複雑・ファジー小説

Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.39 )
日時: 2021/03/17 19:51
名前: ヨモツカミ (ID: aVnYacR3)

「お前、今殺したはずじゃ……」
「ご生憎。僕は死ねないんでね」

 死なないのではなく、死ねない。終わりない生に絶望したことは一体何度あっただろうか。齢なんて、百を超えた途端に数えることをやめてしまった。どうせ永遠に続くだけ。そうしたら、誕生日なんて虚しくて、何年生きたかもどうでもよくなった。何にも望みが叶わないこの世界で、どんどん我儘になって。背格好だけじゃなくて、人格まで成長が止まっていた気がした。
 死にたくないと願っていた時も、死んでもいいやって思っていた時も、早く全部終わりにしたいと思う今も、何をしてもそれは訪れない。頭を潰しても。心臓を貫いても。細切れにしても。煮ても、焼いても、凍らせても、腐らせても、溶かしても、磨り潰しても。気づいた時には元の姿で目を覚ます。痛みだけはしっかり体に残っていて。

「死なない? さいっこーの玩具じゃないか!」

 今しがた考えていた、クラウスの目の前でトゥールを殺すと言う残酷なアイデアなど忘れて、壊れることのない玩具に感激する。この少年さえいれば、断末魔も、死の間際の絶望も、痛みに無くあられもない声も、全部全部ずっとずっと楽しむことができる。
 さっきは三つに切り分けたから、今度は頭を潰してみようか。そう思った彼は、刃物を形作っているその右手を変形させ、今度は大きな槌を作り出した。金属製の、人間の頭蓋など易々と砕いてしまいそうな代物。バーコードの体でなければ、あの男の細い腕では持ち上げられそうにないほど、巨大だった。
 振り上げ、足元の地面に振り下ろす。威力を確認するように。派手に音を巻き上げ、地面には亀裂が走った。あれで僕を殴ろうってのかと、理解はとっくにしていたが、過激な破壊衝動にジンはまた眉をひそめた。
 だが、さっきよりずっと動きは緩慢だ。そんなもんで、僕に追いつけると思うなよ。ナイフを作り、その手に握る。再生したばかりの肉体が上手く動くか確認して。信号の伝達に齟齬が無いことを確認して、地面を蹴った。
 差し込んだ太陽の光に当てられ、飛び跳ねた水滴がきらきらと戦場を彩る。ばしゃばしゃ音を立てて、飛沫を背後に残しながら、ジンは男へと詰め寄った。
 ゆっくりと、重みで体をふらつかせながら、大きな槌を振り上げて。その重みにそのまままかせるよう、下へと振り下ろす。ブレーキをかけるジン、目の前で、亀裂が入っていた大地が今度こそ砕け散る。夥しい灰色の破片が互いの顔を切るように打つ。血が頬から流れ、線を描いたかと思うと両者すぐに完治した。
 武器を振るったというより、振るわされたといった具合で、まだ身動きが上手くとれない男に畳みかける。
 突いて、引いて、斬って、刺して。黒い刃の残像が、線を描いて駆け抜ける。陽の光を受けて怪しげな光を放ち、次から次へと畳みかける。初めは左手で適当にいなし、ナイフを見極めて回避していた男だったが、次第に面倒に感じて右手の変身を解いた。自分の動きを制限するようなハンマーは消えて、初めのような剣に戻す。
 瞬きですら気を抜けない剣戟。少年が矢継ぎ早に攻め立てる。目を潰そうと、胴を裂こうと、腕を切ろうと、臓腑を貫こうと。突き、斬り返して、迫る刀を受け止めて。右手が塞がる。押し負けそうになりながらも歯を食いしばった。ついで左手にまたナイフを新生。自身の腕が邪魔で切りかかれないが、代わりにそのナイフを弾いた。刀で押し込む男にまた刃が迫る。舌打ちを一つ、よけようとするも頬を切り裂かれ鋭い痛みが走った。
 隙が出来、右腕の剣に込める力も弱まる。押し返し、バランスを崩させた。その喉引き裂いてやる。小さい動作で詰め寄り、その首にナイフを突き立てた。しかし、金属の板に阻まれるような感覚。細く、簡単に破れそうな首の肌を、緑色の鱗が覆っていた。

「トゥールに、変身したのか……」
「ひひっ」

 笑い方は、変身した男そのものの意地汚そうな癖があったが、その声は紛れもなくトゥールのもので。目の前に本物の彼が現れたのかと目を疑うほどに精巧な模写だった。痩せこけていたその顔は、今や精悍なものとなっている。狂喜を浮かべただらしない笑みなどでなく、鉄仮面のような淡白な表情。
 お前ごときが、真似してんじゃねえよ。固い鱗に遮られているのに、無理やりナイフを押し込んだ。鈍くて嫌な音がして、黒刃は簡単に砕けた。それと同時に、男の首元の鱗もひしゃげた。しかし、変身の異能の重ね掛けにより、怪我をする前の状態にまた戻ってしまう。
 鋭い爪を持つ、トゥールの右手が振り上げられて。血濡れた黒光りする尖爪がジンを襲う。跳び退くと、先ほどのように大地を砕く重撃が一つ。さっきよりずっと機敏な動きだと言うのに、同じような威力だった。筋力までマネできるのか。トゥールの強さはジン自身もよく知っている。それゆえこれは厄介だなと感じた。
 だが、攻撃が通らない訳では無い。鱗一枚とナイフ一本、それぞれ等価交換で突破できる。こちらのナイフも、あちらの再生も無尽蔵。だったら、先に根性負けした方の負け。僕は不死身なんだ、負けるはずなど無いとジンは意気込んで。
 また両手にナイフを生み出す。迫る爪に、体を翻すようにして回避し、また自分のナイフが届く位置へと潜り込む。
 切りかかり、ナイフが砕ける。しかし同様に、相手の表皮の鱗も弾き跳んだ。もう一回、そう切りかかった途端、腹部に強い衝撃。後ろに引きずられるようにして、地面を転がる。男が足裏で突き飛ばすように蹴っていたのだ。肺から無理に息が逆流し、苦悶の表情をジンは浮かべる。だが怯まず、右手に四本のナイフを生成。少年が腕を振り、男に向かって一直線にナイフ達が走る。
 ナイフでは貫けそうにもない腕に阻まれて、弾き返されたナイフは空中で回転しながら地に転がる。それでもその隙に跳びかかったジンは、その顔目掛けて蹴りを放った。跳び上がった少年の足が、相手の首を刈る勢いで空を切る。そんなもの喰らうものかと、腕で男は受け止めようとした。
 かかったなと、ジンは足の先にナイフを一本生成した。そのままその柄を蹴り飛ばし、ハンマーで釘を打つように鱗に守られた腕に対し深々と突き刺した。今度はあまりに打ち込む力が強かったのか、当たり所が良かったのか、肉まで貫いたその傷からは男の血が溢れ出した。
 油断していたところに傷を負い、情けなく、声にもならない悲鳴を上げて紅蓮バーコードの彼はのたうち回った。
 ジンはそこで慢心しない。甘えないし、躊躇もしない。振り上げた足を踵から、相手の顔面目掛けて振り下ろす。トゥールの姿をしていても、もう躊躇しない。この男は全くの別人なのだから。踵のところには先ほどと同じように、相手に深々と刺し込むためのナイフが一本。
 男は、頭で不味いと判断すると同時に、もんどりうって転がりながらなんとかそれを避けて見せた。コンクリートの地面に打ち付けられたナイフはほんの少し切り傷をつけた後にむしろ自身が砕けてしまう。
 転がりながら、何とか地面に座り込むようにして後退し、ジンと距離をとる。開いた掌をジンの方に突き付けて、待ってくれと泣きそうな声で懇願した。

「待ってくれ、こ、殺さないでくれよ」
「何で?」
「お、お前の仲間の顔してるじゃねえか。無理だろ、そんなの。外道にも程があるだろ」
「知らないよ、僕はいつか殺すってあいつらと約束してるんだ」
「な、仲間が死にたくねえって言ってんだぞ、お前……何考えてんだよ」
「君さ、知ったような口聞かないでくれる?」

 殺意を隠すつもりのない少年が、男の方へとにじり寄る。一歩、また一歩。その様子に怯える男。トゥールの姿をしたまま、涙を流し、恐怖に顔を歪めて、許してくれ、殺さないでくれと懇願する。
 出会った頃の彼の様子をジンは思い出していた。屋上での彼との対話、旅路に出た頃の記憶。彼と交わした言葉を、逐一再生するようにして思い返す。何、これまで生きてきた百年と比べたら思い出すのにさしたる苦労は無い。

「そうだね。……確かに最近は、死にたいだなんて、殺してくれだなんて言わなくなったかな」

 でもねと、ジンはより一層眉と眉との間の皺を深めて、怒気のこもった眼光で男を睨む。その姿でそんな泣き言を漏らすのは自分が許さないと言わんがばかりに。
 先ほどのトゥールの目を思い出す。傷ついたクラウスのことを、自分のこと以上に心配していた。それは、彼がクラウス想いだと言うことも大きいのだろう。けれども、彼にとっては彼自身のことが、まだあまり大切に思えないのだとジンは気が付いた。クラウスの手当てをしている時にはジンに感謝するようであったが、自分の手当てをしているジンを眺めている時、彼はあまり嬉しそうにしていなかった。

「それでもね、あの死にたがりの大馬鹿野郎は、命乞いなんて絶対にしないんだよ!」

 だからお前はトゥールじゃない。断定する少年の声が、晴れ渡った廃墟に響き渡った。
 ジンが指をパチンと鳴らす。軽快な音がコンクリートの瓦礫だらけの空間にこだまして。直後、黒い粒が大量にジンを取り囲むように現れた。それら全てが、ジンの周りをぐるぐると回って。時計の針が円周の外を指し示すように、ジンを中心として数十本の黒いナイフのが切っ先を外側へと向けてジンの周囲に円形の列をなす。
 無造作にそれらの短刀を、両手合わせて八本握りしめる。右で投げ、左で投げ。瞬く間に、鱗で守られていない胴体に、八本の刃がダーツみたいに突き刺さる。尻餅をついたままの男は避けることなんてできなくて。ただ、刺されたと知覚してすぐに、苦悶の表情を浮かべるのみ。
 ナイフを掴んで、投げて。取って、投げて、また大量に錬成して。投げて投げて、取って投げて取って投げてをひたすらに、飽きることもなく繰り返す。高速で宙を走る黒い一直線は、留まることなく二者の間を走り続ける。
 立ち向かわなければ。このままだと死ぬと判断した男は、恐れ戦き震える手足を奮い起こし、立ち上がる。
 だがそれでも、ジンの猛攻に為す術は無いに等しい。一秒ごとに、己の体に突き刺さる牙が増える。爪に裂かれたような切創が無数に生まれる。両肩は待ち針をさされた剣山のようであり、その腹部は背と腹を入れ替えたハリネズミのようだった。ハリネズミと違うとしたら、その先端が全て自分の肉を貫いていることだろうか。
 全身に裂かれるような痛みが走り続ける。頬の肉も抉られ、左の眼球にも突き刺さる。どうせ傷は塞がる、まずあのガキを殺すべきだ。腕と首にはナイフが刺さらない。そのため、その腕を振り回して次々飛び交う黒い短刀の雨の中を直進した。弾かれたナイフが何十本と周囲に飛び散る。
 たどり着いた。そう思ったのはその瞬間だけで、身を包むような殺気に背筋を冷やした彼は、誘い込まれたと言う事実に気が付いた。さっきみたいに、少年の周りを囲うようなナイフのストック。そしてさらにその外を走る、数百本のナイフのストック。ここはもしや、奴のテリトリーっではないか。男がそれを察したのは、あまりにも遅く。
 少年の握りしめた刃が振り下ろされて。それが首元の鱗を一枚剥ぎ取る。短刀も刃が欠けて使い物にならなくなるが、ジンはもうそのナイフを使い捨てて、次のナイフを取っていた。そんなの観察する暇など与えないとばかりに、左手側の刃が走る。また一枚、鱗と欠けた黒の欠片とが飛んで。
 何とか折りたたんだ腕で覆うようにして急所を護る。だが、そんな彼をあざ笑うかのように、腕の上を鱗が一枚一枚抉られる激痛が走り続けた。付け根から切り裂かれる感覚、貫いてそのまま引き抜かれる感覚。鱗が剥げたその隙間から肉に刃が差し込む感覚。不純物を挿入され、新たな変身ができなくなる。もうそこには、新たな鱗は生成できない。欠陥品の自分の能力が恨めしい。

 斬られた鱗がまた一枚飛んで。
 貫かれた鱗がナイフに刺さったまま捨てられて。
 裂かれた鱗が瓦礫のように破片をまき散らし。
 刺された肉からは真っ赤な飛沫が視界を染め上げるように舞い散った。
 そんな彼の様子を見て、ジンは一切手を休めない。ひたすらに、ナイフを取り、仇へと振るい、用が済んだものは捨てる。そしてまた新しい刃を手に取って。斬り、突き、刺し、貫き、次々と男の鎧を剥ぎ取り丸裸にしていく。
 斬って裂いて切って裂いて貫き刺して切って貫いて。斬って斬って刺して貫いて刺して裂いて裂いて刺して。

 最後の賭けだと逃げようと背を向ける男。血の雨をまき散らすその足に投擲したナイフ。冷淡に貫かれたその足は、腱を斬られてそれ以上歩けなくなる。

「まだ、終わってないよ」