複雑・ファジー小説
- Re: シオンの花束3 ( No.5 )
- 日時: 2020/12/07 15:40
- 名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)
なんで、廃村なのにこんなにヒトがいるんだ。一瞬シオンの脳裏に疑問が浮かんだが、男の腕を見れば直ぐに悟ることとなる。人間じゃない。自分たちと同族だ。バーコード、なのだろう。
男はアイリスと同じような目をしていた。ギラギラと君の悪い光を湛えた紫の瞳で、少年とアイリスとシオンを見比べて、それから裂けてしまいそうなほど口を開けて、笑いだした。
「楽しい楽しい楽しいいいいいい!! ボクのためにこおんなにヒトが集まってくれてええええ嬉しーよおおおおあはははは」
甲高い声で喚くあの男も、紅蓮バーコードか。異形の腕──両肩から先が、鞭のようにしなやかに伸びているが、その材質はギザギザと鋭利に波打つ刃物になっている。それが蛇か百足の如く蠢いていて、刃先の所々に赤黒くべたつく汚れがこびり着いているから、既に誰かを傷付けた後なのだろう。
男と対峙していた少年は、柄まで黒一色のナイフを逆手に持って、アイリスとシオンを睨みつけていた。その顔には左目の上から鼻筋を通って、右頬まで続く痛々しい縫合痕があった。顔以外にも、体の至るところに継ぎ接ぎの跡がある上に、紅蓮バーコードの男につけられたのか、肘やら膝に今も尚鮮血を滲ませる傷を沢山残していた。
突然男が笑顔のまま、体の向きを少年からアイリスの方に向けて、右腕の刃物を振り被る。波打った刃先が空を切って、彼女に迫る。
「アイリス!」
シオンは咄嗟に右手を伸ばした。掌から青白い閃光が迸って、バチバチと唸りながら、男の伸ばした右腕にぶつかって、押し負けた男の腕が明後日の方向に弾き飛ばされた。シオンは〈ミョルニル〉を、研究施設から逃亡したとき以外使ってないため、若干コントロールに不安があったが、アイリスに当たらずにすんで、ほっとした。
「おおおおおぅお前らもバーコードか! いいねぇいいねぇ無抵抗な人間殺すのにも飽きてきたとこなんっ、」
喋っている途中に男が素早く左手をしならせた。金属と金属のぶつかり合う甲高い音が鳴って、黒いナイフが地面に突き刺さる。どうやら少年が投擲したものを弾いたらしい。
男は少年に顔だけ向けると、また口が裂けそうなほど口角を吊り上げて、甲高い声で喋りだす。
「3対1かあああコレはボクピンチかもしれなあああいめっちゃ楽しいいいボク悪役に囲まれる英雄みたいでカッコイイなあああ……あ?」
その行動に、アイリスを除いた全員が目を剥いただろう。彼女は突然、男に向かって距離を詰めて行ったのだ。迷いの無い足取りで、軽やかに。男の腕の届く範囲に踏み込んで行く。
「むっ、何だ何だ何だそんなニコニコしながらこっち来るなあああッ怖いよおおお」
男が両腕をアイリス目掛けてしならせたため、シオンは慌てて電撃を放とうとしたが、それよりも先に優雅な動きでアイリスが右手を振ると、金属音と火花が迸って、男の両腕が弾かれる。
「うふふ、ごきげんよう。私はアイリスと申します。ねえ、あなたのお名前を聞かせて下さらない?」
アイリスが紅蓮バーコードになる前は、いいとこのお嬢様だったらしく、その育ちの良さを彷彿とさせる口調で、彼女は優しく男に語りかける。でも、歩みを止めることはない。男が顔を引き攣らせて、再び刃物の腕をしならせるが、アイリスはやはり、それをいとも簡単に弾き飛ばす。男とアイリスの距離が縮んでゆく。
「ねえ、教えて下さらないの? 私、知りたいの。それから、できればあなたとお友達になりたいわ」
「やめろよ来るなよお、お前頭おかしいのかよおおお!」
何度も、何度も、何度も。男は刃物をアイリス目掛けて振り被るのに、その全てを〈アイソレイト〉で正確に弾き飛ばす。思わず見惚れるほど優雅に。そうして、アイリスはついに男の眼前にまで距離を詰めた。
男は目を見開いてアイリスの顔を見ている。時間が凍ってしまったような、一瞬。
アイリスの深い溜め息が聞こえて、彼女は右手の人差し指でつ、と男の腹の辺りをなぞった。
「……残念。私、お友達の内臓ってどんな感じなのか、知りたかっただけなのに」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああッ」
耳を劈くような断末魔が響き渡る。男の腹が大きく裂けて、口元からごぷ、と鮮血が溢れ出した。アイリスは笑いながら男の腹の断面に腕を突っ込んで、中身を掴むと、ソレを引きずり出した。聞いたこともないような、醜悪な音がする。シオンは目を塞いでしまいたいのに、思うように動けなかった。
男が脱力して、地面に崩れ落ちる。倒れた男の腹から伸びた細長い臓器を引き裂いて、アイリスがうっとりと口元を緩めた。
「あはっ、素敵! 素敵ねえ! うふふっ、あははっ」
しばらくアイリスは、腹からソレを引き出しては裂いて、バラバラに細かくなっていく様子を見ては嬉しそうに笑っていた。
不意に、アイリスが首の角度を変える。顔を顰めながらアイリスの様子を呆然と見守っていた少年の方を見たのだ。
彼女が少年に微笑みかける。淑やかに、慎ましく。
少年は咄嗟に身の危険を察知してアイリスに背を向けたが、逃げ出すにはあまりにも遅すぎた。〈アイソレイト〉の斬撃が、少年の右足首を傷付けて、短い悲鳴と共に彼は地面に転がった。立ち上がろうと地面に右手を付くと、その右腕が大きく裂けて、血飛沫が上がる。少年が断末魔を上げながら地面の上で藻掻いている。アイリスはそれを見て、クスクスと笑いながら少年に接近して行く。
「ねえ、あなたのお名前はなあに?」
少年の背中を見下ろしながら、アイリスは問う。無事な左手で体を起こしながら、彼はアイリスの顔を睨みつけて、掠れた声で吐き捨てるように言った。
「誰が、お前なんか、にッ」
「そう。残念だわ」
少年の背中から脇腹にかけて、大きな亀裂が入る。彼は吐血しながらも、しばらく苦しそうに血走った目でアイリスを睨みつけていたが、やがて力無く目を閉じて、ぐったりと横たわったまま、動かなくなった。
シオンはやるせない気持ちのままそれをぼんやり傍観していたが、アイリスの視線が今度は自分に向けられているのに気が付いて、全身が粟立った。
「お友達の、臓器。そっか、あなたがいたわねええシオン」
可愛らしく首を傾ける。その拍子に彼女の紅色の長髪がふわりと揺れる。1歩、2歩と、ゆったりとした足取りでアイリスがシオンに歩み寄ってきた。恐怖にすくみあがって、シオンは思うように動けなかった。
「嫌! こ、来ないでっ」
シオンが怯えて引き攣った喉から金切り声を上げると、無意識に放った電撃が、アイリスの足元に迸る。幸い、彼女には当たらなかったようだった。
その一撃で我に帰ったアイリスが、青ざめた表情でゆっくりと辺りを見回した。それから、口元を押さえて力無くその場に膝を付いた。
「あ……アイリ、」
「来ないでッ!!」
今度はアイリスがそれを口にする番だった。けれど、シオンの叫んだそれよりも掠れて、擦り切れて、ずっと悲痛に響いた。
彼女の薄ピンクの瞳が潤んでいって、大粒の涙がボロボロと頬を伝っては、地面に吸い込まれて行く。シオンはそれを、呆然と眺めていた。
「なんでよ、なんでなの!? 私、誰も殺したくなんかないのに! シオンのことも……なのに今、殺したら、楽しそうだって、切り刻みたいって、思った。心の底から思ったの。シオンを殺してみたいって、凄く」
「……、……」
「もう、嫌。死んじゃいたい……」
シオンはぐっと唇を噛み締めた。親友がこんなに苦しんでいるのに、自分は何も行動できない。
僅かに動かした右手を、恐怖が引き止める。〈ミョルニル〉を使えば、きっと一瞬で。本当に一瞬でできてしまうことを、シオンは拒んだ。できるわけが無かった。
ごめん。アイリスには聞こえないように口にして、シオンは項垂れた。足元では、忘れられたように咲いた二輪の花が、萎れていた。
しばらく泣き続けていたアイリスが、またふらりと立ち上がったので、反射的にシオンは肩を強張らせた。けれど、その目にはあの狂気的な光は無く、ただ泣き腫らして少し充血し、疲れきった目元があるだけ。
アイリスは血に汚れた両手を見つめて、溜息をついたあと、ふらりと近くにあった民家の中に入って行った。研究施設で適当に着せられていた服も、〈アイソレイト〉で引き裂いたり、返り血を浴びてボロボロになっていたから、代わりのものを探しに入ったのだろう。廃村だから、あまりマシなものは無さそうだが。
残されたシオンは、アイリスが殺したら紅蓮バーコードの男と少年の死体を一瞥して、息を呑んだ。
先程背中から脇腹を引き裂かれたはずの少年が、五体満足でその場に座っていたのだ。
「え……」
思わず声が漏れて、少年と目が合う。シオンも目付きは良くなかったが、それ以上に鋭いエメラルドグリーンの瞳が、こちらをじっと見ていた。
シオンは覚束無い足取りで少年に近付いて行って、震えた声で生きてる? と問う。
少年は少し言いづらそうに口を開閉させたあとに、立ち上がりながら言った。
「君に生きてるように見えるなら、そうなんじゃない?」
どうしてか。生きているヒトの姿に安心したのか、アイリスが少年を死なせたわけではなかったことに安心したのか。兎に角、急に雪崩れこんできた安堵感にシオンは涙を零して、少年を抱き締めていた。
「よかった、よかったぁ……!」
「な、なに、離れてよ……」
少年は戸惑い、シオンを引き剥がそうとしたが、その泣き顔をしばらく見つめていたらそんな気も失せて、代わりに呆れたように溜息をついた。
「君ね。僕みたいな得体の知れないバーコードに抱き着くとか、危機感無さすぎでしょ。死にたいの? 僕がナイフ持ってるの、さっき見たでしょう?」
そう言われて、ようやくシオンは少年を軽く突き飛ばすような形で離れた。先程の黒いナイフが自分の胸元に刺さってはいないか、確認する。勿論、そんなことは無かったので、シオンは安堵した。
「……あれ、紅蓮バーコードでしょう?」
少年が静かな声で訊ねてくる。あれ、とはアイリスのことだろう。シオンは表情を翳らせて小さく頷き、ポツポツと話し始めた。
「アイリスは……アタシの親友だ。一緒に施設を逃げてきて、その、アタシは群青バーコードなんだけど、あいつだけ紅蓮で。今までにも沢山、沢山殺してきて……アタシのことも何度か殺しそうになったし、これからも、こんな感じでアイリスは、誰かを殺し続けるんだ。アタシ、どうしたらいいか、わかんなくて」
もうきっと、誰でもいいから縋り付きたかったのだ。見ず知らずの少年でも。アイリスが傷付けた、死にそびれの少年でも。だから、シオンは全て話した。それを彼は黙って聞いていてくれた。
聞いたあとも、少年はしばらく黙っていた。
彼は少し息を吐いてから、項垂れるシオンを見つめて、冷たい声で言い放つ。
「だったら、殺してやりなよ」
「駄目だ!!」
シオンは弾かれたように顔を上げて、声を荒げた。少年は尚も冷たい目をしている。氷柱か何かで、心臓を抉られているような気分になる。シオンは地面を睨みつけて、掌を強く握り締めた。絞り出すようにして口にする声は、掠れて。
「……わかってるよ。アイリスが一番苦しんでるよ。アイツは優しいから。誰かの命を奪いながら生きるなんて、とてもできない……。アタシの事も何度も殺しそうになって、そのたびに自分を傷付けてまで必死に自分を抑えて。いつもいつも、傷だらけになってさ。もう、見てらんないよ」
アイリスが痛みに耐えながら、自分の身体を〈アイソレイト〉で切り付けて、涙を零す姿はもう、見たくなかった。
少年の放つ声は、相変わらず鋭利で冷え切っていた。
「だったら、殺してやるのが彼女のためになるでしょ?」
「そんな、訳……だって、アタシたちは……一緒に生きるんだ……約束したんだ」
「殺したくない。死んでほしくない。生きてほしい。そんなこと思ってるなら、それは全部君のエゴだよ。彼女はさっき“死にたい”って言ったんだから」
シオンは大きく息を吸い込む。肺を満たす酸素が、何故か痛みを伴う。
少年の声は冷たく聞こえたけれど、確かにその通りで。だから、シオンは苦しくなる。
沈黙が続いた。
遠くから土を踏む音が近付いてくるのが聞こえて、シオンはアイリスが近づいて来てるのだと直ぐに気が付いた。
「……僕は、殺せる」
「やめてッ! アイリスに手を出すな!」
少年の言葉は、なんのために放たれたものだったか。シオンはそれを考えるよりも先に叫んでいた。
少年の視線は、シオンの背後にいるアイリスに向けられていた。
「あなた、お名前は?」
さっき、紅蓮に呑まれて吐いた声とは違う。落ち着いた口調でアイリスが問う。少年もまた、同じような声色で名乗る。
「僕はジン。僕なら君の望みを、叶えてあげられるよ」
シオンは振り返って、アイリスを見た。
──どうして、そんなに安心したような目をするんだよ。
彼女の瞳の中の、覚悟を見てしまった。目を逸らしたって、どうしようもないことを知っているから、シオンはまた、泣いてしまいそうになる。