複雑・ファジー小説
- Re: 灰被れのペナルティ ( No.2 )
- 日時: 2018/04/26 10:11
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)
—2—
言葉を失った。
天から降り注ぐ暖かな光に照らされた景色は、どこを見ても光り輝いていた。
純白の太い柱には、繊細な金細工がなされている。そこに緑色の蔓が幾重にも巻きついていて、柱は遥か天上を目指して伸びている。見れば、下へもずっと。
私はおなじく純白の床の上に立っていた。足元に蔓が絡みつく。この足場と大きな柱との間にはなにもない。いうなれば電車の車体とホームだ。柱との距離はとても遠く、手はつけられそうにないけれど。手すりのようなものが一切ないため、文字通り一歩まちがえれば、どこまでも落ちていきそうだった。
そう。
上も下も、まるで果てのない空間だった。
「なに……ここ……」
駅前にある本屋の自動ドアをくぐった。はずだった。
マンガを買おうと思って、ただそれだけだった。
けれどいま目の前に広がる現実は、「そうじゃない」と告げている。
なにかに導かれるように歩きだした。
西洋の壮大なオーケストラ音楽が聴こえてきそうだ。言語のよくわからない歌詞に高らかな歌声を乗せて響かせているのを想像させられる。
癖で、つい壁に手をつこうとしたときだった。
「うぁっ!?」
びちゃ、という水音。手をつこうとした力が勢いあまって、腕が壁に呑みこまれた。
——水の壁に。
右肩と関節の中間くらいまで水に浸っている。思わず身震いした。冷たかったのだ。それに、水の中で指や肌になにかが触れている。
「え……さ、魚……?」
そこで初めて気づいた。よく見たら、透き通った水の壁の中には、大小さまざまな魚が群れをなして泳いでいるのだ。悠々と。名称はわからないけれど、たしかに魚が泳いでいる。なんで気づかなかったのか不思議なくらい多くの魚たちだ。
柱の向こう側も、どこを見渡しても、水の壁に沿ってそれらは泳いでいる。私の視界のずっと先まで。魚の群れが私の真横を通りすぎると、私もそれについていくみたいにまた歩きだした。
きっと好奇心だ。
これは当然のことながら夢で、そんな幻想的な夢にすこしばかり心が弾んでいるのだ。
歩きはじめてからすこし経って、わかったことがある。
ここは大きな円形になっている。気づきづらいけれど、歩いてきた道がほんのすこし曲がっているような気がするのだ。目を凝らせば、道の先端がなんとなく曲がっているのもわかる。
そして、タイル。途中大きな柱や床と同様の、純白のタイルを見かけた。それはどういうわけか、床と柱の間にいくつも宙に浮いていた。階段のような役割を担っているのだと思う。
つまり、上の階にいけるらしいのだ。
(そう思って、何階か上ってみたけど……)
どこの階も、景色はまるで変わらなかった。
あいかわらずガラスのない水槽が私を囲っている。ように思えた。実際には、その水が巨大なドーナツ型を描いていて、どこへも逃げられないようにしているのだと思う。
ここにきてからどのくらいの時間が経ったのかは定かじゃない。
1時間のような気もするし、2時間のような気も、はたまた5時間くらい経っているような、ちがうような。おなじ景色ばかりで、時間の感覚が狂っているのかもしれない。あいにく腕時計もしていないし。
帰りが遅くならなければいい。そう思ったけれど、ここは私が見ている夢の世界だろうからその心配はいらないなとすぐに思い直した。
もう一階、上ってみようか。
「よいしょ、と」
浮いている白いタイルのひとつに手を伸ばす。しっかりとそのタイルをつかみながら、すぐ足元で浮いているほうのタイルに足を乗せた。
つかんで、身体に力を入れて、ふっと足を浮かせて足場を変えて——を器用に繰り返し登っていく。上の階の床がすぐそこまで迫っていた。
調子を上げて、勢いまかせにタイルをつかんだとき、
「え?」
足を、踏み外した。
つくはずだった足場がない。抗えない力に両脚がとらわれていく。
ものすごい摩擦とともにタイルから手がすべり落ちた。
死を直感したときだった。
「おっと。危ないところでしたね、お嬢さん」
頭上から低い声音が降ってくる。なにかに腕を強くつかまれていた。混乱しているその間に、私はどうやら上の階に引き上げられていたようだ。
「ど、どうも……」
「これはご丁寧に。お怪我はございませんか? お嬢さん」
「……」
「なにか?」
なにか? ——ではない。私は、目の前にいる男性のようななにかから目が離せないでいた。
目の前の男性は黒い生地のシンプルなスーツを身にまとっている。手には白い手袋をはめていた。なかなか見かけないような紳士的な恰好だ。
しかし問題なのは服装ではなくて。
男性の首から上に、頭ではなく十字架が乗っているという点だ。
「……あの……」
「ああ。これですか。申し訳ありません、このような姿でいきなり現れては驚いてしまいますよね」
「い、いえ……」
「ですがこれは、案内人としての正式な姿なのです」
案内人? 私はすぐさま、そう聞き返した。
「ええ。案内人です。わたくしは、あなたをお迎えに上がりました」
「私を?」
「そうです。それでは向かいましょうか、処刑場へ」
「え?」
広い背中を見せて歩きだした男性をおもわず引きとめた。
十字架はこちらを振り返った。
「いま、なんて?」
「はい?」
「ここは……なん、なんですか」
十字架の男性は、表情のない顔らしきもので淡々と答えた。
「ここは、処刑場ですよ」
しゃんと伸びる広い背中がさっさと前を歩いていく。
その場に立ちつくす私をひとり、置き去りにして。