複雑・ファジー小説
- Re: 二人を分かつその時に ( No.3 )
- 日時: 2018/04/05 17:52
- 名前: 凛太 (ID: GlabL33E)
「穂波!」
名前を呼ばれた。誰かが私の手を握り、そして引き上げようとしている。
「今、助けたるからな」
浮遊感の後に、鮮やかな夕焼けが目に飛び込んだ。戻ってこれたのだ。気がつけば、辺りには黒い影達の姿はない。心臓の鳴る音が嫌に早い。安堵と恐怖が綯い交ぜになる。
「大丈夫か」
私を助けてくれたのは、男の人だった。影じゃない、正真正銘の人間だ。高校生くらいで、たぶん同い年くらいだろう。鋭い、勝気な双眸が印象的だ。彼は私を足元から頭までじっと見定めた後に、繋がれていた手を解いた。
「なんや、そのほうけた顔は」
「あの、助けてくれてありがとうございます」
「敬語か、穂波」
目の前の彼は、不思議そうに私の顔を覗き込む。そうだ、私には不可解な点があった。
「どうして、わたしの名前を知ってるの」
穂波。それは私の名前だ。けれど、何故この人は知っているのだろう。彼は悲しそうとも、嬉しそうともとれる曖昧な笑みを浮かべた。
「私たち、前にどこかで会いましたか」
「……まあ、そういうことや」
「え、どこで」
「ごちゃごちゃ話しとる場合やない、またあいつら来るぞ」
そう言って、彼は背を向けて歩き出した。わからないことだらけだけど、今は目の前のこの人に縋るしか無い。私も慌ててついて行く。
「ここ、どこですか。さっきの真っ黒いのって、何なんですか」
「俺にわかるわけないやろ」
疑問は次々湧いてでる。けれど彼はあっさりとそれを切り捨てた。
このまま、どうなるんだろう。
涙で視界が滲んだ。やり場のない気持ちが堰を切ったように奔流していく。わからないことが怖い。ここは、いったいどこで、どうしたら帰れるの。
急に大人しくなった私を不可解に思ったのか、彼は振り向き、そして驚いたように眉を上げた。
「泣いとるんか」
「……帰りたい」
「わかった、ちゃんと説明する。だから、今はまだ」
最後の方は、消え入りそうな声だった。彼は頭を掻きながら、私を見据える。視線がかち合う。存外に澄んだ瞳だ。
「とりあえず、安全な場所まで行こう」
穏やかな声音に、私は無意識に頷いた。気難しげな表情とは正反対だ。そのことが、なんだかおかしみを与えてくれる。
「なんや、泣いたカラスがもう笑っとる」
どこかで、聞いたことのある言葉。あれ、いつだろう。思い出そうと手を伸ばすが、霧のを掴んでるみたいに消えてしまう。
「そういえば、名前は」
「……早瀬」
「早瀬さん」
「ああ、もう時間ないわ。いくぞ」
ぶっきらぼうにそう言って、彼は私に背を向ける。
早瀬。その名前を口の中で転がせば、奇妙な懐かしさだけが後に残った。