾で破けた服と、そこに付着した血の跡だけ。
治癒の炎。それがアケの能力〈フェニクス〉だった。
感動したニックは思わずアケの両肩に手を置いて、興奮気味に言った。
「凄いッス! あんなに苦しかったのに、怪我が治っちまった! もう全然痛く無いスよ! ありがとう! ……って、あれ? アケ?」
アケは返事をしない。代わりに額に汗を滲ませて、肩で呼吸を繰り返している。顔色も悪くなっていて、でも、力のない深緑の瞳を僅かに細めて、満足そうにしていた。
「よか、った」
彼女の声はか細く、掠れていた。それでなんとなくニックは理解した。〈フェニクス〉は、治癒の力を持つ炎だが、それは彼女の生命を燃やす炎なのだと。だからニックの傷を癒やした代わりに、彼女がこんなにも疲れているのだと。
ニックは動揺し、アケを叱った。自分が傷付くことになるのなら、ボクのために〈フェニクス〉を使うべきではなかったではないか、と。でもアケは、言われていることの意味が理解できなかった。
「だれかのキズを、いやすこと。それが、わたしの“いみ”だから……」
「……意味?」
ニックは彼女の深緑の瞳を覗き込む。目の下を通る縫合痕の痛々しさが目を引いたが、何よりもその強い目の光が、真っ直ぐにニックを見返していた。体は弱っていても、瞳は揺ぎ無い。だから意味、というものを悟った。
わたしの、生きる意味。
彼女が口にしたのは、そういうものだ。
〈能力〉を使うこと。たとえ自分の命を削ってでも、カイヤナイトのバーコードとして、生き抜く。
ニックはそれを理解すると同時に、顔を歪めてみせた。
「誰かのために、自分を犠牲にする。それが、キミの“意味”……?」
アケはただ、はっきりと首肯する。
「そんなの……」
間違っている。そう思うのに、その続きが声に出なかったのはどうしてか。
ニックの傍らで、マリアナは神妙な面持ちをしたまま俯いていた。彼の傷が治って、彼が元気になったことは嬉しい。しかし、そのためにアケが〈フェニクス〉を使ったことは、あまりいいことだとは思えない。それでなんとも言えぬ心境になっていた。
「どうした、ニック。傷を癒やすバーコードを連れてきていて良かっただろう?」
ハイアリンクの人間が薄笑いを浮かべながらそう話しかけてきた。ニックは何も答えられず、黙り込んでしまう。
「お前の〈能力〉は貴重だからな。精々頑張ってくれたまえ」
男はニックの肩をポンポンと叩き、それから帰還するぞ、と一言告げた。
「……あのヒトの命令で、ボクの怪我を治したんスか」
立ち上がれないアケの手を引いて、ニックは問いかけた。
「わたしには、これしかできない。わたしは、そのためのどうぐだから……」
「道、具」
ニックはアケの発言に顔をしかめたが、何も言えなかった。確かに、カイヤナイトは戦いの役に立たなければ処分されるだけだ。言ってしまえば戦いの道具なのだ。だから、彼女の発言は、否定できない。
でも、自分から自分をただの道具だと認識しているのは、否定したかった。
***
それから1年。ニックは先輩である黒い目のバーコードに、とある話を持ちかけられた。それは、“ハイアリンクを脱走しないか”という話だ。
カイヤナイトのバーコード達は皆、爆弾を仕込まれた首輪を装着している。脱走したり、人間に逆らうのを防ぐためだ。何かあればボタン1つで爆破され、いとも簡単に殺される。自分で外す方法は無いはずだ。だから、脱走なんてどうやるのかニックにはわからなかった。
「人間共の犬として死ぬなんて嫌だって、アンタだって思うだろう? 群青バーコード達は自由に生きることができるはずだ。ニックやマリアナにも、自由に生きてほしい。ワタシはそう思うんだ」
彼女の言葉と、その揺るぎない漆黒の瞳を見ていたら、信じてみたいとニックは思った。だから、ハイアリンクを脱走しようと考えた。
彼女に賛同する者はマリアナやニックだけではなく、ローザ、カルカサも脱走計画に加わった。そして。
「アケ。キミは、自由に生きていいはずだ」
あるとき、ニックは任務が終わるとアケにそう言った。
その日も〈フェニクス〉を多用して、アケは殆ど動けなくなるほど疲弊してしまっていた。怪我をしたハイアリンクの者たちの傷を癒やす。それがアケの生きる意味だから。ハイアリンクに所属している限りは、アケは自分を労ることなく、〈フェニクス〉で自分の命を燃やし続けるのだろう。
そんなこと、続けてほしくない。だからニックは任務が終わり帰還すると、アケに言ったのだ。
疲れた顔をしたアケは、ニックの瞳を見て、首を傾げる。
「どういうこと?」
「ボクは近いうちにハイアリンクを脱走する。自由を、掴むんだ」
それを聞くと、アケは深緑色の目を見開いた。
「だからアケ、キミにも自由に生きてほしいって思う。一緒に来てほしい」
「じゆう……?」
ニックはアケに手を差し出した。だが、彼女はその掌を見てオロオロとするばかりだ。
「どうしていいの……? わかんないよ、だってわたしは、たたかうための、どうぐだから、めいれいがないと、わかんないよ」
「だったらアケ、命令だ。自分のために生きろ。キミがしたいように生きるんだ」
「わたしの……」
アケは俯き、胸の前に手を当てたまま、しばらく考えこむ。
次にアケが顔を上げたとき、その深緑の瞳には強い光が灯っていた。
「ニック。わたし、わたしね……ニックの、そばにいたい。わたしも、ニックといっしょに行きたいよ」
そう言って、アケは差し出されていたニックの手を、強く両手で握り締めた。
ニックは彼女に微笑みかける。
「キミがそれを望むなら。ボクからもお願いする。ボクと一緒に来てくれ、アケ」
「うん……うん!」
それは、アケが初めて自分の意思で行動することを決めた瞬間だった。
***
3、4年前、ニック達がまだハイアリンクにいた頃の話でした。