複雑・ファジー小説
- Re: アリス・イン・デスゲーム ( No.2 )
- 日時: 2018/03/14 20:31
- 名前: *atari* (ID: nG1Gt/.3)
夢の中では、色んな人が笑っていた。誰もが皆楽しそうで、それを見ている俺も笑っていた。だけどその"幸せ"は俺が手を伸ばすとたちまちのうちに消えていってしまった。伸ばした手は虚空を掻くだけだった。
きっと今の俺は夢を見ているのだ。
とてもとても、幸せな夢を。
それが本当にあった出来事なのか、それとも俺が勝手に作り出した物語なのかなんて俺には判断できない。けれども本当であればいいなと思った。そう心の底から強く願った。
そうだったら、この人生は少しは悪くなかったかもしれない。そうおもえるだろうから。
あたたかいあかいぬかるみに、おれのいしきはおちていく、ゆっくりとゆっくりとおちていく。
ああ、おれは、しあわせだ
*
意識が曖昧に覚醒する。ざわざわと自分の周りがなんだか騒がしい。昨日咳のせいで全然眠れなかったせいなのか、起きる気力が全然湧かない。やっぱり風邪なんてひくものじゃない。ぼんやりとした意識のまま、目を開くことも億劫で、耳に勝手に入ってくる、高低大小様々な声を聞いていた。
「んー?起きないぜ、このオニーサン」
『もう起こさなくていいンゴww』
「そ、それは駄目ですよ!起こしてあげないと」
「……あー、もう死んでんでしょ。コイツ」
「し、失礼だよ!アサヒ!ほら、息してるよ」
……思っていたよりも結構失礼なことを言われているようだ。たまに聞こえる弁護の声が唯一の救いだ。文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、それよりもやはり眠気の方が勝ってしまう。眠い、とても眠い。自分はこんなに朝が弱い方だっただろうか。まったく起きようと思えない。というかそれよりも気にしなければいけないこと、考えなければいけないことがあったような気がしたけれど、それ以上考える気にはなれなかった。それほどまでに眠いのだ。まるで脳が起きるのを拒否するみたいに。
「この人、お顔が怖いですの……」
「顔だけで性格を判断するのは時期尚早かと……うわ。そうとうな悪人面ですね」
「そ、そうですわよ!もしかしたら優しい人かも!……でも寝顔でこれだけ怖いって……」
「うふふ。全ては神のみぞ知ること……あら、悪魔みたいな顔してますねぇ、この人…」
「まぁどちらにしたって我が美しいことに変わりはないのだがな!」
(…………)
脳内で眠気と怒りがファイトする。そして今度は瞬殺で怒りが勝った。死んでるとか死んでないとかは、まぁ許せた。相当侮辱されていると感じたけれど、まぁ許せる範囲内だった。
だけど、顔は。顔のことは許せない。
(両親にも「鬼みたいな顔の子ねぇ」と言われ、好きだった女の子には対面するだけで泣かれて、この顔のせいで友達も全然出来なくて、出来るのは舎弟ばっかりで、真面目にしてても先生にビビられて、喧嘩なんか出来ないのにヤンキーに絡まれてばかりの俺の人生……アンタ達に、普通の顔に生まれたお前達に何が分かる!?)
そう怒鳴ってみようと試みて、思い留まる。何の根拠もなしに普通の顔と決めつけてしまったが、もしかしたらそうではないかもしれない。一回薄目を開けて、顔を確認してから、怒鳴るかどうかは決めようじゃないか。絶対に今考えなきゃいけないことはそれではなかったし、もっとつっこまないといけないこともあったかもしれないが、今の俺にとって最重要事項は"俺の顔に対する侮辱"だ。
俺はそっと薄目を開け──────────そして、閉じた。
「な、泣いてるぜ!?このオニーサン」
『ワロタwもしかしたらさっきから寝たフリしただけだったのかもね』
「な、なな、泣かないで下さい!どうしたんですか!?」
「おいおい、顔が怖いって言われて泣いちゃったのかよ?情けねぇなぁ?」
「あ、アサヒ……泣いてる人にそんなこと言っちゃ……」
分かってる、分かってるさ。泣くなんて男らしくない。だけど涙が止まらないんだ。男だって泣くのさ。女の子達、分かってくれよ。俺、こう見えてセンチメンタルハートだからさ。ちょっとの衝撃で罅がいっちゃうんだ。あぁ、だからって心配なんてしないでくれ。余計虚しくなるだけだから。
(……確かに普通じゃなかったなぁ)
俺が薄目を開けて、見たもの。それは普通以上馬鹿みたいな美男美女集団だった。年齢は十代前半から二十代前半まで幅があるようだったけれど、"顔が良い"、その点において彼らは皆同じだった。
馬鹿みたいに美しかった。
「なんか……めちゃくちゃ泣いてますね」
「……ご、ごめんなさい」
「あ、あの、その顔も個性的で、えっと、良いと思いますわ……」
「…………うふふ」
「はははは!我は美しいからな!」
最後の口調のおかしな男(そして、当たり前みたいに美形である。)の言葉で、俺のゆるゆるの涙腺は崩壊した。ついでになけなしの男としてのプライドとか人間としての何かとか、色々。
「ぅうっえう……うぅ……うわぁああああん……び、びなんびじょがぁ……うう……えぐっ……どう、して、おまえら、そんなに、きれい、なんだよ……お、おれにたいするあて、つけかよ、うぅ……うわぁぁぁあああああああん!!!!!ふざけんなぁああああああああ!!!!」
『被害妄想乙w』
白髪の男が、喋れないのか機械音声でそう言って笑う。やっぱりソイツもかなりの美形で、俺はもっと悲しくなった。
そんなこんなで冷静でなかった俺は気づけなかった。まずここは俺の寝ていた俺の部屋ではなく、見知らぬ場所の床の上だったこと。そしてこのやけに美形な奴らと俺は初対面で、そしてこの場所に閉じ込められてしまった──ということに。
- Re: アリス・イン・デスゲーム ( No.3 )
- 日時: 2018/03/17 14:06
- 名前: *atari* (ID: 1xlwHmTN)
∮
「……えっと、もう落ち着きました?」
いつまで経っても涙が止まらない俺に、セピア色の長い髪の女の子がそっとポケットティッシュを渡す。腰まで伸びた髪は毛量がかなりあるようなのに絡まり一つなくとても綺麗だ。きっちりとした制服のようなものを着ていて、彼女はきっと学生なのだろう。俺も同じく学生ではあるが、俺の家の近くでこんなデザインの制服は見かけない。もしかして俺の家からはかなり遠い所にある学校の子なのだろうか。起きた直後と比べて、大分頭が冷静になってくると色んなことが見えてくる。周りを見渡しても白い壁ばかりで扉のようなものもない。十一人が一同に集まっていても狭くは感じない程度の広さはあるようだけれど、本当にそれだけである。何もない。正真正銘の密室空間だ。また、十人のメンバーを見ても知ってる顔は誰一人としていない。そして集められたメンバーに何か共通点のようなものも見つけられない。年齢も、性別も、着ている服も、雰囲気も、何もかもが違う。唯一共通点を見いだすとするなら、やはり"美形"という点だが……悲しいかな、それだと俺は仲間はずれになってしまう。
それにしても寝起きで頭が回ってなかったとはいえ、こんなに大勢の前で、みっともなく泣きわめいてしまったことに、今更すぎるけれど後悔してもしきれない。こんな真面目そうな女の子に気を遣わせてしまった自分に対する嫌悪感で死にそうだ。
「…………はい。すいませんでした、あの、寝起きで、凄い冷静じゃなくて……」
「し、仕方ないですわよ!人それぞれ、気にしてることとか、ありますし……ワタクシ、達も、あの、その……」
そう言って、金色の薔薇の飾りのついた小さな黒い帽子を被った品の良さそうな女性が何か俺に対してフォローしようと思ったのだろう。何か言おうとして──最終的に言い淀むような形になる。あまりぽんぽんと言葉が出るようなタイプじゃないらしい。今は何かフォローしようとしてくれたという、その気持ちだけで嬉しい。何も言えなかったことに女性はとても申し訳なさそうな表情を浮かべている。綺麗な人がそういう顔をしてると、こっちまで悲しくなってしまう。どうにか笑ってもらいたいと思って、俺は「大丈夫です、困らせちゃいましたよね……」といってへらっと笑う。これで少しは気が晴れてくれただろうか。そう思って、女性の顔を見ると何故か彼女は酷く驚いた顔で俺の表情を見ていた。近くにいた小柄な落ち着いた雰囲気の少女も、同じように驚いた顔をしていて、ぽつりと言葉を溢す。
「笑うと大分印象が変わるんですね……」
どういうことなのか、よく分からないけれど気は晴れてくれたらしい。あぁ良かったとほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、顔にピアスを沢山付けた赤と白のメッシュヘアーの派手な見た目をした男がにかっと笑いながら、おもむろに近付いてくる。俺の知っている、こういう派手な格好をした奴は大抵不良で、俺はいつも喧嘩を売られていた。また、いつもみたいに喧嘩を売られるんじゃないかと、ひやひやする。
「オニーサン、おはよう!すげぇしっかり寝てたから、僕、どこか体が悪いんじゃねぇかって心配したんだぜ?」
俺の心配なんて露知らず、派手な見た目の男はまるで自分のことみたいに嬉しそうに笑い、そしてそう言った。あまりにもあっけらかんとした笑顔に、俺は拍子抜けをする。
(……散々見た目で判断されて、嫌な思いをしてきたのに……俺は……)
他人を見た目で判断していたのは俺も同じだ。それをされるのが一番嫌な俺自身がそれをしでかしてしまっていたなんて。俺は俺自身に怒りを感じた。なんてことだ、人のことを言えないじゃないか。俺だって、人を見た目で区別している。見た目が派手だからってなんだっていうんだ。大切なのは中身、そう分かってたはずなのに。
「……オニーサン?どうかしたか?」
「…いや、別に……」
自分のあまりの不甲斐なさに失望して、彼の目を見て喋れない。まるでさっきの美人の女性みたいに言葉が濁ってしまう。そんな俺の様子を彼はじーっと見ているようで、見えてなくても、視線を痛いくらいに感じた。きっと変に思われてるんだろう。彼の真っ直ぐな視線がきつかった。
だけど次に俺に投げ掛けられた言葉は俺の思っていたものとは予想外のものだった。
「……あー。もしかしてオニーサン、"自分が見た目で判断されるのが嫌なのに、彼の事を見た目で判断してしまった"とか思ってねぇ?」
「!?……なんで」
「……オニーサン結構顔に出やすいぜ、気を付けろよ。それに別に気にしなくていいよ、そのことは。……今でこそ大分丸くなったけど、僕ちょっと前までは札付きの悪だったんだ」
「……」
「じゃなきゃこんな顔中にピアスなんて付けねぇよ。オニーサンみたいに元々目付きが悪いとかじゃねぇんだ、理由がなきゃやらねぇ。……色々、むしゃくしゃしてたんだよ。その頃は、さ。悪いことも沢山した。……だから、罪悪感なんて感じなくていいぜ。僕は見た目通りの人間だから」
思ってることが顔に出やすいなんて、初めて言われた。というか顔をしっかり見てもらえたことが初めてかもしれない。顔が怖すぎて誰も目を合わせてくれないのだ。それにしてもここまで思っていることを当てられるなんて、俺の表情が分かりやすかったからだけだなんて考えにくい。彼の人の表情を見る力も相当である。常日頃から人の顔を見ていたりしていないと、ここまでは分からない……。
(……そんな彼が荒れてた理由なんて、想像出来ないな……)
こんなに人のことをよく見ている人が、こんなに人のことを思える人が、荒れた理由なんて。俺にはまったく想像出来ない。彼がそんな風にあっけらかんと笑えるようになったまでの経緯はきっと色々あったのだろう。会って間もない俺に過去なんか追及されたくないだろうから、これ以上聞くことはしないけれど。
(……そう、まだ会って間もないんだ)
"ほぼ"全員が初対面。
そんな俺達がこの密室空間に閉じ込められた理由とは一体何なのだろう?
「……なぁ、オニーサン。この部屋、なーんにもねぇなぁ」
ピアスの彼がぐるっと、この密室空間を見回して、俺に言う。確かに見れば見る程何もない部屋だ。窓もなければ、ドアもない。上下左右に白い壁があるだけ。俺達がここにいるということは、確かに俺達が入れられた"入り口"があるはずなのだけど……そんなものは一切ない。隠し扉などがあるにしても、スイッチのようなものはこの部屋にはないし……つまりスイッチは俺達を閉じ込めた誘拐犯側の手にある可能性が高い。少なくとも俺達側から、この部屋に出るすべは、ない。
全ては誘拐犯の手のひらの上だ。
「そうだ、ね……俺達、どうなっちゃうんだろう…………」
「あはは。その割にはオニーサン落ち着いてるぜ?こんな状況なのに『美形があ!』とか言い出すしさ」
「……う、それは蒸し返さないでくれよ」
「はは!」
「…………だけどさ、君も落ち着いてるじゃないか。これはあくまでも俺の憶測なんだけど、もしかして君も」
"そろそろ何か起こりそうな予感がしてるんだろ?"
俺と彼の声が被った瞬間、どこからかカチリと音がして、ウィーンと機械音がしたかと思うと俺達のいる位置から反対側にあった壁から、どこからともなく扉が出現した。それと同時に上空からスピーカーのようなものも現れて、変声機で操作されたような声のアナウンスが流れる。
『……あー。マイテス、マイテス。聞こえるか?待たせたな、扉は開けたから中へ入ってくれ。何がなんだか分かってないんだろう?説明してやるから……先へ進んでくれ』
……随分馴れ馴れしい話し方の誘拐犯だ。ふと、横を見るとピアスの彼がにこにこと楽しそうな顔で笑っていた。それを見る俺の顔も笑っていた。
「楽しそう、だね」
「……オニーサンこそ」
周りも見渡せば、他の九人も俺達のようにあからさまに笑っている奴こそ少ないが、皆落ち着いている。まるで家のリビングでテレビでも見てくつろいでるみたいな様子だ。
「……何だか、ずっと前から"この状況を望んでいた"、そんな気分なんだ」
「はは、何だそれ。頭おかしーな……って言ってやりてぇけど、それだと僕もおかしいことになるな。それに他の九人も」
妙な感覚だった。自分の知らない自分が、この場所を求めてる。この状況に歓喜している。そしてこの感覚は、俺と、彼と、他の九人も同じように共有している。おかしな話だ。初対面のはずなのに、見知らぬ場所なはずなのに、まるで"家族"と一緒に家で過ごしているみたいな気分になってくる。
俺達と、この場所には、きっと俺達の知らない俺達のことが隠されている。それはきっとこの先に進めば、見えてくるんだろう。
さぁ、扉の先へ進もうと足を一歩踏み出した時、隣の彼がおもむろに
「……鏡エイジ」
と呟く。僕の名前、そう言って笑う。
「…今、名乗りたくなったんだ、オニーサンには」
「…………」
「オニーサンとは、これから、色んなことをしそうな気がするぜ。ただならない縁を感じる。ただの直感なんだけど、さ」
それは俺も感じていた。赤と白のカラフルな髪を、沢山のピアスのついたその顔を、この先何度も見そうな、そんな予感。
しかし、名前。鏡エイジ君……良い名前、良い名前だと思うけれど……これはもしかして俺も名前を名乗らなければいけない流れか。
名前、名前か……あまり言いたくない。
「……俺も名乗った方がいい?」
「当たり前だろ」
「………………」
「……まだ名前を言えるほど、僕のこと、信用できねぇの?」
「そう、じゃないけど…………自分の名前、あんまり好きじゃないんだよね……」
あまりにも俺には"似合わない"から。
「……絶対に笑わないでくれよ?」
「分かってるって!だから、さ……」
「………………有栖」
「……は?ごめん、うまく聞こえ──」
「ッ──────だから!有栖カンナ!それが俺の名前!」
大きな声で叫んでしまったので、先に扉の先へ行った鏡君以外のメンバーにも聞こえてしまったかもしれない。恥ずかしい。顔が真っ赤に熱くなっていくのを感じる。笑わない、って約束したはずの鏡君がにやにやと笑っていた。
「……嘘つき」
「…ふ………は、ひひ……いや、だって……ふふ」
「笑わないって、約束したじゃないか!」
「……はは、いや、良い名前だと思うぜ?ただ、ちょっと予想外だったっていうか……ふふ……」
笑いを抑えきれないまま、鏡君はドアの先へ一歩踏み出す。何だか煮え切らない感じのスタートだ。俺は釈然としないまま鏡君についていく。俺達が最後のようで、もう部屋には誰もいなかった。ほんの少し雑談しすぎたみたいだ。
扉の先は長い廊下になっていて突き当たりは確認できない。ただ先へ行ったメンバーが大分向こうで歩いてるのは確認出来た。
「行こうぜ、有栖!」
鏡君があっけらかんと笑って、俺に手を差し出す。少し恥ずかしいような気もしたけれど、周りには誰もいなかったので、俺はその手を掴んだ。
掴んだ手はぎゅっと強く握り返されて、ほんの少しの不安と期待を胸に、俺達は先へ進んだ。
- Re: アリス・イン・デスゲーム ( No.4 )
- 日時: 2018/04/08 19:18
- 名前: *atari* (ID: 1QpV5ZBE)
∮
鏡君と共に、てくてくと先の見えない道を進んでいると、三メートル程先の辺りの方で、壁際に座り込んで休んでいる二つの人影が見えた。先はまだまだ先は長そうだ。確かに休憩でも取らなければ、息が上がってしまうだろう。俺達もそろそろ休もうか、と鏡君も大分疲れが出ていたらしく、額にじんわりと浮かんだ汗を服の袖で拭いながら、微かに笑って、こくりと頷いた。影のうち一つは男性、一つは女性のようだった。こちらから話しかけようか、かけまいか迷ってるうちに、向こうの方から声をかけてくる。初めに声をかけてきたのは女性の方だった。
「よ。ピアス野郎と泣き虫野郎じゃねーか。久し振り」
フリルのついた白色のふんわりとしたワンピースを着た彼女は、その可愛らしい格好に似合わない乱雑な口調で俺達にそう言った。彼女のその言葉に俺達が反応するより早く、彼女の傍らに座っていた男性があたふたと慌て出して、彼女と俺達の間に滑り込むようにしながら土下座をする。何やらぶつぶつ呟いているようだが、言葉が要領を成しておらず、何を言っているか分からない。がたがた、がくがくと、壊れた人形みたいに震えながら、めり込んでしまうのではないかという程、床に頭を擦り付ける男性を目の前に、俺達は何も言うことが出来ずにその場に立ち尽くした。
そうこうしてる内に、俺達の耳が馴れたのか、男性の方が落ち着きを取り始めたのか分からないが、大分何を言っているかが掴めるようになってきた。その姿を女性はまるで他人事のように 見つめている。いつものことだ、そう言ってるみたいな冷めた視線で。
「……す──すすす、すいません!あ、アサヒは……うちの、妹は、あの……思ったことをすぐ言っちゃう性格で……あの、ムカついたなら、お、オレを殴って、いいですから……えと、妹は……」
「妹?」
「……?は、はい!あ、アサヒは、この子は、オレの、妹です、…あ、えとほ、本当はこんな子じゃないんです、も、もっと優しい子なんですけど、えと」
そう話す彼の顔は、涙やら汗やら色々でぐちゃぐちゃではあったけれど、とても楽しそうだった。妹のことを聞かれたのが、とても嬉しい。そんな様子だった。改めて彼とアサヒと呼ばれた彼女の顔を見てみるけれど、兄妹と言われて、ようやく、ああそうかもしれない、思える程度にしか似ていない。確かに顔のパーツ一つ一つは似てると言ってもいいかもしれないけれど、作られている表情が真逆なのだ。どちらも顔は端正ではあるが、兄の方は気が弱そうで、妹の方は反対に気が強そうだ。
アサヒと呼ばれた、彼の妹らしい少女は舌打ちをしながら、心底憎々しげに自身の兄を見ている。
「アタシの兄貴っつーのに、こんなに情けなくて困っちまうよなぁ。見てるだけでイライラしちまう」
「……え、と、お兄さん、なんだよね?そんな言い方は……」
「…………あ?そうだけど。でもうぜーもんは、うぜーんだから仕方ねぇだろ。他人にどうこう言われる筋合いねぇから」
あまりの暴言に俺がもう少し優しくすればよいのではないかと、提言すると、吐き捨てるように彼女はそう返した。当の言われてる本人は慣れきっているようで、眉を八の字に寄せながらも、乾いた声で笑っていた。俺は一人っ子なので分からないが、兄妹というのはこういうものなのだろうか。もしそうだとするのならば、思っていたものと全然違う。兄妹とはもっと微笑ましい関係性では、なかったのだろうか。想像と現実とのギャップに俺が言葉を失っていると、横で俺の様子を黙って見ていた鏡君がそんな俺を心配してか、声をかけてくる。
「家族のコトは家族にしか解決出来ない。僕達が言うコトじゃねえよ」
「鏡、君……」
「家族のカタチは人それぞれだからな。アレが、あの兄妹の"家族のカタチ"なんだろうよ」
有栖は優しい家族の中で育ったんだな、そう言って鏡君は切なそうに笑った。その瞳には俺に対する羨望も混じっているようにも思えた。俺は鏡君に何か言わないといけない気がして───そして、結局何も言えないまま、口を閉じた。俺は一体彼に何を言おうとしたのだろう。伝えようとしたのだろう。とにかく何か励まそうとしたのだ。けれども思い付く言葉は、ただの気休めや偽善で凝り固まった身のない言葉だらけで。こんな言葉を言ったって彼はまた同じように切なく笑うだけだろう。それなら何も言わない方が、きっと、良かった。
俺は彼のことを何も知らない。まだ出会ったばかりだ。何も知らなくて当然だ。だけど何も知らないのに何か伝えたって、その人に何か伝わるはずがないのだ。だからこそ俺はこの時、心の底から彼のことを"知りたい"と思った。これからどうなるか分からない。この長い廊下を進んだ先、出口が待っているのか、それとも更なる迷宮があるのか。どちらにしたって俺は鏡君との関わりをこれで終わりになんかさせたくない。もっともっと彼のことを知りたい。彼と色んな物を見てみたいし、色んな感情を共有したい。
(まるで、彼に"恋"してるみたいだな───)
頭の中でそう考えて、笑いが込み上げてきた。恋、恋だって?随分陳腐な表現が浮かんできたものだ。男同士の関係の表現で恋だなんて、ちゃんちゃら可笑しい。けれども言い得て妙だと思った。俺と彼はまるで赤い糸に繋がれた恋人同士のようにお互いに運命を感じている。前世というものが、もし存在するのなら、きっと俺達は相当に深い繋がりだったのだろう。そう思ってしまう程に。
(いや、でもやっぱり違うな)
この関係を、この運命を、恋や愛だなんて言葉で縛ってしまいたくない。これはきっともっと独特で限定されたものだ。
俺はこの時、一層強くそう思った。
∮
あの空間に閉じ込められていたメンバーの内、最後に扉から出てきたであろう、あの怖そうな青年二人組は数分経つと、居心地が悪く感じたのか、この場を立ち去った。アタシ──森アサヒは心の中でほっと息をついた。計画通りだ。"あえて"あの人達に酷い態度を取ったかいがある。アタシ達の前であの人達が休憩を始めた時、内心酷く焦った。アタシの兄───ヨゾラは、アタシが他の人と少しでも仲睦まじく話していると、とてつもなく情緒不安定になる。まともに会話が出来なくなったり、人と目が合わせられなくなったりなどの、コミュニケーション能力の低下は、まだマシな方の症状だ。アタシが一番嫌なのは、人がいなくなった後の───────
「アサヒ、どうしてあの人達に自分から話しかけたの」
──────これだ。
あの感情のこもっていない無機質な目で見られていると、声が震える。上手く頭が回らなくなって、ロクなことが言えなくなって、涙が出てくる。いつもは本当に、優しい、優しい兄なのだ。だからこそ、あの目で見られると、正気じゃいられなくなる。嫌われたんじゃないかって。今度は兄さんにも"捨てられてしまう"んじゃないか、って。
兄さんに捨てられたら、アタシは。
「……だ、だって、あの人達アタシ達に話しかけようとしてた!だ、だからアタシ……あの人達を追い払おうと思って……」
「そう……だから話しかけたんだ。それはとても良い心がけだね」
「じ、じゃあ、"お仕置き"は…………!」
「"それ"はする。見ていてイライラするくらい喋ってたから」
その言葉がアタシの脳内に伝わるよりも早く、兄の拳がアタシの顔にめり込む。とんでもない力で殴られたアタシは、まるでゴミクズみたいに吹き飛んでいって壁に全身を叩きつけられた。ごつん、と嫌な音と共に頭から壁に一直線に。痛い、痛い。目の前がチカチカする。今まで見えていた景色がぐらぐらと歪んでいく。頭は既に使い物にならなくなってしまったみたいで、目の前の光景を理解してはくれない。もしかして敢えて理解させまいとしてくれているのかもしれない。理解してしまったら気が狂ってしまうから。顔を中心に痛みが増えていく。顔を殴られているのだろう。何度も、何度も。傷が残らなければいいな、と意識が遠くなる中で思った。もし傷が残ったら他の人に兄さんがやっていることがバレてしまう。それは、それだけは避けたかった。こんな目に合っても、痛くても、辛くても、アタシは兄さんと一緒にいたいのだ。兄さんはアタシのたった一人の家族で、アタシを受け入れてくれた、唯一の人なのだから。
「う、ぐ──げふッ───」
鳩尾を勢いよく蹴られて、胃の中にあったものが逆流する。気持ち悪い。吐き気がする。だけど吐いちゃ駄目だ。吐いたら兄さんを汚してしまう。兄さんを汚すのだけは、汚すのだけは駄目だ。吐くな、吐くな吐くな吐くな吐くな吐くな吐くな。けれども我慢も空しくアタシの口からは汚ならしい嘔吐物が出てきた。あぁ何て汚ならしいんだろう。アタシは床に這いつくばって自身のソレを舐めた。ソレは兄さんの足の方にも飛んでしまっていている。アタシがソレも舐めようとした時、兄さんの声と共に生暖かいものがアタシの頬に伝っていった。それは兄さんの涙だった。
「…………ア、アサヒ……」
「……にいさん」
アタシの顔を見た途端、兄さんはがっと自らの顔面を手で覆った。かくんと膝から力が抜けていって、立て膝をつきながら兄さんは泣いた。呻くように泣いた。その様子は殴られ、蹴られていたアタシよりも、よっぽどか苦しそうだった。それを見ていると心がきゅっと苦しくなって、アタシも涙が出てきた。
「……あ、あああああ、またオレは、オレは、また、また、やってしまったのか……ごめん、ごめん、アサヒ……何で……何でオレ……アサヒは大切な、オレの、妹なのに、なんで……なんで……こんなこと、したくないのに……ごめん、ごめんな、アサヒ……」
「……だいじょうぶ……アタシは、だいじょうぶだか、ら……兄さん、泣かないで……兄さんが、泣いてたら……アタシも……アタシも苦しいよ…………」
「アサヒ……ごめん、ごめん……ごめん……ごめん、ごめんな……ごめん」
兄さんは横になったまま動けないアタシを、優しく抱き抱えて、ぎゅっと抱きしめた。母親が赤ん坊を抱き締めるみたいな、相手を慈しむみたいに、優しくそっと抱き締めた。兄さんはずっとごめん、ごめんと謝り続けている。アタシはそれだけで全てが報われたような気がした。兄さんは悪くないのだ。全てはアタシと兄さんに"普通の愛し方"を教えてくれなかった、あの人達のせい。アタシ達はあの人達に間違わされたのだ。あの人達は一度もアタシを愛してくれたことなんてなかった。アタシを受け入れたことなんてなかった。愛してくれたのも、受け入れてくれたのも、兄さんだけだ。
だから、どんなに辛くたって、アタシは兄さんを嫌いになんて、なれない。
「……兄さん……お願いが、あるの……」
「……何?」
「…………アタシを、ずっと、好きでいて……一生、側に、いて、ね……」
アタシの言葉を聞いて、兄さんはまた泣いた。こんな風になっても兄さんはまたアタシを殴るだろう。蹴るだろう。そして最後にまたこうやって泣くんだろう。負の連鎖は止まらない。アタシと兄さんは離れない限り、ずっとこのままだ。
アタシと兄さんが一緒に掴める幸せは、ないのかもしれない。
(でも……一緒に、不幸には……なれる、はずだよ、ね……)
そこまで考えてアタシは兄さんの腕の中で夢見るみたいに、微睡みに落ちていった。
- Re: アリス・イン・デスゲーム ( No.5 )
- 日時: 2018/04/17 18:02
- 名前: *atari* (ID: y98v9vkI)
∮
奇妙な兄妹と別れて数十分、この長かった廊下もようやく終わりが見えた。数メートル先でぼんやりと光が見える。ざわざわとした話し声も聞こえてきた。他のメンバーの声だろう。俺は、ほっとした。気が抜けて、強ばっていた肩の荷がそっとほどけたような気がした。きっと、この廊下を抜けた所で、さっきのスピーカーの声の持ち主の言う"説明"を聞いた所で、ハイ脱出です。とはならない。それは既に察しがついていた。これからどうなるか分からない。だけど今みたいに延々と終わりの見えない廊下を歩かされるなんてことはないだろう。あんな何もない廊下をひたすら歩かされるよりは、きっとどんなことだってマシなように今の俺には思えた。それほどまでに、この廊下に俺は堪えていたのだ。それは隣にいる鏡君も同じなようで大粒の汗を沢山額に浮かべながら、彼は今までの疲れを全部吐き出すみたいに溜息を吐いた。
「…………やっと、だな」
「そうだね。……俺、久し振りにこんなに運動したよ……」
お互い疲れきってしまっていて、それ以上は話さなかった。というか話せなかった。喋るのに体力を使ってしまったら、もう一歩も歩けなくなってしまいそうだった。あの光っている場所に着いたら、まずはしっかり休もう。あのスピーカーの男が何を言ってきたとしても、休ませて貰おう。それで体力がしっかり戻ったら、俺はもう一度彼と話すんだ。話したいことが沢山ある。聞きたいことが沢山ある。沢山話して、沢山聞いて、それで、もっと彼と仲良くなりたい。
(あと少しだ……頑張ろう)
心の中で自分にそう鼓舞して、俺は重たい足を前にどうにか運んだ。
∮
長い廊下の先。
遠くからでは、ぼんやりとした光にしか見えなかったが、その場所は想像していたものとは百八十度違っていた。
「なんだ……コレ……?」
俺達が最初にいた空間は、白くて何もない無機質な部屋だ。ここはその反対だった。全体的に暖かい雰囲気に纏われていて、食べ物や椅子や机、その他もろもろが何でも揃っている。俺は行ったことがないけれど、ホテルのスイートルームが大きくなったのが、まさにこんな感じだろう。頼めばサービスでも出してくれそうだった。広い空間のあちこちで先に来ていたメンバーが、各々で好きなように寛いでいる。俺達は確かに理由も分からずに集められ、誘拐まがいのことをされていたはずだ。だけどここにいるメンバーは、そんなこと忘れているみたいだった。部屋の中央には、肉、サラダ、スイーツなどがいろどりみどりにバイキング形式で並んでいる。どれもこれも美味しそうだ。腹はとても減っている。今すぐにでも食べてしまいたい。けれども黄泉の国の食べ物を食べたら、現世には二度と戻れなくなる。昔聞いたそんな迷信が、ふと頭に浮かんで俺は食べ物に伸びかけた手をぴたりと止めた。本当に、食べても大丈夫なのだろうか?だけど腹は減っている。不安と食欲。そんな二つの強い感情が俺の中で葛藤していた。
「食べた方がいいですよ、その料理。今度は、いつ食べれるか分かりませんから」
可愛らしいけれど、芯のある凛とした声が横から掛けられる。声の方を見ると、あの空間にいた内の一人の小柄な少女が俺と鏡君を無表情な顔でじっと見つめていた。小さいのに随分迫力のある子だ。そう思った。顔の四分の一を占める大きな丸眼鏡、その奥にある、くりっとした小動物のような瞳には強い意思を感じる。彼女の言葉は正しい。よく分からないけれど彼女の瞳には俺にそう思わせるだけの力があった。
「失礼。…私は華宮アザミと言います。見ての通り貴方達と一緒にあの空間に連れてこられた一人です」
そうこうしてる内に、彼女はそう言って俺達の方に向かってぺこりと会釈した。俺達が何も言わないのを警戒してるせいだと思ったらしい。体格もそこそこの男二人が、こんな小柄な女の子相手に警戒する訳ないのに。律儀な女の子だ。彼女が自己紹介したのを見て、さっきまで黙っていた鏡君が口を開いた。だけど何だか様子が変だ。口元は笑ってるのに、目が笑ってない。俺の前にさっと出て、相手を威嚇するかのように彼女の方へ一歩前に出る。
まさか、こんな女の子に警戒しているのか?
「ご丁寧に紹介ドーモ、僕は鏡エイジ。こっちは有栖カンナ、初対面なんだけど何か意気投合して一緒に行動してる。…さっきの話、何の根拠があって、そう言ってるんだ?」
「ちょ、ちょっと!?鏡君失礼だよ……!」
明らかに自分の言ったことを疑うような言い種に、まぁそうなりますよね。と彼女は怒ることもなく静かに肩を竦めた。ただ普通に隣に立っている俺でさえも今の鏡君の視線は怖く感じるというのに、目の前の女の子に怖がっているような様子は一切ない。どれだけ肝が座っているのだろうか。彼女は真っ直ぐに鏡君の目を見つめて、彼の質問に答え始める。言い淀むことのない、すらすらとした受け答えだった。
「……根拠というには、あまりにも信憑性が欠けたものではありますが。私達は貴方達が来る二十分前には此処に着いていました。部屋の中央にいる赤いハイヒールの男性が一番始めに食事に手を付けましたが、今の今まで何の異常もありません。また彼が言うには、"自分は食事には人並み以上に知識がある"、"この部屋に置いてある食事に毒はない"とのことです。嘘か本当かは分かりませんが、まあ、嘘をつく理由もないでしょう」
「……そっか」
「納得して頂けましたか?」
「あぁ。疑って悪かったよ、えーと……アザミ、ちゃん?」
「別に良いです、この状況なら疑って当然ですから。……でもアザミちゃんは止めてください。……寒気がします。名前を呼ぶ際は名字で呼ぶ事をお願いしたいです」
疑われたことに対しては何も怒ってないらしく、彼女はそう言って俺達を許した。だけど最後の一言は彼女の心の底からの言葉だろう。終始無表情だった彼女の顔は"アザミちゃん"と呼ばれた時にだけ、ぴくりと動いてひきつっていた。首には寒イボが立っている。よっぽど"アザミちゃん"と呼ばれるのが嫌なのだろう。俺が顔の事を言われるのが地雷なように、彼女の地雷は"アザミちゃん"と呼ばれることなのかもしれない。華宮さん、ごめんな。と鏡君は、そう言い直した。
「大丈夫です。……それにしても、貴方の同行者の方は大丈夫なんですか?今時そんなお人好しじゃ世の中やってけませんよ」
「……え!?」
「それな!!僕心配になっちゃったよ……有栖、知らない人にお菓子あげるよって言われても、ついてっちゃ駄目なんだぞ?」
自分より小さな女の子に世渡りの心配をされ、鏡君には幼稚園児の子供への注意みたいなことを言われてしまった。自分では分からないけれど、俺はそんなにお人好しなのだろうか。確かに人を疑ったりすることは、あまりないけれど……それって普通のことじゃないのか?人を疑うと気分悪くなるし、どうせなら信じたい。それに俺は人の見る目はある方だと思う。俺は今まで信じてきた人に裏切られたことなんてない。世界は案外人に優しく出来ているのだ。
「……それ騙されてるのに気付いてないだけですよ。世界は貴方が思ってるよりも歪で歪んでます」
そう言ったら、華宮さんに冷たくこう返された。そういうものなのだろうか。あまり実感が湧かない。首を捻った俺を見て鏡君がくすっと笑う。
「……呑気だなぁ。だけど、有栖みたいに皆がそんな風に夢を見て生きれたなら、きっと幸せなんだろうな」
俺の人生が、夢を見て生きているのだとするのなら、俺もいつか皆のように目が覚めて、世界は歪なのだと思うようになるのだろうか。それとも夢を見続けるのだろうか。
夢を見続けたとして。
その終わりにあるのは、一体何なのだろうか。
そこまで考えた時、部屋中にけたたましいベルの音が鳴り響いた。
∮
「全員揃ったようだな。……では、初めましてアリス諸君。オレ"達"のことは白兎とでも呼んでくれ。"見たまんま"だろ?」
ベルの音が鳴り止むと、気が付けば料理の置いてある部屋の中央に白いタキシードを着た赤い目の白兎頭が立っていた。白い白兎(何だかそんな言い方は変かもしれないが)の周りには同じような見た目をした、黒目の黒いスーツを着た白兎頭が数十体立っている。口を開いたのは赤い目の白兎で、他の白兎は黙っている。変声器で声を変えてはいるが、随分馴れ馴れしい話し方だ。見る限りアイツがリーダーのようだった。白兎の言葉で周りを見渡すと、いつのまにかあの奇妙な兄妹もこの部屋まで来ていたようで、部屋の隅の方で二人が立っているのを確認できた。
(とうとう説明してくれるのか……)
あの無機質な空間で"進んでくれ"と言ったのは、きっとこの白兎だろう。コイツは、あの時"説明してやる"と言った。"脱出させる"とは言っていないということは、このままハイどうぞと出してくれる訳がないのだ。だからといって俺達をここから脱出させる気が一切ないとも考えにくい。俺達を脱出させる気がないのなら、説明なんていらない。"説明がある"ということは、"出るための条件"があるということだった。俺はごくりと生唾を飲み込んだ。一体何を言われるんだろう。もし漫画やアニメでよくある"殺し合い"をしろなんて言われたら、とてもじゃないけど俺には出来ない。さっきも言ったけれど、人の見る目はある方なのだ。俺は。ここにいる人達が悪い人達には見えない。悪くない人達を理由もなく殺すなんてこと俺には出来るはずがなかった。
(もし……そう言われたのなら……俺は"自殺"しよう……)
鏡君と仲良くなりたかった。色んな話をしたかった。色んなことを知りたかった。だけどその鏡君を殺してまで、他の人達を殺してまで、俺は自分の願望を叶えたいとは思えない。それくらいなら死んだ方がマシだ。人を殺して生きるなんて、まっぴらごめんだった。
殺し合えと言われたら、自殺する。
そう覚悟を決めた俺にとって、次に白兎が言った言葉は意外でしかなかった。
「突然だが─────お前達にはこれから一ヶ月間一緒にこの場所で生活してもらう。ただ、生活してもらうだけだ。もしお前達が望むものがあるなら、オレ達白兎はお前達の願いを叶える努力をしよう。困ったことがあるならオレ達に言ってくれ。対処しよう。お前達の幸せに協力しよう。勿論個人個人に合わせた個室も用意してある。食事のことは心配しなくていい。オレ達はお前達が快適に、この場所で暮らせるようにするためのスタッフだ。一ヶ月、たった一ヶ月暮らすだけでいいんだ。オレ達がお前達へ望むことは、たった一つだけ──────」
機械で偽られた音声でも隠せない程に、その言葉は情緒に溢れていた。俺達に対する熱烈な何か感じた。
その言葉は、あまりにも哀しく、心の底から懇願するようで。
「───────ただ、生きてくれ。この一ヶ月間生き残ってくれ」
この時の俺は知らなかった。
この言葉に、この心の底から願った言葉に俺達は反してしまうこと。
たった一ヶ月生きること、たったそれだけのことが俺達には、とても難しいことだったこと。
─────あまりにも切ない、この言葉が、【世界一優しいデスゲーム】の始まりの合図だったことに。
- Re: アりす・いン・デすゲーム ( No.6 )
- 日時: 2018/04/22 15:24
- 名前: *atari* (ID: hX9Ncthn)
「───なんて、大袈裟なことを言ったけれど、まぁ普通に暮らしてくれればいい。こちらの都合に付き合わせて悪いな、お前達」
「……ちょっと待って下さい。色んな事を突然言われても……私達にだって聞きたいことが山ほどあるんです。貴方のペースで話さないで下さい」
白兎頭がどんどん自分のペースで話を進めていっていってしまうのを、華宮さんの凛とした落ち着いた声が静止する。その言葉で、あぁ悪かったなと白兎頭は喋るのを一旦止めた。色んな事で話が追い付けなくなっていた俺は彼女のその言葉に感謝をした。この好機を無駄にしてはいけない。俺は一度頭の中を整理してみることにした。
(と、とりあえず……"殺し合い"とか、そういう物騒なことはないのか……?)
白兎頭は『一ヶ月間この場所で生活しろ』と言った。そして『生きてくれ』『生き残れ』とも。やけに大袈裟な言い方をされたが、何はともあれ俺達が生死を伴うような危険に巻き込まれる可能性は低いだろう。、あの口振りからして、この建物は何の変哲もない只の宿泊施設のようなものらしいし、普通の日常生活を送っている時以上の危険はない。むしろ交通事故などの可能性がない分、日常生活を普通に送るよりも安全かもしれない。
(……とは、言ってもだ)
危険がないことは分かった。けれども疑問が消える訳じゃない。白兎頭は肝心なことを言ってなかった。俺達が集められた理由だ。これといった共通点といった共通点も見つからない十一人。これから一ヶ月過ごす上で───まだ白兎頭の言葉に了承した訳ではないが、この状況から、それ以外の選択肢はないだろう───必要はないかもしれないけれど、気になるものは気になる。一ヶ月間だ。とてつもなく長い訳でもないが、決して短い時間ではない。その間、どうして自分が集められたのか分からないまま、生活するのは……何というか、不安だ。
(そうだ……俺達は"一ヶ月ここで過ごすんだ"……)
改めて色んな事を考えて俺は気が付いた。当たり前のことすぎて忘れていたが、俺達は"誘拐"されているのだ。気付かない間に、この場所に連れてこられ、そして一ヶ月間この場所で過ごせと言われている。つまり俺達は、この場所に一ヶ月もの間、拘束されることになる。そして俺達には勿論ここに連れてこられる前の"生活"が、"日常"がある。嫌な話だけど俺達十一人が消えたところで、社会は程々に報道して、適度に騒いで、そしてまた普通に廻り続けるだろう。だけど俺達と近しい人達、周りの人達はそうはいかない。突然消えた俺達に彼らは驚くだろう。それだけじゃない、例えば俺にはバイトがあるし、他の集められたメンバーにだって仕事や学校があるだろう。無事に一ヶ月ここで過ごすことは、そりゃあ出来るだろうけれど、問題は、その一ヶ月が終わった後のことだ。色んな面からどう考えたって、その後の生活を今まで通りの日常を送れるとは到底思えない。
俺がそのことを聞くと白兎頭は、その白いふさふさした毛の生えた頭をぽりぽりと掻いて俺の質問に答える。
「……あー。それは大丈夫。だってこれは"誘拐事件"じゃないから」
「……は?」
「この"実験"は大々的な試みでね。詳しいことは実験の妨げになるから言えないけど、この実験には"国"が協力してるんだ。つまりお前達が、この場所にいる事実はお前達以外の国民の全員が知ってる」
「…そ、それが本当だったとして何でそんな実験に俺達が……」
「ランダムだよ、ランダム。適当に十一人集めて、選ばれたのがお前達。まぁ、それは運が悪かった───いや一ヶ月の間、働きもせず、何もせず、暮らしていけるんだから、運が良かった、か?───と、まぁそう思ってくれ」
白兎頭のその言葉に、この場にいる全員が絶句した。誰もが皆言葉を失って立ち尽くしている。誘拐されたと思っていた時よりも、むしろ今の方が俺達は戸惑っていた。自分達が普通に送っていた生活の裏で、こんな実験が国によって企てられていた事実。そしてそのことを俺達以外の国民の全員が知っているという事実。それはつまり俺達の身近な人達───家族も俺達がこの実験に参加させられることを了承したということだ。こんな訳の分からない実験に俺が巻き込まれることを知りながら、あの人達は俺と生活していた。何も信じられなくなりそうな気分だった。
白兎頭の言葉に信憑性はない。だけどここで嘘をつく理由もなかった。俺達はここを一ヶ月で出る。一ヶ月後に分かることを、ここで嘘をつく理由がなかった。
俺達のそんな戸惑いに気付いているのか、いないのか、白兎頭は酷く優しい口調で、最後にこんな風に言葉を締めくくった。
「……沢山歩いて、今日はもう疲れただろう。これからの生活に必要な詳しいことは今から配る電子手帳に記載してあるから、今日はもうゆっくり休むといい」
そう言う白兎頭の赤い瞳には、俺達に対する慈しみのようなものを感じた。
∮
白兎頭が去った後、俺達はそれぞれに言い渡された部屋に行って、白兎頭から渡された電子手帳を開いてみることにした。基本は普通の手帳のような作りになっていて、この場所の生活ルールのようなものや、場所の見取り図、各部屋に取り付けてある家電の使い方などが掲載されてあった。またカードキーのような役割も果たしているようで自室の施錠は、この手帳によって行われるらしい。何とも高性能な手帳だ。
「有栖、ちょっといいか?」
俺が手帳をまじまじと見ていると、部屋のドアをノックする音と共に鏡君の声が聞こえてくる。俺は一度電子手帳を服のポケットに入れて、部屋の鍵を開けた。
「数分ぶりだね、どうしたの?」
「手帳を見てたら、色々気付いたことがあったからさ。有栖にも教えようと思って」
そう言って鏡君が出したのは、一番最初のページ────プロフィールのページだった。自分の事が書いてあるだけたったので、さらっと読んだだけだったが、何か特別なことでも書いてあったのだろうか。彼はそのま電子手帳を素早く操作し、プロフィール欄の一番下までスクロールする。そこには【アリス名】と書かれていた。そしてその横には【林檎のアリス】とも。下には説明文のようなものがあり、【白雪姫の名を持つ】と書かれてある。
「……アリス?そういえばさっき白兎頭が俺達の事をそう呼んでたよね」
「あぁ。……しかもコレ、人によって名前が違うらしいんだ。意味はないかもしれないけど、一応有栖のも知っときたいって思ってさ」
【アリス】。有栖。自分の名字と同じ読み方をする童話の主人公の名前。偶然だとは思うが、そのことに少し気色悪く思う。そういえば童話の中でアリスは白兎を追い掛けたのだっけ。あの白兎頭達の珍妙な格好は、この設定に基づいてるのかもしれない。
鏡君と同じように俺もプロフィール欄を開き、スクロールする。俺の【アリス】の名前。それは。
「【白紙のアリス】……?」
鏡のモノと違って、俺のモノには説明文のようなものは見受けられなかった。鏡君は"林檎"で"白雪姫"だった。確かに白雪姫の物語には林檎が出てくる。ならば俺は。"白紙"の俺は。
「"物語"が、ないのか……?」
俺の言葉に鏡君は困ったように首を捻る。こんなのは彼も予想外だったらしい。
「おかしいな……"他の皆"はあったのに……」
「"他の皆"……?もしかして鏡君、俺の部屋に来るまでの間に他の人のプロフィールを……?」
「……ん?まぁとりあえず、名前と年齢と【アリス】?って奴だけだけど……一ヶ月一緒に過ごすのなら一応知っといた方がいいかな……ってさ……」
白兎頭が、あの場から去って、皆すぐにそれぞれの部屋へ行った。皆が部屋に完全に戻ってから、まだ数分しか経っていない。俺と鏡君を除いて九人。それだけの人数のプロフィールをこんな短時間で聞いてくるなんて─────
「やっぱり鏡君は凄いね!」
「……き、急に誉めるなよ。誉めたって何も出せないぜ?」
俺の言葉に鏡君は照れたようだった。頬を赤く染めて、俺から目を逸らす彼はどこか可愛らしく見えた。可愛い。俺は思わずそう口にした。彼は聞こえなかった振りをしたけれど、耳がさっきよりも真っ赤に染まっていて、聞こえていたことは丸分かりだった。俺は楽しくなってきてしまって暫く彼を揶揄っていたけれど、最終的に彼が痺れを切らして、俺の頭をぽかりと軽く殴ったので止めた。全然痛くはなかったけれど、殴った彼の顔は半泣きで流石に可哀想に思ったのだ。
そうこうしてる内に、鏡君はどこから取り出したのか白い大きな紙に、他のメンバーの名前、年齢、アリス名を書き出し終わっていた。あんな風に真っ赤になりながらも、そつなく作業をこなしてしまうなんて、見た目に反して、案外、鏡君は委員長タイプかもしれない。もし同じ学校にいたら、うまくクラスなどをまとめてくれそうだ。口には出さず、心の中でそう思った。
「……ま、まぁざっとまとめると、こんな感じだ」
『
【零細のアリス】華宮アザミ
14才、女。親指姫の名を持つ。 
【赤冠のアリス】朱ノ原マリー
12才、女。赤ずきんの名を持つ。
【お菓子のアリス(兄)】森ヨゾラ
20才、男。ヘンゼルとグレーテルの名を持つ。
【お菓子のアリス(妹)】森アサヒ
15才、女。ヘンゼルとグレーテルの名を持つ。
【灰被りのアリス】三鳥アッシュ
19才、男。シンデレラの名を持つ。
【野獣のアリス】薔薇園リリア
22才、女。美女と野獣の名を持つ。
【滄海のアリス】入鹿カズラ
17才、男。人魚姫の名を持つ。
【愛猫のアリス】空葉カノン
16才、女。長靴を履いた猫の名を持つ。
【結晶のアリス】結城エルゼ
20才、女。雪の女王の名を持つ。
』
こうやって丁寧に書き出して貰ったはいいものの、性別と年齢だけでは誰が誰なのかさっぱり分からない。取り敢えず確実に分かる人から考えてみよう。この中で同じ名字を持つのは二人しかいないから、この【お菓子のアリス】は長い廊下で会った奇妙な兄妹の二人で大方決まりだ。メンバーの中にいた一際小さな女の子が、この最年少の【赤冠のアリス】朱ノ原マリーという子のことだろう。後は既に名前を教えて貰っている華宮さんが【零細のアリス】だけれど……それ以外の人はまったく見当がつかなかった。
「ま、分かんねぇよな。こんな名前と年齢と性別だけじゃ」
「うん、そうだね……せっかく書いて貰ったのにごめん……」
「今から説明してもいいんだけど、やっぱり本人がいないと説明しにくいからさ……明日の朝でいいか?」
「いいけど……何で明日の朝?」
明日の朝に何かあるのだろうか。俺がそう訪ねると、鏡君は驚いた様子で俺に聞き返す。
「もしかして、"知らない"?」
「"知らない"って…………何が?」
二度目の質問をする俺に彼は大袈裟に、はぁー!と息を吐くと、細い眉を八の字にして悲しそうな顔をした。
悲しそうっていうか……これは、"呆れられてる"のか?
「有栖……僕、心配だぜ。有栖、僕がいないと死んじゃうんじゃねぇの……?そのレベルで、お前、"天然"だよ。今まで一体どうやって生きてきたんだ?」
「…い、いくらなんでも酷いって。一体俺は何を知らなかったんだよ……」
何を知らないのか分からないが、いくらなんでもそこまで言うことじゃないと思う。今まで"天然"だなんて言われたこと一度もないのだ。俺は天然じゃない。まぁ、今まで顔のことだけしか見られてなかったからかもしれないけど……。
"天然"であることを認めない俺に、鏡君は自分の電子手帳をぐいっと俺の目前に押し付ける。開いてあるページは電源を入れた時点で見れるホーム画面。画面の左側の方を指して、鏡君は言う。
「読んで」
「……"朝、昼、夜の御食事は、よほどの事情がない限り、皆様ご一緒に取っていただけると有難いです。明日の朝八時に私共は皆様の御食事分をご用意してお待ちしております。"……」
「……コレ、開いたらすぐ見える位置に書いてあるよな」
俺は何も言えなくなった。もしかして気が付いてなかっただけで、俺は相当に抜けてるのかもしれない。だけど口に出して認めるのは何だか恥ずかしかったので、俺は鏡君からそっぽを向いて黙っていた。横目から鏡がそんな俺に笑っているのが見えた。
「……まー、いいや。じゃあ有栖、また明日な」
「……ん」
意地を張って少し素っ気ない返事になってしまったけれど、鏡君は怒っていないだろうか。そんなことを思いながら、ドアがぱたりと閉まる音を確認して、俺は鏡くんの書いた白い大きな紙を壁一面に貼った。
丁寧に細かく書かれた文字。
(……鏡君は、俺の為に色々言ってくれてるんだよな。その厚意をあんな風に言っちゃって……)
明日、鏡君に会ったら謝ろう。
布団に潜りながら、俺は心に決めた。
∮
「"僕がいないと死んじゃう、か"………」
「"死んでくれたらいいのに"」
「"僕と一緒に、死んでくれたらいいのになぁ"」
「………………あれ。僕何を……?」
- Re: アリス・イン・デスゲーム ( No.7 )
- 日時: 2018/04/25 06:20
- 名前: *atari* (ID: TM1He8zT)
∮
悪くない目覚めだった。差し込んでくる日差しも、鳴り響く目覚まし時計も何もなかったけれど、存外すっきりした目覚めだ。昨日の夜、早く寝たおかげかもしれない。徐々に覚醒していく頭で、そんなことを考えながら俺は布団の上で伸びをして、ぐるりと周りを見回した。目に写るのは昨日の夜と何も変わらない壁、布団、そして壁に貼られた白くて大きな紙。
「…………痛い」
頬をつねると、当たり前に痛みを感じる。少し強くつねりすぎたのか、じんじんと頬が痛んだ。夢のような昨日だった。悪夢とも、普通の夢だとも何とも言いがたい夢だった。実際は夢のような現実だった。昨日は、ただただ事実を飲み込むことに必死で、あまり深く考えることは出来なかったけれど、よく考えたら────いや、よく考えなくてもとんでもない話だと思う。白兎頭のスタッフに、個性豊かな十一人のメンバー、これから俺達の一ヶ月は一体どんな風になるのだろう。それは想像もつかないことだった。
信じられないことだけれど、これは現実だ。俺達の現実で起きたことなのだ。痛む頬が、俺にそう訴えてくる。あぁ、そうだ。これは現実なのだ。想像の中の自分はもっと焦っていたけれど、実際夢ではないと分かったら、あっさりとこの現実を受け入れられた。受け入れられるどころではなく、楽しみに感じている自分がいた。昨日少しだけ感じていた不安は何処かへ消えていた。 消えたというより、"溶けた"ような感覚だった。一晩を過ごしたことによって、頭は、身体は、この場所を受け入れてしまっていた。まるで魔法にかけられたみたいだ。我ながらメルヘンな事を考えたものだ、そんなことを思って笑いが込み上げる。けれど今の現実ほどメルヘンなモノはない。そう考えたら、この表現は、そう間違ってないのかもしれない。物語は好きだ。次のページを開く瞬間、どんなことが待っているのか。そんな時、胸の高鳴りを感じるのだ。
なんとなく大丈夫。そんな曖昧な魔法が今の俺にはかけられていたのだと思う。一晩過ごした脳が不安を与えない為に起こした錯覚を、俺は信じきっていた。
"魔法"という表現は確かに適切だった。
解けない魔法は、存在しない。
かけられた魔法は、いつか解けてしまって、現実に戻されるのだ。
∮
昨日白兎頭が話していた広い空間へ行くと、そこには俺達が座れるだけの大きな机と椅子があった。メンバーのうち、半分程が既に席についている。電子手帳で時間を見ると、朝の七時半を指していた。もう一度机の方を見ると、こちらの方をじっと見ている人物がいる。華宮さんだった。
「おはよう、華宮さん。早いね」
「おはようございます、有栖さん。今は鏡さんと一緒じゃないんですね」
「実は起きてからまだ見てないんだよね……華宮さんは、鏡君見てない?」
「いえ……まだ、寝てらっしゃるんでしょうか」
さっきの座っているメンバーの中にも鏡君らしき人は見つからなかった。華宮さんの言うとおり、寝ているだけなら良いけれど……心配だ。あと三十分経っても来なかったら、白兎頭に鏡君の様子を聞いてみようか。もし体調が悪いようだったら部屋に行くのも悪いだろう。
(心配だ……)
その後の三十分。俺は華宮さんと話したり、他のメンバーの人と話したりしていたが、八時になっても鏡君は姿を見せることはなかった。昨日良くない態度をしてしまったから、謝りたかったのに。今日も鏡君と話したいことが沢山あったのに。俺はもやもやした気持ちで出された朝食を口に含んだ。しっかりとした味付けで、すごく美味しいのに、何故だかとても味気なく感じた。
∮
「【林檎のアリス】なら、今朝は体調が悪くて、移したくないから、部屋で寝てるって言ってたぞ。急に環境が変わって身体が驚いたのかもしれないな」
朝食後、白兎頭に鏡君の事を聞いてみると、何食わぬ顔でそう言われた。何食わぬ顔といっても、兎なので表情は元々乏しいのだが。朝になって、そんな急に体調を崩す訳がないので、もしかして昨日の夜から無理に元気に振る舞っていたのだろうか。だとしたら悪いことをしてしまった。あの長い廊下を渡る時も、もっと休憩を多く入れるべきだった。俺は今更のことだが後悔した。
「うーん…………あ、そうだ。お前達今日は、この施設内の探索でもしたらどうだ?色々あるぞ、ここは。一ヶ月飽きさせない為に、よりどりみどりの作りにしてあるからな」
「……で、でも鏡君が…」
「【林檎のアリス】の看病はオレ達白兎に任せればいいさ。お前達よりも、よっぽどか、オレ達は、そういう知識には長けているし……移したくないって、言ってるんだ。本人の気持ちを優先してやれよ」
俺が自身に対しての失望により、落ち込んでいると、白兎頭が慰めるように明るい調子で、そう提案してきた。確かに下手に俺達がお見舞いに行っても鏡君を困らせるだけだろう。俺は白兎頭の提案に乗っかることにした。
「それでしたら有栖さん、私と一緒に行動しませんか。丁度探索の連れを探していたんです」
「え…俺はいいけど……華宮さんは、俺と一緒でいいの?」
俺と白兎頭の話を聞いていた華宮さんが、そんなことを口にする。俺は彼女とも、もう少し話してみたいと思っていたのでむしろ願ったり叶ったりなのだが、俺は男で、彼女は女だ。男女二人で、しかも俺のような顔の怖い男と行動を共にすることに彼女は抵抗感はないのだろうか。俺がそうやって聞くと、彼女は何を言ってるんだという顔をして、くすりと笑った。ここに来てから初めて見る彼女の笑顔だった。
「女一人じゃ、いざっていう時心細いですからね。昨日から有栖さんと鏡さんのお二人に探索を頼もうって思ってたんです。お二人なら、変な気も起こすこともなさそうですし」
「華宮さん……」
「それが有栖さん一人になったところで、あまり変わりませんよ。貴方みたいな純粋な人、初めて見ました。……貴方は私の信用に値します」
そう言って彼女は少し口角を上げて微笑んだ。常に無表情がデフォルトな彼女には珍しい、優しい笑顔だった。
俺達の話がついたのを見て、白兎頭は安心したらしく、いってらっしゃい。ただそれだけを言って、何処かへ消えていった。
∮
「鏡君から聞いたんだけど、華宮さん、まだ十四なんだって?それなのに凄い落ち着いてるね」
「よく言われます。別に自分では普通にしてるつもりなんですけどね……」
施設内には沢山の部屋があった。男女別の銭湯や、トレーニングルーム、その横には屋内プールまで備え付いている。図書室のような部屋には、漫画から純文学まで様々な部類の本が揃っており、とてもじゃないけど一ヶ月で読みきれそうにない厚い本も置いてあった。図書室だけじゃない、その隣には娯楽室と思われる部屋も存在し、カードゲームや、ダーツや、ビリヤード、遊び心なのかクレーンゲームまで揃っている。それ以外にも沢山の部屋があり、よりどりみどり、確かによく言ったものだ。
俺達以外のメンバーも施設内の探索をしているようで、いたる部屋で、あらぬ疑いをかけられて大変だった。男女二人で歩いてるだけで、そういう風に言わないでほしい。出会って一日で手を出すような軽い男に俺は見えるのだろうか。そんなこともないと思いたいのだけれども。
(特に【野獣のアリス】の薔薇園さんと、【滄海のアリス】の入鹿さんの誤解を解くのは大変だった……)
薔薇園さんは初めに話しかけてきた大人な雰囲気の黒いシックなワンピースを着た美人さんだ。探索中に飲食室に入った所で会ったのだが、二人でいる俺達を見た途端に顔を真っ赤にして、「み、見てませんわ!!ごゆっくり!」と叫んだのだ。格好からして良家のお嬢様のように見えるから、漫画でよくある"手を繋いだだけで妊娠する"とでも思っているのだろうか……何はともあれ、かなり過剰な反応をされてしまったので、誤解を解くのが大変だった。何かを言おうとする度に「いいです!いいですわ!分かってますから!」と返されてしまうのだ。彼女が、とても優しいのは伝わってきたのだが、優しすぎるのも困りものである。
反対に【滄海のアリス】である入鹿さんは、美形の白髪の男性で、無口な人だった───というか、一言も喋らず全ての会話をスケッチブックで行っていた。彼は彼でニヤニヤと意味ありげに笑いながら、スケッチブックに卑猥な単語を書いて、こちらに掲げてくるという高度なセクハラを仕掛けてきたので大変困った。俺より華宮さんの方が大丈夫かな、と顔を覗いてみたが、いつもと変わらない無表情で、何も気にしていないように見えた。俺よりよっぽどか彼女の方が精神が強靭だった。
(これが"普通"って言えちゃうんだから、本当凄いよな……)
感心する横の俺に見向きもせずに、彼女は言葉を続ける。軽々しく出された、その言葉は彼女の何も気にしてないような態度に反して、とても重いものだった。
「──まぁ、誘拐されたりしたのも今回が初めてじゃないですし、よくハプニングに巻き込まれるんですよ。それで慣れたのかもしれません」
「…………え?」
"誘拐されること"が初めてじゃない?耳を疑いたくなるような言葉に、俺は驚きが声に出てしまっていた───そしてそれに気付いて口を慌てて押さえる。こんなことわざわざ他人である俺が詳しく聞くようなことじゃない。だけどそんなことどうでもいいらしく、彼女は自分自身で己の言葉に捕捉をした。
「はい。うち、それなりにお金のある家で、身代金目当てで、よく私誘拐されてたんです。母はそんな私に、よく言ってました。『いかなる時でも冷静でいなさい』って」
「…………」
「母の言葉は正しかったのだと思います。泣くことも、笑うことも、怒ることも、感情は"隙"に繋がってしまうんです。"隙"を見せたら私は……きっと、死んでた」
「…………」
人の人生に、どうこう言う気はないけれど、何の感情も持たずに生きる人生なんて楽しいのだろうか。泣くことも、笑うことも、怒ることも、何もない人生だなんて辛くはないのだろうか。でもそれを彼女に伝えることはしない。俺と彼女は昨日初めて会った他人同士で、何か俺に言うことが出来る資格なんてあるはずがなかったのだから。
「……でも」
彼女の言葉は、まだ続いていた。その言葉には、いつもの平坦な喋り方に、ほんの少しだけ嬉しさのようなものが混じっているように思えた。
「でも、今日は久し振りに笑えたんです。だって、もう私誘拐されてるんですもん──いや、誘拐じゃないんでしたっけ。でも、どちらにしたって一緒です。誘拐まがいのことをされてるんです、もう誘拐されないじゃないですか、気を張ってる必要ないんです……」
「……」
「こんなことになって、こう言うのも何なんですけど、今とっても気分が楽です。私、今、幸せなんです。小難しい事考えなくていい──将来の夢とか、ふわふわした妄想とか、そんなのを考えてていいって、なんて楽しいんだろって」
ふにゃりと彼女の強ばっていた顔が、ほどけた。年相応の子供らしい笑顔で彼女は笑っていた。花が咲いたみたいな、可愛い顔だった。いつまでも彼女が、そんな顔でいられればいいのに。俺は彼女の顔を見て。そんなことを思った。だけどとそれは叶わない。この一ヶ月が、終わったら彼女はまたいつ誘拐されるかも分からない緊張した日常に戻らなければいけない。それでも、それでもこの一ヶ月が終わった時、彼女の心が少しでも楽になれればいい。そう願わずにはいられなかった。
「私、他の女の子達みたいに王子様に来てもらって、恋に落ちたりとか、そんなのには憧れてないんです、私が欲しいのは、もっともっと些細なもの…………だけど、何よりも尊いそんな、そんなも」
ごつん。
彼女の言葉が不自然な所で切れた。そして俺の意識も時を同じくして。
夢も、希望も、幸せも、その歪な形をした鈍器でぐちゃぐちゃにされていく。
∮
『おはよう、アリス』
お前は誰だ。どうして俺と"同じ顔"をしているんだ。
『勿論、それは俺が君だからだよ。そして君は俺でもある。当たり前のことだろう?』
何を言ってるんだ。俺は俺だ。俺しかいない。訳の分からないことを言うな。
『……あぁ。愚かで、可哀想で、愛しいアリス。君は忘れてしまったんだね。でも大丈夫、君は思いだすよ。必ず。あの出来事を忘れられるはずがないんだ。君は俺なんだから』
止めろ。止めてくれ。俺は何も忘れてなんかいない。思い出したくなんかない。あんなの、あんなことおもいだしたくなんかない。いやだ、いやだ。いやだ。いやだ。
『アリス、鏡を見てごらん。鏡は全てを逆さまに写すけれど、確かに真実も教えてくれるはずさ。…………さあ、アリス何が写ってる?君には君が"何"に見える?』
∮
目を覚ますと、辺りは、とても薄暗く、そして埃臭い───それにほんの少しだけ血液の匂いが混じっている。
何処かで、誰かのすすり泣く声が聞こえる。
動こうとするが、縄のようなもので縛られているようで動くことが出来ない。
泣き声は重なって聞こえた。
『"みんな死んでしまえばいいんだ"……違う、僕は誰も殺したくない……"殺す。皆殺す"…………いやだ、誰も傷付けたくないのに……"死にたい"……やだよ、まだ死にたくない……』
泣き声には、そんな呟きが混じっていた。
何か金属を引き摺るような、そんな音が聞こえる。
『……いやだ』
「い、いや……」
『殺したくない……』
「死にたくない……」
『止まってくれ、何で、止まらないんだよぉ……!』
「私、幸せに、なりたい……!大切な家族を作って……その人と、一緒に……」
『こんなこと……こんなこと、したくないのに、僕は、僕は、有栖と、』
「……家に、帰りたい……
家族に、会いたい、ママ、パパ……助けて……一人は、嫌、一人で死にたくない……一人ぼっちで、死にたくなんか、ない……助けて、助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助け────────」
『華宮さん、ごめん、な、本当に、ごめん』
ぐちゃり
ぶち
ぶちぶちっ
ぶちり
肉が千切れたような、そんな音が聞こえた。泣き声は一つになった。足音が、足音が、近付いてくる。こちらへ、こちらへやってくる。
次第に目が慣れてくる。
目の前の風景が、現実が、少しずつ形になって、見えてくる。
足音が止まった。
『"大好きだったよ、アリス。僕の大切な───"』
俺が最期に見たのは、血塗れの斧を振りかぶる君の、絶望した顔だった。
∮
物置小屋に死体が三つ。
潰れ石榴に、半人間に、傍らには穴空き頭が転がっている。
花は咲かずに散っていって、熟れた林檎は破裂した。
それを見てるは白兎。
赤い涙を流しながら「またやり直し」と呟いて。
アリスは穴へ落ちていく。もっともっと深い穴へと。
夢か現か、誠か嘘か、貴方が望むものを差し上げましょう。
●
第一話【運命の赤い糸】
【黒幕の赤い意図】
【ウンメイノアカイイト】
その繋がりは愛より深い?
>>8へ
- Re: アリス・イン・デスゲーム ( No.8 )
- 日時: 2018/05/13 19:56
- 名前: *atari* (ID: UjH259gp)
【二話】
「…………」
寝惚け眼で周りを見渡し、見知らぬ壁に、見知らぬ布団、そしていつも毎朝隣にあるはずの体温が見当たらないこと。それらのことから、昨日あったことを思い出して、アタシ──森アサヒは一人でベッドから静かに起き上がり、朝の支度を始めた。ここに来てから二日目の朝だ。そして久し振りの"一人"の朝でもあった。いつも兄が必ず側にいた。しかし今、兄はこの部屋におらず隣の部屋にいる。兄の所在が分かっているのに、目の前に兄がいないというのは何だか妙な気持ちだった。
昨日は色々あった。それはもう、色々と。
誘拐まがいの大規模な実験。白兎頭の奇妙なスタッフ。そしてこの場所で一ヶ月滞在しないといけないという宣告………まぁ細かい事は後々理解してくつもりだけれど、とにかく一ヶ月アタシ達はこの施設で暮らさなければいけないらしい。
それが分かった瞬間、アタシは思いがけず降ってきたこの出来事に対して飛び上がりたい程に歓喜していた。学校に行かずに、この場所で一ヶ月を過ごすこと。それはアタシにとって願ってもないくらいに嬉しいことだ。どうせ学校に行ってもクラスメイトは苛めてくるし、周りの大人は変な気を効かしてアタシの家庭を探ろうとしてくる。大人が来られるのは嫌だ。きっと大人はアタシと兄さんのことを知ったら、アタシ達を離れ離れにさせるだろう。大人は敵だ。アタシと兄さんの敵。だからアタシは学校にいる間は、自分が空気になったような気持ちで息を潜めて過ごしている。大人に気付かれない為のアタシなりの処世術だ。兄さんが学校には勉強の為に行った方がいい、というから行ってるだけで本当はあんな場所行きたくはない。
昨日は、あんな風にちょっと喋っただけでも、取り乱す兄さんだけれども、学校に行っている間は、兄さんはアタシが他人と関わることにストレスを感じることはない。兄さんは15才で働きに出た。だからアタシにはしっかりと勉強して欲しいし、色んな人と関わって欲しい。自分のことなんかいっそ捨ててしまって、周りの人間と深く関わってほしい。そう思ってるのに、目の前でアタシが誰かと話しているのを見ると、どうしても心がムカムカしてきて何も考えられなくなってしまうらしい。いつだったか、いつものように自分を見失ってアタシを殴った後、兄さんが泣きながらアタシにそう教えてくれた。兄さんは相反する感情と、いつだって闘っている。だけど優しい方の兄さんは、とても弱いから、いつも負けてしまうのだった。
(兄さんは、アタシを学校に避難させてるような気持ちなのかもしれない……)
少なくとも自分の目に触れない所に置いておけば、傷付けることは絶対にないから。
もしかしたら、兄さんはいつしかアタシを何処かに預けてしまう気なのかもしれない。だけどアタシはそんなのは絶対に嫌だった。どれだけ傷付いたって、酷いことをされたって、兄さんと離れ離れになるのに比べたら全然いい。アタシは兄さんが大好きだし、兄さんはアタシが大好きだ。兄さん以上に大好きな人はアタシには出来ないだろうし、それは兄さんも同じだろう。それなのに何故一緒にいちゃいけないのだろうか。それにアタシは今の状態が死ぬほど嫌な訳ではないのだ。そりゃあ痛いのも、苦しいのも、あの冷たい目で見られるのは辛い。だけどあれは兄さんのアタシに対する愛なのだ。愛故の暴力なのだ。アタシを"兄さんのアタシ"にする為の大切な行為なのだ。それならば仕方ない、耐えるしかない。痛いのも、苦しいのと、冷たい目で見られるのも、甘んじて受けよう。そう思えてしまうくらいにアタシも兄さんを愛している。
(あの暴力がアタシ達の"愛"だ)
そう考え始めている自分が、どこか壊れてきているのは自覚していた。だけどもどうしようもなかった。アタシと兄さんは、もうどうしようもない所まで深くに堕ちているのだから。
∮
あんな目に合っても、アタシは兄さんと一時たりとも離れたくない。けれどもそれを兄さんが拒否した。アタシ達二人に一つずつの部屋が用意されていることを知った時、兄さんは苦しそうに笑って、アタシに言った。
「……アサヒ、寝るときは部屋は別々にしよう。せっかく用意してくれたんだから、しっかり、使わなきゃ」
アタシに暴力をふるうようになってから、兄さんの楽しそうな笑顔を見たことは一度もない。兄さんは、いつも申し訳なさそうに笑う。泣きそうになりながら、笑う。そんなに苦しいのなら笑わなければいいのに、アタシに心配をかけさせない為に、無理矢理笑うのだ。アタシは随分と兄さんの意見に抵抗したけれど、兄さんはここぞとばかりに折れなくて、やむなくアタシ達は別々の部屋で寝ることになった。一人で寝るベッドは足も伸ばせて、快適だったけれど、何か物足りなかった。それにとても寒かった。狭くても、動きにくくても、ぎゅうぎゅうになって眠るベッドがアタシは好きだった。
一人ぼっちのベッドで、アタシは涙を流して眠りについた。寂しくて、寂しくて仕方なかった。
∮
(兄さんはもう起きたんだろうか……)
自分の支度もある程度終わった。特にやることも何もない。そうなると兄さんのことがとても気になってきた。電子手帳の時間は朝の六時半を指していた。まだ兄さんは寝ているかもしれないけれど、アタシは兄さんの部屋に行くことにした。
兄さんの部屋のドアをとんとんと軽く叩く。
「兄さん……アタシだよ。アサヒ。調子とか……大丈夫?」
「………………アサヒ?随分と早いんだね」
まだ眠そうな兄さんの返事が聞こえる。兄さんの声を聞いただけで、アタシの心は馬鹿みたいにときめいた。
「え、えっと……兄さん、入ってもいい?」
「…………あー、ごめんね。アサヒ、今部屋汚れてるからさ、ちょっと、ね……」
兄さんの声がほんの少し上擦る。それは兄さんが焦っているときの癖だった。理由は分からないけれど、兄さんはアタシを部屋にいれたくないらしい。少なくとも"部屋が汚れてるから"なんて、理由じゃないのだろういうことだけは分かった。兄さんにそう言われてしまっては、アタシはそれに従うしかなかった。
アタシが落ち込んだのを察したのか、アタシの気分を替えようと、話を変える。
「…あ、そうだ…………アサヒ、大浴場は行った?部屋にはシャワー室しかないでしょ……?行ってみたら、どうかな……」
「い、いいよ。だって兄さん、一緒に来ないんでしょ……別にシャワーで十分だし……」
「そうだけど……だ、だって、アサヒ、……皆と同じ時間じゃ入れないじゃないか……オレのせいで……」
兄さんの声が少しずつ落ちていく。部屋の中からすすり泣くような声が聞こえてきた。どうやら兄さんは昨日のことを思い出して泣いていたらしい。アタシが皆と同じ時間にお風呂に入らないのは、別の理由からだ。確かに身体にアザは残っているけれど、そんなものどうとだって誤魔化せる。だけど兄さんは自分のせいでアタシが大浴場に行きにくいと、そう考えてるようだった。このまま入らなかったら、きっと兄さんはもっと悲しくなってしまうだろう。
兄さんがこれ以上悲しい思いをするのは嫌だった。
「……わかったよ、兄さん。アタシ、行ってくるから……だから、泣かないで……」
それだけ伝えて、アタシは兄さんの部屋を後にし、大浴場へと向かった。
∮
兄さんの言った通り、朝の大浴場には誰もいなかった。よくある銭湯みたいに湯の前にロッカールームがあり、かなりのかずのロッカーが置いてある。鏡やドライヤー、そんなのも取り付けられていて、まさに銭湯みたいだった。アタシはそそくさと服を脱いだ。久し振りに鏡の前で自分の身体をまじまじと見てみるけれど、やっぱり痩せ干そって、がりがりで、変なアザだらけで───とても歪だ。鏡に写った自分の顔が歪んでいくのが分かった。アタシは自分の身体が好きではない。その思いは成長するごとに色濃くなっていっている。
色々と自覚してしまって、憂鬱な気分でアタシは湯のスペースの扉を開けた───────
「落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちない落ちないなんで落ちないの落ちろよ落ちろよ落ちろよ何で擦っても擦っても落ちないんだ赤い赤い赤い赤い赤い赤い赤いぐちゃぐちゃだなんだよこれぐちゃぐちゃだよ何でなんだよ赤いよぐちゃぐちゃだよ何で俺生きてるんだよ半分ぐちゃぐちゃなのに何で何で何でぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ頭ない右腕ない俺の右側俺の右側は何処へ行ったんだよおいおいおいおいおい血が落ちない落ちないんだ落ちてくれ落ちてくれよああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ごしごしごし
ごしごしごしごし
ごしごしごしごし
ごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごし
風呂場の真ん中で、あの長い廊下で会った目付きの悪い男が狂ったように身体を洗っている。
不自然に"右側"ばかりを。
まるで、そこに"落ちない何か"があるように。
半狂乱に、ひたすらに、右側を洗い続ける。
アタシは思わず、色んなことを忘れて、この男に言っていた。
「……なぁ、何が"落ちない"んだ?」
声は聞こえていたらしく、男は洗っていた手を止めて、アタシに答えた。絶望という言葉がぴったりな、男はそんな表情をしていた。
「……彼らの"血"と、俺の"血"、俺から流れ続ける血が、何回拭っても取れないんだ、何で、何で俺は生きてるんだ?あの時、俺は"殺された"はずなのに、どうして、こんな状態のまま、"殺されたあの時のまま"、俺は生きているんだよ、どうして、どうして誰も気付かないんだよ、なあ、なんで、なんでなんだよ、教えてく─────?」
「……アサヒさん?」
意味が何一つとして分からない言葉を、男は吐いていた。けれども突然に男はその狂った言葉を吐くのを止めた。忙しなく動いていた男の目は、ある一点に止まった。最初アタシは、男の言葉が急に止まったことに理解出来なかったけれど、男の"視線の位置"を見て、すぐに分かった。
アタシの"身体"を見て、この男は"正気"に戻ったのか。
この"歪な身体"を。
「ね、ねぇ………?」
「……あ、アサヒさん、どうして、"男湯"にいるの……?っていうか……その、"股にあるもの"は…………?」
─────この男は、アタシの"男の身体"を見て、正気に戻ったのだ。
- Re: アリス・イン・デスゲーム ( No.9 )
- 日時: 2018/05/19 16:08
- 名前: *atari* (ID: MW3WsllJ)
∮
そこはよく分からない空間だった。身体はまるで宇宙にでもいるかのように、ぷかぷかと浮き沈みを繰り返して、重さを感じさせない。よく分からないけれど、いい気分だ。何も考えないで、何も気にしないでいられるのって何て楽なんだろう。赤ん坊が母の腕に抱かれている気分、っていうのだろうか。ここにいる間は、きっと俺の抱えるいかなる問題も、見なくていい、そんな安心が俺の心を包んでいた。
頭の中がふわふわする。なんだか随分と長い間眠っているような、そんな気がした。今は何日だったのだっけ、昨日は今日は何をしていたのだっけ、明日は、明日は俺に存在するのだろうか。全てが曖昧で、ぼんやりとしてはっきりしない。もはや"自分"というモノすら、この空間に溶けていき、自分と自分じゃないものの区別すらつかない。
俺は誰だった?俺は誰と一緒にいて、誰の幸せを願っていて、俺は一体何の為に生きてて、何の為に死んだのだっけ。誰に殺されたのだっけ。
(死んだ?殺された?……そうか)
思い出した。
俺は死んだ。
有栖カンナは、鏡エイジに殺された。
死ぬ前のどうしようもないくらいの恐怖と、死んだ時の一瞬の痛みと、殺す彼の絶望的な表情。褪せてぼやけていた記憶達が、次々に色付けされて思い出されていく。
(……じゃあ、これは死後の世界なのか?)
俺は死んだ。確かに死んだ。ならここはやはり死後の世界なのだろう。そう結論付けて辺りを見渡しても、ただただ闇とあ闇が広がるだけで、見えるものは何もなかった。
(…………)
少し考えたけど、眠ることにした。死後の世界で眠るなんて、ちゃんちゃらおかしいと思うのだけれど、それくらいしかすることもなさそうだ。
死んだことに、案外ショックを受けていない自分がいた。それよりも俺を殺した彼が、あの時みたいな絶望的な顔をしていないか、それが心配だった。死んだ俺は、ここで終わりだけれど、生きてる彼はまだあのまま生きなければいけない。死ぬことより生きることの方がよっぽど難しいのだ。
俺は悲しくないけど俺と一緒に殺された華宮さんは悲しいかもしれない。もっと生きたい。やりたいことがある。そんな風に最期に叫んで彼女は散っていった。生まれ変わったら今度はもっと幸せな人生が送れますようにと願うばかりだ。
(………あれ?)
自分はこんなにあっさりとした人間だっただろうか。自分の死も人の死も、こんなに簡単に割りきれてしまう人間だっただろうか。
("俺"は、誰なんだ…………?)
解決したはずの、その疑問がまた頭にもたげる。それと同時に暗闇の何処かから声が聞こえてくる。
『強くてニューゲーム。……君に渡された唯一の力だよ。何回死んでも、"君"は死なない。君は"君"を保ったままで、もう一度やり直せる』
『"死ぬ"度に君は強くなれる。だから安心して死ねばいい。……あの世界は、そういう風に出来ているんだから』
『君があのゲームで"勝つ"方法は一つだけだ。×××××する。ただ、それだけ』
『君の健闘を祈ってる。じゃあね。……頑張って』
声が話し終えるのと同時に、暗闇に光が差し込んでくる。白が瞬く間に黒とオレを飲み込んでいく。
完全に体が白に飲み込まれた時、俺は意識を失った。
∮
「起きろよ、有栖!」
「起きて下さい、有栖さん」
周りが何やら騒がしい。顔の近くでわぁわぁと誰かが俺の名前を呼んで何か言っている。瞼は重く、俺の脳はまだ起きたくないと訴えていたので、俺は被っていた布団を顔まで引っ張って布団の中に潜り込んだ。布団で防御する俺に誰かがまるで息子を起こそうとする母親のように諌めてくる。
「有栖、規則正しい生活をしないと大きくなれないぜ?」
「そうですよ。子供のままで一生大人になれなくてもいいんですか?」
その言葉にかちん、とくる。確かに規則正しい生活は送るべきなのかもしれないけれど、知らない誰かに言われるようなことじゃない。他人に言われるなんて大きなお世話だ。寝ようと思っていたけれど止めだ。この起こそうとしてくる奴らに一言言ってから安心して眠りにつこう。そう思った俺は、俺を起こそうとしてくる奴に文句を言ってやろうと体をがばりと起こし、重い瞼をかっ、と見開いた。
「え…………?」
目を見開いた先にいた"誰かさん"の顔を見た瞬間、俺の眠気は一気に引いていった。冷や水を浴びたかのように、ぼんやりしていた頭が活発に動き始める。"目の前の不可解な事実"をどう説明づければいいのか、自分の納得の出来る理由を探し始める。あれでもない。これでもない。考えても、考えても自分の納得の出来る"理由"が見つかることはなかった。そりゃあそうだ。目の前の"事実"は"不可解"以外の何物でもなく、そうじゃない理由なんて付けれるはずもなかったのだから。
だけど、どうしても俺は目の前の光景を受け入れることなんて出来なかった。出来るはずがなかった。
「あは──どうしたんですか。有栖さん。"屍人<ゾンビ>"でも見たような顔をして──」
「ははは!!顔色悪いぞー?有栖。風呂でも行ってさっぱりしたらどうだー??」
"誰かさんの姿"──"生きている"鏡君と、華宮さんの姿を見た瞬間、昨日あった出来事、そして"昨夜見ていた夢"のことが、一つ一つ鮮明に思い出されていく。俺達はここで一ヶ月暮らさなくてはいけなくて、鏡君は体調が悪くて、華宮さんと探索して、その後────俺と華宮さんは鏡君の手によって殺された。昨日の夢と同じように、表情、痛み、その全ての記憶が色濃くオレの頭には、こびりついている。
だけど、全てが夢の中で目覚めた時と同じ訳ではない。
(なんで?なんで……鏡君は俺を殺したんだ?華宮さん、華宮さんも、あの時にぐちゃぐちゃに……)
夢の中の"俺"と違って、俺は"俺の死"も、"俺以外の人の死"もそんな簡単に受け入れることなんて出来ない。手が震える。体が震える。冷や汗が垂れてくる。二人の、死に顔なんてとてもじゃないけど想像出来ない朗らかな表情を見ていると、オレの胸の中のぐちゃぐちゃした何かが喉元からこみ上げそうになる。華宮さんが殺された時の"ぐちゅり"というあの音が何回も頭の中で繰り返される。鏡君は俺と華宮さんを殺した。鏡君の事が大好きだった。華宮さんだって鏡君のことを嫌いじゃないと言っていた。もっと仲良くなりたいと思っていた。三人ならもっと仲良くなれると思っていた。だからこそ、そんな彼が俺達を殺したという事実は、俺に"裏切られた"というショックを与えていた。彼に感じていた親愛は反転して、殺してしまいたいと思ってしまうくらいに。
夢だったらいいのに。そう心の底から強く思う。だけど夢だと結論付けるには、あまりにもあの光景は現実<リアル>すぎた。
「おいおい?本当に大丈夫か?顔が土色だぜ」
鏡君が笑いながらも、心配するようにそんな風に軽口を叩く。それに元気に応える気力は今の俺にはなかった。
「二人の言うとおり、お風呂……行ってくるね」
「おー、行ってこい!行ってこい!」
「いってらっしゃい、有栖さん」
俺は二人に笑ってそう言えたのだろうか。あの日見た夢が本当なら、彼らはあの日の出来事を覚えていない。オレだけがあの事件を記憶しており、俺以外の頭の中には誰もあんな凄惨な記憶は残っていないのだ。それならば何も言わない方がきっといい。俺は乾いた唇をきゅっと噛み締めた。
もしかして俺は知らない間に狂っていたのかもしれない。昨日見た夢も、この凄惨な記憶も、全て俺の妄想で、夢で、今生きているこの平和な日常こそが現実なのかもしれない。それは一番ありえそうで、そして一番平和なパターンだと思った。だけど例えそうだったとしても、俺の記憶から、この凄惨な記憶はなくならないし、なかったことにはならない。俺は狂ったまま、狂った記憶と一緒に生きていかないといけない。そのことを考えると、これからの世界が、あの時見た夢のように、真っ暗に染まっていくような気がした。
∮
赤い目の黒ウサギが二匹、ニタニタと笑いながら歌っている。片方のウサギは頭に半径五ミリ程の穴が空いていて、片側からは肉が溢れ落ちている。もう片方の頭はぐちゃぐちゃで長い耳がかろうじて、それが兎だったものだと証明していた。
そんな凄惨な姿でも黒ウサギは歌う。楽しそうに歌う。
「愚かなアリス♪」
「可哀想なアリス♪」
「僕に殺されて♪」
「私と一緒に殺されて♪」
「鏡の中の真実を見たら♪」
「君はどんな顔するんだろ♪」
「「楽しみだなぁ♪楽しみだなぁ♪」」
歌声の合間にけたけたと気味の悪い笑い声を含めながら彼らは歌っていた。"アリス"の人生を謳っていた。
「僕達は」
「私達は」
「「"三月ウサギ"!!」」
「狂った世界に♪」
「お似合いでしょ♪」
狂った歌は続いていく。
"彼"がその人生を"終える"まで。
- Re: アリス・イン・デスゲーム ( No.10 )
- 日時: 2018/05/22 06:37
- 名前: *atari* (ID: Bs0wu99c)
∮
目の前の現実を受け止めきれず、錯乱していた頭が、急に現れた"新たな衝撃の事実"によって、急速に思考を一つにまとめようとしていた。
「……もし、かして。アサヒさんって、男の子……?」
聞かなくても分かることだと言ってから思ったけれども、気が付いたらそう口にしていた 。可愛らしい顔立ち。艶のある亜麻色の腰まで伸びた髪。細くて白い手足。それら全ての印象を彼女───いや、彼の下腹部にある性の称号<シンボル>が払拭させる。そこさえ見なければ、彼はどこからどうみたって、ただの可愛い女の子だった。しかし見てしまう。見てはいけないと分かりながらも視線がどうしても彼の下半身のある一点へと向かってしまう。彼の"それ"の存在感は、それほどまでに凄まじかった。
彼女の"それ"は彼女の小柄な体躯に反して、かなりの大きさだ。それの大きさが自然界では生存競争において重要とされるという話を聞いたことがある。そうだとすれば、彼のそれは弱肉強食ピラミッドの上位の位置を占めるだろう。
(……っていうか普通に俺のより大きいだろ、コレ……)
こんな可愛らしい子にサイズで負けるなんて、何だか男として複雑な気分になってくるが、これほどのモノだ。致し方ないだろう。俺の知り合いでも、これほどのサイズは見たことがない。人の恥部をまじまじと見るなんて失礼かもしれないけれど、俺も男だ。規格外のモノがあったら、見てしまうのが男の性だ。
俺のまじまじとした視線が、彼にも痛いくらいに伝わってしまったのだろう。彼は機嫌悪そうに、ぼそりと言った。
「そうだよ。……そんなそこばっかり見ないでくれる」
「あ…!ご、ごめん……」
俺が慌てて目を逸らすと、彼は面倒くさそうに大きく溜息を吐いた。そしてやっぱり面倒くさそうに俺に言った。
「今はアタシのことなんかどうでもいいんだよ。……結局アンタ、一体何があったワケ?」
そう言われて俺は何も言えなくなってしまう。何があったかと言われたって、自分にだってよく分からない。分かっていることだって、とてもじゃないけど現実だなんて信じられない頓珍漢なことばかりだ。話したって頭のおかしな奴だと思われるだけかもしれない。
(でも……)
彼の体のこと。俺は事故とはいえ、それを知ってしまった。きっと秘密にしときたかっただろう。少なくとも俺はみたいな他人になんか知られたくなかったはずだ。
そして俺は彼のそんな"秘密"のおかげで、図らずも正気を取り戻した。
話さなければいけない気がした。何かに報いなければいけない気がした。
「実は────」
俺は、俺に起こった摩訶不思議な出来事を彼に話すことにした。
∮
「───つまり、アンタは"既に、この場所での二日目を体験してて、その時にアンタは華宮とかいう子と一緒に、あの不良みたいな男に殺された"……のに、今何故かもう一度その"二日目"を繰り返してる。そんな認識でOK?」
「……う、うん」
こうして言葉に出されて聞いてみると、自分に起こった出来事ながら本当に訳が分からなくて、突拍子がないと思う。ここに来てから信じられないことばかりだ。俺の気が狂ってしまうのも、そう遅くはない話だろう。まるで他人事のように俺は頭の中でそう思った。
ちなみに現在の俺達の姿は錯乱していた時と何も変わらず全裸である。アサヒさんは、かろうじて恥部にタオルをかけて隠してはいるけれど、まぁ全裸といって過言はないだろう。彼がどういった理由で女装していたのかは知らないが、もしも精神的に女性でありたいから、だったという理由ならば、俺も隠した方がいいのではないかと思ったが、別に自分にも同じものが付いてるのだから別にいい、と返された。彼の本質は未だよく分からないけれど、どうやら彼は細かいことは気にしない性格らしい。
「それでアンタが錯乱してたのは、鏡を見たら"目の前に左半身がぐちゃぐちゃになった姿の自分がいたから。"……正直全然信じられねー。だけど、まぁ実際目の前でアンタが錯乱してる所見ちゃってるアタシとしては、まぁ信じるしかねーかなって思ってる所だよ」
続けて、そう口にした彼にオレは驚いた。てっきり欠片も信じてなんかもらえないと思っていたからだ。いくら俺の錯乱した姿を目の前で見ていたからって、そんな理由で納得なんて出来ないくらいに、この話は荒唐無稽なものだったはずだ。あんぐりと口を開けながら俺は彼に問いかける。
「……信じて、くれるの?だってこの話はもしかしたら」
「"自分の妄想かもしれない"──って?……まー、アタシもその可能性を考えなかったって言ったら嘘になるけどさ」
「…………」
「そんな訳わかんねー妄想を見るような陰気な野郎には見えなかったよ、アイツといるアンタは」
むしろ頭お花畑な陽気野郎に見えた───彼はそう言ってオレを鼻で笑った。
その台詞がまだ記憶にも新しいあの二人とした会話と重なる。
『……それ騙されてるのに気付いてないだけですよ。世界は貴方が思ってるよりも歪で歪んでます』
『……呑気だなぁ。だけど、有栖みたいに皆がそんな風に夢を見て生きれたなら、きっと幸せなんだろうな』
天然で、騙されやすくて、危なっかしい。自分達がいないと、すぐに死んでしまいそうだよ──あの日二人にそう言われたとき、正直いらっとした。自分は大人で、そんなに弱い存在じゃない。馬鹿にしないでくれ。心外だ。
そう思っていたのに。
実際の俺は二人がいなくちゃ足元もおぼつかなくて、不安で不安で仕方なくて、世界は確かに思っていたより歪で歪んでいて、こんな世界に絶望して、全部全部夢だったらいいのになんてそんな風に思えてしまって。
みんな二人の言った通りになった。俺は一人でなんか到底生きていけなかったし、まだまだガキで、何も分かってない夢見ごこちの頭お花畑野郎だった。
「……おいおい、男だろ?そのくらいで泣くなよ」
「…だ、だって……こんな訳分かんない状況、で……俺一人、なんだ、って思ったら……」
一度流れた涙は際限を知らず、ぽろぽろと溢れ始める。悲しみや不安な気持ちが、心の中で一つ二つと生まれて、あっという間にそれで心が埋まっていく。きっと今の俺の姿は凄く情けない。それは自分でもよくわかっていた。だけどもどうしても涙は止めらなくて、止め方も分からなかった。
「一人じゃねぇだろ。……アタシがいる」
「へ……?」
「だーかーら、アタシがいてやるって言ってんだよ。お前一人じゃ大変だろ。…………それに」
少し照れたように顔を赤く染めて、彼はそう口にした。突然掛けられた言葉に俺は呆気に取られてしまって、反応が追い付かない。
そんな俺を一瞬優しい眼差しで見たあと、彼は目を伏せてこう続けた。
「……"分かってもらえない辛さ"は、誰よりも分かるからさ」
彼がどんな気持ちで、その言葉を口にしたのか。それは今の俺には知るよしもないことだった。
∮
「ところでさ、お前さっきからアタシの"これ"凄い目で観てるけど」
「…………う、うん」
「うちの兄貴に比べたら、こんなの全然小さいからな」
「……う、うん…………って、は!?」