複雑・ファジー小説

Re: スペサンを殺せ 【完結】 *エピローグ ( No.7 )
日時: 2019/03/16 14:04
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: gOBbXtG8)
参照: *エピローグ

 
 「──革命だ。この国に革命を起こす」
 
 
 * * *

 鬱蒼と木々が生い茂る山奥に、女とその子どもが2人で暮らしていた。下手をしたら獣が襲ってくるようなこんな場所には、まったくと言っていいほど人が寄りつかない。しかし2人にとってそれは都合がよかった。
 子どもは、文字通りここで生まれ育った。辺鄙な土地であるがゆえの不便さが付きまとってはいたが、女は狩りの道具を扱うのが大層上手く、獣なんかはすぐに捕らえられた。無論、子どもにもその技を教えた。女が物知りというのもあって、食べ物には困らなかった。
 周りには、同年代の友だちはおろか人間もいない。言葉を教えてくれたのは母である女だった。女が自分のことを母と呼ばせなかったために、子どもは母という言葉を知らずに育った。
 ただ、その日がくるまでずっと面倒を見てくれて、愛されていたことだけは、しっかりと記憶にあった。

 ある日のことだった。山奥に2人以外の人間がやってきた。それも複数だった。人間たちによっては女は手足を乱暴に掴まれ、髪を引っ張られ、「裏切者!」と幾度も罵声を浴びせられ、引きずるようにどこかへ連れていかれたのだった。
 子どもは薄汚いテントの中で、息を潜めていた。小さな両手で口を塞いで、決して声を出さないようにした。それが女から言いつけられたことだった。あっという間に女の姿がなくなり、子どもは恐怖した。
 おいていかないで。
 ぼくもつれていって。
 子どもはよたよたと歩きだして、女と人間たちの後を追った。
 
 
 
 
 
 目の前を覆い尽くしている人の波が、ざわざわと、落ち着きのない様子でこの喧騒を作り出していた。
 町の人々は一心不乱になにかを見つめている。足の爪先を立てたり、前に立つ人間の肩に手を置いて首を伸ばしてみたりと、様々だった。
 人々の視線の先にはいったいなにがあるのだろうか。果てしない人だかりの最後列にいる少年は、そのなにかを見ようとその場でぴょんぴょんはねていた。

 「見ろよ、こんなところにガキがいるぞ」
 「おい坊主。ここはおめえさんが来ていいとこじゃねえよ。さっさとうちに帰って、かーちゃんに寝かしつけてもらいな」
 「かーちゃん?」

 少年は首を傾げて問い返した。その瞳があまりにも無垢なもので、男たちはどっと笑った。

 「かーちゃんだよ。ママっていやあわかるか? ん?」
 「わかんない。ままってなあに」
 「こりゃ驚いた。もしかしてとーちゃんに育ててもらったんか?」
 「……」
 「まあ、んなことはいいだろ。坊主、悪いこたあ言わねえからいますぐ帰んな。いまからな、あの台の上ですごくこわぁいことが始まるんだよ」
 「こわぁい、こと?」
 「そうだよ。子どもは見ちゃいけねえもんだ」
 「人が死ぬんだよ」

 少年がびくっと身震いをしたのは、人が死ぬ、というその文字並びを耳にしたからではなく、男たちの声色が一段と低くなったからだった。
 
 「悪いことをしたやつがいたんだ。その女をこらしめるのさ」

 これでわかったか? と男が付け加えた。少年はなおもわからないといったように口を噤んだ。
 ──そのとき。わあっ、という甲高い歓声が、波を伝って少年に降りかかった。

 「きたぞ!」

 隣にいた男たちは目の色を変えた。もはや少年のことなど眼中になく、待ってましたと言わんばかりの嬉々とした表情だった。
 少年も波の流れに身を任せて、人だかりの先にあるものを見た。

 「殺せー!」
 「裏切者が!」
 「国の恥じめ! 死んじまえッ!」

 町の人々は好き放題に罵声を投げていた。実際に鍋や棒切れなんかを投げる者もいた。少年はなぜだか心が落ち着かなくて、隣にいる男の服の袖を引っ張った。

 「ねえ、なに。なにをやってるの?」
 「だから、こらしめてるんだよ。悪いやつを」
 「わるいやつ?」
 「エースって名前の女さ」

 鳴り止まない奇声、嘆き、罵声、そんな喧騒の中でその名前は飛び交っていた。

 「国王様を返せー! エース!」
 「この人殺しが! なにが英雄だよ!」
 「男なんて嘘つきやがって!」
 「殺せ!」

 ──「殺せ」「殺せ」と。だんだんと、町の人々の声が重なっていった。

 「エースはわるいひとじゃないよ」

 ──「殺せ」「殺せ」「殺せ」。声が大きくなっていく。殺意が膨らんでいく。

 「エースは、ぼくをそだててくれた、ひとだ」

 少年は喧騒の中へ飛びこんだ。狂ったように声を、腕を、高く掲げる人々の足元を上手にすり抜けて、ぐんぐん前へ進む。
 母の意味は知らなかった。だから、少年には母というものがわからない。だけれど、
 エースのことはよく知っていた。

 少年はもみくちゃにされながらもなんとか前列のほうまで食いこんだ。台の上が見えた。項垂れる銀の頭から、血が不規則に滴り落ちていた。そのずっと真上で、大鎌の刃がギラギラと光っている。いまにもその白くて細い首を掻っ切らんと牙を剥いている。だのに、銀の女はぴくりとも動かずにただじっとしていた。それもそのはず、女を挟むようにして突っ立っている2本の木からは鎖が伸び、手足の自由を奪っていた。がくりと折った膝元に血溜まりができているのをまるで嘲笑うかのように、町の人々の顔はこれ以上にない狂気に満ちていた。

 少年はあの髪色をよく知っている。物心ついたときからそこにいた。
 ──私のことはエースと呼べ。いいね。エースだ。ほら、言ってごらん。
 とても心地のいい声だった。その声を聴くと、ふしぎと安心できた。
 ──おまえは私に似て、弓が上手だな。……いや、祖父に似て、か。
 ずっといっしょにいられると思っていた。
 ──もし、

 大鎌の刃は無慈悲にも落下した。

 『もし私がいなくなってもぜったいに泣くな。そしてだれも殺すな。いいね、』










 「ケイ」

 そう言って撫でてくれた自分の髪も、この人とおなじ銀の色だとは知らなかった。

 「エース」──はち切れそうなくらい喉を開いてそう叫んだのに、

 歓声に潰されてしまった。きっと届かなかっただろう。声が出なかった。周囲の声があまりにもうるさくて、自分の声さえ聞こえなかっただけかもしれないけれど。
 届かなかった。





 野次馬がぱらぱらと散っていく中、ケイだけは断頭台の前でぽつりと立ち尽くしていた。
 最後列から歩いてきたらしいさっきの男たちが、ふたたび彼に絡んだ。

 「おい坊主、いつまでもガキが見るもんじゃねえって」
 「ぼうずじゃない」

 男はぎょっとした。その声が子どもにしては低くて、ひどく落ち着いていたからだ。

 「I am the King.(私は王だ)」

 ──母に教えてもらったそれはまるで、おまじないだ。

 母の姿をその銀の瞳にしかと焼きつけた彼は、静かに泣いていた。





 革命だ。この国に革命を起こす。少年、ケイはこのとき、そう強く心に誓った。そして十数年という時ののち、「キング」という役職を明かした彼によって国政は大きく動いた。役職制度の廃止を謳った彼に対し、反骨心を抱いた者たちが団体となって反対運動を開始したが、彼自身が弓をとり圧倒的な支配力で弾圧した。そして、国民一人一人に番号ではなく「名前」をつけ与えるという制度が導入されたのだ。人間は等しくあるべきだ。生まれながらにして運命が定まっているなどおかしいという彼の提言が、多くの国民たちの心を動かした。ルールとも呼ばれる「呪い」の解読については殺傷犯罪が減るとして現在は見送られつつあるが、聡明な王たる彼がいつか、謎解きのように真実を明かすことだろうと国民たちは信じてやまなかった。
 そうしていまでは、世界中で役職制度が廃止されつつある──。
 
 
 
                   END