複雑・ファジー小説

Re: スペサンを殺せ ( No.2 )
日時: 2018/03/18 20:37
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: 9UBkiEuR)

 
  —2—
 
 
 「英雄のご帰還です!」

 一人の門番が高らかに叫ぶと、待っていましたと言わんばかりの人だかりが、馬に跨る【A】を出迎えた。
 トランペットを吹き鳴らす音楽隊の列。その背後から、一様に【A】に羨望のまなざしを向けているのは一般の民だ。
 【A】はにこりとも笑うことをせず、凛とした表情で宮殿をめざした。



 「ご無事でしたか、英雄様」

 宮殿内の廊下を歩いていると、不気味な仮面をつけた長身の男が、【A】の目の前で一礼した。
 仮面の男はすらりとした体格に燕尾服を身に纏っている。もとより長身であるのに、細身なおかげでうんと身長が高く見える。
 仮面の男はすこし屈むようにして、【A】の顔色を窺った。

 「此度の遠征、実にご苦労様でした。お疲れでしょうから、どうぞお部屋でお休みになってください」
 「いいや。僕はこれから、父上のところにいく。報告をしなければならない」
 「……生憎ですが、陛下はいま会議に出席しておられます。英雄様も知っておいででしょう? 数か月前の嵐で麦畑がダメになって、米価が上昇している問題についてです。なかなか妙案が思いつかないのでしょう」
 「それならなおさらいく」
 「え?」
 「仕事のついでに、『ハートの国』の商人と取引をさせてもらった。あそこは天候も土地も良好で、近年にはめずらしい大豊作だったと聞いてね。百俵持ち帰ってきた」
 「すばらしい!」

 仮面の男は愉快そうな顔でパチパチと手を叩いた。

 「さすがです、英雄様。たいへん聡明でいらっしゃる」 
 「……」
 「陛下も鼻が高いでしょう。その、雪のように美しい銀の髪も、整った目鼻立ちも。どこまでも罪深き御方」
 「……」
 「気をつけてくださいね」

 仮面の男が顔色ひとつ変えずにそう言ったのに、【A】がぴくりと眉をひそめたことを彼は見逃さなかった。

 「聡明であるからこそ、それを悪いことに使ってはならないのです」
 「僕はそんなことはしない」
 「そうでしょう。あなたは正義の心をお持ちです。ですが万が一、悪知恵を働くようなことがあれば……」
 「……」
 「そのときは……【3】に、殺されてしまうでしょう」

 仮面の男はあいかわらず、奇妙な笑みで【A】を見下ろしている。
 【A】はマントを翻した。装飾を施された白銀のブーツがよくお似合いだと、仮面の男は【A】の姿が見えなくなるまでその小柄な背中を見送った。



 報告を終えて自室に戻ると、【A】は取り外したマントをベッドの上に放り投げた。
 自身もベッドに腰を沈める。どっと襲いかかる旅の疲れを、上質な肌触りで癒そうとしてくる。

 『そのときは……【3】に、殺されてしまうでしょう』

 仮面の男の言葉が、ひとりでに頭の中で反芻した。

 【3】は、この国で自分を殺すことができる3人の人間のうちの1人だ。
 そのうち2人が王族とくれば、名誉も手も汚さずに済む【3】に、【A】の暗殺を担わせるのは自明の理。その上【3】は、【A】以外のだれも手にかけることができない。つまり、この国でもっとも力を持たない人間なのだ。
 そんな人間に断罪されてしまうのか。望んで女に生まれたわけでもないのに。

 【A】は自身の下腹部をなでた。肌に張りつくような作りの絹を介して、そこに男にはないものがあることを実感する。

 「……」

 すっくと立ちあがり、【A】は白銀のジャケットを脱いだ。ブラウスにズボンという簡易な服装になると、ふと、自室の扉に違和感を感じた。
 ゆっくり近づいて見てみると、なにかが扉の間に挟まっている。

 【3】の、カードだ。

 「!」

 刹那。
 ヒュンと空気を裂く音がした。鋭いそれは刃となって、耳と髪の間を通り抜ける。
 それは扉の表面に突き刺さり、【A】は、その矢を扉から引き抜いた。

 「……なるほど。殺しに来たのだな、【3】が」

 床に放られた矢がカランと音を立てた。【A】は、壁に立てかけた鞘から乱暴に剣を抜いた。
 駆けだす。
 窓ガラスに空けられた小さな穴を力任せに斬り破り、【A】は外界の風に全身を投じた。