複雑・ファジー小説
- Re: 【短編集】蓼食う虫は好き好きで ( No.4 )
- 日時: 2018/02/28 03:11
- 名前: 彼岸花 (ID: hgzyUMgo)
生まれた生命は間違いでしたか?
僕は誰に宛てた訳でもない手紙を締めくくり、綺麗に三つ折りにした。ちょっとのずれも無いよう、有終の美を飾るべく、爪の先で念入りに押さえつけて端から端まで折り目を引いた。
百均で買った便せんは、今僕が教室の窓から見上げているのと同じくらいに淡い、空色をしていた。
上履きが擦れる足音を抑えようともせず、いつもと同じ足取りで僕は階段を上る。目指しているのは最上階のさらにその上、屋上である。一歩一歩、その所作を味わうように僕は斜め上へと進み続ける。こんなに感慨深く階段を上ったことなんてあるだろうか。
無くも無かった。というのもそれは、とても幼くて物心ついて間もないような頃。当然僕はまだまだ小さかった。目の前に立ち塞がる階段がまるで雄々しくそびえる試練の壁のように思えた。登れるかなと、挑発されるように感じたんだっけ。階段一段一段が、自分の腰くらいまであるくせに、僕は勇気を出して踏み出した。
息を吸って、吐いて。両手をついてあの時はようやっと一段昇った。それが今やどうだ。心の欲求にほだされて涙を流すよりも、ずっと簡単だ。一段飛ばししようが二段飛ばしで進もうが、達成感なんてありゃしない。まだ、苦労して自販機の下から一円玉を拾った時の方が喜べる。けれども当時の僕にとって、その一段はとても大きな意味を持っていた。乗り越えられたことが嬉しかった。
その充足感を得るために、一段、また一段と進み続けたんだっけ。幼い自分を想像すると、どうにもその姿は頼りなくてならなかった。えっちらおっちら上る自分は今にも落ちてしまわないかハラハラするような様子だったろう。
あまりに遠い日の思い出だったため、僕はそれ以上そのことを思い出せなかった。あの日、僕はどうして階段を上ろうとしたのだっけ。そして、上りきることはできたのだっけ。
上手く思い出すことはできなかった。けれども、焦る必要はない。どうせこれから、僕の生きた日々は全部思い出せることだろう。走馬灯が走る、という言葉があるくらいなのだから。
屋上と聞いた時多くの人が思い浮かべるのは、日差しに照らされたきれいなタイルの絨毯の上で談笑している姿、ではないともう知っている。屋上で弁当を食べるだなんて、映画や漫画で見ることはあっても実際にそんな事許してもらえないって、僕らは皆知っている。
なら何を連想するか。そんなもの簡単で、飛び降りだ。そうでもなければ、世の屋上は南京錠や鎖なんかで大げさに閉ざされてはいない。皆知っている、首を吊ってじわじわと死ぬ度胸も無い人でも、楽に死ねる薬を入手できない人でも、高いところから飛べば死ぬのだって。
だって僕らに、翼なんて無いから。飛んだと思った刹那の後には、重力に引かれ落っこちる。イカロスなんかよりずっと呆気ない。彼はまだ、短い間でも空を飛べただけましだろう。尤も彼は死ぬ覚悟なんて最初からしていなかっただろうけど。
なら僕に覚悟があるのかと問われると、分からなかった。死ぬ覚悟ができてるんだねと同意を求められると、でなければ屋上になど向かわないと答えられる自信はある。けれども、ほんとに死ぬだけの自信があるのかと尋ねられたら僕はきっと否定する。
多分、生きる意味を無くしたから死のうとしてるんだろうな。あまりに短絡的な己の発想には失笑を禁じ得ない。生きる意味なんてその内見つかるだろうに、今この瞬間に無いからって死に急ぐだなんて。大人になった僕が嗤ったような気がした。その笑顔を思い起こすのが何だか苦々しくて、これからお前も無かったことになるんだ、ざまあみろと天に唾吐く。
べちゃりと、頭の上に自分の涎がかかったみたいに、独り言が降りかかってきた。そうだよな、死ぬのは僕なんだ。けれども、やっぱり怖くなんてなかった。
この学校の屋上は、南京錠という門番が侵入を防いでいた。昔は金色に輝いていただろう老兵の錠は、今や錆で赤茶けていた。けれども、拳ほどもあるその番人は、古ぼけてなお使命を果たしそうなほどに堂々としていた。
けれども僕は知っている。五階と屋上の間に位置する踊り場、そこから外へと繋がる扉を眺めた。重苦しくて、何年も開いてこなかったであろう扉。そこが閉ざされていることは皆知っているので、誰も近寄らない。放課後、青春を謳歌する生徒たちはほとんどが教室かグラウンド、あるいは体育館にいるため、僕が屋上へ登ろうとする影を見られることも無い。そしてきっと、確かめた人もいないのだろう。実はあの錆に覆われた南京錠は、鍵など無くても力任せに引くだけで開くことを。
それに気が付いたのは、一年前の事だった。隣のクラスにいるアイツが気に入らなくて、逃げ出した。まだ一年の初めの方だったので、僕らは物珍しそうな目で見られ続けた。けれども僕は、アイツと比べられるのだけはどうしても嫌だったんだ。だから逃げ出した、屋上へ続く扉の正面は、息を潜めてさえいれば誰にも見つからない、絶好の隠れ場だった。
あいつさえいなければな、って思うけれど。それは違うと訂正する。むしろ初めからいなければ良かったのは、僕の方だった。
一段踏み出すごとに、僕の命のろうそくに、息が吹きかけられるようだった。消えろ、消えろって、呼びかけ続けているのは果たして自分の声なのか、アイツの声なのか。同じ声をしてるから、どうにも聞き分けが付かなかった。
いっそ別の人の声だったなら良かったのに。僕は思う。とすると誰だ、父か、母か。どっちでもいいか。
上りきる。もう、階段は無い。着くところまで来てしまったなと、僕は思った。けどまだだ、人生の終着点にはもうほんのちょっとだけ早い。僕だけが秘密を知っている、そう思っていた南京錠を見て、僕は目を丸くした。昨日、最後に確認した時には閉じていたその錠前は、その役目を放棄していた。そんな馬鹿なと、昨日の行動を思い返す。昨日は確かに、三回も『施錠されていること』を確認したはずだ。
だとすると、誰が。衝動に駆られるようにして、僕は急いで扉を開いた。ただし、誰に悟られる訳にも行かないので、静かに。
目の前に現れた濃い青に、僕の目は焦がされるようだった。
薄暗い階段を抜けた先に現れた青空は、教室から見た景色とはまるで違っていた。絵の具を塗りたくったみたいに、ぼんやりと朧げな水色をだらしなく広げるのではなく、強烈な光を放って見た者の心をわしづかみにする、鮮烈で、どこまでも深く、美しい青。ぼたりと落とした白の絵の具、それを力強く筆で引っ張ったような不格好な雲が、二、三浮いている。どこまでも澄んだ青に、生きていない僕の胸の奥は焼けるようであった。
何だこれ。呟いた。何だよ。問うてみた。こんなの知らない。感動した。宝石みたいに煌びやかでもなくて、海みたいに全部飲み込む貪欲さも感じなくて、もっとずっと排他的だった。俺はお前とは違うと、突き放されたみたいだった。空なんて、無機物ですらない概念のはずなのに、僕はどうしてか自分よりもずっと生き生きとした印象を受けた。
排他的。僕は自身の抱いたその言葉を噛み締める。飛んだものはいつか落ちる、滞在を許さぬその気高い姿がそう感じさせたのだろうか。死にたいなら、勝手に死んでろ、そんな彼の声が聞こえるようだった。喋るはずも到底ないのに。
視線を落とす。先客も、同じ感慨を抱いていたようだった。屋上の中心に、じっと立ち止まっている。天高くを見上げて、じっと固まっていた。頬には一筋の光瞬く軌跡があった。泣いているのかと気づく。でも、どうして。それはきっと僕が最もよく分かる。扉を開いてからというものの、瞳の奥がどうにも熱くて仕方なかった。この場所に、鏡が無くて良かったと思う。
走り抜ける、一陣の風。あまりに強い突風に、先客のスカートがバサバサと音を立ててたなびいた。太ももの裏にスカートの布地が引っ掛かり、前方の布が空気をはらんで膨らんだ。背中の中ほどまで伸びた、綺麗な黒髪も風にあおられ、肩の上の隙間から前方へと振り乱れる。彼女が瞬きをする、溢れた涙が頬を伝って、風に煽られ、輝きながら宙を舞った。
風がやんで、彼女はようやっと見上げた首を元に戻した。いつも後ろにある髪が耳を覆い隠しているのが不愉快なのか、彼女は髪をかき上げてその横顔を見せた。僕は一歩を踏み出す。彼女の仕草があんまりにも魅力的で、さっき見た青い空と同じように鮮烈な印象を僕に与えてきた。
扉を押さえていた手を離すと、ぎぃぎい耳障りな音をさせて、扉は閉まる。その音に、気づかれた。ゆっくりと彼女は僕の方を振り向いた。その所作一つ一つに、僕は惹きつけられる。こんな所で出会ったせいだろうか。先刻の感動をそのまま彼女に重ねてしまったからだろうか。青空に拒絶されてしまった僕の目には、もうその人しか見えていなかった。
彼女は何となく、僕の様子から何のために現れたのか察したようであった。それはきっと、彼女自身も同じ理由でそこに来たと言うのが大きいのかもしれない。
「君はどうして、泣いているのかな?」
「……言わなくても、分かるでしょう」
その時初めて、先輩は己が涙したことを知ったようだった。えっ、と呟いて、目を閉じて顔の左半分を手でなぞる。雫に濡れ、光る掌の様子を見て、まるで自殺しにきたとは思えないくらいに、愉快そうに笑った。
先客のその方が履く上靴は、靴底のゴムが藍色だった。学年によってその色が異なるため、足元を見れば互いの学年がすぐに分かった。大人ぶろうとしたのに恥ずかしいなと、頬を紅潮させる。多分だけれど、僕の頬も紅潮していたと思う。
そうして僕らは言葉を交わした。長いこと、ずっと、ずっと。先輩の身の上を聞いたうえで、今度は僕の話になった。初めに自分の話をすると言ったのは先輩で、簡潔に虐めが辛くなったと言って、それだけで終わった。
だから長いこと話し合っていたのは、実のところ僕が先輩に相談していただけだった。
>>5へ
- Re: 【短編集】蓼食う虫は好き好きで ( No.5 )
- 日時: 2018/02/27 23:22
- 名前: 彼岸花 (ID: hgzyUMgo)
「双子の兄がいるんです」
「うん」
「いつも比べられてきました」
「うん」
先輩はただ、淡々と相槌を打つだけだった。だけど、話している間、片時も僕から目を離さないでいてくれた。それがどれだけ、心強かっただろうか。
急かされた訳でもなくて、慰めてもらった訳でもなくて。でも、するりするりと言の葉は胸の内から溢れ出た。私は聞いているよって、言葉じゃなくて態度で示してくれて。だから、僕はきっと————。
「生まれた日は同じなのに、弟ってレッテルを張られた時から、何だか違いを感じてならなかったんです」
「そっか」
「僕はここ何年も、家に居ないみたいな感じで過ごし続けてます」
父も、母も。試験が返ってくるのは僕も兄も同じだと言うのに、兄の方ばかり気にかけた。僕だって、頑張っているのに。兄は天才だったけれど、僕は秀才どまりだった。たった一科目、兄よりいい点を取ったところで、他で巻き返されて結局僕はその日陰で控えているほかない。勉強だけでなく、あらゆる才能その全てがほんの少しばかりずつ奪われたようで、何をしても兄に敵うものなどなかった。
「何やっても敵わなくて、十年以上続いて、気づいたころには僕は期待なんて、されてませんでした」
まるで、二人分の才覚を、兄に集約させるためだけに作られた部品みたいだと何度も思った。こんな惨めに暮らすくらいなら、最初から生まれて来ない方が幸せだったんじゃないかって、数え切れぬ夜、枕を濡らした。僕という材料が、欠片一つ残さずに兄の中に入ったとしたら、きっと兄はもっと愛されたのだろう。僕も彼の中でその一部として愛してもらえたのだろう。
何より辛かったのは兄の態度だった。悲しいことに、こんな根暗なことを考える僕と違って兄は、僕が自分を心底蔑んでしまうくらいに優しかった。今回は僕の方も頑張ってたぜって両親に伝えてくれた。兄の名だけが刻まれたバースデーケーキに僕の名前を書き足してくれた。僕に冷たい両親の素気無い態度を見るたびに、申し訳なさそうに僕を見てくれた。
両親は僕に興味が無くて、兄はずっと手を伸ばそうとしてくれた。振り払って逃げ出したのは僕だ。周りに居たのがそんな風だったからだろうか、僕は、突き放してくれたさっきの青い空が、どうにも大好きでたまらなくなった。
続けて。そう、彼女が小さく促した。いつの間にか、僕は言葉を失っていた。親身になって聞いてくれる先輩の、切れ長の瞳が弧を描いて。西日に照らされるその笑顔に、言葉を失っていた。
「クラスに、友達はいるんですけど。こう言ったら皆に失礼かもしれないけど、やっぱり兄の方が好かれてるんじゃないか、って」
「重症だねえ」
「けど、そう思うには仕方ない日々でした」
誰からも愛されていないのに、何を糧に生きればいいのか。体の糧は与えてもらえるが、心の糧は与えてもらえなかった。
ほんと? 幼い日の自分が唐突に問いかけてきた。ほんとに、みむきもされてなかった?
さっき、途中までで途切れてしまった遠い過去の思い出がよみがえる。あの日僕は、何をしようとしたんだっけ。
階段の上には誰がいたっけ。父と、母と、兄。どうして僕だけ下にいたんだっけ。そうだ、兄がインフルエンザにかかって。僕にうつらないようにって遠ざけて、二人は心配だから兄に寄り添って。
薬を飲んでも、兄は調子が戻らなくて。その日その体温は40度を超えていた。ああ、思い出してきた。僕は不安で仕方なかったんだ。一人で待つのがじゃなくて、大好きな兄がどこかに行ってしまいそうだったから。
だから僕は、勇気を出して上ったんだ。途中で振り返って、上るのも帰るのも怖くなったっけな。そうして上りきって、皆のいる部屋に入って。
おにいちゃん、だいじょうぶ? そう尋ねてすぐに父も母も振り返って、僕に驚いていた。二人の、不安で心が張り裂けそうな想いなんて全然気づかないで、僕は得意げにえらいでしょって自慢して、苦しそうな兄に駆け寄った。
とても苦しそうにうなされる兄に対し、能天気にがんばれだなんて応援して、一人で階段を上りきった武勇伝を語って、そうして僕はこっぴどく両親に叱られた。
「勝手にそんなことして、危ないじゃないか!」
あれ、そんな言葉だったっけ。おかしいなと首を傾げた。それじゃまるで、僕が心配されたみたいで……愛されていたみたいじゃないか。
「そうみたいね」
「えっ」
間抜けな声が僕の口から洩れる。急に彼女の声がした。吃驚した僕があまりに可笑しかったのか、彼女は楽しそうに噴き出した。何その声、ってからかう声に悪意なんて感じられなくて、何だかとてもくすぐったかった。
どうやら僕の思考は駄々洩れになってしまっていたようで、一人で思い返していたはずの思い出も、全部ぶちまけてしまったらしい。何だ、ちゃんと見てもらっていたんじゃないと満足そうに先輩は言う。
「……そうみたいです」
「じゃあ、何で見てもらえなくなったのかな」
「きっとそれは、僕が拒んだんだと思います」
兄のためを想って駆け付けたのに、褒めるどころか叱られた僕は、やり場のない悲しみをずっと抱え込んでしまった。ほとぼりが冷め、冷静になった両親を、僕が突き放したんだ。もういいって、思い通りに動かないゲームのコントローラーを投げ捨てるみたいに。我儘言って放り出した。差し伸べてくれる掌を、一つ残らず弾いて、無視して、全部気にしないようにした。
そのうち両親も諦めて、より一層僕は意固地になって、罅が日に日に深くなった。今じゃもう、何マイルかけ離れた大峡谷になったかなんて測ることもできない。
多分僕は、差し伸べられた手を拒んでも、また差し出してくれることに満足していたんだと思う。ただの構ってちゃんだった僕は、自分が満たされるだけのために、家族に迷惑かけて、心労だけ与えて。
両親は僕を見ようともしないんじゃなくて、僕のために見ないようにしてくれているだけだったのだった。きっかけとなった出来事を忘れてしまった僕は、愛が与えられないだなんて勘違いして余計に彼らを嫌って、それを見た家族は、より一層僕を放任すべきだと考えたのだろう。
そうだ、そうに決まっている。愛してもいない息子のために、食事なんて用意しない。僕が、自分の居場所なんて無いと思っていた食卓には、ちゃんと僕の分の温かい食事があった。愛していないならば、衣服だって買い与えない。僕が着る服だって、兄のお下がりでもなく余り物でもなく、僕が好んで着そうな服ばかり箪笥に入っている。嫌いな人間の嗜好を、誰が知ると言うのだろうか。
この後二人で、泣いたんだっけ、笑ったんだっけ。僕は自分の話を終えると、今度は先輩の話をちゃんと聞いた。先輩がしてくれたみたいに、相槌だけ打って、じっと彼女の目を見た。辛いことを思い出す彼女の視線は時折右下に向いた。けれども、彼女は言葉を止めなかった。
太陽はもう、街の向こうに沈んでいこうとしていて、下校時刻五分前の音楽が校庭の方から聞こえてきた。サッカー部も、野球部も、陸上部も急いで着替えて帰ろうとてんやわんやだ。体育館の方からは、バスケ部の面々、教室からはゆったり歩きながら楽器ケースを抱えた女生徒の群れが現れた。
「私さ」
「はい」
「楽しそうに部活してる連中に、見せつけるように飛び降りようとしてたんだ」
「そうなんですか!」
「君も同じのくせに」
芝居がかった驚き方をした僕を、彼女が窘めた。その顔は、青空の下で初めて見た、今にも張り裂けそうな表情とは全く違っていて。夏の夕日のオレンジ色みたいに、温かくて穏やかだった。
「でもさ、何か飛べなかったんだよね」
「そうですね」
「何でだろ?」
「突き放してくれたからですよ」
何物の侵入をも拒む瑠璃色が、勝手にしろと言いながら僕らの飛翔を拒んだのだ。僕らの歪んだ気持ちを、想いをその青で全部焼き尽くした。後に残ったのは、一抹の希望だけ。その一抹の希望が何を指すのか今はまだ言えないけれど。
いつか必ず、勇気を持ちたい。たとえその勇気が溶かされて、身も焦がされながら地に堕ちることになろうとも。例え気が弾んで失敗してしまったとしても、大空への一歩を踏み出したイカロスの勇気には、敬意を払うべきものだから。
「にしても君の遺書、何だか詩人みたいだね」
「やめてください! それもう捨てるつもりなんですから。っていうか先輩の遺書だって黒魔術の教科書みたいに恨み言だらけじゃないですか!」
「はは、違いない。ところで、生まれた生命は間違いだった?」
たった一人で教室に残ってから書いた遺書、その結びには、家族に宛てたその言葉があった。しかしその問いは、僕に降りかかる。考えるより早く、口をついて答えは出た。
「これから、正解にしてみせます」
かっこいいねと茶化される。苦々しい顔を僕はわざと浮かべた。やっぱり何だか、くすぐったくて仕方が無いからそれを隠すようにして。
勇気の種を、心に一つ。いつか必ず花を咲かせてみせる。
別にその時、隣にいて欲しいだなんて言わないけれど。
まだちょっと、他人の優しさを拒みがちなその言葉は、口にせぬように僕は胸の内にしまいこんだ。