複雑・ファジー小説

Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.22 )
日時: 2020/12/07 16:15
名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=19534

【二次創作】No.02 喰らう醜

 雨だ。

 雨がひたすらに、地面を殴っていた。しとしとと、涙が袖に染み入るような降り方でなくて、シャワーが風呂場のタイルを叩くように勢いよく大地へ走る。桶をひっくり返したみたいなその降水に、いつしか足場は水溜まりに覆われて、広い池のようになっていた。そのまま俺の体温を奪っていく。あんなに火照っていた体の熱が、雨に晒されて足元の水溜まりに溶け出していくみたいだ。
 こんなに寒いだなんて感じているのに、身震い一つ起こりやしない。きっとそれは、俺がそれどころじゃないなんて感じているから。いつもなら、雨の夜や湿気た昼に肌に貼り付いて気持ち悪いだなんて思う髪も、気にならない。頬に、額に、首筋に、糊付けしたみたいにぴたり引っ付いているのにちっとも気にならない。

 完成品の群青なんかにはほど遠いってのに、今見える景色も、胸の内に渦巻いてるこの感情も、そしてきっと顔色も、真っ青に染まりきっているに違いない。

「なーんでいつも、こうなっちまうんだろうな」

 自嘲気味に呟けども、返してくれる声は無い。疑問形で尋ねたところで、あてもなくその言葉は宙をさまよった。それもそうさ、俺にはその答えなんて分かりはしないし、答えてくれる人なんて傍には一人もいやしない。

 結局そうだ。昔は母さんがいた、けど、いつしか離れ離れになっちまった。もうそれから随分経つ。多分……認めたく、ないけれど、俺はもうあの人には会えないだろう。神様だって、巡り合わせてなんてくれないだろう。俺はもう、間違いなんて重ね過ぎちゃったから。もう何度目だ、こうやって意識を失った後に覚えの無い死体と顔を合わせるのは。

 何度罪を犯したかなんて、もう数えきれない。勉強なんてしたことないから、両手の指で数えきれないだけの数は、覚えてなんかいられなかったし。それに……罪を数えても、虚しくなるだけだから、数える必要も無いし、数えたくも無かった。もう充分に多いと分かっているのに、具体的な数字と顔を合わせれば、網膜に焼き付いて離れない、一人一人が、光の無い瞳を掲げて詰め寄ってきそうだから。

 幻覚だとは理解している。それでも、恨みがましく吠えながらこちらに詰め寄ってくる彼らに、俺の心は簡単に壊れてしまいそうになる。耳の奥にべったりとくっついたままの断末魔の声が、ふとした時にこだまする。皆がその声を上げたのは、俺の意識が紅蓮に染まって狂ってる時だってのに。俺の知らない俺が誰かを手にかけたその罰は、何もしてない俺にふりかかってくるんだ。

 だからたまにこう考えたりもしてしまう。罪状とは人を殺したことそのものでなくて、そんな自分も律せないこと、あるいは、そんな不完全な粗悪品のまま、生まれてきたことなんじゃないか、って。こんな出来損ない、端から生まれてこなかった方がいいんじゃないか。狂気にまみれた、粗野で悪どいもう一つの俺が、嘲笑うように脳裏で囁いた。

 目の前で仰向けに転がっている、少し太ったおばさんを見た。太って肉が張ってるせいか、声はしわがれ始めてて歳が窺えるってのに、肌に皺なんて無くて若々しかったおばさん。とても笑顔が優しくて、快活な声で辛いこと全て吹き飛ばしてくれそうな陽気な人。ふらっふらで今にも野垂れ死んでしまいそうな俺に、パンとミルクとを分けてくれた恩人、だったってのに。

 なぜ彼女は、こうしてここに横たわっている。止まない雨に打たれてるってのに。服が泥だらけになっちまってるってのに。指先がぴくりとも動きやがらない。瞳孔は開いたまんまで、瞬き一つしようともしない。明るい笑顔はどこへやら、恐怖と苦悶とでその顔は歪んでしまっていた。これはきっと、痛みのせいもあるのだろうか。

 身に付けているエプロンには、元々太陽みたいに大きな向日葵が咲いてたってのに、今やその布は朱に染まっていた。真っ赤に燃え盛る業火が、咲き誇る大輪の花を飲み込んだみたいだった。暴れた拍子に泥を被ったのか、茶色くくすんだその向日葵は、枯れてしまったようにしか見えない。布が引き裂かれた後が、いくつもいくつも。

 俺がようやく我に帰った時、彼女はとっくに事切れていた。雨のせいで冷たくなっていたし、動かなければ声もあげなかったし、何より全身の血はとっくに固まってしまったのか、傷口はただ虚しく穴を広げているだけになっていた。彼女の身に血が流れていない訳では無いとは簡単に分かった。なぜなら彼女を中心として、黒ずんだ体液は手を伸ばすように広がっていたのだから。

 俺の服も血塗れだった。当然俺の血じゃない。顔もきっと血塗れなのだろうな。鼻血が出た時みたいに、顔の上で固まった血潮が、仮面のように張り付いている。瞬きをする度に、目の下の皮が引っ張られるような感覚。

 だが、とりわけ罪を浴びていたのは、服なんかでも顔なんかでもなくて、サバイバルナイフを握りしめた右腕だった。返り血を浴びてないところなんてちょっとも無くて、最初から自分の腕が赤黒かったんじゃないかなんて思ってしまうほどだ。だけれども、雨のせいか乾ききらずに、ねっとりと糸を引く体液がナイフの切っ先から滴っている。雨がすぐに洗い流してくれるけれど、綺麗になったそばから、また汚れていく。これはきっと、俺という人間の中から滲み出た、嫌悪すべき汚濁だ。

 いや、違うな。今こぼした言葉にはただ一つ間違いがあった。とっくに、白の絵の具で上から塗りつぶしても消えないくらいに俺の心は汚れている。そこには間違いなんて何一つ無い。けれども、否定しなくちゃならないところは別にあった。

「俺って人間だっけ」

 誰も答えない。否定する者はいない。しかし、肯定してくれる人もいなかった。その沈黙が激しい勢いで詰問してきているようだった。こんなに、静かなのに。

 分かってるさ、自分が人間の仲間入りできないってことくらい。痛いほどにな。握りしめたナイフと目を合わせる。赤黒く染まっている中、時おり見せる白銀の刀身が瞬くのが、まるで眼光のようだなんて思えた。俺を睨んでるみたいだ。身がすくむような思い、これで刺されたら死んじゃうんだよな。物言わぬ肉人形を目にしつつ、そんな当たり前のことを実感した。

 これで俺を貫いてしまえば。そしたら、犯した罪は白紙になってくれないだろうか。真っ黒に汚れた魂が、時おり襲い来る紅色の衝動が、浄化されてはくれないだろうか。失敗作の烙印も綺麗に消えてはくれないだろうか。

 ナイフは何も答えないし、顔色一つ変えなかった。すぐ隣、目の前に倒れたおばさんの家から漏れた光を受けて、ただぎらぎらと目を光らせるだけ。意識を失っていた間、とっくに息絶えた彼女にマウントをとり、逆手に持ったナイフを何度も振り下ろし突き刺し続けたのだろう。なぜだか向き合った相手を刺したはずなのに、俺はその凶器を逆手に持っていた。

 その思い付きに身を任せるように、切っ先を腹に当ててみた。服の上からでも、チクリと刺激が。無意識のうちに、柄を握りしめる右手の力が強くなる。浅く息を吸い、肺の中の空気全部吐き出して、また。今度は息を、思いきり吸い込んだ。

 そして俺は、意を決して、勢いをつけるために右手を高く振り上げて、そのまま。














 振り下ろすことだなんて、できなかった。手にこめていた力が抜けていく。つい今しがた、何も考えなくても入っていた力が、紅茶に入れた角砂糖みたいに消えてしまった。手が震えて、ナイフまで怯えてしまったみたいにふらふらと掌の中をさ迷っている。急に、するりと、逃げ出すようにナイフは地面に転がった。そのまま膝まで笑い出して、立っていられなくなる。ふらふら倒れたその先に手をついて、四つん這いで何とか踏みとどまった。

 地に堕ちたナイフにこびりついた罪が、水溜まりの上に滲んだ。けれども、俺自身にこびりついたこの罪悪感だけは、どんなに強い雨に打たれても、洗い流されてなんてくれやしない。水面に映る自分の影を殴る。拳を強く地面に打ち付けただけ。音をあげて飛沫は舞い上がれども、すぐまた元の水溜まりに呑まれる。天高く目指しても結局は元の所に落ちていくその様子が、自分に皮肉を向けられたみたいで、どうにもやりきれない。

 自分のことを刺せなかった理由なんて簡単だ。別に高尚なものなんかじゃない。俺は聖人でも何でも無いから、ただの意気地無しだから、理由なんてたった一つだ。

 これがよくできた人間だったならば、何と理屈をこねたものだろうか。自殺は逃げに過ぎないから? 死んでも罪は無くならないから? 本当に申し訳ないと思うなら生きて償うべきだから? けれど、俺は思うんだ。そんな風に思う人は、最初からこんな間違い冒さないんだって。

 結局のところ、俺の逃げ道は至ってシンプルだ。死にたくない、そんだけだ。どこまでも利己的で、死ぬのが怖いだなんて泣き言言って、結局何もできない。みっともなくて、情けなくて嫌になる。その上俺は、やってしまったこと全部棚上げして、幸せになりたいだなんて望んでる。そんなこと願う資格が、まだ残ってるかも怪しいのに。醜いったらありゃしない。

 こんな俺なんて消えちまえばいいのになぁ。最初から無かったみたいに。花を目指す蝶みたいに幸せを追い求めるこの心も、茨に絡めとられたみたいに罪に傷つき後悔に締め付けられるようなこの痛みも、持ち手の無い諸刃の剣みたいに触れるもの皆傷つける衝動も、全部。

 その俺の意志を汲んでか、足の先から世界に溶けていくように、俺の体は消えていく。そこに俺の居場所なんて無いと知らしめるように。

 こんなにも醜い俺のことを、世界は喰らい尽くしてみせた。

 でも、どうしてだろうな。しでかした事に対する罪悪感は、どうにもまだ胸の奥につっかえたまんまだ。俺の体は透明になって誰にも見えなくなったってのに、痛くて熱くて醜い慚愧が、まだまだ焼けた鉄みたいに真っ赤なままこの胸の中で燻っている。

 どうせならこの罪悪感までも食い尽くしてくれたらよかったのに。けど、この吐瀉物にも汚泥にも排泄物にも劣らないほどの下手物を、決して食してはくれないらしい。それも仕方ないか、神様だって食べ物の好き嫌いはあるさ。

 だからその行き場の無い思いを、燻りを、燃え尽きさせてやるべく、濡れたまま俺は走り出した。誰の目にも映らないことをいいことに、それでも存在を認めてほしいと泣きべそかくみたいに、曇天の空が月を隠す夜に俺は、大声出して駆け出したんだ。膝から崩れた時にはこもらなかった全身の力が、今の俺にはみなぎっていた。

 拾いあげたナイフはとても冷たかった。冷たいと悲鳴をこぼすように、かじかみ始めた指先が、透明な俺が生きていると告げているみたいだった。

 走って、走って、走った。ひたすら走った。どこに行くかなんて、全く決められもしないのに。

 これは俺が、まだ一人ぼっちだった頃の物語。


***
これは複雑ファジーで「守護神アクセス」という小説を執筆していらっしゃる狒牙さんという方に頂いたつぎばの二次創作です。「守護神アクセス」は異能力バトル物で、もうすぐ完結する作品なので是非読んでみてください。童話の世界の登場人物なんかが出てきて楽しい作品です。
タイトルの読み方は「くらうす」です。トゥールやジンに出会わず、1人で生きてきたクラウスって感じの作品でしたね。実際、トゥールに会えてないのなら、クラウスは1人で時折殺人を犯しながら生きていたことでしょう。透明化できる〈能力〉は、1人で生きるには適したちからですし。どんなに罪悪感に苛まれても、誰かの命を奪ってでも“生きたい”って思ってしまう。そんな彼をよく理解して書いてくださったんだなって感じで、狒牙さんには感謝です!