複雑・ファジー小説
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.32 )
- 日時: 2020/12/07 18:40
- 名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)
- 参照: https://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=19612
【二次創作】 No.03 ナイフ
彼を包み込むのは、灯りのない部屋だった。
外にあるものは全て豪雨に打たれ、時折、稲妻の光が窓から差し込む。 充満する雨水の匂いに、まるで、ここが深い海底であると錯覚してしまいそうだ。
トゥールは、ラグマットの上に横たわっていた。呼吸によって身体が僅かに上下する以外に、彼は動かない。床に投げ出された尻尾は、無惨なほどに傷だらけだった。暗色の鱗の隙間に血色が滲み、床にも血の跡を付けている。四肢と胴体のほとんども切り傷や刺し傷ばかりで、青紫に変色している箇所さえあった。特に脾腹の血痕は、未だにその面積を拡げていた。
紅蓮バーコードの襲撃に遭った。ここ最近は雨続きで気温も低かったし、昼間でも薄暗い。寒さや暗さを苦手とするトゥールは、外出は控えるべきだと自覚していた。だのに、珍しく雨が止んだ間に出掛けてしまった。そしてこのザマだ。
相手が一人なら、これほど深手は負わなかったかもしれない。一人目を始末した瞬間、その片割れ――だと思われる――が、トゥールの脾腹を背後から抉ったのだ。それでも飽き足らず、殺人衝動に蝕まれた紅蓮バーコードは、トゥール目掛けて自らの影を伸ばした。影は質量を持ち、槍のように鋭くなった切先でトゥールに襲いかかる。紅蓮バーコードの、大きく開いた瞳孔は影よりも黒々として、空色の虹彩はグロテスクに煌めいていた。
どうやって此処まで帰ってきたのか、正直、よく覚えていない。気が付いたら、息も絶え絶えで此処にいたのだ。自分は、あの紅蓮バーコードをどうしたのだろうか。尖った指先から血の匂いが微かにするから、殺したのかもしれない。いや、寸での所で殺れていない可能性もある。もし奴がまだ生きていたら、復讐しに来るのだろうか。片割れの十字架を背負って。
模索したところで雨音の中に答えはなく、自嘲的に笑う体力さえない。頭は重いが、睡魔に身を任せることも出来ない。時々床や壁が稲妻で白くなるのを、茫洋と見つめるのみだった。
ふと、何処かで物音がした。トゥールは身体を強ばらせるが、それがクラウスの部屋の方からしたものだと分かると、ふっと、少し力を抜く。物音というのは、クラウスのブーツの靴底が床を叩く音で、彼はトゥールの部屋の方に歩いてきているようだった。規則的で無機質な音は、やはり、足の方にある扉の前で止まった。
ガチャリ。突如として生まれた隙間から、外気が流れ込んでくる。扉が歪な音を立てながら開いていく。カツ、カツと、停止していた足音が再び鳴り始めた。
そこで、トゥールは疑問を抱いた。クラウスが、自分に何の言葉も掛けず部屋に入ってくるだろうか、と。礼儀だとかの範疇ではなく、自分の存在を繋ぎとめるみたいによく喋る彼に、無言は似つかわしいのだ。だから、自分に何かしら声を掛ける筈なのに――嫌な予感に、心臓が早鐘を打つ。
もしかしたら、自分が眠っていると思って、クラウスなりに気を遣っているのかもしれない。そう考え直し、暗闇の中で彼のシルエットを視認した。
だが、クラウスの姿が突然消えた。ワンルームの空間に、唐突に静寂が生まれる。トゥールはサーモグラフィーでクラウスの所在を認識した。彼はこちらに近付いてきている。その足取りは不自然なほどに迷いがない。
逃げなければ。
考え付いたのではない。本能がそう叫んだ。トゥールは痛む身体を動かそうとした。しかし、それはかなわない。クラウスがトゥールの上に馬乗りになったからだ。
――刹那、迸る『殺意』が牙を剥く。
クラウスは、雷光にナイフを閃かせ、それを振り下ろした。
トゥールは左手で彼の手を掴む。刃先は喉笛の上で止まった。それでも尚、ナイフを握る男は力を緩めない。刃は徐々にトゥールの喉に迫る。ナイフと皮膚が零距離になった瞬間、彼は右手でクラウスの襟を掴むと、乱暴に彼を引き剥がした。
クラウスはナイフを持ったまま床の上を転がる。だが直ぐに起き上がり、上体を起こしかけていたトゥールに再び覆い被さった。鱗を纏った右手首を踏み付けて床に固定し、空の手で、獲物の頭部を押さえ付ける。そうすれば、皮と肉だけの首が剥き出しになった。ナイフを振り上げる。トゥールは左手で鉄の刃を鷲掴む。そして無理矢理奪い取った。
コイツの首を掻き切ってやる。
衝動だった。赤黒い感情が、トゥールの身体を支配する。彼の手がクラウスの首を捕える。しかしクラウスの皮膚に触れた瞬間、いつもの、切なげな笑顔が脳裏をよぎった。するともう駄目だった。男の皮膚は冷たかったが、確かに脈打っている。血が流れている。その事実が胸を締め付けた。
クラウスは首にかかる手を振り払う。その所作は忌々しげだった。そして何処からともなく、もう一本のナイフを取り出すと、また振り下ろす。今度は間に合わず、トゥールは鱗で鎧装した腕で、何とかそれを受け止めた。
硬い鱗だ。どんなに押さえ込まれても、ナイフは腕を貫かない。クラウスは刃先を少し動かし、鱗と鱗の隙間にそれを捻じ込んだ。冷たい汗が噴き出す。彼は刀身を斜めにすると、肉と鱗の間に更に捻じ込む。それから、刃を垂直に起こし始めた。
「う゛、あ゛……ッ」
全身が粟立つ。体温が急降下する。それでいてナイフが突き刺さった部分だけが、溶解した鉄を注がれたように熱く、激痛で痺れる。みちみちと音を立てながら、鱗が剥がれていく。
息ができない。酸素を取り込もうと口を開くが、荒い息が吐き出されるばかりで吸うことができない。その間にも、痛みは酷くなっていく。気が狂いそうだ。眼前のソイツが、クラウスであると自覚すればするほど、何かが瓦解の音と共に崩れていく。クラウスの表情は陰になって見えない。
雷鳴。建物を震わせるそれは、怪物の咆哮のようだ。光が闇を裂き、二体のバーコードを照らし出す。雷光を浴し、クラウスの顔がやっと明らかになる。一瞬だけ見て取れたそれは、一瞬にして目に焼き付いた。異様なものだった。
クラウスは笑っていた。哀愁も人間らしさもかなぐり捨てた、純粋な恍惚ばかりがそこにはあった。口は三日月形に歪められ、琥珀な眼は満月のように見開かれ。喜悦に吊り上がった頬は紅潮していた。乱れた息は湿っている。彼の眼は、はたしてトゥールを見ていたのだろうか。トゥールの姿形を捉えていても、恐らくトゥールだとは認識していない。トゥールは――クラウスの数少ない共有者は、彼の下で、殺害対象の一つに成り下がっていた。
仕方ないことだ。クラウスに巣食う、紅蓮バーコードのシステムが、彼ではない彼を作り上げているのだから。それでも、自分に刃を向けるソイツは、クラウスと同じ顔をしていて。
一層、刃が突き刺さる。身体に、だけではなかった。
血が溢れる。赤い雨がトゥールの面に降り注ぐ。トゥールは、自分のものとは思えないような声を上げて、左腕を振った。ナイフが肉を抉る。苛烈な痛みが走る。
刃物を奪い取られ、クラウスは怯んだ。もう何も持っていないらしい。そのまま首を締めようとする彼の頭を捕え、片脚で腹を蹴り上げた。力が緩んだところで、細い身体の下からすり抜ける。
腕からナイフを抜けば、大量の血が流れ落ち、指先までも濡らした。鉄の匂いが鼻腔にこびり付く。強い匂いに、毒々しい真っ赤なそれに、眩暈がした。
クラウスは武器を持っていなかった。丸腰の彼にトゥールは殺せない。放っておけば、またいつもの、陽気を取り繕った彼に戻る。だがトゥールは、ナイフを投げ捨て、至近距離で相対していたクラウスの腕を引いた。骨の固さが直に伝わってくるような、貧弱なクラウスの腕。それを折った。
酷い悲鳴を聞いて、全身の鳥肌が立った。何故だかそれは、耳に心地良かった。
トゥールは、クラウスの頭を床に押さえつけた。端の吊り上がった口から、ちろりと、二股の舌が覘く。血のように赤い。どうした、まだ三本残っているぞ。あらぬ方向に曲がった腕を潰さんと強く握り締めて、トゥールは低い声で囁いた。
クラウスは床に額を擦りつけて呻く。やがて、その声が嗚咽らしきものに変わったかと思うと、彼はやっと言葉を発した。
やめて。お願いだから、もうこんなことしないから。やめてくれ。痛いんだ。ねえ、トゥール――。
まるで子どものようだった。トゥールは、はっとして彼を押さえつけるのをやめた。上から見下ろす背中は、心なしか小さく見える。自分は今、何をしようとしていたのか。いや、何をしたのか。意味もなくクラウスの腕を折った。傷付けたのだ。
自分の中に、クラウスのモノと変わりない『殺意』が芽生えていた。やっと自覚した。
共有者に殺意は抱かない。大切にしているなら、それを壊すなんてしない。それが普通だ。結局、自分はバーコードなのだ。どんなに足掻いたところで、それを思い知って終わる。失敗作はこんなにも容易く他を害す。
だから消えてしまいたい。
クラウスは起き上がらない。うつ伏せのまま息をしている。やっと呼吸が整ってきたところだった。トゥールは彼の隣に頽れた。絶えず流れ続ける雨音が、ノイズのように聞こえる。もう何も、考えたくなかった。
二人分の呼吸が床を這っていた。やがて、クラウスが掠れた声で言った。
「トゥール……生きてる……?」
トゥールは返事をしなかった。瞼をゆっくりと開くだけだった。目線の先に、クラウスの顔がある。隈の目立つ、幼さを残した顔。見たことのない表情をしている。トゥールは、それを形容できる言葉を知らない。トゥールが生きているのが分かると、クラウスの目から雫が一滴零れ落ちた。赤色ではない。清く、透明な雫だった。
よかった。クラウスは声もなく、そう言った。トゥールがそこで息をしているだけで、クラウスはきっと、生きていられる。彼等の延命装置は、壊れかけのまま作動を続ける。全く、邪悪な呪いだ。
トゥールは目を瞑った。この傷も、明日の朝にはまるで何も無かったかのように、殆ど治っているだろう。
雨が降る。雨足は依然強く、止む気配を見せない。そう言えば、今日殺した一人目のバーコードは、雨雲みたいな暗い灰色の目をしていた。だからどう、と言うことは無いのだが。その色は、いつまでも自分の中に残りそうな気がした。
もう、全て流れてしまえばいい。呪いも、灰色も、自分の存在すらも。
口にすることはできず、外の世界の音を聞き続けた。
***
複雑ファジーで連載している『アスカレッド』の作者、トーシさんによる二次創作です。トーシさんは比喩表現とか描写が大変好みな作品を書きますし、特にアスカレの色彩の描写の美しさがめっちゃエモなのでURL載せましたので、興味があればどうぞ。イラスト掲示板にちょいちょい載せてらっしゃるイラストもめっちゃ上手い人です。
多分2016年頃(つぎばのNo.02が公開された頃)に書いていただいたので、解釈とかその頃のものになってる感じですね。
ちなみにこの二次創作が嬉しすぎて私が書いたものが>>2のSSになります。
また、トーシさんの二次創作作品、クラウス視点のアンサーストーリーを次回載せるのでお楽しみに。