複雑・ファジー小説
- Re: スペサンを殺せ ( No.1 )
- 日時: 2018/03/15 02:51
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 9UBkiEuR)
—1—
「どうやら、エースを殺すときが来たらしい」
グラスに伸ばしかけた指を、ぴくりと震わせた。頬のこけた貧相な顔がグラスに入った水を覗きこむ。
水面に浮かぶ氷をじっと見つめるだけの男をよそに、開けているのか閉じているのかわからない糸目の男が手に持ったグラスを拭きながら続ける。
「エースは、オレたち国民にウソをついていたのさ。とんでもないウソをな」
「……どんな?」
「女だったんだとよ。いつの時代も、エースは必ず男と決まってる。いままでにもあったが、いつの時代も、女のエースは殺されてきた」
「……」
「ようやく、あんたの出番ってわけだ。【3】さんよ」
貧相な顔の男は、うんともすんとも言わずただじっとグラスを傾けている。
糸目の男は拭き終わったグラスを置くと、カウンターから身を乗り出した。
「……おめえさんのことだから、どうせ不安なんだろ。人殺しなんてできるタチでもねえもんな」
「……」
「情報は、たしかだ。まちがいねえ。……王宮内でメイドを務めてる【10】のうちの一人からの情報だ。うっかり着替えを覗いちまったらしい。おめえさんは、心置きなく仕事が果たせるってもんよ」
「……」
「……。英雄が罪を犯したら、専属処分者が暗殺する。それがルールだ」
糸目の男は、うすらと目を開けた。
「……——まったく、酷なルールだよな」
そう言いながら、一枚の小さな紙を、カウンターの上で滑らせた。
ガラリ、と椅子を引く音がする。生気のない目がグラスの水からようやく視線を外したかと思えば、貧相な顔はユラリと席を立った。テーブルの上の小さな紙を指でつまんで、糸のほつれたポケットに入れた。
バーの床を踏むには似合わない、乾いたサンダルの音。半ば足を引きずりながら、男は退店した。
*
暗殺なんてできない。
丸めた背中に暗夜を背負いながら、幸薄そうな顔をした男はなんども胸の中でそう唱えた。
しかしこの国には『ルール』がある。まるでゲームで遊ぶみたいに、守らねばならないルールが。
彼に課せられた唯一のルール。それが、
【A】の断罪だ。
この国を治める【K】は、国内のことに手を焼いていて外交を担わない。そんな【K】の代わりを務めているのが、第二王子の【A】だ。通称、英雄。
【A】は頭のキレる天才だ。年齢に不相応な仕事をこなす彼を偉いとさえ思えてくる。
いや、いまは『彼』ではなく、『彼女』か。
『彼女』だということが【3】である幸薄そうな男にバレてしまった以上、殺すしかない。
夜の道を往きながら、彼はふたたび暗殺のことで思考を支配された。
ふいに彼は、立ち止まってポケットの中をまさぐった。取り出したのは、店で【8】に渡された小さな紙だ。
彼は折りたたまれたその紙を開いた。
『エースを殺さないでくれ』
幸薄そうな男は黙りこんだ。うそっぱち、とはよく言ったものだ。
しかしルールは守らねばならない。
男は、【A】を殺さねばならない。
——決行は明日だ。
胸の中でそう唱えてから、【3】はふたたび夜の道を歩き出した。