複雑・ファジー小説

Re: アリス・イン・デスゲーム ( No.7 )
日時: 2018/04/25 06:20
名前: *atari* (ID: TM1He8zT)

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 悪くない目覚めだった。差し込んでくる日差しも、鳴り響く目覚まし時計も何もなかったけれど、存外すっきりした目覚めだ。昨日の夜、早く寝たおかげかもしれない。徐々に覚醒していく頭で、そんなことを考えながら俺は布団の上で伸びをして、ぐるりと周りを見回した。目に写るのは昨日の夜と何も変わらない壁、布団、そして壁に貼られた白くて大きな紙。
 
「…………痛い」

 頬をつねると、当たり前に痛みを感じる。少し強くつねりすぎたのか、じんじんと頬が痛んだ。夢のような昨日だった。悪夢とも、普通の夢だとも何とも言いがたい夢だった。実際は夢のような現実だった。昨日は、ただただ事実を飲み込むことに必死で、あまり深く考えることは出来なかったけれど、よく考えたら────いや、よく考えなくてもとんでもない話だと思う。白兎頭のスタッフに、個性豊かな十一人のメンバー、これから俺達の一ヶ月は一体どんな風になるのだろう。それは想像もつかないことだった。
 信じられないことだけれど、これは現実だ。俺達の現実で起きたことなのだ。痛む頬が、俺にそう訴えてくる。あぁ、そうだ。これは現実なのだ。想像の中の自分はもっと焦っていたけれど、実際夢ではないと分かったら、あっさりとこの現実を受け入れられた。受け入れられるどころではなく、楽しみに感じている自分がいた。昨日少しだけ感じていた不安は何処かへ消えていた。 消えたというより、"溶けた"ような感覚だった。一晩を過ごしたことによって、頭は、身体は、この場所を受け入れてしまっていた。まるで魔法にかけられたみたいだ。我ながらメルヘンな事を考えたものだ、そんなことを思って笑いが込み上げる。けれど今の現実ほどメルヘンなモノはない。そう考えたら、この表現は、そう間違ってないのかもしれない。物語は好きだ。次のページを開く瞬間、どんなことが待っているのか。そんな時、胸の高鳴りを感じるのだ。

 なんとなく大丈夫。そんな曖昧な魔法が今の俺にはかけられていたのだと思う。一晩過ごした脳が不安を与えない為に起こした錯覚を、俺は信じきっていた。

 
 "魔法"という表現は確かに適切だった。


 
 解けない魔法は、存在しない。



 
 かけられた魔法は、いつか解けてしまって、現実に戻されるのだ。



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 昨日白兎頭が話していた広い空間へ行くと、そこには俺達が座れるだけの大きな机と椅子があった。メンバーのうち、半分程が既に席についている。電子手帳で時間を見ると、朝の七時半を指していた。もう一度机の方を見ると、こちらの方をじっと見ている人物がいる。華宮さんだった。

「おはよう、華宮さん。早いね」
「おはようございます、有栖さん。今は鏡さんと一緒じゃないんですね」
「実は起きてからまだ見てないんだよね……華宮さんは、鏡君見てない?」
「いえ……まだ、寝てらっしゃるんでしょうか」

 さっきの座っているメンバーの中にも鏡君らしき人は見つからなかった。華宮さんの言うとおり、寝ているだけなら良いけれど……心配だ。あと三十分経っても来なかったら、白兎頭に鏡君の様子を聞いてみようか。もし体調が悪いようだったら部屋に行くのも悪いだろう。

(心配だ……)

 その後の三十分。俺は華宮さんと話したり、他のメンバーの人と話したりしていたが、八時になっても鏡君は姿を見せることはなかった。昨日良くない態度をしてしまったから、謝りたかったのに。今日も鏡君と話したいことが沢山あったのに。俺はもやもやした気持ちで出された朝食を口に含んだ。しっかりとした味付けで、すごく美味しいのに、何故だかとても味気なく感じた。 

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「【林檎のアリス】なら、今朝は体調が悪くて、移したくないから、部屋で寝てるって言ってたぞ。急に環境が変わって身体が驚いたのかもしれないな」

 朝食後、白兎頭に鏡君の事を聞いてみると、何食わぬ顔でそう言われた。何食わぬ顔といっても、兎なので表情は元々乏しいのだが。朝になって、そんな急に体調を崩す訳がないので、もしかして昨日の夜から無理に元気に振る舞っていたのだろうか。だとしたら悪いことをしてしまった。あの長い廊下を渡る時も、もっと休憩を多く入れるべきだった。俺は今更のことだが後悔した。

「うーん…………あ、そうだ。お前達今日は、この施設内の探索でもしたらどうだ?色々あるぞ、ここは。一ヶ月飽きさせない為に、よりどりみどりの作りにしてあるからな」
「……で、でも鏡君が…」
「【林檎のアリス】の看病はオレ達白兎に任せればいいさ。お前達よりも、よっぽどか、オレ達は、そういう知識には長けているし……移したくないって、言ってるんだ。本人の気持ちを優先してやれよ」

 俺が自身に対しての失望により、落ち込んでいると、白兎頭が慰めるように明るい調子で、そう提案してきた。確かに下手に俺達がお見舞いに行っても鏡君を困らせるだけだろう。俺は白兎頭の提案に乗っかることにした。

「それでしたら有栖さん、私と一緒に行動しませんか。丁度探索の連れを探していたんです」
「え…俺はいいけど……華宮さんは、俺と一緒でいいの?」

 俺と白兎頭の話を聞いていた華宮さんが、そんなことを口にする。俺は彼女とも、もう少し話してみたいと思っていたのでむしろ願ったり叶ったりなのだが、俺は男で、彼女は女だ。男女二人で、しかも俺のような顔の怖い男と行動を共にすることに彼女は抵抗感はないのだろうか。俺がそうやって聞くと、彼女は何を言ってるんだという顔をして、くすりと笑った。ここに来てから初めて見る彼女の笑顔だった。
 
「女一人じゃ、いざっていう時心細いですからね。昨日から有栖さんと鏡さんのお二人に探索を頼もうって思ってたんです。お二人なら、変な気も起こすこともなさそうですし」
「華宮さん……」
「それが有栖さん一人になったところで、あまり変わりませんよ。貴方みたいな純粋な人、初めて見ました。……貴方は私の信用に値します」

 そう言って彼女は少し口角を上げて微笑んだ。常に無表情がデフォルトな彼女には珍しい、優しい笑顔だった。
 俺達の話がついたのを見て、白兎頭は安心したらしく、いってらっしゃい。ただそれだけを言って、何処かへ消えていった。

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「鏡君から聞いたんだけど、華宮さん、まだ十四なんだって?それなのに凄い落ち着いてるね」
「よく言われます。別に自分では普通にしてるつもりなんですけどね……」

 施設内には沢山の部屋があった。男女別の銭湯や、トレーニングルーム、その横には屋内プールまで備え付いている。図書室のような部屋には、漫画から純文学まで様々な部類の本が揃っており、とてもじゃないけど一ヶ月で読みきれそうにない厚い本も置いてあった。図書室だけじゃない、その隣には娯楽室と思われる部屋も存在し、カードゲームや、ダーツや、ビリヤード、遊び心なのかクレーンゲームまで揃っている。それ以外にも沢山の部屋があり、よりどりみどり、確かによく言ったものだ。
 俺達以外のメンバーも施設内の探索をしているようで、いたる部屋で、あらぬ疑いをかけられて大変だった。男女二人で歩いてるだけで、そういう風に言わないでほしい。出会って一日で手を出すような軽い男に俺は見えるのだろうか。そんなこともないと思いたいのだけれども。

(特に【野獣のアリス】の薔薇園さんと、【滄海のアリス】の入鹿さんの誤解を解くのは大変だった……)

 薔薇園さんは初めに話しかけてきた大人な雰囲気の黒いシックなワンピースを着た美人さんだ。探索中に飲食室に入った所で会ったのだが、二人でいる俺達を見た途端に顔を真っ赤にして、「み、見てませんわ!!ごゆっくり!」と叫んだのだ。格好からして良家のお嬢様のように見えるから、漫画でよくある"手を繋いだだけで妊娠する"とでも思っているのだろうか……何はともあれ、かなり過剰な反応をされてしまったので、誤解を解くのが大変だった。何かを言おうとする度に「いいです!いいですわ!分かってますから!」と返されてしまうのだ。彼女が、とても優しいのは伝わってきたのだが、優しすぎるのも困りものである。
 反対に【滄海のアリス】である入鹿さんは、美形の白髪の男性で、無口な人だった───というか、一言も喋らず全ての会話をスケッチブックで行っていた。彼は彼でニヤニヤと意味ありげに笑いながら、スケッチブックに卑猥な単語を書いて、こちらに掲げてくるという高度なセクハラを仕掛けてきたので大変困った。俺より華宮さんの方が大丈夫かな、と顔を覗いてみたが、いつもと変わらない無表情で、何も気にしていないように見えた。俺よりよっぽどか彼女の方が精神が強靭だった。

(これが"普通"って言えちゃうんだから、本当凄いよな……)

 感心する横の俺に見向きもせずに、彼女は言葉を続ける。軽々しく出された、その言葉は彼女の何も気にしてないような態度に反して、とても重いものだった。

「──まぁ、誘拐されたりしたのも今回が初めてじゃないですし、よくハプニングに巻き込まれるんですよ。それで慣れたのかもしれません」
「…………え?」

 "誘拐されること"が初めてじゃない?耳を疑いたくなるような言葉に、俺は驚きが声に出てしまっていた───そしてそれに気付いて口を慌てて押さえる。こんなことわざわざ他人である俺が詳しく聞くようなことじゃない。だけどそんなことどうでもいいらしく、彼女は自分自身で己の言葉に捕捉をした。

「はい。うち、それなりにお金のある家で、身代金目当てで、よく私誘拐されてたんです。母はそんな私に、よく言ってました。『いかなる時でも冷静でいなさい』って」
「…………」
「母の言葉は正しかったのだと思います。泣くことも、笑うことも、怒ることも、感情は"隙"に繋がってしまうんです。"隙"を見せたら私は……きっと、死んでた」
「…………」

 人の人生に、どうこう言う気はないけれど、何の感情も持たずに生きる人生なんて楽しいのだろうか。泣くことも、笑うことも、怒ることも、何もない人生だなんて辛くはないのだろうか。でもそれを彼女に伝えることはしない。俺と彼女は昨日初めて会った他人同士で、何か俺に言うことが出来る資格なんてあるはずがなかったのだから。

「……でも」

 彼女の言葉は、まだ続いていた。その言葉には、いつもの平坦な喋り方に、ほんの少しだけ嬉しさのようなものが混じっているように思えた。

「でも、今日は久し振りに笑えたんです。だって、もう私誘拐されてるんですもん──いや、誘拐じゃないんでしたっけ。でも、どちらにしたって一緒です。誘拐まがいのことをされてるんです、もう誘拐されないじゃないですか、気を張ってる必要ないんです……」
「……」
「こんなことになって、こう言うのも何なんですけど、今とっても気分が楽です。私、今、幸せなんです。小難しい事考えなくていい──将来の夢とか、ふわふわした妄想とか、そんなのを考えてていいって、なんて楽しいんだろって」

 ふにゃりと彼女の強ばっていた顔が、ほどけた。年相応の子供らしい笑顔で彼女は笑っていた。花が咲いたみたいな、可愛い顔だった。いつまでも彼女が、そんな顔でいられればいいのに。俺は彼女の顔を見て。そんなことを思った。だけどとそれは叶わない。この一ヶ月が、終わったら彼女はまたいつ誘拐されるかも分からない緊張した日常に戻らなければいけない。それでも、それでもこの一ヶ月が終わった時、彼女の心が少しでも楽になれればいい。そう願わずにはいられなかった。


「私、他の女の子達みたいに王子様に来てもらって、恋に落ちたりとか、そんなのには憧れてないんです、私が欲しいのは、もっともっと些細なもの…………だけど、何よりも尊いそんな、そんなも」
 

 

 


 

 ごつん。






 

 彼女の言葉が不自然な所で切れた。そして俺の意識も時を同じくして。





 夢も、希望も、幸せも、その歪な形をした鈍器でぐちゃぐちゃにされていく。




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『おはよう、アリス』

 
 お前は誰だ。どうして俺と"同じ顔"をしているんだ。

 
『勿論、それは俺が君だからだよ。そして君は俺でもある。当たり前のことだろう?』


 
 何を言ってるんだ。俺は俺だ。俺しかいない。訳の分からないことを言うな。


 
『……あぁ。愚かで、可哀想で、愛しいアリス。君は忘れてしまったんだね。でも大丈夫、君は思いだすよ。必ず。あの出来事を忘れられるはずがないんだ。君は俺なんだから』



 
 止めろ。止めてくれ。俺は何も忘れてなんかいない。思い出したくなんかない。あんなの、あんなことおもいだしたくなんかない。いやだ、いやだ。いやだ。いやだ。


 

『アリス、鏡を見てごらん。鏡は全てを逆さまに写すけれど、確かに真実も教えてくれるはずさ。…………さあ、アリス何が写ってる?君には君が"何"に見える?』


 ∮



 目を覚ますと、辺りは、とても薄暗く、そして埃臭い───それにほんの少しだけ血液の匂いが混じっている。





 
 何処かで、誰かのすすり泣く声が聞こえる。





 
 動こうとするが、縄のようなもので縛られているようで動くことが出来ない。




 
 泣き声は重なって聞こえた。
 






 
『"みんな死んでしまえばいいんだ"……違う、僕は誰も殺したくない……"殺す。皆殺す"…………いやだ、誰も傷付けたくないのに……"死にたい"……やだよ、まだ死にたくない……』



 
 泣き声には、そんな呟きが混じっていた。






 
 何か金属を引き摺るような、そんな音が聞こえる。



『……いやだ』
「い、いや……」
『殺したくない……』
「死にたくない……」
『止まってくれ、何で、止まらないんだよぉ……!』
「私、幸せに、なりたい……!大切な家族を作って……その人と、一緒に……」
『こんなこと……こんなこと、したくないのに、僕は、僕は、有栖と、』
「……家に、帰りたい……
 家族に、会いたい、ママ、パパ……助けて……一人は、嫌、一人で死にたくない……一人ぼっちで、死にたくなんか、ない……助けて、助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助け────────」
『華宮さん、ごめん、な、本当に、ごめん』





 ぐちゃり
 
 
  ぶち

ぶちぶちっ



  ぶちり





 肉が千切れたような、そんな音が聞こえた。泣き声は一つになった。足音が、足音が、近付いてくる。こちらへ、こちらへやってくる。





 次第に目が慣れてくる。
 目の前の風景が、現実が、少しずつ形になって、見えてくる。



 足音が止まった。






















 
  『"大好きだったよ、アリス。僕の大切な───"』
















 
 俺が最期に見たのは、血塗れの斧を振りかぶる君の、絶望した顔だった。



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 物置小屋に死体が三つ。
 
 潰れ石榴に、半人間に、傍らには穴空き頭が転がっている。
 
 花は咲かずに散っていって、熟れた林檎は破裂した。
 
 それを見てるは白兎。

 赤い涙を流しながら「またやり直し」と呟いて。

 アリスは穴へ落ちていく。もっともっと深い穴へと。




 夢か現か、誠か嘘か、貴方が望むものを差し上げましょう。



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 第一話【運命の赤い糸】
  【黒幕の赤い意図】
  【ウンメイノアカイイト】


 その繋がりは愛より深い?


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