複雑・ファジー小説

Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.24 )
日時: 2020/12/07 18:23
名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)
参照: https://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=article&id=2189

【番外編】No.09 優しい弱さ

 外気は冷たいのに、必死で抱える彼の体からあふれ出るものはじわりと暖かく肌を滑っていって。とどめなく溢れる赤で道標を作ってしまっていないか、心配だった。もし、それを辿って奴らが追いかけてきたら、多分二人とも簡単に殺されてしまう。
 曇り空のような髪色の少年──クラウスは、酷い怪我を負って、今も尚出血し続ける自分よりいくらか体格のいい男を担いで、夜道を歩いていた。

「重った……トゥール、ちゃんと歩いて……お願いだから、死なないでよ」

 まだ僅かに呼吸はしているけれど、もうほとんど自分の力で歩けていないし、出血は酷いし、意識もおぼろげなようで、本当に死んでしまうのではと思うと、クラウスの声は震えてしまった。

 ハイアリンクの襲撃を受けた。いつものように闘う力を持たないクラウスは、〈能力〉で透明化して隠れていたが、トゥール1人で闘うには数が多すぎた。
 トゥールは強い。だから負けることはない。今までだって、何度かハイアリンクや紅蓮バーコードに襲われることはあったが、そのたびに一人で戦い、クラウスを守ってきた。例え相手が6人いても、彼なら負けないと、クラウスは信じた。
 実際にトゥールのほうが圧倒的に強かった。飛び交う銃弾を躱し、右腕のひと振りで相手を戦闘不能にしてみせた。殴り飛ばされた相手は動かなくなって、もしかしたら死んだのかもしれない。次に体から針を飛ばしてくるカイヤナイトを尻尾で薙ぎ払って、倒れたところを首を折って殺した。その間に何発か銃弾を食らっていて。更に何人かに殴りかかっていたが、スピードが落ちたことにより躱されてしまった。
 そのあたりで出血が酷かったのか、トゥールが一旦引こう、と言い出したので、クラウスは〈チェシャー〉を使って、トゥールごと透明化させると、そのまま逃亡した。
 逃げている道中で、トゥールが歩けなくなった。銃創より、あの針を飛ばす〈能力〉で突き刺さった針の傷が大きかった。カイヤナイトとして訓練を積んだ群青バーコードなのだ。どこを狙えばいいか、などを心得ている。刺されたのが腿だったのもあって、足に上手く力が入らなくなったらしい。
 クラウスが肩を貸して歩かせようとしたとき、初めて思った以上にトゥールが体中に傷を負ってると知った。バーコードの傷の治りは早い。だが、失血が多ければ命を落とすことだってある。
 死んじゃう。トゥールが、死んでしまう。
 クラウスにとって一番恐ろしいことは、自分が死ぬことで、トゥールがいなければまたハイアリンクに襲われたときに生き残れる確証はない。つまりは、彼がいなければクラウスは生きられないのだ。だから、トゥールが死ぬのは嫌だった。
 逃げ込んだ森では、遠くに街の灯が見えた。病院。そうだ、病院へ連れて行こう。止血くらいはしてくれるかもしれない。
 クラウスは浅い呼吸を繰り返すトゥールの姿を見る。体の所々に生えた鱗。恐竜のような手足。人間とかけ離れた姿のトゥールを街に連れていけば、ひと目でバーコードと知られて、ハイアリンクを呼ばれてしまうだろう。だが、病院に連れて行かないと、失血で死んてしまうかもしれない。一か八かしかなかった。

 夜の街に、ヒトの姿はなかった。お陰でトゥールの姿を見られずにすむ。そう思ってクラウスは街の中を歩き回り、すぐに病院の看板を見つけた。
 クラウスはナイフを片手に持ちながら、病院の戸をノックした。女性の声で返事が聞こえて、扉を開けたのは、白衣に身を包んだ薄紫色の髪の少女だった。
 白衣姿にはいい思い出がないクラウスは、僅かに顔をしかめながらも静かな声で訊ねる。

「医者、だよな? ……医者って、怪我したヒトをどうにかしてくれんだよな。お願い、トゥールを助けて……!」

 彼女は目を剥きながら、トゥールの傷と肌の鱗とクラウスの顔を見比べていた。微かに怯えたように見えたから、できるだけ冷たい声で、ナイフを携えて睨み付ける。

「断ったら殺、す」

 突き付けられたナイフを見ても彼女は動じなかった。慣れないことをしたから、弱気な殺意を見抜かれただろうか。そう心配したクラウスに、彼女は諭すように柔らかい笑みを浮かべてみせると、突然自分の着ているシャツのボタンをプチプチと外していく。
 え、なにしてんの。クラウスは一瞬たじろいでナイフを取り落としそうになったが、シャツの間から覗いた彼女の素肌に刻まれたモノを視界に留めた瞬間、言葉を失った。
 ──忌々しくも鮮やかな、緑。

「私、翡翠バーコードなんですよ。どうぞ、そのヒトを中に運んで下さい」
「なんで、バーコードが医者なんか、」
「そんなの今はいいから早く。その方を助けたいのでしょう?」

 彼女の紺碧の瞳を覗き込んで、本気だとわかったクラウスは、促されるまま部屋の奥へ進んでいく。
 廊下を進むと、鼻腔にゾッとする臭いが掠める。薬の臭い。立ち止まりそうになるがどうにか進んで、彼女の指定した台の上にトゥールを寝かせた。断続的な短い呼吸を繰り返してる。傷口からは尚も出血している。トゥールを運んだ道中には、点々と血が滲んでいた。
 クラウスの手が震えるのは、弱々しいトゥールの姿を見ていることだけが理由では無かった。
 怖い。手術室が怖かったのだ。トゥールと出会う前、研究施設にいた頃、母が星になって、行く宛のない何もわからないクラウスをバーコードに変えてしまったその空間。それが怖くないはずがない。
 彼女は手際よく銀色の器具を用意して、トゥールに近付いた。

「あ、私ついつい縫おうとしてました。バーコードですもんね、止血して、少し休ませておけば大丈夫ですから、安心して下さい」

 ローブを脱がせると、隠れていた無数の傷が顕になる。そこに綿を当てたり、薬を塗ったり、クラウスにはわからない処置をしていって、最終的に包帯が巻かれた。
 全ての傷を手当し終わると、トゥールの血で汚れた手袋を外して、彼女はクラウスに笑いかける。

「もう彼は大丈夫ですよ」

 クラウスはトゥールに駆け寄って、その顔を見る。包帯には所々赤色が滲んでいる。けれど、トゥールの表情は穏やかなもので、今はただ眠っているだけのようだ。
 ホッと息を吐いて、安心したことでクラウスは思わず床に膝を突いた。それから、彼女の方に視線をやる。突然ナイフで脅しながらボロボロのトゥールを連れてきた自分を、なんの抵抗もなく受け入れてくれた。翡翠バーコードでありながら医者の少女。彼女には感謝しなければならない。立ち上がりながら、クラウスは彼女に向き直った。

「脅したりしてゴメン……トゥールを助けてくれてありがと。えっと、オレ、クラウス」
「私はレイシャです。クラウスさんもバーコードなんですか」

 黙って頷いた。オレもレイシャと同じ色。か細い声で言って、でも翡翠に混ざる赤色のことは言えなかった。
 別の部屋からヒトの気配がした。クラウスは思わず体を強張らせたが、現れたのは新緑色の髪を後頭部で結った、優しそうな中年の女性だった。
 彼女の顔を見ると、レイシャは頬を綻ばせて言う。

「ネーヴェ、起こしてしまいました? えっと、彼らは、」
「怪我人なら、なんだって診るよ。バーコードだろうと関係無い。あたしだって迷わず受け入れたはずよ。……所でレイシャ、あんたなんで前開けてんの」

 確かにレイシャはシャツのボタンを外したままで、クラウスも少し目のやり場に困っていたところだ。

「え?  ああ、彼にバーコードをお見せして……」
「開けたら閉める! 痴女じゃないのよ、もー。年頃の女の子なんだから、自覚持ちなさいよ」

 そう言って、ネーヴェと呼ばれた女性は、レイシャの服のボタンを閉めてあげていた。
 怪我をしたトゥールを見つめて、ネーヴェがクラウスに話しかけてくる。

「あんたら、紅蓮バーコードかなんかに襲われたの? 何処から逃げてきたんだい?」
「ハイアリンクに、襲われて。多分もう追ってこれないと思うけど。トゥールがオレを庇って闘って、酷い怪我で、死んじゃうかもって……」
「そう。あなたも大変だったのね」

 そう言って頭を優しく撫でてきた。驚いたけど、振り払おうとは思わなかった。何故だかとても安心したのだ。クラウスは母親に、同じようにしてもらったことを思い出す。

「懐かしいわね。レイシャがここに来たの何年前だっけ。研究施設から逃げ出してきたのよね。今あんたは19だから……」

 幼めな顔立ちのため、クラウスはレイシャが同い年くらいかと思っていたが、3つ上だった。
 ネーヴェが昔の話をしようとしたので、レイシャは困ったように笑い、肩を竦める。

「もーお母さん……」

 そう呼んだのを聞いて、首を傾げてしまう。彼女たちは全然似てない。し、研究施設から逃げてきたってことは、レイシャはネーヴェに匿ってもらったんじゃ?
 クラウスが1人思考していると、レイシャが思いついたように口を開いた。

「あ、私、トゥールさん起きたときに何か食べた方がいいし、ご飯作ってきますね」

 そう言ってレイシャが別の部屋に行った。部屋には眠っているトゥールと、クラウスとネーヴェが残される。