複雑・ファジー小説
- Re: 裂才 ( No.1 )
- 日時: 2018/03/01 19:05
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: EM5V5iBd)
【遺書】
この度私が、命を絶つに至った経緯を説明します。今私の目の前には缶ビールと、睡眠薬のマイスリーと、タバコの吸殻が転がっています。最期の言葉を綴るにはあまりに不似合いな場所ですが、私という人間が生きた、不器用な人生をそのまま写しているようで、私には、とても心地が良いのです。ですから、ここでお別れの言葉を書かせていただきます。
いつからか私は病気になっておりました。それが三歳の頃なのか、小学生に上がってからなのか、中学に通うようになってからなのか、私にはわかりませんが、とにかく知らぬうちにそれは私を蝕んでいきました。希死念慮は知らぬうちに大きくなっていきました。私は父にも母にもあまり迷惑をかけない、静かな子供であったと記憶しております。学校でも何か悪さをしたことはありません。ただ自分の意見を言うのが苦手だったため、快活で、なんにでも興味を示し、飛びついていくような同級生の子達と比べ、後回しにされることが多かった気がします。教師も両親も、その他の大人も人間ですから、自分を慕ってくれる子供が、素直に可愛いのです。私は教室の隅で、たくさんの生徒に囲まれる先生を見ていました。そこに憧れや嫉妬などはなく、嗚呼、私はこれとは違うのだなあ、とただ思っていました。
人付き合いが苦手でした。中学、高校と私は通わせていただきました。勉強は、よく出来るというわけでもありませんでしたが、だめというわけでもなく、その点でも私は両親を困らせることはありませんでした。ただ、私には学友がひとりも居なかったのです。年頃の娘が、休日おしゃれをして出かけるような真似を全くしないことについて、父や母は、今まで薄々感じていた、娘の周りとは少しずれた性質を、はっきりと感じるようになったかと思います。ふたりとも、口出しはしませんでしたし、何よりも娘が「普通」でいることを望んでいたので、異常と診断されるのを恐れ、カウンセリングなどにも行きませんでした。一人で登校し、授業を受け、一人で昼ご飯を食べ、一人で帰っていたあの日々は、灰色の思い出です。
高校でも周りとの断絶を感じながら暮らしていました。ただ、私の日々を大きく変えたことがありました。思春期に入った周りの生徒達が盛り上がる話題は、おおかた恋愛のことでした。私には縁のない話だと思っていましたが、偶然、夜、駅前でぼうっとしていたら、父より少し年下くらいの男性に声をかけられたのです。君、すごくかわいいね、と。
私にとっては革命でした。その人が唯一私を無条件で認めてくれたのです。嫌悪感などはありませんでした。手を握られ、ホテルが沢山ある方へ向かいました。ネオンはキラキラと輝いていました。綺麗だね、こんな子とできるなんて、と隣で男性が言葉をこぼす度に、私は嬉しくなりました。私って、この人にとっては、すごく大きな価値があるんだと知りました。初体験に特別な感想はありません。ただ、私をこんなにも欲してくれる人がいるという事実で、すべて満たされておりました。しかし行為が終わるとその人はとたんに冷たくなり、少しのお金を置いて、私がシャワーを浴びている間に出ていってしまいました。
それからは、夜の街に繰り出し、男性に声をかけられることに、夢中になりました。少し話をして、ホテルに行き、行為を終えるまで、私はその人に本当に必要とされ、愛されています。友達のいない私は、些細な会話さえうまくできませんでした。相手を困らせることも沢山ありました。しかし、体を差し出しさえすれば、相手は私を嫌いになったりしません。むしろ、求められてさえいるのです。全てが終わって別れる時、私は一番寂しさを感じました。お金なんていらないから、一緒にいてほしいと心の中で願いました。少し遅く家に帰るようになった私を見て、両親はやっと友達ができたのか、と安堵していたようですが、私は両親の望む普通になれなかったどころか、地の底まで堕ちていたのです。この生活は、お金だけが増え続けていきます。あまり高価な買い物をすると不審に思われるので、毎日CD店に通い、片っ端からレンタルをしました。学校ではいつもイヤホンを片耳にさしていたので、聴ける音楽が増えていくことは、単純に嬉しいことでした。
大学は両親に決めてもらったところに行きました。興味本位で参加した新入生歓迎会で、私は酒を覚えました。今まで押し黙って、隅に座っていた私が、酒が入ると、少し、少しだけですが、人と笑いながら話せるようになりました。それは私にとっての第二の救いでした。結局私はどの団体にも属すことはありませんでしたが、酒は、私という生き物を変えていきました。
家で一人で缶ビールを飲んでいる時が幸せでした。その頃も変わらず援助交際は続けていたので、少し高い酒を買ってみたりもしましたが、結局は手頃に酔えるものが好きでした。ふわふわして、記憶がなくなって、私が私じゃなくなる。根暗でつまらない人間の私が、変われる。とても気持ちのいいものでした。気付いたら朝になっていて、二日酔いの重い頭で大学に通いました。通っていましたが、途中で行かなくなりました。大学とは逆の方向へ向かう電車に乗り、昼間、公園のベンチに座り、コンビニで買った酒を飲んでいました。こんな時に友達でもいれば、お前は何をやっているんだと叱ってくれるのかも知れませんが、生憎、ここまできても、ついにできませんでした。当たり前のことでした。
そのせいで今は進級すらできません。部屋でひとり、寝転がっていると、なんのために生きているのかわからなくなります。とうとう押さえ込んできた恐ろしい病気が頭角を現し始めました。不眠症から始まって、朝から晩まで絶え間なくやってくる希死念慮、アルコール依存なんかのせいで行けなくなってしまった大学、気付けばすごく汚れてしまった体の私。すべて自業自得です。すべてなるようにしてなった結果です。
もう私は、生きていてもしょうがありません。
私より追い詰められた人などこの広い世には沢山いるでしょうが、けれども私は、明日が来ることが怖くて、今日も布団の中で震えているのです。この悲しみに耐えられないのです。この泣き言を甘えと言うならば、甘えでもいいから、ここから逃げさせてください。それほどまでに苦しいのです。未来は何も見えません。過去にも何もありません。ただ真っ暗の生活がこれからも続くことが、死ぬことよりもずっと怖いのです。
不出来な娘でごめんなさい。どうか許してください。私は、もう、一刻も早く、楽になりたいのです。死ぬことが私にとっての最大の幸せです。どうかお元気で。棺桶には、私が昔好きだったクッキーを入れてください。