複雑・ファジー小説
- Re: 死本静樹ノ素敵ナ死ニ方 ( No.2 )
- 日時: 2018/03/30 14:42
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)
#序ノ弐
どんな芸事にも通じるだろうけれど、とかく物書きと言う人種には変わり者が多い。頭のネジが1つ2つ3つ飛んでいなければ他者をあっと驚かせるような作品は生み出せないという事なのか、ものを書くという行為そのものが常軌を逸しているのか、とにかく変人が多い。
有名な作家となれば猶更の事、然るべくしてどこか人格的に尖っている。酷い偏見かもしれないが、一応そのくらいの覚悟は携えてきたつもりだった。
「だけど、これっ……こんなの変わってるってレベルじゃない!」
「さっきから改めて果てしなく失礼なガキだな」
だって目玉が飛び出していた。瞳孔もきっと開いていた。空中に投げ出された四肢は力なく、排泄物まで垂れ流していた。自殺について多少は知らない訳じゃない。ネットや本で読み漁った知識ばかりだけれど、どこかで見た首吊リ自殺の実例通りな惨状だった。
なのに彼は、死本静樹は何事も無かったように私と向き合っている。
「何で、首を吊ったのに、死んで無いんですか!?」
「そんなモンこっちが訊きたいよ」
私の問いに、もしくは、もっと別の何かに対してほとほとうんざりとしたような口調と表情だった。見た目の若さにそぐわない陰りが、暗い玄関に紛れている。
背筋から脊髄を、冷水が差し込む錯覚に苛まれる。何気ない溜め息に込められた途方もない重みが、半狂乱の私を怯ませた。
「……あなた自身にも分からないんですか……?」
「まあ一応心当たりはあるんだけどね。ちょっと待ってて」
死本静樹は不意に言い出して立ち上がると、足元も拭かないまま奥へと行ってしまった。何か戸棚でも開いて閉じるような音が聞こえた後、間もなくして戻ってくる。何だろうと思ってみやれば、右手には鈍く光るものが握られていた。
どこの家庭でもよく見かける、ありふれた包丁だった。
「……ギャアーッ!?」
再び絶叫。
殺される。
刺されて殺される。
そう直感した。
「やめて殺さないで! 殺さないでください! ころさっ……むぐ」
半ば乱暴に手で口元を塞がれる。青年の顔は焦った様子だった。切羽詰まった眼差しの綺麗な顔立ちが目と鼻の先まで急接近して、少しどきりとする。思ったよりも睫毛が長い。
「バカ殺さねえよ! そんでだからあんまデカい声上げるな、本当に斎藤さん怒らせるとめんどくせえんだから!」
そんな事言ったって。
包丁を携えた男。右手には包丁。私は崩れ落ちたまま動けない。しかも今や口元を抑えつけたまま迫られている。
傍目から見れば問題的な画であるにせよ、しかし確かに咎める傍目が室内の玄関にあるべくも無かった。
暴れても騒いでも仕方ないと半ば観念した、もしくは疲れ果てている私は、諦観交じりに黙り込む。
私がおとなしくなると死本静樹もゆっくり手を離した。口に新鮮な空気が入り込む、と言いたいけれど、色んな要因でここに充満している空気は間違っても新鮮ではない。
「じゃあ、一体何を……」
私が最後まで言い切るよりも早く、彼は思い切り包丁を振り上げた。反射的な短い悲鳴が私の口から洩れる。
包丁はそのまま振り下ろされた。包丁は死本静樹自身の首を深々と掻き切った。首の横から大量の血が噴き出した。みるみる薄暗い玄関の一角を深紅色に染め上げていく。
私は絶叫する事も出来ない。呼吸を引きつらせたまま光景を見ていた。人が死ぬ瞬間を。
死本静樹は白目を剥いた。華奢な体が血の流れと反対側に倒れ込む。瞳はそれぞれ半分ほど隠れながら別々の方を向いている。首からの血は止まらない。しまいには赤い泡まで沸いて来た。泡と大量出血のせいで傷口の様子は詳しく分からないが、明らかな致命傷である事は見て取れた。
玄関の石床で、血だまりが淀みなく面積を広げていく。死本静樹は横倒しとなったまま微動だにしない。もっと有り体に言えば死んだ——。
——そして彼は床に両手をついて起き上がる。
2回ほど咳き込むと、俗に言う女座りの姿勢のまま私をじっと見つめる。呆けている私としばらく向き合っていた。言葉も一挙一動も封じられたまま漠然と眺める。
死本静樹が自分の傷口を拭う。何度目になるか分からないけれど、再び我が目を疑った。彼の色白い肌に刻まれた傷が無い。
靴箱は血飛沫で一角が赤く染められているし、包丁も刃が血に濡れている。しかし大元である死本静樹の首の傷だけが消えていたのだ。
「ひょんな事で、こんな感じの身体になっちゃってさ」
死本静樹は手で包丁を弄びながら、愚痴でもこぼす様な調子で話し出す。
今度はその包丁で自らの手首を裂いた。ひとすじの赤い線が入り、彼がそれをシャツの袖で拭うと、既に傷は何処にも無い。拭き残した血の汚れがあるばかりで、浅くない筈の傷口は確かに失せていた。
「だいたいの怪我はすぐに治っちゃう。死んでも生き返る」
自分の手の平にべっとりと塗れた血を舐めながら、死本静樹は告白した。
「お陰で見た目こんなでも、かれこれ400年くらい生きてるんだよ」