複雑・ファジー小説

Re: スペサンを殺せ ( No.5 )
日時: 2019/03/16 14:06
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: gOBbXtG8)

  
  —5—


 ——いや、そんなはずはない。
 言い聞かせる自分と、たしかに動揺している自分がいて、しばらくの間その場で静止していた。

 【A】は、ぐしゃりと丸めた紙を握ったまま、冷静に思い返した。

 (もしもあの【3】の男が本当に【K】だったとして……それでは、いまの国王陛下が偽物の【K】という話になる。しかし、単なるなりすましなど王族のだれか一人には必ず気づかれてしまう。それはリスクが高すぎる。阿呆でもそんなことはしないだろう)

 あの男は気が触れていたのだ。そうでなければ、『自分が王だ』などと宣えるはずがない。精神に病でも抱えていたのだろう。
 【A】は手の中でしわくちゃになっている紙を、手帳とペンといっしょにジャケットの内ポケットにしまいこんだ。

 (あの男の言葉を鵜呑みにするには……情報が少なすぎる)

 【A】は椅子から立ち上がり、言語関連の書籍が収められている本棚に本を返した。
 そのとき。【A】の耳に声がかかった。

 「英雄様! こちらにおいででしたか」
 「!」
 「王妃様が、お庭でお待ちになっておられます」

 メイドらしき女性が、そう言って【A】を図書館の出入口に促した。



 色とりどりの花が咲き乱れる庭園に、絢爛たる純白のドレスを身にまとった女性が立っていた。
 【A】は女性の姿をみとめるなり丁寧に会釈をすると、女性は表情を綻ばせて【A】に近づいた。

 「ごきげんよう、英雄様。勉学に励んでいるところを呼びつけてしまって申し訳ないわ。今日は日差しが心地いいから、外でお話でもと思ったの」
 「そうでしたか、母上。僕は母上の命とあらば、喜んでお傍へ駆けつけますよ」
 「あら。それは嬉しいのだけれど……」
 「なにか?」
 「ふふっ。あなたと年の変わらない私が、母上だなんて、なんだかおかしくて。いつものことながら慣れないわ」

 おしろいによって整えられた肌にはまだ少女のあどけなさが残っている。いっぱいに広げた手のひらで口元をかくす無邪気な仕草で、王妃——【Q】はくすくすと笑った。
 
 「この国では年齢や血縁よりさきに、重きをおくべきなのが役職なのです」
 「そうね。でもあなたは、まるで私たちが本当の家族であるかのように振る舞われる。私を呼ぶときも、陛下をお呼びになるときも……どうして?」
 「……」
 「家族を大事にしたいのね」

 『家族ごっこ』——言われてしまえばたしかに、そうなのかもしれないと思った。
 城下町へ出たとき、そこには家族がある。【8】より上の番号には富裕層や王宮で住まう人間が多いが、逆に【8】から下の番号を持つ人間たちにほとんど重役はなく、男女が結ばれ、子どもができればほとんどが血の繋がった家族として成立する。

 「家族に……血の繋がりに憧れているのかもしれません。ときおり思うのです。僕を産んでくださった本当の母上は……どんな方でいらしたのかと」
 「……そう」

 凛とした銀色の眼差しが揺らぐのを、【Q】は見ていた。【Q】の声色がすこし落ちたことに気がついた【A】は、ふっと彼女に視線を戻した。
 みずみずしい肌に差す、憂いの表情を、【A】はその目にした。

 「……」

 【A】はこのとき、思考をめぐらせていた。もっとも【K】の傍で仕えてきたのは、この【Q】という存在であることを再認識する。
 【A】は一呼吸を置いたのち、【Q】にこう語りかけた。

 「ときに母上。ひとつ、どうしてもお伺いしたいことがございます」
 「なんでしょう。なんでもお聞きなさって」
 「父上のことです」

 【Q】の瞳が一瞬、瞠った。そのわずかな動きを【A】は見逃さなかった。

 「僕は、知っているのです、母上」
 「なにをですか」
 「父上のことをです」
 「ですから、なにをですか」
 「父上の真実をです」
 「……」

 【A】は畳みかけるように言った。

 「かの誇り高き父上が、あのようなことをなさったとは、僕は信じられないのです」

 これは賭けだ。曖昧な言葉を巧みに繰りだして、さもなにかを知っているかのように見せかける。ある程度の確信がなければ使えない手段ではあるが、【A】にとっては一刻を争う事態だったのだ。
 心優しい【Q】に対してこのような卑劣な手を講じ、【A】は、胸になにか針のようなものが刺さるのを感じた。

 「知っていたのね」

 こぼれた声が、ざあっと、ひときわ強い風によって花とともにさらわれた。
 【A】はまっすぐ【Q】の瞳を見つめ返した。
 
 「ねえ、エース」
 「はい。母上」
 「知りたい? あなたの本当の母上様のこと」

 え、と【A】は思わぬ質問をされて、声がうわずった。

 「あなたの母上様がどんな方でいらしたのか……。あのような悲劇が起こらなければ、いまでもあなたのお傍にいらした。そうね。母のことを知りたいと思うのは、当然だわ」

 【Q】はその場から歩きだした。花壇のそばで腰をおろすと、ひとつ、花を摘んだ。
 もうひとつ、もうひとつと。摘んだ花を束ねていく。

 「あなたの母上様は、この庭園を大変気に入られていたそうよ。ご自分でお世話をなさって、宮殿内のいたるところに花瓶を置いて、活けられていた。メイドたちが『自分たちでやります』と言っても、譲らなかった意地っ張りな御方」
 「……」
 「いまのあなたに大変そっくりな、クイーン様だったと」

 【Q】はくるりと振り返って、目を見開いたまま動かなくなった【A】に、摘んだばかりの小さな花束を差し出した。

 「あなたを産んだ本当の母上様は、私が産まれる前、【Q】だった御方」
 「……では……僕の、本当の父上様は」
 「国王陛下よ」

 【A】の心臓が高く跳ね上がった。

 「それは大変喜ばしいことだったけれど、やむをえず黙っていたの……。でも知られてしまったのね。どれほどお辛いことでしょう。あのような悲劇が起こらなければ、前【Q】様は……」
 「……」
 「私も恐ろしくてたまらないの。いつか国王陛下に殺されるんじゃないかって……」
 「え?」
 「だってそうでしょう。前【Q】様は、いまの陛下に殺されたのだから」

 花びらがひとつ、地面に落ちた。

 「私も、理由まではよくわからないの。人が変わってしまったみたいに、突然、あなたを産んで間もない前【Q】様を……。毒殺だったらしいわね。前【Q】様の召使だった者も、ひとり残らずなんて……」
 「……」
 「【Joker】と【2】、そしてあなただけが生き残って……。いまの陛下のお姿からは想像もできないわ。でも偶然、私も陛下からお聞きしてしまったのよ。そのときに、『だれにも言うな』と、そう仰っていたのに」
 「……」


 ——もしあの男が、本当に【K】だったとして……いまの国王陛下が【K】になりすましているというのならば、王族のだれか一人には必ず気づかれてしまう……それはリスクが高すぎる。阿呆でもそんなことはしないだろう。


 「…………」


 頭蓋を叩き割られたのではないかと錯覚を覚えた。
 その途端。
 視界のすべてをねじ曲げるような、激しい眩暈がした。

 「! エース! エース、しっかりして!」

 声と、青ざめた顔が、だんだん遠のいていく。





 黒い海に溺れた。深い黒の海。ずっと視界の先でかすかに見える岸。ずっと頭の片隅からわずかになにかが聞こえてくる。

 殺された本当の母上。
 毒殺だったのだ。
 頭の中にはそんな意識ばかりが渦巻いた。
 毒殺だったのだ。自分の手で斬り捨てるでもなく。

 (母上……どれほど無念な思いをされたでしょう)
 
 黒い海に、溺れていく。沈んでいく。もがくこともせず、ただ従順に。

 (——……父上……)





 「エース」

 はっ、と意識が引っ張られた。
 白いばかりの天井が目の前に広がっていた。

 「エース様」

 ようやく自分を呼ぶ声を認識した【A】は、奇妙な仮面に顔を覗きこまれていると理解した。

 「【Joker】……」
 「さようでございます、英雄様。お庭を通りかかった際、偶然王妃様とお会いしまして、英雄様がお倒れになっているとお伺いしましたので、失礼ながら私がこちらまでお運びいたしました。しかし、目を覚まされたようで安心しました。あまりに長い間眠っていらしたのですよ、私もうたた寝してしまうほど」
 「……」
 「……ご安心を。こちらには、私と英雄様しかおりません」

 あたりを見回す【A】に、【Joker】は奇妙な笑みを貼りつけてそう発言した。

 「ところで、英雄様……。ひとつ、お伺いしたいことがあるのです」
 「奇遇だな。僕もだ」

 【A】は、白い壁に寄りかかっていた自分の剣を、鞘から引き抜いた。
 奇妙な仮面の首筋に、銀の刃が添えられる。

 「おやおや、これはいったい……」
 「——答えろ、【Joker】」
 「……」
 「お前は知っていたんだな?」

 切っ先は、恐れを知らない銀の色で、鋭く牙をむいた。
 
 
 「僕の本当の父上が、【3】であるあの男だったと」