複雑・ファジー小説

Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.25 )
日時: 2020/02/08 19:34
名前: ヨモツカミ (ID: CstsioPs)

「クラウスって言ったっけ? あんたさっき、レイシャがあたしのこと“お母さん”て呼んだとき、変な顔してたね」

 気付かれていたのか。別に、とクラウスは声にしたが、ネーヴェは柔らかく微笑んで語り始めた。

「血は繋がってないけど、でもあたしはレイシャを本当の娘だと思ってるよ」

 ちらりとネーヴェが視線を向けた方向を見ると小さな写真立てがおいてあった。まだ若そうなネーヴェと、優しそうな顔をしたガタイのいい男性。それから、ネーヴェの腕に抱かれた赤子の姿。

「あたしね、家族を失ってるんだ。研究所から逃げてきたレイシャを娘だと思い込んで、独りの寂しさを埋めようと、利用しているみたいで嫌だったのよね。ホントの娘の代わりがいればいいみたいで、さ」

 ネーヴェはゆったりと歩き、立てかけてあった写真立てに触れる。

「初めの頃は、そうやって寂しさを埋めて、なれなかった母親になってみたくて、レイシャにお母さんなんて呼ばせてさ、家族のこと忘れようとしてみたり……本当の母親になんか、なれないのに……」

 暗い表情で言って、はっとしたネーヴェが苦笑しながら言う。

「ああ、ごめんね。レイシャのこと、あんま他人に話せないから。こんな話、中々出来ないからって、クラウスに聞かせる内容じゃ無かったね」

 クラウスは目を丸くした。それからぽつり、と思ったことを口にする。

「レイシャは、ネーヴェのこと好きだと思うよ」

 え、と声を漏らしたネーヴェの顔をじっと見つめて、クラウスは続ける。

「ネーヴェがレイシャのことホントの娘だと思ってて、レイシャがネーヴェをお母さんって呼ぶなら、もう、親子なんじゃないの? 代わりとか、よく分かんないけど。本物じゃなくてもいいんじゃないの? 本物じゃなくても、オレにはネーヴェ達は親子に見えるよ」

 今度はネーヴェが目を丸くする番だった。
 クラウスは自分の髪に触れて、少しだけ微笑む。優しくて温かい手のひらが、自分の頭を撫でる。心地よい温もりは、今も残っていて。

「さっき撫でてくれたとき、お母さんのこと思い出した。ネーヴェはちゃんと、お母さん出来てんじゃない? オレは、そう思うよ」

 クラウスが言い終えると、ネーヴェは胸の前で手を組んで、表情をぱっと明るくさせた。

「えー。クラウスくん……嬉しいこと言ってくれるわねぇ、ちょっとこっちおいで!」

 首を傾げつつ言われたとおりにネーヴェに近寄ると、急に彼女の腕がクラウスの後頭部に伸びてきて、抱き締められ、もう片方の空いた手で髪を無茶苦茶に撫で回された。

「ちょっ、も、やめろよっ、もー! 髪クシャクシャになるし!」
「元からじゃないのよ!」

 いきなりのことに驚き、やんわりと振りほどこうとしてみるが、口で嫌がりながらも、クラウスはそれが嬉しかった。温かい。この温もりは、よく知っていて、もう手に入らないものだと思っていた。

「あはは、お母さん何やってんの、もう……」

 いつの間にか部屋の入口に立ってたレイシャが呆れるみたいに笑う。彼女は仕切りに目元を指で擦っていた。

「あらレイシャ、目が赤いわね?」
「べ、別に、なんか、猫アレルギーとか?」

 猫いないのに。
 泣いてたん? とクラウスが聞くと、レイシャは目に見えて狼狽えた。

「もしかしてさっきの話、聞いてたのか?」
「きい……てないもん。いや、聞いてました。……聞いてたから言うけどね、ネーヴェ」

 少しの逡巡があったものの、レイシャは柔らかくはにかんだ。

「ネーヴェは、私のお母さんだよ」

 赤く腫れた目で笑う。幸せに満ち足りた、優しい笑みだった。
 ネーヴェは一層明るく笑った。

「あらもー、レイシャったらもー! あんたもこっち来なさい!」

 半分飛び付くようにして、レイシャがネーヴェを抱き締めて、ネーヴェは彼女の髪をぐしゃぐしゃと撫で回す。

「やだー髪クシャクシャになっちゃうよー」
「ふふっ、元からじゃなーい」
「私はクラウスさんみたいにクシャクシャじゃないもん」
「おいっ、レイシャ?」

 3人してケラケラと笑った。クラウスは胸の辺りがじわりと暖かくなるのを感じた。

 不意に微かな呻き声がして、クラウスは弾かれたようにトゥールをみた。深緑の鱗に被われた頬と髪の隙間の、琥珀色の瞳と目が合う。

「トゥール!」

 思わず駆け寄ると、トゥールはぼんやりとした表情でクラウスを見つめていた。

「トゥールさん起きたんですね、良かった。傷は大丈夫そうですか?」

 レイシャに声を掛けられても、トゥールは少し戸惑う。ここに来るまで彼の意識が朦朧としていたし、レイシャやネーヴェのことはよく知らないのだ。

「此処は……というかなんだクラウス、その芸術性の高い髪型は」

 言われて髪を弄ってみるが、クラウスからは見えないし、なんとなくそのままにしておこうと思った。が、ネーヴェが手櫛で直してくれた。

「此処は病院よ。クラウスくんがあなたを運んできてね、娘が……レイシャが手当したのよ」

 娘が、と口にする時の優しそうな目元は、やはり母親を思い出す。クラウスの母とは似てもにつかないのに。
 トゥールは右手で台を押して上体を起こす。まだ痛むのか僅かに眉を潜めた。それからまだ動揺した様子で。

「あ、ありがとう……ござい、ます。だが何故……俺は見ての通り、」

 バーコードなのに、とか、バケモノなのに、とか。トゥールはそういうことを言おうとしたのだろうが、それを遮ってレイシャが言う。

「私もバーコードなんですよ」

 トゥールは目を見開いて、口を半開きにする。その顔がおかしくて、クラウスはちょっと口角を上げる。

「ビックリしたよな。凄い、優しい人達でさ、ホント、トゥールを助けてくれて、よかったよ」

 そう言ってクラウスは笑う。トゥールが抱いていた不安や困惑も、その笑顔を見た途端に、ぱったりと消えてしまった。


***


 レイシャはトゥールの包帯を変えると言って、戸棚の方へ歩いていった。まだ、完全に傷が塞がった訳ではないのか、トゥールの手当は続くらしい。

「……そしたらクラウス待っているのも暇だろう? 料理の手伝いしてくれないかい?」

 ネーヴェが隣の部屋のドアを半開きにしながら言う。クラウスはぱっと表情を明るくした。

「いいの?」
「勿論。さあ、こっちへおいで」

 クラウスは嬉しそうにネーヴェの後に着いて行った。
 包帯を持ってきたレイシャは、トゥールの腹部の傷をじっと見た。それから、血のついた包帯をゆっくり外しにかかる。
 包帯の裏からは人間の肌と、たまに深緑色の鱗が覗く。それを見るたびに、レイシャの指先がピクリと動くのを見て、トゥールは静かに声をかけた。

「……俺が怖いか?」
「いえ、その」

 急に話しかけられたせいか、肩を震わせたレイシャの瞳に、明らかに怯えの色が滲んでいることに、トゥールは気付いていた。だからといって、悲観するようなことはない。トゥールはもう、そんなこと慣れてしまっていた。

「気にするな。怖がらない方が珍しい。クラウスに初めて見られたときも、相当な怯えようだったからな」
「ご、ごめんなさい」

 血で汚れた包帯を外しきり、傷口にガーゼを当てながら、レイシャはトゥールと目が合わないように言う。トゥールの大きな手の先に伸びる血のこびりついた爪を見ると、怖くて顔が合わせられなくなるのだ。

「こちらこそすまないな。生まれつき〈能力〉を解けなくて」

 多分、このヒトは誰かを殺してきている。そのために、この爪が汚れているのだ。レイシャはそれを悟って怯えていたが、語調や声は思ったよりも優しいもので、クラウスがあれだけ慕っていたということは、それほど恐ろしいヒトではないのではなかろうか、と考え直した。

「えと、生まれつき、というと、施設から逃げてきた訳では無いんですね」

 施設にいた時期もあったがな。わざわざ話す事でもないと判断して、トゥールは何も言わなかった。