複雑・ファジー小説

Re: スペサンを殺せ ( No.3 )
日時: 2018/11/24 11:27
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: ZMpE7sfz)

  
  —3—
 
 
 屋根の上を駆ける。建物と建物の間を跳躍し、着地と同時にまた飛び跳ねた。
 阿呆なやつだ。
 【A】は、自分の前を走っている黒装束の人物を追っている。

 まちがいなく、黒装束の人物——【3】から襲撃を受けたのだ。
 自分から逃げている様子を見ると、どこかに誘いこもうとしている。罠を用意している。
 適度に距離を保ちながら、

 「……!」

 銃口が、突然こちらに牙をむいた。

 「……なるほど」

 煉瓦の屋根を踏むとガラリとそこが崩れ落ちた。風と鳥の鳴き声に、人の声が交じっていない。「カフェ」とかろうじて読める看板が倒れている。どうやらここは街の外れらしい。眼下に据える屋根の支柱も長くはもたないだろう。

 「人気がなければ、建物でも外でも変わらないということか」
 「……」
 「最弱の民よ。僕を断罪するつもりか」

 その言葉を受けた男は、空いたほうの手でフードを脱いだ。
 よどんだ目元が、長い前髪によって見え隠れしている。まるで生気のない顔をした【3】だった。
 【A】は、剣身に指をすべらせた。切っ先がギラリと、銃口を睨んだ。
 
 「四つほど、会話をしないか……」
 「は?」
 「一度しか言わないから」

 【3】がやっと口を開いたと思えば、突然、そんなことを言いだした。

 「一つ。私が何者か、わかるかい」
 「【3】だ。【スペードの3】」
 「そうだとも。二つ。午前、母に陽を浴びせられた者は、私欲から目を覚まさねばならない……、君のように」 
 「袋のネズミ、とでも言いたいようだな」
 「君は頭もいい。三つ。『theaory』……この中で不要なものはなんだと思う」
 「…………」
 「最後に、もうひとつ質問をしたい」

 貧相な顔の男は、一歩、歩み寄った。

 「王の操り人形にはなっていないか」

 全身の血が沸騰する。
 【A】は手に握った柄を震わせ、男に切っ先を向けた。
 
 「口を慎めッ!」
 「きみを殺さねばならなくなった」
 「……」
 「初めが肝心だ……だった。殺しもゲームもなにもかも」
 「初めが肝心? 初手で僕を殺し損ねた貴方が、笑わせるな。初めに放った矢が僕の命を奪えなかった時点で、貴方の敗北だ」
 「……そうかもしれない」

 ジャキ。【3】は銃を構えなおした。
 深い黒の中に吸い込まれそうな気がした。
 これ以上時間の余地がない気がした。これ以上切っ先を泳がせておく必要もない気がした。
 殺される。殺される。殺される、まえに、殺せ。
 殺せ!
 たった二十あまりの人生が、振り上げた剣身に重たくのしかかった。女だというだけで殺されてしまうのか。終わってしまうのか。人は性別も、身分も選べやしない。配られたカードを変えられやしない。ならばひた隠しにし生きるしかないのだ。殺すしかないのだ。この先何度【3】が襲いかかってきても、何度命を脅かされることがあっても、殺すしかないのだ。殺されるまえに、まえに、なのに、

 「あああッ!」

 なぜ剣を、振り下ろすことができないのだ。

 「私は……私は……」
 「……」
 「きみを殺せないんだ。……エース」
 「え?」
 「エース! 伏せなさい!」

 激しい怒声がした。
 そして銃声。
 声に反応するかのように、細い身体が傾いて、重力におし負けて、世界がひっくり返る。
 足場が崩れ落ちた。壊れた瓦礫や折れた木の柱とともに落下する。
 弾は自分のいたところを通りすぎた。
 身体は、運よく大事に至らなかった。崩れたところから降ってきた木屑が目に入り、目尻をおさえながら視界を取りこんだ。

 生気のない顔をしていた男が目の前で倒れていた。

 「……」

 男も屋根の上から落ちたのだ。落ちて、瓦礫の山の下敷きになっていた。
 赤い液体が男を呑みこもうとしていた。男は動かなかった。男の身体を中心に広がっていく赤い円を呆然と眺めていた【A】は、ザッと靴を揃える音に振り返った。
 
 「無事だったか、エース」
 「……父上……」
 「……どうやらお前の秘密が知られてしまったらしいな。だが、案ずることはない」
 「……」
 「この先幾らヤツがお前の命を脅かしにこようが、屈するな。生きろ。──【3】を殺し続けるのだ、エース」
 「……はい。父上」

 【A】は立ち上がった。真紅の絹のマントを翻す【K】の大きな背中についていく。

 ふと。
 エースは振り返った。

 「……?」

 地面に倒れている【3】は起き上がろうとしなかった。
 その姿が目に焼きつくほど、男だけを見ていた。
 しかしすぐに男から視線を外して、彼女は前を向いた。


 (なんだ、この違和感は)


 心になにかが引っかかったまま、エースは国王の手に引かれ意志のない脚で立派な馬に跨った。
 ひとつの疑念が芽吹きはじめていた。