複雑・ファジー小説
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.37 )
- 日時: 2021/02/13 19:21
- 名前: ヨモツカミ (ID: LHB2R4qF)
「あ、良かった。見つかったぁ」
ニイッと口角を持ち上げて笑ったその男は、黒ずんだ歯を露わにした。煙草のせいなのか不衛生ゆえのものだろうか、汚れて欠けてすらいるその様相にジンは顔を顰めた。痩せこけた顔にはクラウスのものよりも濃い隈を浮かべており、無造作に切られたぼさぼさの黒髪が、雨の中だと言うのに跳ねていた。
力に、血に、殺戮衝動に飲み込まれたバーコード。その苛烈な性格と、彼らの通った道の跡が真っ赤に染まることからだろうか、そう言ったバーコードの胸の印は赤く染まる。紅蓮バーコード、この世にある兵器の中で最もおぞましいと言っても過言ではない。
さっきから次の獲物が全然見当たらなくて退屈していたんだと、その痩身の男はジンに呼びかけた。
「さっきね、二人もいたの。結局逃げられちゃったけど今頃死んじゃったんだろうなぁ」
聞いてもないのに語りだす。先ほどどれほど愉しいことがあったのかを、丁寧に。それはまるで自分自身先ほど楽しんだ悦楽を反芻したいと思っているかのようで。誰よりも自分に言い含めるようにして彼は興奮で身を震わせながら言葉を紡ぐ。
見たことない二人組がいたから急に興奮してテンションが上がってしまった。血を欲してやまないのにここのところ誰とも出会っていなかったため、欲求不満であったのだが、それまでの我慢を認めてくれたのか一度に二つも玩具を見つけることができた。
玩具。そう聞いて、痛くて苦しそうにしていた、その顔をジンは思い返していた。瞼の裏に交互に、金色の光が弱弱しく輝く様子と、大けがを負ってまでも自身よりジンのことを心配してくれた男の血に塗れた腕。瞬くように立ち替わる二人の顔。激しい怒りに、網膜がチカチカする感覚。
気が付けば、少年はその男に飛び掛かっていた。
「お前が、二人を!」
「あっ、何だお仲間? じゃあそう言ってよ」
そしたら早いところ同じところに送ってあげたのに。さっきまで退屈そうにしていた男が、心底面白そうな屈託の無い笑みを浮かべた。狂ってやがる。やはり紅蓮に属する連中はイカれた奴しかいないと、ジンはその事実を再認識した。
男はと言うと、怒りに呑まれた少年とは違い、楽しそうながらも心底落ち着いた声音だった。目の前の玩具を弄ぶのに、最大限活用できる方法は何であろうかと思案している。さっきの連中は後ろから貧弱そうな男を斬って、それを庇うように動くもう一人をいたぶった。弱者を蹂躙する征服感は得られたが、達成感のようなものは何も得られなかった。
だが、既に我を忘れるほどの激情に突き動かされるこの少年はそいつらとは違い、その抵抗を目いっぱい楽しんでから捨てようと決めた。
深く考えることもできなくなるほどに猛る少年は、一秒でも早く殺してやると言わんがばかりに真正面から突っ込んだ。猪突猛進、その言葉がよく似あう。
出会うより前から握られていた真っ黒なナイフを、少年は男へと投げつけた。右腕を振るい、一直線に飛ぶナイフを払いのける。甲高い金属音と共に細身のナイフは地に叩きつけられた。
お返しだと、男は少年の顔の真ん中向かって鋭くその剣を突く。小柄な癖して戦い慣れしているのか、素早い動きでそれを避けた。懐の内にジンが潜り込む。だが、その小さな体で何ができると、隈の後が目立つ目で弧を描いて、嫌らしく笑って見せた。
しかし直後、またもや少年はその手にナイフを握りしめていた。先ほどと同じ形、大きさの黒い短刀。それが己の眼球目掛けて迫っていることに、男はすんでのところで気づく。
一閃、辛うじて顔をずらした男は、頬の肉を数ミリ抉られた程度で済んだ。ただしそれでも焼けそうな痛みが顔の上を走る。どろりと血が流れ出て、降り注ぐ雨と混ざり合った。
舌打ちを一つ、する余裕すらなくて。突き出された短刀、引き戻す際に再び男に牙を向く。手首を返し、刃が首元の方へ向いたナイフをジンは斜め下に引き抜くように手元へ戻す。一歩後退したその男、首の薄皮一枚だけを切り裂く。
容赦はしない。引き戻すやすぐに突く。目に次いでは首、首に続いて心臓向けて突き刺す。刃先が皮と肉とを裂いて臓腑まで達しようとするところを、左腕で何とか男は防いだ。ナイフを握るその腕を掴み、まだ幼いその子供を膂力で抑え込む。痩せ気味とはいえ、それでも子供の体をしたジンよりもずっと力は強かった。
刀を振り上げてもなお慌てない少年の様子を男は訝しんだ。もう後はその首刎ねてやるだけ、そう思ったのに。少年は何も持っていない左手の人差し指と中指とをピンと伸ばしていた。まるで何か細長いものを二本の指で掴んでいるようにして。直後見たことも無い真っ黒な粒が伸ばした二本の指の合間に現れ、収束する。もう二度も見た黒いナイフ、その三本目が不意に目の前に現れたのだ。
尽きぬ刃、これこそが少年の持つ能力かと、男は理解する。自分が剣を振り下ろすよりもさらに早く、そのナイフの刃が、噛み付くように男の首筋へ。
仕留めた。そう、ジンは思った。
しかし、その刃は届かなかった。否、届きはした。しかし男の喉元を貫き、裂くこと能わなかった。何事かと思いナイフを引き戻してみる。一瞬、男の肌に緑色の鱗のようなものが見えた。不味い予感がし、跳び退く。
「何をしたんだ、お前」
「やーだ、教えない」
煽るような言い方。ふざけやがってと、ジンは奥歯を砕けそうなほどの力で噛み締めて。
冷静さを欠いた彼は気づくことができないままだった、先ほどの鱗が常日頃見慣れたものであることに。右手の五指を余すことなくピンと伸ばして、それら全ての隙間に漆黒の刃を生成する。爪のように伸びた四本の刃が一斉に宙を駆け。
肩や腹などを同時に狙う四本の刃、それをたどたどしいステップで避けた男。油断しきったその姿に、左手でも作っておいた四本のナイフを投擲した。
両肩に一本ずつと腹に二本突き刺さる。苦しそうに呻いた男がよろめいた。ざわざわと、男の髪の毛が揺れる。顔を伏せ、うずくまった男を無様だなと鼻で笑った。
いい気味だ。さっきのはまぐれに決まってる。一気に勝負を決しようとまた新たなナイフを両手に一本ずつ作り出す。これで喉と心臓とを裂けば終わり。
「うぅっ、いてぇ……いてぇよぉ……」
嗚咽の声。そうだ苦しめ。泣いて、喚いて、痛みに怯えて、自分のしたこと悔いて死んでしまえ。
詰め寄るジン、顔を上げた敵。振り下ろされる二つの刃が、突然空中でぴたりと止まって。
いつの間にか、目の前の男の髪は、ぼさぼさの黒ではなく、真っすぐな見慣れたものとなっていた。目元に浮かぶ隈はその男本来のものと比べると幾分か薄くなっており、気がふれたような顔は、見慣れた陽気なものとなっていた。
下卑た笑みではなく、見慣れた心安らぐ笑み。その顔は、どう見ても。
「クラ……ウス……?」
「何で、こんなことすんだよぉ……」
痛みに怯え、泣く姿。生きててもいい事なんて何もないのに、死にたくないってもがく姿。どこからどう見ても命乞いするその姿は少年もよく知る彼に見えてならなくて。
ナイフを突き立てることができなかった。手が止まる。胸元のバーコードは、ちっとも緑色なんかしてなくて、全部真っ赤に染まっていると言うのに。右腕が鋭い剣となっていると言うのに。
不意に現れたクラウスの姿に、ジンの頭はパンクして、ぴくりとも動くことができなくなった。
一閃、雨降り薄暗いその視界を、灰色の線が走った。視界が段々傾いていくのが分かる。首を落とされた自身の胴体が見えた。直後、その胴体も再び振るわれた剣によって腰のあたりで両断される。
「あーっ、馬鹿をだますのってやっぱサイコー」
こいつの能力は変身だったのかと、察す。右手の剣は手首から先を剣に変身させたという事か。肺から空気も届かないため、悪態を吐くこともできない。
頭が地面を転がる度に、ジンの目に映る世界もぐるりぐるりと回転した。そして彼の意識は一度、失血と痛みによって死の淵へと沈み薄らいでいく。
聞こえてくるのは、性根の腐った能力者の、下品で粗野な笑い声。こんなところで、そう思いながらも、意識が闇の中に沈んでいくことは、ジン自身にも止めることができなかった。