複雑・ファジー小説
- Re: スウィート・リベンジ ( No.1 )
- 日時: 2018/02/15 23:48
- 名前: あっとだった人 ◆kAcZqygfUg (ID: wSTnsyhj)
『スウィート・リベンジ』
しとしと、雨が降る。 生暖かい、春の終わり特有の舐めるような雨。 胸の奥の後悔を決して洗い流してはくれない、責める様な雨。
私は間違いを犯した。 私達は間違いを犯した。 他の誰でもない、私達の罪だ。 私達は……そう……『正しさの為に罪を働いた』としか言いようがない。 私達は心の奥底に血の十字架を抱えて懺悔しながら生きる事だろう。 私達が押し付けた『正しさ』に果敢にも挑んだ純潔の『正しさ』の反抗によって、私達は抗えない罪への贖罪に耐え続けるしかないのだ。
やがて神父の祈りが聞こえはじめ、私達は祈る。 目を瞑り、手を握り合わせ、頭を垂れて祈りの言葉を口にする。 愛する者の祈りが聞こえなかった私達の、あまりに愚かで身勝手な祈りを、一体誰が赦すのだろうか。
私は固く瞼を閉じて、ぎゅっと手を握り合わせて、祈る。 冷え切った細い腕が首に回されるのを感じながら、耳元で愛らしい声が祈りを奉げるのを聴きながら、小さな足が薄汚れた床の木目を蹴ってふわりと舞うのを感じながら。
そうして棺が閉じられ、私達は棺を担いで雨の中を歩く。 自らの罪の重さを支えるように。 いずれこの罪の重さに押しつぶされる事を悟るように。
* * * *
「ねえ、一緒に帰りましょう?」
それが全ての始まりだった。 わたしと、彼女の、甘い日々の。 美しくて軽やかで、何にも替えられない愛すべき日々の。
彼女は驚いて声も出せないわたしの手を取って、その仄かに甘い香りのする吐息でわたしを誘った。 戸惑うわたしのことなどお構いなし、わたしは手を引かれて教室を出る。 でも不思議。 皆の奇異の目も、全然気にならないの。
彼女が何処の誰で、忽然とわたしの世界に現れた理由なんてどうでも良いの。 ただあの瞬間、わたしはこの美しい少女と同じ世界の住人なんだと悟ったの。 この少女もきっと逃げてきたんだろうと。 別にこの少女が転校生だからとか、そんな理由じゃなくて、もっともっと深いところ、触っちゃいけない奥深い秘密の何処か。 そんなところで、わたしと彼女は共鳴したの。 植物がお互いに会話するような、ほかの人達にはわからない、声にならない叫びを聞いたの。 きっとそう。
彼女はすぐにわたしの世界の住人になった。 みんなが見下して、嘲笑する空想の世界。 わたしだけが居た、永遠の花園。 彼女はいつの間にか、自然に、忽然と、そんな花園で誇らしく咲いていた。 現実の世界と同じように、唐突にわたしの世界に入り込んで来て、それなのに少しも不快な感じのしない、不思議な人。
わたし達は同じ世界を共有して、同じ世界を往ったり来たり。 わたしは彼女の世界へ攫われて往って、彼女と共にわたしの世界に還る。
誰しもがそうであるように、わたし達が愛を契るまでそう時間は掛からなかった。 わたし達は学校でも手を繋いで歩いて、学校が終わればお互いの家で、お互いの部屋で、ふたりの世界で過ごす。 彼女の造り出す花園で寝転んで、わたしは世界の終わりを奏でる。 大輪の花がやがて地に落ちて、黒烏が啼く。 そしてわたし達はお互いの胸に手を当てて誓うの。 永遠の愛を。
何故わたし達は愛を誓い合ったのか。 簡単な事。 そうしておかなければ、わたし達は引き裂かれてしまうから。 ほかの人達の世界は、いつでもわたしの世界へ土足で入り込んで、殺戮ばかりをもたらす。 わたし達が海を渡って疫病を世界にばら撒いたように、ほかの人たちの世界はいつでもわたしの世界を枯らしてしまう。 だからわたし達は誓うの。
死が二人を別ってさえも。
彼女は手向けの花を、わたしは終末の音色を。 もうユニコーンに逢う事は出来ないけれど、わたし達は手を携えて世界の終わりを唄う。
そう、それは容易に予見出来て、でも避ける事の出来ない運命みたいなもの。
「あなた最近どうしたの? ずっと部屋に籠っているし、学校でも女の子と手を繋いで歩いてるって聞いたわよ」
お母さんは何もわかってない。 部屋に籠っている? いいえ、わたしは教会で教わる様に、罪を告白してずっと素敵な世界に居るのよ。 ずっと善い世界に居るの。
「じゃあ外で男の子と手を繋いで歩けばいいの?」
わたし達を引き離そうと、ほかの人達の世界が動き始めた。 わたし達はお互いの家へ行く事を禁じられ、学校でも大人たちはわたし達を引き離す事にあの手この手を使った。 わたし達は手を繋ぐことも、見詰め合う事さえ咎められる。 それでも、わたしの世界には彼女が居る。
彼女の甘い香りのする髪に顔を埋めて、わたしは唄う。 深い森の奥で、彼女の世界の花を手向ける。 白い花の上に横たわる彼女の安らかな吐息に耳を澄まして。 美しい褥を濡らすように、黒烏の鳴き声を真似るように。
そしてある日、わたしの世界は唐突に枯れる。
「今夜、迎えに行くね」
僅かな隙間を縫うように重ねた逢瀬。 彼女の口から零れた小さな誓い。 それから、定められた運命。
「あの子、家を抜け出そうとしてお母様と口論になって……その……シャベルで殴り殺してしまったそうよ」
「まあ恐ろしい! それで? いまあの子はどこに居るの?」
「それが……お父様の方が止めたそうなのだけれど……向かって来たから撃ってしまったって」
「さっきの騒ぎはそれだったのね! 嗚呼、恐ろしい……そういえばあの子と仲の良かった女の子が居たけれど……」
「そうね、あの角の家の子よ。 女の子同士で手を繋いで、訳の分からない話をして……きっと気が触れてるのよ!子供たちに注意しておかなきゃいけないわ!」
彼女を待つわたしが拾い上げたほかの世界の声。 市井を駆ける悪意。 その中に見え隠れするわたしの聖騎士。 ジャンヌダルクは囚われたけれど、彼女は最期まで戦って散った。 嗚呼、愛おしい人。
わたしは唄う。 ほかの人たちの世界で。 愛の為に運命に殉じた彼女へ。 別れの言葉を手向ける事すら許されなかったけれど、わたしの世界で、わたしは貴女へ愛を捧ぐ。
黒烏は墜ちて、白い花が咲く。
嗚呼、そうか。 これがわたしの運命。 わたしは間違っていたんだ。 彼女がわたしを救いに来たんじゃない。 わたしが彼女のメサイアになれ。 新たな啓示。 わたしの世界。
わたしはもう何も恐れない。 幽閉された部屋を抜け出すのも、窓を打ち破って月下に踊り出すのも。
わたしは彼女の家に走って、打ち捨てられたままになっていたシャベルを拾い上げる。 彼女が最期に握っていた遺品。 わたし達を引き裂く者どもと戦った、わたし達の武器。
わたしは墓地へ急ぐ。 貴女を暗くて寒い闇の中から救い出す為に。
わたしは貴女が何処へ葬られたのか知らなかったけれど、こんな小さな町で真新しい墓所を探すのは難しくない。 わたしは力いっぱいに手中に収まる武器を振り下ろす。 待っていて、今助けるから。
まだ埋め戻されたばかりで柔らかい土は簡単になくなって行って、すぐに彼女を幽閉した牢獄が姿を現した。 わたしの腕はもう随分疲れていたけれど、わたしは構わずに振り上げた腕を振り下ろす。
ガンッと大きな音がして、彼女の姿が僅かに月光に晒される。 嗚呼、愛おしい人。 音を聞きつけてざわつく周囲の雑踏さえどうでも良くなって、わたしは彼女を抱き上げる。
「お前は一体どうしたんだ! 何てことをしているんだ!」
大きな声が聞こえて、彼女の閉じた瞼が松明の火に照らされる。 お父さん、それはわたしが思っていることよ。 何故、わたし達を放っておいてくれなかったの?
炎に輝く銃眼を見据えて、わたしは彼女をぎゅっと抱きしめる。 それから、彼女がちゃんと誇れるように、わたしは胸を張って、笑みを結んで一歩を踏み出す。 然様なら、ほかの人たちの世界。 これがわたしの世界よ。 わたしの世界を侵したあなたたちに、わたしからのささやかな仕返し。 わたし達の世界を認めて欲しかった訳じゃないの。 ただ放って置いて欲しかっただけなの。
大きな音がして、わたしの胸は朱を噴いて。 わたしは彼女を放さない様にぎゅっとその手を握って。
然様なら、わたしの世界。 わたし達の世界。
——fin.
ティム・バートン氏の『フランケン・ウィニー』に愛をこめて。