複雑・ファジー小説
- Re: シオンの花束4 ( No.6 )
- 日時: 2020/12/07 18:29
- 名前: ヨモツカミ (ID: 6fVwNjiI)
- 参照: https://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=article&id=2190
***
彼と2人で話がしたい。
アイリスがそう告げると、シオンは何か言いたそうにしていたが、結局硬い表情のまま頷いて、2人を送り出した。
シオンの側を離れ、先程入った民家の方へ歩いていくと、ジンと名乗った少年も、アイリスの後をしっかりと着いてきた。
「もう、限界なんでしょ?」
長く放置されていたのか、薄汚れて所々表面の木が剥がれた扉にアイリスが手を触れたとき、ジンが声をかけてきた。
「わかるの、ね……」
シオンに2人の会話は聞こえないだろうし、彼女のいる位置からは死角になっているため、姿も見えないから、わざわざ中に入る必要もないだろう。
扉の表面に爪を立てて、内側でのた打ち回る衝動をどうにか抑制して、アイリスは乾いた笑みを零す。力を入れすぎた爪にヒビが入って、血が滲む。痛みは気にならなかった。扉の表面の脆い木が剥がれ落ちるのを見ていると、同じように、理性が剥離しそうになる。もう少しだけ、耐えて。アイリスは自分に言い聞かせた。
「僕は、何人も殺してきたから。殺して、殺されて、殺して、また殺す。そういう、役目なんだ」
殺されて。ジンのその言葉に、先程の自分の行動を思い出して、吐き気と高揚感が綯交ぜになる。彼の腹を裂いた瞬間の、醜悪で鮮麗な光景が脳裏でフラッシュバックして、おかしくなりそうになる。でも、確かに殺したのにどうして彼は今、自分と言葉を交わしているのだろう。それを不思議に思うよりも先に、また殺せる楽しみに口角が上がるのは、抑えきれなかった。
「さっきは、ごめんなさいね、痛かったわよね」
「いいよ。どうせ死なないんだから」
死なないとはどういうことか何度でも殺せるということかそれって素敵だなんて素敵なのだろう何度でも殺しても殺しても生き返るのだろうか素晴らしいこんな愉悦があっていいのか、違う。違うだろう、と。アイリスは荒い呼吸を繰り返しながら、殺意を抑制する。
「嫌ね……なんで、こんなふうに、殺したくなっちゃうのかしら……」
「君は悪くないよ。“僕ら”のせいで、苦しませてしまって、ごめんね」
バリバリと音を立てて、扉の表面の木と、自分の爪が剥がれ落ちて、指先が甘美に香る。どうしてこうも、この色彩は美麗に映るのだろう。視線が釘付けになる。指先から滴る紅玉に、意識が揺らぐ。
理性までもが剥がれ落ちる前に、アイリスは必死に言葉を紡ぐ。
「早く、殺して。生きていたら、シオンを殺して、しまう……かもしれない、から。それだけは、怖いわ」
アイリスの中で、その恐怖さえも揺らぎはじめているのだ。親友を殺すなんて、引き裂くなんて、でもきっと彼女の叫び声は妖艶に空気を震わせて、この世のどんなものにも劣らぬ艶やかな旋律となるだろう。
シオンの空色の髪に、赤はよく映えるだろう。きっとこの世の何よりも美しい花になる。親友を咲き誇らせるのは自分であるべきだ、そうだ。そうに決まっている。
ジンは、爪から血を滲ませるアイリスを痛々しげに見つめながら、〈能力〉で少し大振りの黒いナイフを出現させた。一突きで楽にさせたいという、彼なりの優しさによるものだった。アイリスのことなどよく知らないが、その苦しみを想像することは容易にできた。その目で同じような光景を何度も目にしてきたから。バーコードを殺す。その役目を背負ってきたから。しかし、こうして胸を痛めることは、ジンの役目では無い。
「……遺言は?」
遺される片割れの顔が。シオンの顔が浮かんで、ジンはそんなことを聞く。余計なお世話かもしれないが、どうしても先程泣き付いてきたシオンの顔が、ジンの脳裏に焼き付いて離れなかった。
せめて、避けられない別れになるとしても。できるだけアイリスを丁寧に送り出してあげたい。ジンはそんなふうに考えた。
「……私のこと、忘れないでくれれば。それだけで、」
その優しさが。甘さがいけなかった。
ジンは、空気の裂けるような音を聞いた。
遅れて自分の体を襲う苛烈な痛みに目を剥いて、地面に崩れ落ちる。
まともに呼吸をすることもできない。右肩から、胸、腹にかけて、溶けた鉄でも流し込まれたのかと錯覚する。実際には、流し込まれたというよりは、中身が流れ出ているのだが。
ジンのぼやけた視界に、アイリスの足首が映る。直後、左肩が爆ぜるような感覚。喉の奥から声が漏れそうになるが、代わりに暖かく鉄臭い鮮血が口の中を満たして、噎せ返る。吸い込んだはずの空気が、ひゅう、と喉から抜ける音がする。ああ、そこも裂かれたのか、どうりで声が出ない訳だ。そんな思考を最後に、ジンの意識は途絶える。
***
木の根元に蹲るようにして腰掛けていたが、突如響いたけたたましく鼓膜を揺るがす哄笑に、シオンは顔を上げる。そうして、もう何度目かも分からない絶望に打ちのめされる。ああ、どうして。シオンの問いは、誰にも届かず空気に溶けていく。
覚束無い足取りで、親友の形をした殺戮の機械が距離を縮めてくるのを、シオンは半ば諦めたように眺めた。
もういい。もういいから、いっそ殺してくれよ。シオンは肩を落として命の終わりを待ったが、眼前の少女はまだ、シオンの親友を留めていた。
シオンのすぐ目の前でアイリスは自らの肌を裂いて、蹲って、喚くように声を絞り出す。涙に邪魔をされているせいで、掠れて擦り切れて、なんとも聞き苦しい、酷い声だった。
「殺して。私を。殺して! ……この力が、あなたを殺してしまう前に! お願いだからっ……シオン!」
「……!」
親友の嘆きを聞いて、シオンは咄嗟に右手を翳した。電流の手応えで、掌が熱を持つ。アイリスに向かって、手を伸ばす。指先が震える。アイリスの泣き顔が、シオンを見上げている。殺してやらないと。アイリスの覚悟に応えてやらないと。そう思うのに、掌で爆ぜる電撃は、線香花火の火よりも、ずっとずっと弱々しくて。
シオンの頬を涙が伝う。
やはりシオンには、親友の懇願を聞き入れることなんて、できなかった。
「できない、駄目だよ。アイリスを殺すなんて……。なあ、生きてよ……アタシ達、一緒に、」
刹那、左の二の腕に熱が迸る。シオンが耐え難い痛みに声を漏らすと、鮮血も漏れ出した。見ると、大きく裂けた傷口から湧き水の様に血が滴っていて。一気に血の気が引く。断面から、中の構造がよく伺えた。
もう、アイリスはいなくなった。彼女の中に微かに残された親友は、消え失せた。目の前に佇む少女は、紅蓮バーコード。殺戮の機械だ。
「あ、ああ、う、あい、りす……」
──なんでよ。なんで。どうして殺そうとするの。どうして死にたがるの。帰ってきてよ、アイリス。
声は、何1つ届かないのだろう。
シオンは痛みに耐えながらも、まだ動く右腕で彼女の肩を突き飛ばした。殺されたくないから、そのまま背中を向けて逃げ出す。でもきっと、間に合わないだろうと知りながら。
──それでもいいか。
諦めかけながらも駆けるシオンの背後で、何度も側で聞いた、馴染みのある音がした。出血と短い悲鳴の音。命の終わりに聞こえるもの。
「っ、よかったぁ……これで、あなたヲ、殺さなぃで、」
シオンが振り返ったときには、黒い大型のナイフが数本、背中に深々と突き刺さったアイリスが、地面に転がっていて。彼女の衣服を凄い速さで鮮血が染め上げていく。
その背後で、ジンが呆然と立ち尽くしていた。
信じられないというよりも、認めることを脳が拒む、光景。
「アイリス!!」
シオンは叫びながら駆け寄って、アイリスの背に突き刺さったナイフを引き抜いた。湧き水みたいに、真っ赤な血がどんどん溢れて、断面すら見えなくなる。
「っ止血、止血するから、ちょっとだけ頑張れよッ」
「な……、え」
「しっかりしろよ、アタシ達生きるんだ、一緒に! 生きてさ、幸せになるんだって……あんたが言ったんだろ!? なあ……返事しろよ、アイリスッ!」
急速に彼女の瞳から光が失われていく。嫌だ。嫌だ。死なないで。ねえ、神様。アイリスを連れて行かないで。お願いします、お願いします、お願いします! いくら祈ったって、絶対に届かないのに、シオンはアイリスの手を握り締めて、必死に祈る。分かっているはずなのに。神様なんかいないことくらい、ずっと前から知っていた。だけど、シオンは諦め方なんて知らなかった。
じわじわと血溜まりが広がっていく。アイリスの出血の中に、シオンも浸っていた。温かい。彼女の生命が外に溢れ出してゆくから、彼女の体は次第に熱を失っていく。
どうしたってアイリスが死ぬのを避けられない。それがわかってしまうから、シオンは怖くて仕方がない。
どうしようもないまま、見守ることしかできないシオンを視界に捉えたアイリスが、微かに微笑む。
「しお、ん」
「なに……?」
「たしの、なま、え……もら、……」
「は、な、名前? なんでだよ……?」
「、あな……の、中……、……わす、れ」
混濁する意識の中。きっとそれは走馬灯だ。アイリスの脳裏を巡るのは、人間として暮らしていた頃の生活よりも、会って短いシオンのことばかりで。
アイリスは妾の子だったから、家族にはあまり相手にされなかった。いらない子だったのだ。ずっと寂しい思いをしていた。でもシオンは、初めてアイリスを見てくれた。初めての友達だった。知らないことを沢山教えてくれた。楽しいことも、悲しいことも、一緒なら乗り越えられること。よく笑う子だった。よく怒る子だった。コロコロと万華鏡のように表情が変わって。最近は、泣いてる顔と、悲しそうな顔ばかりしていた。
今もそうだ。ああ、笑ってほしいのに。どうしてそんなに悲しむの。
──シオン。どうか、
「嫌だっ、待ってくれよ……! なぁ、死ぬな! 生きるんだろ、2人で! 2人じゃなきゃ意味ないんだろ? やだよ、ねえ、お願い、死なないでよ! ……約束したのにっ」
シオンがいくらアイリスの肩を揺さぶっても、もう一切の反応もなかった。人形みたいにカタカタ揺れるだけで、半開きの薄ピンクの瞳に、生命の光は灯らない。
──ああ。死んだんだ。アイリスは。
「ねえ、ひとりに、しないでよ……」
アイリスの頬に透明な雫が落ちる。幾つも、幾つも落ちて。けれど、アイリスは一切反応なんてしない。
シオンは、アイリスの薄く開いた瞼にそっと触れて、目を閉ざしてやった。もう、おやすみ。声も無く告げて。
シオンはしばらく彼女の亡骸に寄り添っていたが、不意にふらりと立ち上がると、側で立ち尽くしていたジンを鋭く睨み付けた。
「どうして。どうしてあんな優しいやつが殺されなくちゃなんねぇんだよ!! あいつは! アイリスは誰よりも優しかった! なのにっ! なんでアイリスが……死ななきゃなんねぇんだ!」
「……ごめんね、シオン」
怒りをぶつけてくるシオンの言葉を受け止めて、ジンは落ち着いた様子で黒いナイフを差し出してきた。シオンは思わず目を剥く。
「許してとは言わない。僕は死ねない身体だから、もし僕を殺して、君の気が少しでも晴れるなら……何度でもそうしてよ」
シオンは困惑してたじろいだ。急に何を言い出すのか、怒りと憎悪と戸惑いが混ざって、上手く言葉を発することもできない。
「……アイリスのことは、仕方なかったんだ」
ジンのその言葉で、戸惑いは吹き飛び、一瞬で怒りがシオンの中を埋め尽くす。シオンはジンの胸ぐらに掴みかかって、声を荒げた。
「仕方ない!? んな訳あるかよ! あいつはそもそもヒトを殺せるような娘じゃなかったんだ! あんな優しいアイリスが、なんで、なんでだよ……!」
「そうだね。彼女は優しかった。だから、壊れちゃうよ。もう、壊れかけていたと思う。紅蓮バーコードは、殺人衝動から逃れられないんだよ。殺し続けることなんか、耐えられるわけない」
ジンは一度言葉を切って、俯きながらも静かな声で言う。
「怯えていたよ。シオンを殺してしまうかもしれない。それだけは嫌だって。だから、こうするしかなかった。……ごめんね」
そう言って、再び漆黒のナイフをシオンに差し出してきた。
シオンは渡されたナイフを引っ掴んで、振り上げる。抑えきれない怒りのせいか、それ以外の理由か、刃物を握る右手は震えて、まるで自分の体の一部ではないみたいに感じられた。
──こいつが憎い。殺せ!!
シオンは憎悪と憤怒に染まった双眸でジンの顔を睨みつけていたが、段々と腕の力が抜けていく。
遂にはナイフを握っていられなくなって、カラン、と無機質な音を立てて、地面に転がった。
「あんたを殺したって……アイリスは、帰ってこない」
「そう、だね」
「だったら。虚しいよ、こんなの」
喪失感で脚に力が入らなくなって、シオンはその場にへたり込んでしまう。それから、自然と頬を伝う涙を拭った。何度も、何度も拭うのに、さざ波のように次から次へと溢れて止まらなくて、いつの間にか嗚咽を零しながら泣いていた。
ジンは黙ってそれを見つめていた。
シオンだって本当は理解していた。ジンは悪くない。誰かが殺してやるしかなかった。そして、シオンにはそれができなかった。それでも、親友を殺された憤りを、どうすることもできなかった。
しばらくして、落ち着くと、シオンは俯いたまま、静かにジンに語りかける。
「あんたさ。アタシに恨まれて、殺されて、楽になりたかったんだろ」
ジンは返事をしない。シオンは構わず続ける。
「殺してなんかやんない。アタシ、あんたのこと、許せそうもないや。アタシは死ぬまであんたに対する恨みを抱えながら、生きるよ。だから、あんたは毎日毎日、この日の事を悔いながら、生きろ……」
憎悪と深い哀しみに沈んだ、低くて冷たい声だった。
「……シオン」
「違う」
シオンは親友の亡骸に視線を落とした。それから、彼女の紅色の髪に結ばれた紫色のリボンを解くと、それを自分の左の二の腕に巻き付けた。親友が最後にくれた傷を、隠すように。
「アタシは──アイリスだ」
彼女の真似をして、シオンは──否、アイリスは淑やかに微笑んでみて、でも直ぐに自分には似合わないだろう、と苦笑した。
アイリスはジン、と短く彼の名を呼んだ。
「アタシがアイリスでいるためには、名前を呼んでくれる誰かが必要だ。そんで、あいつが、アタシを殺したくないって。生きてほしいって願ってくれた。だから、少しだけ、生きていたいんだ」
アイリスは先程地面に落とした黒いナイフを拾い上げると、それをジンに突き付けて、言い放つ。
「ジン。いつか、お前の手で。アタシをアイリスに会わせてくれよ」
死んだヒトに会う方法なんて存在しない。だからこそその言葉は、覚悟と悲哀の色彩を孕んで、空気を震わせる。
「わかったよ。アイリス」
それを承諾することで、ジンは結局は許されたかったのかもしれない。許されないのを理解しながらも。
親友を殺した相手との、歪んだ約束と共に。シオンだった少女は。アイリスは、生きる。
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花束というのは、一輪では成り立たないものです。でも、一輪で無いのなら。二本以上揃えば花束と呼べますね。
また、“約束”という言葉にも束が含まれますね。それがタイトルの由来です。
ジンとアイリスがタンザナイトの仲間達に出会うよりも前の話。本編の2年くらい前です。
思いやり合うっていうのは、何処かで互いを傷つけ合うことなんじゃないかなーとか考えながら書いてました。
シオンにとってアイリスがもっとどうでもいい存在なら、あのとき殺してやることができたかもしれなかったわけですし。大切に思うから殺せなくて、でも、殺すことでしかアイリスを救う方法は無くて。……何処かで2人がただ笑って過ごせるだけの世界線とかあったら良かったのにね。
投稿頂いためでゅさん、ありがとうございました! ホントに2人は素敵なキャラで、凄い好きです。