複雑・ファジー小説
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.38 )
- 日時: 2021/03/16 21:47
- 名前: ヨモツカミ (ID: CjSVzq4t)
三つの肉塊に分かたれた少年、その様子に満足したのか、姿を元に戻した男は恍惚とした表情で息を漏らした。次第に弱まる雨は、男の肌を打ち付ける勢いを失いつつあった。彼が愉悦に満たされるのを祝うように、鉛色の雲の隙間から光が差し込む。寒気を感じるような、湿気に満ちたその町中に光が差し込む。
彼にとっては神にすらその遊戯を肯定されたような気分だった。やはり自分の行いは間違っていないと、歪な笑みを晴れ間に向かって浮かべる。光を失い闇に沈んだ少年の目を見た男は、たった今済んだ歪んだ遊びを脳裏に思い起こし、カタルシスを得る。
最高だ、最高だ、最高だ。今日は何てついている日なんだ。二匹の雑魚をいたぶれたかと思うと、そのおまけにもう一つ玩具が得られた。どれもこれも日頃の俺の行いがいいせいだ。
どうせ死んだだろうし、聞いちゃいないだろう。そう思っても、何となく誰かに語りかけたくなった赤いバーコードを刻んだその男は、転がる少年の首を、髪を掴んで目線を合わせるよう持ち上げた。勝鬨を聞くとしたらお前しかいない。二人の倒れた姿を追い、立ち向かうも敗れたお前しか。
懸命に追ってきたんだろうなと思うと、かわいそうに思えてならない。しかし彼は所詮紅蓮バーコード、かわいそうと思えば思うほど、愉快で愉快で仕方ない。駄目だ駄目だ、そう思っても自然に口の端はつり上がって、目の縁が垂れ下がる。
それにしても、よく追い付いてきたもんだよ。目の前の物言わぬ頭に向かい、賞賛を浴びせる。
「それにしても、よく俺までたどり着いたよなぁ」
その町は元々栄えていた。それゆえ、広い空間に、人なんか簡単に隠してしまう高さの建物が、入り組んだ路地を形成するように立ち並んでいた。せめて自分の進んだ方角くらいは知らなければ出会うことなど無かっただろう。
とすると、誰が教えたというのだろうか。勝利の余韻、そして今度こそ玩具を使いきった寂廖に包まれそうになった彼は希望的な予測を立てた。実のところ、始めに襲った、蛇や蜥蜴のような男と、病弱そうな男の死んだ姿は見ていない。
全身の肌を切り刻まれ、傷から血をボトボト流す彼らは、そのいずれかの能力で透明化した。流れる血は、体表にあるうちは服同様消えるようで、身から離れた途端目に映るらしかった。しかしその場は既に血が水溜まりに滲んだせいで一面真っ赤になっており、どこに潜んだのかまるで分からなかった。かくれんぼは好きじゃない。充分に斬る快感を得た彼は、いずれ死ぬであろう二人など放置して次なる獲物を求めて歩き出したのだった。
もしその二人が生きていたのだとしたら。彼は考える。それゆえこのガキがこっちに来たんなら、その二人は生きているのではないか。バーコードは人間よりずっと傷の治りが早い。人間よりずっと丈夫にできている。今頃は、血が足りないにしても、辛うじて息はあること間違いなかった。
「いいなぁ、いいなぁ。生きてたらいいなぁ、死んでなかったらいいなぁ。二人とも生きてたらどうしてやろうか。あの貧弱そうな男……クラウスってこのガキは呼んでたな。あいつの鳴き声は楽しそうだなぁ。目の前であの蜥蜴男壊しちゃおっか。きっとこいつら仲間想いだから泣くんだろうなぁ。悲しむだろうなぁ。想像するだけで変なとこ元気になってきたなぁ。そういやこのガキ、仲間の姿になるだけで手ぇ止めてやんの、チョロすぎ」
全身くすぐったいような感覚だった。やはり今日は運がいい。楽しむ玩具が再利用可能だとは思っていなかった。エコロジー、俺って何て優しいんだろうとジンの頭を手にしていることも忘れガッツポーズ。固い骨が膝にぶつかり、痛みに舌打ちした。
もうこんなもの要らね、と空き缶を捨てるように放り投げる。
「さーてと、あいつら殺しにいこっと。まぁってってねー」
口笛を吹き、鼻唄をまじえ、上機嫌で歩き出す。少年が元々来た方向にいるのだろうと、そちらへ。
闇の底へと深く沈んだ少年の意識。それはまるで逃げ出せない底無しの沼のようであったが、それは不意に、そして無理矢理に光ある方へと浮上させられた。もう意思なんて死の淵まで追いやられて、後は永劫の無に沈むのみ。そんな所まで至ったというのに、望まぬ生にジンは再び立ち戻される。
弱まり、停止しかけた心臓。それは再び打ち鳴らす力を強くし始め。もう、僅かに痙攣する程度にしか動いていなかった心筋が、全身に血を送るべくいきいきと伸縮する。両断された傷口から溢れた血は、空中でぴたりと静止した。地面の上に雨と混じって散らばった赤い濁流も、その身から溢れた血液だけを精密に分離して、傷口から漏れでる勢いを逆流するように体の中に吸い込まれ始めた。
目から入る光が上手く景色にならず、耳から入る振動は上手く音に変換されなかった。死んだ、そう思ったのに意識がまた浮上して、こうやってゆっくりと鮮明な世界に戻される経験は果たして何度目だったろうか。
こうやってまた生きている世界に引き戻される時、決まって見える顔がある。桜色の髪をした、一人の少女。二人で約束を交わした少女。その約束の期日が本当に来るかは互いに分からない。ただ、二人の存在を永遠にするために決めた一つの約束事。一緒に過ごしていた彼女の笑顔を思い出す。絶望した後、共に悲しさに泣いた夜を思い出す。切なそうに流した彼女の涙、決心したように約束を言葉にしたその声。
あぁ、懐かしいな。まだ声は出せぬので胸の内のみで呟いて。そう言えば、死ぬのはいつ以来か。二人でいた頃は、色んな科学者相手に目の前で死ぬところを見せつけたし、一人でいた頃はよく殺されたものだが、三人になってからはろくすっぽそんな経験は無かった。
彼女と別れたのはいつの事だろうか。誰より大切な人。もしかしたら、自分よりも。
切り離された体が、互いに求め合って、磁石のように引き付けあい、切断面でぴたりとくっついた。傷口なんて元々無かったのではないかと、思うくらいに。後は頭が首の上に乗るだけ、その時だった。
脳裏を過る、もう一つ別の光景。それは、これまで一度たりとも、見たことのない一枚のスライド。どうしてこんなものが。真っ暗だった視界がホワイトアウト、白むその景色の中段々焦点が合うように二つの人影。それが見えたかと思うと、一瞬の後に、目に見える光景は陽光差し込む雨上がりの廃墟に変わった。
どうしてだ。何で、何でお前達がそこにいる。まだ酸素も血も足りていない脳、そのニューロンを以てしてジンが初めに己に詰問したのはそれだった。
朦朧とする意識に、先程の男の言葉が届く。クラウスと、トゥール、二人が生きているかもしれないと見抜き、止めを刺そうとそちらへ向かい始めた。胴体と頭とがくっついて、ようやく世界に焦点が合い始める。追うべき背中は、まだすぐ近くにあった。バラバラになった体は縫い付けられたばかりで今一自由に動きそうにない。倒れ伏した彼は這うようにして前へと進む。
震える手、それを一ミリでも前に伸ばす。あの二人の元へ生かせてたまるかと、少年は躍起になる。ふわふわとした脱力感に包まれ、全然力など入ってくれないというのに。
ほんと、らしくないね。ジンは予想もしていなかった自分の行動を嘆くようにそう呟いた。不死の呪い、それを彼はかけられていた。バラバラにされようが焼かれようが磨り潰されようが、彼は死ねない。いつの間にか殺される前の状態に体が復元されて、生前の姿に戻る。それは、桜色の髪をした、約束の女の子も同じだった。だから彼にとって大切なのは自分が終わりを迎えられることと、彼女の幸せ。願わくば二人揃って死を受け入れさせてもらうこと。
自分よりも幸せになって欲しいと、片時も忘れずに覚えているその姿。だからこそ、死の淵から戻る時もなお、彼女の姿が目に浮かぶ。だと、いうのに。
どうしてお前らの姿が見えるんだ。ほんのちょっとの絶望と、とても大きな困惑、戸惑い。そして幾分かの疑念とに支配される。いつからお前達は、僕にとって大切な宝箱の中に居座っているんだ。心の奥底にしまった目に見えぬ宝箱、その中には彼にとってかけがえのない記憶が、失いたくない人がいて。
あぁ、そうか。ジンは理解した。もういつの間にか、彼らと共に旅だって随分になるということを。彼は納得した、今の自分にとって、彼らと共にあるのが自然だということを。彼は思い返した、傷つき弱った彼らを見て、強い復讐の欲求、憎悪と憤怒にかられる程に、彼らを大切に思っていることに。そして今なお感じていた、あんなゲスに、二人を殺させてなるものかと。
死にたいって口にしたり、幸せになりたいって不幸の中で願ってる。二人とも、生きたいのか生きたくないのか、死にたいのか死を恐れているのか、ちっとも分からない。けれども、生きている。二人とも、懸命に生きてるんだ。幸せになるために、誰のためじゃなくて自分のために。今まで泣いてきた分、これからは笑って報われるために。
まだ二人はちっとも報われてなんかない。だから、死なせる訳にはいかないんだ。全くいうことを聞かない体に無理を言わせて立ち上がる。がくがく震えるその足は生まれたての小鹿のようだった。
「行かせる訳っ……ないだろぉ!」
さっき両断され、ようやく再生した喉。その声さえ引きちぎられそうなほどに傷は深かったが、それでも何とか彼は叫んだ。雨音もしなくなった今、静かな町にその声が響く。全てに濁音を適用させたようなガラガラ声。それでもなぉ、その言葉は去ろうとする男に届いた。
怪訝な目で振り替える。ジンの様子を見て目を丸く見開く。それもそうだろう、殺したと思った子供が、また体を繋げて立ち塞がっているのだから。
「この、出来損ないの三流バーコードが……お前なんかに殺されてたまるもんか、お前なんかに殺させてたまるもんか!」
ジンは死の間際に、クラウスとトゥールの笑顔を見た。日々の食事中に、月を見上げながら、美味しいって言って、楽しいって言って、どんな一等星より眩しく光る二人の笑顔が。
それだけじゃない。クリムゾンだと吐露して、不出来な自分に怯えるクラウス。死にたい死にたいって願いながらも、友の幸せを信じて願うトゥール。二人とも尊くて、二人ともいとおしい。あの二人は僕と違う。殺されたら死んじゃうんだ。だから、絶対に行かせる訳にはいかない。
「勘違いすんなよ。あいつらはいつか僕が殺すって約束しただけだ。まぁ、勝手に野垂れ死ぬまでほっといてもかまわないかとは思ってるけど、お前には殺させない」
その言葉は、まるで言い訳しているようであった。守っているのではない、獲物を横取りされたくないだけだって。
でもこれだけは認めてやると、胸の内に思い浮かんだ二人の顔にジンは声かけた。僕は思っていたより長いこと、お前らと一緒に居すぎたみたいだ。
だから、戦うんだ。