複雑・ファジー小説
- Re: AnotherBarcode アナザーバーコード ( No.44 )
- 日時: 2021/08/15 19:25
- 名前: ヨモツカミ (ID: oKgfAMd9)
「ねえ、ヴィトロ。愛してる」
十九歳になったある日。
「愛してるわ。ヴィトロ。アナタはどう?」
そんな言葉が、彼を壊した。
何気なく言ったわけではない。共に過ごす日々の中で、抱いた感情に答えが出たから。
「愛してるから、アタシを同じように。いいえ、それよりもっと深く。ずっと強く。誰よりも」
様子がおかしいのはなんとなくわかった。これはいけない、ということくらいわかった。
警告音が鳴り響いていた。わかった。このまま続ければ壊れるのだと。
「アタシを、愛して」
バン、とわかりやすい打撃音と衝撃。
ヴィトロが、暴走した。
その華奢な体で暴れ周り、止めようとする研究員を薙ぎ倒し、逃げ惑う誰も彼も暴行して。
「駄目! ヴィトロに手を出さないで! ヴィトロに何かするなら殺すわよ!」
ヴィトロを止めるための銃声。打撃。それでも藻掻いて、彼はボールペンなんて頼りない武器を一本片手に、研究員たちを襲った。バーコード相手に無力な人間は薙ぎ倒されて、渾身の力で突き立てられたボールペンに眼球を抉られて、動かなくなる。血が滲む。
「……ああ、ヴィトロ。そうよね、憎いのでしょう? 人間なんて、大嫌いなのでしょう。いいわ、アタシを殺してよ。アナタに殺されるのなら、本望よ」
後ろから優しく抱きしめた体。心臓が激しく鼓動していた。
ヴィトロはメルフラルを見た。大きな瑠璃の瞳が、自分だけを写している。ヴィトロの中には、自分だけがいる。そんなふうに感じて、思わず笑って。
「……めるふら、る。いき、テ」
言いながら、ヴィトロはショートした。回路が焼ききれて、ぐにゃりとその場に転がった。焼ききれた? 焼き切ったのではないか?
「──なんで」
ヴィトロはもう動かない。その瞳にはもう何も写ってはいなかった。
「ヴィトロ……ねえ、ヴィトロ……」
ああ、そう。
「アナタもアタシを、一人にするのね」
愛してほしいって思うのは、そんなにいけないことかしら。
動かないヴィトロを取り押さえる研究員達。ヴィトロからメルフラルを遠ざけようと腕を引くヒト。放心して、諦めたような気持ちになったメルフラルは、自嘲の笑みを溢した。
それからメルフラルは、翡翠バーコード一体の管理問題について責任を問われ、首都から追放された。
電車の中から、これから行く小さな寂れた街並みを見て、悪くないじゃない、と溢す。
アモルエの街。信用を失い、こんな辺鄙なところへ飛ばされて。
もうどうでも良かった。
そう広くない研究室で、生活をする。動かなくなったヴィトロを部屋に置いて。
触れた肌は冷たく、ただ呼吸はしている。死んだわけではない。でも半分機械仕掛けのヴィトロは機能を停止させられて、植物人間──いや、人形のように、眠っている。原理はよく知らないが、見た目の変化が無いのも、それが関係しているらしい。
機械人形。オートマタは、“ショットダウン”させられると、動かなくなるし、感情を刺激しすぎると処理しきれなくなって、あのようにショートしてしまう。〈アナライザー〉の機能の中にそういうのも含まれるのだ。
細々と、首都ブレセナハから送られてくる仕事を熟す。才能を買われているから、メルフラルには仕事も給料もあり続けた。
ただ失った信用。それからヴィトロの存在。それらがメルフラルを壊すのは、いとも簡単だった。
精神科医からは鬱病だと診断された。されたからどう、ということはないが。
三年。一人で闘病しながら生活を続けた。
処方された薬を並べて、口にいれて、歯で噛み潰す。その方が効くから。これだって、味がしないのだ。
何も味がしない。砂を噛んでいるような食事。コーヒーの苦味だけはちゃんと苦かったし、ココアの甘ったるさはまだ感じられたけれど。
「ねえ、ヴィトロだけなのよ。アタシのことを愛してくれたの。アタシ、初めてだったの。ねえ。ヴィトロ。目を覚ましてよ。寂しいわ。返事をしてよ……ねえ。ねえ、ヴィトロ……」
部屋の隅に置いた人形に声をかける。不毛だと思う。
そんなことも、どうでも良かった。
なんで生きてるんだろう。メルフラルはふと、そう考えた。
死んでも構わないじゃないか。気が付いて、メスを片手に。
「こんにちは」
鈍色の日々に、色彩。桜色の髪を揺らして、少女が訪れた。
突然の訪問者に、メルフラルはメスを取り落とす。
少女は優しく話をしてくれた。その後ろに、無口な少年がいる。顔の痛々しげな縫合痕。エメラルドの目は吊り上がっていて、機嫌が悪そうに見える。
『あなたの力が必要なの。私達のために使われて下さい』
『僕らは訳あってバーコードや研究員を殺して回っている。断ればお前も殺す。だから協力しろ』
優しげな声色に似合わない言葉。
ジンと名乗った少年の脅迫。ちょうど死のうと考えていたメルフラルは、ニッコリと笑った。
「ふふ。殺せばいいじゃない。むしろ本望だわ」
でも、彼らはメルフラルを殺しはしなかった。
「アタシを、必要としてくれるの?」
力が必要だ、と口にしていた。
「こんなアタシが、いるの? アナタたちは、アタシがいなくちゃ困るの?」
桜色の髪の少女は、薄く微笑んだ。
「あなたの才能なら、きっと見つけられる。私達にはあなたが必要だよ」
“可能性”を探せ。それが少年少女の言い分だった。
メルフラルには、言葉の意味なんて考える余裕はなかった。必要とされる。それだけを。掴み取りたかった。
「なんでもする。アナタ達のためなら、アタシにできることならやる! だからねえ、アタシを捨てないでくれる?」
ジンはふん、と鼻を鳴らして言う。
「役に立つならね」
「きっとやり遂げてみせる。アタシ、見つけるわ」
もう少しだけ、生きてみようと思えた。必要としてくれるヒトがいるのだから。生きて、それに応えよう。