複雑・ファジー小説
- Re: 悲しい空席 ( No.5 )
- 日時: 2018/03/29 17:40
- 名前: 錐森 有子 (ID: voMTFyIk)
「白桃」
この世界には色が多すぎると時々、思うことがある。
くっきりとした赤、ぼやけた甘く優しい桃色、温かみのある橙色、発溂とした山吹色、混じりっ気のない白色、黒、紫、緑……私にはどれもいらない。
自己主張の激しい赤や黄色も鬱陶しいし、橙色や桃色の呆けた温かさや甘さなんていらない。ただ純粋な黒でいたい。すべての色を混ぜると黒になるなんて言うけれど、そんなものは黒じゃないのだから。全ての色をない混ぜにした黒など、ただの虚無だ。はっきりとした色を温かさや甘さで打ち消し、優しさを激しさで相殺し……そんな黒にどれだけの価値もない。
幸運の象徴である虹をきれいだなどと思ったことがない私は、矢張り、どこか稔くれているのだろうか。沢山の人たちが笑顔で見上げた空の虹から目をそらし、己の内面の暗黒に逃げ込む人生。そんな人生を子どもの頃の私は、生きたいと思っただろうか? きっとそんなことは思わないに違いない。
その代わり、虹だ虹だとはしゃいでいられたあの頃に戻りたいとも思わない。今の私と子どもの頃の私は、どこか根本的なところが変わってしまったのだから。出逢ったところですれ違うだろう。だから私は子供が嫌いなのかもしれない。
「坂元さん時間、店仕舞いだよ。お疲れ様」
「あ……はい」
私は考え事ばかりで仕事も何もしていなかったが、店長はそんなことにちっとも気付かない様子で笑いかけてくる。店長はいいひとだ、少し思慮足らずなところもあるけれど。私に髪を染めるようアドバイスしてくれたのも店長だし、親も気付かないくらい軽く染めた髪を褒めてくれたのも彼女だった。近所のスーパーのレジ打ちのアルバイト。そんなに弱小というわけではなくて、私の県ではそれなりに数の多いチェーン店だった。店員の人数は丁度10人、時間帯ごとに分ければもっといるだろう。鮮魚コーナーでアルバイトをする人も4〜5人はいる。見れば皆息を吐いて、各々エプロンを外したり背伸びをしたりしていた。シフトはほぼ毎日の6時から9時までで、大体8時には暇な閑職となる。立ちっ放しで足が痺れ出すのもそれと同時だ。
セルフレジというのも流行り始めたことだし、それが導入されればこの仕事の需要はほぼ無くなる。会計を機械で行うものもあれば、商品のバーコードの読み取りから会計まですべて客が行うものもある。
アルバイトといえばスーパーのレジ打ちのイメージがあったが、これからはそれも薄れていくことだろう。
誰でもお使いを任されて、店員に顔を赤らめながら応対されたことがあっただろうに。これからはあの、無慈悲な冷たい機械に釣り銭を渡されることになるのだろうか。領収書を渡されるのは、店員の温かい手からだったはずなのに。店長はあくせく働く最中で、陳列に商品を置いているところだった。ここのスーパーのロゴが入った緑色のエプロンをするりと外す。一段落したところで、エプロンを正方形に畳みながら尋ねた。
「店長。近々ここもセルフレジとか使わないんですか? 話題になってますけど」
彼女は手を止めて、赤ら顔をにっこりと崩した。こちらに向き直っている。何気ないお喋りのつもりだったのに、店員全員が店長を見ていた。
「セルフレジって……ああ、あの全自動でできるやつだね。うん。そのつもりはないかな」
「でも……他の店だと結構入れてる所多いですよ」
たまりかねた他の同僚が言った。
「いずれにしても、君達を手放すつもりはないよ」店長は一言告げて、再び作業を再開した。
「さっちゃん」後ろから声をかけられる。尚美だった。私と同じ年齢、通っている大学は違うけれど、同じ大学生だ。優しく明るくいい子だけれど、私はその呼称だけは気に入らなかった。「その呼び方やめてよ」という言葉をどう解釈したらそうなるのか、何度言っても笑いながらそう言ってくる。尚美のその気分の盛り上がりにはついていけなかった。
「さっちゃん、よくああいうこと店長に聞けるよね。その何て言うか……肝が据わってるっていうのかな。でも皮肉じゃなくって、凄いと思ってるんだけど」
「さぁ? 無神経なだけだよ。よく言われるんだ。私は別にいいけど、セルフレジ入れたからってまさか辞めさせられはしないでしょ」
人に褒められるのが苦手な私は、適当にぶっきらぼうな返事をする。淡白だと思われるかもしれないけれど、私はこういう人間だった。尚美もよく分かっていると思うのだけれど。
「でもさ、店長私たちを手放すつもりはないって言ってた。聞けてよかったよね、私ずっとびくびくしてたもん。ここって結構時給いいじゃない? ここと同じくらいの時給だと他に重労働しか無くてさ。店長もいい人だし、ヘンな客も来ないし、あたしこのバイトできてよかったと思ってるんだよ。それになにより、さっちゃんと一緒に仕事できるんだもん」
「……私は別にここのバイトじゃなくてもいいんだけどね。尚美がいたからよかったけど、尚美がいないんだったらスーパーも重労働も同じ」
「……そっかな」
捨てられた子犬のような目をする尚美を置いて、時計を見て焦るふりして立ち去った。本当は彼女のことなんかちっとも好きじゃない私のつくウソなんか、尚美はとっくに見抜いてるはずだ。いや、そんなことはない。私にこんな間柄の友だちなんかいなかった。私は彼女のことが好きなのに、誤解されてしまったらどうしよう……。
胸をどくどくと駆け昇る血流が、いつもよりずっと近くに聞こえる。この感情は落ち着かない。