複雑・ファジー小説
- Re: 死本静樹ノ素敵ナ死ニ方 ( No.6 )
- 日時: 2018/12/20 12:29
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: 0W9rRz2p)
#壱ノ参
本当にイジメが起こっている周りでは「イジメ」という単語は使われない。理由は3つ。
1つ目、イジメを行う主犯達はそれがイジメだと思っていないから。単に「面白いから」「楽しいから」「遊びの一環」でやっているので、自分がやっている事が悪だなんて自意識は微塵も持ち合わせていない。だから自分のやっている事が、世間で言う絶対悪のイジメだとは結び付かない。たとえ事実から目を背けてでも結び付けない。
2つ目、イジメが起こっている周りも、それがイジメだと認めたくないから。なぜならそれがイジメだと認めた瞬間に「自分はイジメを見過ごした事なかれ主義の偽善者」だという事も認めてしまうからだ。なのでイジメじゃなく、行き過ぎたコミュニケーションの一環でしかなく、もしイジメがあったとしても、それは自分の与り知らぬ場所で起きた事だと思い込むようにしたいのだ。普通一般の傍観者たちはそうなのだ。
3つ目、誰も好き好んで悪役を演じたくはないから。以上の状況を総括すると、イジメられている本人が何も言わずに我慢を貫けば、イジメた犯人達もその周りも、親も教師も学校も平穏が約束される。ある意味で最大多数の幸福に繋がる。
平穏の為には「イジメなんて無かった」という建前が必要だ。だから主犯はイジメだと思わない。だから周りはイジメという単語を口に出さない。こうして心の殺人は、静かに容認されていく。
結局のところ私の学校でも例外じゃない。生田目偲という生徒は傍目から見ても明らかなイジメを受けていたが、誰もそれを進んで表沙汰にしない。
私も、歌方弥生も物言わぬ傍観者だ。その事実が前から気に食わなかった。
考え無しにイジメグループに口答えすれば、次のターゲットは私で間違いない。そんな恐怖に竦んで何もしない周りにも、自分にも煮え切らない苛立ちを覚えている。
性根が卑怯で臆病な私が、考え抜いたせこい手はこれだ。
「生田目君も小説を書いてるんだ?」
放課後の、私と生田目君しかいない教室。傾いた日光が差し込むオレンジ色の空間で、私は破られた原稿用紙を拾い上げながら言った。生田目君は驚いたように目を丸くして、しばらく私の方を見る。
すぐ視線を床に落とした彼は、何も言わず引き続いて原稿用紙を拾い上げる。断片的になった文章からは当然全てを読み取れないが、それだけでも私には分かった。
この人、語彙力が半端じゃない。同い年でこんな文章を書ける人がいるのか。
ゾッとするような才能は、得てして誰も目を向けていないところに隠れているものだ。生田目君の文才に戦慄しながら、私の思惑は別のところにある。
イジメられている彼と共通の趣味を見つけ、少しでも仲良くする事が出来ればと思った。それで少しでも彼の心の助けになれば「イジメられている人を前にして何もしなかった」という事実を作らずに済むのでは考えた。
——卑怯で小賢しくてみみっちいね、と自分を嘲笑う自分自身を、うるさいと叫んで、必死になって脳内で払いのける。
とにかく私は生田目君に話しかけた。彼は俯いたまま何も言わずに破られた紙片を黙々と拾い上げている。
「私も書いてるんだ。と言っても大したものじゃないけど」
ぱっと、一瞬だけ生田目君の顔が驚いたように私を向く。けれど返事はない。
彼は粗方拾い終わった紙片の束を黒いエナメルバッグに詰め込みおもむろに立ち上がると、無言のまま小さく頭を下げて、そそくさと走り去った。
難儀だなあ、なんて考えながら彼の後ろ姿を見送る。
別に哀れな子羊に救いの手を、みたいな傲慢な気持ちで話しかけたワケではないけれど、ただ私は『イジメを前にして、何かしようとした自分』になりたいのだと気付いた。
彼はそんな私の自己満足も見抜いたのかもしれない。
◆
「ほっとけば?」
死本静樹は一刀両断した。
放課後に死本邸へ立ち寄った私は、どうにもモヤモヤしている心の内を全部、彼に相談してみた。彼は自分の作品を推敲しつつ、こちらを見ようともせずに言い捨てる。
「ほっとけばって……」
「そいつの事、好きなの?」
質問の意味が分からず黙る。それが恋愛として生田目君が好きなのか、という質問だと察し、慌てて首を横に振る。
そもそも私には彼氏がいる。彼氏がいる身で独身男性の部屋に入り浸るのも、我ながらどうなんだ……って感じはするけれど。
「じゃあどうして助けたいと思った?」
「それは……自己満足です」
ハッキリ言えば『生田目君が可哀想』というより『恐怖に負けた自分が嫌』なのだろう。だから何かしらの足掻き方を探している。偽善に過ぎないのは自覚していた。
しばらく死本さんは黙ってから、不意に立ち上がって『緑茶で良い?』と聞いてきた。私は『ありがとうございます』とだけ返す。
湯呑みにお湯を注ぎながら、彼はキッチン越しに言う。
「中途半端な覚悟で踏み入ると、後で死ぬ程後悔すると思うぞ」
こういう時、普通の大人ならそういう返しをするのだろうと予想はしていた。ただ彼が言う『死ぬ程』は、どうしてか尋常じゃない重みを含んでいるように思える。
釈然としないまま何も言い返せない私に彼は続けた。
「日常の嫌がらせレベルだったら、それで救われるだろうがよ。聞いた感じガキのじゃれ合いって範疇を超えてるだろ。中途半端な事すれば、火に油を注ぐと思うがね」
「例えば?」
「矛先がアンタにも向くか、イジメが更にエスカレートするかだろ。先に間違いなく俺達に加担しろ、みたいな事を言われるだろうがね」
「どうして言い切れるんですか?」
「心を開いた奴に裏切られるのが、人間は何よりも堪えるからさ」
つまりどう足掻いても、生田目君と関わるのなら、厄介な事に巻き込まれるだろう、というのが死本さんの見解だった。自分が傷付かずに相手の為になれる、そんな都合の良い手段は無いんだと彼は言外に告げる。
しかし私はバッグを掴んで立ち上がる。それから死本さんに向かって放った声は、自分でも分かる程度に震えていた。
恐らく私は悔しいのだと思う。400年以上も生きた彼なら、私じゃ考え付かない答えを持っているのではないか——おそらく、勝手にそんな期待を抱いていたのだ。
なのに『ほっとけば?』という言葉が彼の口から出た事が。そこらの親と変わらない。
「だからって放っておけません」
「あっちょいお前……待っ……」
そのまま早足で玄関へ向かい、ローファーを履いて出ていく。背後から『緑茶、入れたのにどうすんだよコレ……』と聞こえた気もしたが、振り返らなかった。