複雑・ファジー小説

Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.40 )
日時: 2021/03/21 16:40
名前: ヨモツカミ (ID: pNKCfY7m)

「まだ、終わってないよ」

 幾百幾千、数え切れぬほどに広がったナイフの行列。それはこれから死に行く一人の男に群がる、一足早い葬列のようであった。脚を潰されようと這って逃げようとするその眼前に、黒い影が走る。突き刺さったナイフは、手の甲に突き刺さる。鱗が剥げ落ちてもいないのにいとも容易く貫通した。
 意志で負けた彼の表皮が脆くなっているのか、それとも数々の素行に腹に据えかねた感情をジンが刃に乗せたのか。あるいはその双方かもしれない。いずれにせよ、もうこの瞬間には勝者と敗者は明確に決していた。逃げ惑う術さえ奪われた男は、死神が迫るのをただ待つのみ。
 先ほど胴を切り裂いたその時、少年の服も同様に両断されていた。脱げかけの、はだけたその服から彼の胸元が露わになる。そこには、異質なバーコードが刻まれていた。
 欠陥無い、海のような群青色をしている訳では無い。欠陥品の、錆びた青銅のように緑に侵されてもいない。理性を焼き焦がすような朱にも染まっていない。ただただ、全てを飲み込むような漆黒。真っ黒なバーコードが刻まれていた。
 近頃バーコードの間で流れている噂の事を、恐怖で顔をひきつらせたその男は思い出していた。バーコードを殺し、世を徘徊する謎の能力者、その胸には紅蓮でも群青でも翡翠でもない、漆黒バーコードが刻まれていると。
 端的に男は『死神』と呼ばれた存在を頭に思い浮かべていた。

 逃げることなんて、もうできなくなっていて、命乞いすら聞き届けられない。返り討ちにしようにも、この男は死ねないとまで言い出すではないか。もし彼が不死身でないにせよ、今更逆転できるとは思えなかった。
 ぼろりと、腕全体と、そして首元から鱗が零れ落ちた。春先、屋根の上に積もった雪が崩れるように、次々と少しずつ剥がれていく。不完全な変身能力は彼の心が折れると同時に、解けてしまった。
 むき出しになった肌は、静脈が浮き彫りになったかのように青白かった。その上を覆うように、だらだらと傷口から鮮血が。

 太ももにナイフが突き刺さる。また鋭い痛み、そして苦悶の声とが。
 左下腹部をナイフで裂かれる。内臓に流れ込む血液が勢いよく噴き出した。
 肩の肉が削げ落ちる感覚。体温がその肉ごと奪われていく感覚。

「君は虎の子を踏んだんだ」

 前腕大腿手の甲左頬、脛に頸動脈ふくらはぎ。目にも止まらぬナイフ捌きで、身の丈程の肉塊を捌くようにジンは刃を振るい続ける。ナイフについた血の一滴が、宙を舞って。傷から噴き出た血潮がジンの体を濡らした。胸元のバーコードが血を浴びなおも真っ黒に主張し続ける。
 それはまるで、どれだけ血を浴びようとも前に進むと決めた、少年の決意のように揺るぎなく。
 解体は進む。斬って切って斬って切って、刺して貫いて切って引き裂いて刺して裂いて貫いて刺して刺して刺して刺して刺して刺して刺して。表皮と言う表皮全てを埋め尽くすように黒刃にその細い体は包まれた。

「もう、殺してくれ……」

 呆れるほどの痛みと、己の体液とで赤一色に塗りつぶされた視界。全身隙間なく襲い掛かるような焼けるような熱。それら全てに嫌気が差し、彼はいつしか終焉を願った。
 それに比べジンはと言うと淡々としたもので。

「言われなくても」

 たった一言。
 両の手に握りしめた二本の刃で、その喉を一息に両断した。二つの刃の先端十センチほどが喉ぼとけ深々と切り込んで。中心から外側へ切り開くように二閃。気道も食道も巻き込んで、ぶらりと頭が垂れる。
 そしてその胸元のバーコードを、数本のナイフを束ねて一息に抉り抜いた。弱弱しく打ち鳴らされていた拍動、それも心臓を貫かれれば儚くも止まってしまう。
 全身脱力、人形のように生気が抜かれたその体は、命と言うエンジンが取り除かれて、おかしな体勢で地面の上に広がってしまった。
 これで終わり。虹彩からは光を失い、肺が膨らむことも心筋が伸縮することもなくなった死体を見て思う。終わりがある、それだけで君はずっと幸せだったよと。
 確かにいつか終わりが来ると言うのは、悲しいことなのかもしれない。風に揺れるクラウスの髪を思い浮かべつつ、ジンはそう思った。
 けれども、終わりがない絶望も知るべきだ。血だまりに溺れて、死体の山に囲まれて、けなげにも笑う少女の横顔を思い出した。その髪は、綺麗な桜色をしていたのに濁った血の色に染められていた。
 また汚れちゃったよと、笑うその顔の裏で、君はどれだけの数泣いたのだろうか。それはきっと、少年が彼女を慮った回数と同じだろう。
 仇は討ち、踵を返す。二人の所に帰ろうって。振り返れば、虹が見えた。虹の下には宝物があると言う。向こうに行けば彼女に会えるだろうか。そんな感傷的なことを、柄にもなく考えたりなんかして。
 自分のことをセンチだなんて嘲った、そんな時に足音が重なったまま響いてきて。目の前にある曲がり角、七色の端の根元と重なるようなところから、ひょっこりと人影が二つ。
 よろよろと、痛ましそうな足取りで、血色の悪い青年二人が現れる。片割れは日頃から悪い顔色をさらに白くして、もう一人はいつも感情に乏しい顔をさらに疲れさせて。

「虫の息の怪我人が、何してんの? 死にたいの?」

 折角助かったくせに。ぶっきらぼうにそう吐き捨てる。先ほど叫んだ声が聞こえてたりなんかしたら堪ったものではない。
 苛立たしさを滲ませ、細めた目で二人のことを睨みつける。睨みつけた相手の瞳は、悲しそうに揺れていた。
 クラウスが「血……」、そう口ずさんだため、ジンは全身くまなく鉄臭くなってしまった事実をようやく把握した。これだけ血を浴びたのは久々だったか。
 クラウスが歯を噛み締めて、口角を下げる。眉を八の字にして、それはまるで恐れているようであった。
 いつか自分たちを殺すと言った男が、こうやって血を浴びてたらそりゃ怖いよなと、自嘲し、苦笑する。怖がらせてしまったその事実が、今度は彼の胸を抉ってきたようだった。
 怪我したばかりであいつらも大変だ、近づかないようにしてやるか。少し体でも洗おうかと去ろうとして。動き始めたその歩みを遮るようにクラウスは目の前にやってきた。
 そしてそのまま、小柄な少年を包むように抱きしめた。頭のてっぺんから腰の辺りまで、美術品の品質を確かめるように手を用いて丁寧にその体を確認した。
 クラウス自身の血で汚れて、茶色いしみが大きくついたシャツの上に、また乾く前の真っ赤な塗料が。

「怪我してないか? 痛いところとか無い?」

 慌てふためくその様子に、彼は恐れているというよりも心配していたのだということを理解した。たった一人で危険なバーコードに立ち向かうと決めた少年のことを。
 いやきっと、恐れていたのだろう。ジンが怖いって、痛いって泣いて……もしくはどこかに行ってしまうのではないか、そう思って。
 全身が熱くなる予兆を少年は感じ取って。それを悟られるのが嫌で嫌でどうしようもなく、抱きしめてくるその男の事を突き飛ばした。

「ばっっっっかじゃないの!? ねえ馬鹿なの? 馬鹿なんでしょ? 僕を誰だと思ってんだよ」

 実のところ怪我もしたし、斬られたところは痛かった。けれど、そんなものもう、全部どうでもよかった。

「照れんなって。お前が無事で俺たちも嬉しいぜ」
「なっ……その言い方、まるでクラウス達が無事で僕が喜んでるみたいじゃないか!」
「だぁから照れんなって」
「うっさい、ばーか!」

 陽気な昼下がりに、からかうクラウスの声とジンの子供っぽい罵倒が響き渡る。
 すぐそこにしたいがあるってのに呑気なもんだと、トゥールは嘆息した。

「絶対認めないからな」
「何が?」

 ジンが何を否定したのか分からないクラウスは、無邪気に尋ねる。しかし、そっぽを向いた少年が答える様子は無かった。

 虹のかかるその足元から現れたからと言って。

 受け入れがたい己の想い、それを吐き捨てるように胸の内に呟いて。
 誰の耳に届くことなく彼の心の奥底に沈んでいく。

 お前らが宝物だなんて、決して認めてやるもんか。

 背を向けたその少年が、そんな事ぼやきながらも穏やかな笑みを浮かべていたことを、誰も知らない。
 これはいつか、訪れるかもしれない、三人の物語。


***
ひがさんに頂いた二次創作でした。良い。