複雑・ファジー小説

Re: 【短編集】蓼食う虫は好き好きで ( No.2 )
日時: 2018/02/22 03:03
名前: 彼岸花 (ID: hgzyUMgo)

【それは戦場に咲き誇る。】


 何もない荒野の上を死体が敷き詰める。戦場、二人が出会ったのはそこだった。かたや男、かたや女。それぞれがそれぞれの得物を血で赤く染めていた。二刀を両手に携え、男は目の前の女を観察する。
 濃い紫の、戦場に不向きなロングヘアー。猫のような目に浮かぶ、太陽のような紅色の瞳。腕の長さほどの片刃の剣は、彼女の髪と同じように、紫だった。華奢な体躯には似合わない装備に思えたが、それで生き残った以上彼女に相応しいものなのだろう。黒を基調としたその戦闘服の胸には、敵国の軍の所属を意味する虎のエンブレム。

「強いのか」
「まぁね」

 男が短く問うと、女も短く答える。その声にはまるで緊張感がなく、町中での会話のように思えた。しかし、ここは町中などではない。女は手に持った剣を音も立てず振り抜き、刃に染み付きかけた血を払った。
 その一振りはあまりに素早く、男でさえ目に捉えるのはやっとのことだった。綺麗になったなぁ、などと溢しながら爛漫に振る舞う彼女の様子は、本当に猫のようだった。
 彼女の実力、その一端に触れ、男は集中力を研ぎ澄ます。彼の雰囲気、その変化に気がついたのか、猫を思い起こさせるその瞳はスッと細められた。気紛れな彼女も、出会いの瞬間から戦争の舞台に場面が転換したと理解した。獲物を見つめるその眼光は、まるで胸にかざした虎のよう。
 そんな彼女は目の前の男を侮らない。この死屍が累々と積み上がる、過酷な戦場において生き残ることが如何に困難なことか、彼女も知るところだ。火の元の国、そう呼ばれる地方の出身者らしく、薄い顔立ちに、炭を想起させるような真黒な髪。構えた刀は小太刀と呼ばれる、自分の剣よりやや短い刃物。それが、両の手に。
 二刀との戦闘は彼女にとっても数少ない経験だった。二刀の戦いとは、やはりそれだけ複雑で、扱いにくい。一手間違えると切り落とすのは敵の首でなく己の腕。熟練すれば厄介な戦士だが、多くの者は己のものとする前に死を迎える。

「あんたも、強そう」
「それはどうも」

 白い隊服、その双肩の上、銀製の竜が瞬く。女のよく知る、四足歩行で翼を持つ龍でなく、蛇のように細長い体躯の、天に座してとぐろ巻く龍。
 半身で構える彼は、彼女の一挙手一投足に気を遣る。気を抜いたならば、待ち受けるは死。瞬きにさえも気を配る。砂塵と死体だけが埋める広野。殺風景と殺伐とが共存する地。その肌を撫でるように吹く風。
 荒れた大地に砂煙が舞う、それが開戦の狼煙となった。

「つぅっ!」

 彼女が駆けた次の瞬間、もう眼前に、はためく紫の髪。煌めく血のような瞳には殺気が浮かんでいる。走る剣閃。咄嗟に男は小太刀二本を交差させ受け止める。
 突如上がる金切り声。それは衝突した小太刀と紫の剣とがあげたものだった。振り下ろされた刃は何とか男に届くことなく顔の隣で受け止められている。もう少しで、右肩から左の腰までかけて彼の体は分断されていた。
 拮抗する押し合いだが、優位なのは女の方であった。細い腕からどうやってこんな力が。まるで男は岩を押す気分に駆られる。
 このままではじり貧なだけだ。受け止めた刃を、己の体に触れぬよう受け流す。後ろへ数歩。距離をとったつもりだった。しかし。

「遅いね」

 たった一歩の跳躍で追い付き、女は男の小太刀の間合い、その更に内側に潜り込む。ほとんど恋人が触れ合うような距離。それほどに肉薄する。ラベンダーの香りがして、強い衝撃が走って、彼の体は後ろへ吹き飛んだ。突進の勢いそのままに、彼女の繰り出した膝蹴り。体の中心を射抜くようにして、彼に叩き込まれる。
 無理矢理空気を吐き出されるような感覚に意識がほんの一瞬飛ぶ。続いて全身が転がる痛みにより引き戻される。全身を荒野と、それを覆う死体とに打ち付けて、ようやく止まる。当然、一息つく暇など無い。
 手元に掴んだ死体、それを腕の力だけで正面に投げる。ちょっとくらい盾になりさえすれば。そう思って、蹴り飛ばされた際に投げ出してしまった小太刀の方へと向かう。勿論、あの女には背を向けないよう。
 盾になるようと投げつけた兵の遺体は、瞬時に両断される。何も特別なことはしていない。ただ、剣を振るう。それだけで転がっていた死体は豆腐のように二つに裂かれた。
 そこから先はもはや、女が攻め立てる詰め将棋のようであった。やっとのことで小太刀を拾う。距離を詰める。剣戟を避ける。小太刀の間合いの外へ。自分の間合いへと踏み込む。合わせて剣を振るう。それぞれが交互に、相手の出方に合わせて最善手を打つ。男は何とか食らい付こうとするも防戦一方で、有利な間合いに入ろうにも、それを許されない。
 目の前には再び彼女の剣。小太刀に有利、女には不利、その距離に踏み入ろうとしたのを察されたのか後の先を取られたのか。彼の踏み込みに合わせるように迫る刃。
 仕方がないと、胴を捻るようにして無理矢理受ける。金属が擦れ、不気味に鳴る。来ていた帷子が斬撃を受けて引き裂かれる。何とか体を捻りながら受けたので、男自身の体にはかすり傷一つで済む。

「やっぱり何か着込んでた」

 実力者であるはずなのに、動きに精彩が足りていないと女は違和感を覚えていた。それを証明するかのような帷子。金属製のそれを纏っていたため、男の動きはやや緩慢だった。
 中途半端になった帷子、もう足手まといだと乱雑に脱ぎ捨てる。その合間にもう女は手に持つ剣の間合いへと踏み入っていた。初撃を思い起こさせるようにたなびく紫の髪。
 受けるか、避けるか。男は一瞬の間に思案する。先程は二刀揃っていたが今や一本。だが避けても次の択が生じるのみ。一度受けてその得物を奪えないだろうか。
 そう思った刹那に雷撃走る。青白い閃光が紫色の刀身を覆って。空気そのものを焼き焦がすような音を上げ、降り注ぐ。あまりに速い剣戟と相まって、それはまるで本物の落雷と見紛うよう。

「勘、いいね」

 煽るように口笛を吹いてから女は言う。咄嗟に身を捻った男は電撃まとう一刀を何とか避けたが、その一閃を直に受けた大地は、焼け焦げながら切り裂かれていた。
 重たい帷子を捨てて身軽になった男は攻撃に転じる。女が剣を再び持ち上げるより早く、その双眸の合間を貫くよう突く。ひらり。紙が空を舞うように、ほんの少し体を動かしてそれを避ける。甘い。そう言わんばかりに首筋目掛け斬りつける。しかしそれは女が男の手首を押さえることで止められた。
 だが男は手を緩めない。蹴る。殴る。また斬る。襟を掴む。足を払う。矢継ぎ早に、攻撃をいなされてはまた次の一手を指す。しかし女は焦りすらしない。手で受ける。上腕で受ける。一歩飛び退く。腕を払う。跳び上がる。
 空中ならば身動きが取れない、そんなこともない。体操選手さながらに、宙にいながらも自在に体を動かす。重心を上手く動かしながら、蹴りを放つ。両腕を合わせて前腕で受けるが、衝撃は男の筋肉を、骨を震わせる。衝撃に肘から先をじんじんと痺れさせ、彼女が着地する隙に何とか距離を開く。
 上手く小太刀が握れない。握れていれば、着地の隙に斬りつけていたものを。己の鍛練のいたらなさに、口内に苦味が滲んだ。
 先程の雷撃に、かつて味方の兵から伝え聞いた話を彼は思い出した。

「お前、紫電だな?」

 敵国最強の女兵士、紫電。彼女は紫色の髪を振り乱し、雷撃と共に戦場を駆け抜けるという。彼女が現れた戦場はまるで雷に撃たれたように、無惨にかき乱される。一騎当千の化け物。殺した人間の数は知れず、見て帰れた兵もほとんどいないという。

「あんたらは勝手にそう呼ぶらしいね。名前はちゃんとラベンダーってのがあるのに」

 きっとそれは、名を聞いた者が生きて帰還していないからだと、男は思う。
 それにしても、ラベンダーという名なのか。男は思う。だからか、先程嗅いだようなラベンダーの香を付けているのは。
 戦場に立つのに化粧など。女を捨てきれぬ紫電の戦士を、彼は心の内で謗る。その真意にはきっと、妬みもあった。

「次、決めるよ」

 その場でウォームアップのように彼女はとんとんと小刻みに跳ぶ。男も次で決めきれるよう、精神を集中させ今までよりさらに研ぎ澄ます。鋭く。さらに鋭く。なお鋭く。視覚と聴覚と嗅覚と、それらの境界が曖昧に溶けていくようで、感覚全てが繋がって、あらゆるものを察知するような。
 こんな感覚は彼にとって生涯初めてであった。恐らくは、負けたくないという強い意志が生んだのであろう。今や彼女の息遣いさえ目で感じ、瞬きすら耳で聞こえるような気持ちだった。
 リズムを取りながら飛んでいたラベンダーが、不意に前屈みになる。前傾のまま、地を蹴る。走って、駆けて、跳んで。その動きはさながら、縦横無尽。
 いつ仕掛けてくるか、男はその時を待つ。距離を保ち、旋回するようにして彼女は撹乱する。右。左。右。左。もう少し左に進んで後跳んで上。着地して正面。背後へ駆け、また跳んで。右に現れて、左へ駆け抜ける。次から次へと絶え間なく走り続ける。神速で駆ける彼女の後を追って、流星の尾のように紫色の髪がたなびく。あまりの動きに残像は生じ、その髪の軌跡はまるで、男を取り囲む格子の牢獄に似ていた。
 右前方数メートルから半円を描き左後方へ。その後一息に横へステップし右後方へ。その後近づいたかと思うとV字を描くようにして右前方へ戻る。後方へ現れても音のする方向で方位は分かり、息づかいで距離は分かる。
 後はタイミングのみ。男がそう思ったその時、彼女の足音はふと消える。そんな馬鹿なと動揺が走る。目の前に現れるはっきりとした死の影。視界が、真っ暗な絶望に覆われ始める、しかし。
 ふわり香りが風に揺れた。甘く、鮮やかな花弁が脳裏に浮かぶ。ラベンダーの香りは、後方に現れた。
 それこそが敗因だ。男は振り返り様に真後ろの空間を断ち切った。小太刀が匂いの根源を捉える。ぱっくりと、斬られたそれは真っ二つとなって、地面に転がる。両断されたのは、ただの香り袋だった。

「隙有り!」

 ただ立ち止まって香の入った布の袋を投げつけただけ。それに男は反応した。勝利の余韻を一足早く味わった彼は、集中を切らした彼では、もう間に合わない。
 一際強い踏み込みの音が荒野に響く。彼女の足は地面を抉り、これまでにない程の速度で男の正面へ。
 振り乱す紫の髪。揺るぎ無い瞳の紅。振り上げられた刀身が反射する陽光が、爆ぜる雷鳴が、男の敗北を告げていた。晴天の大地に青い稲妻が走る。
 天に轟く勝鬨を叫ぶように雷鳴はこだまする。その瞬間、雷に男は焦がされる。熱と光と爆音とにまみれ、一瞬の内に意識が消える、その刹那。彼は彼女の姿を網膜に焼き付けた。
 彼が今際の瞬間に焼き付けたのは、戦場に美しく咲き誇る一輪の花であった。