複雑・ファジー小説

Re: 灰被れのペナルティ ( No.3 )
日時: 2018/04/27 22:41
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)

 
 —3—
 
 
 「あの、ちょっと、ちょっと待ってください」

 ずいぶんと震えた声が出た。けれど、どうしても聞きたいことがあったので自分なりに声を張ったつもりだった。
 大きな背中がくるりと振り返る。首の上にあるはずの頭部が、銀色の大きな十字架となっている奇妙な男性はどこからともなく声を出す。

 「なにか?」
 「ここ、処刑場だって言ってましたよね……その、処刑、されるんですか」
 「ええ」
 「どうして」
 「おかしな方ですね。1たす1は2ですか、と問われているみたいです」
 「あの、答えになってないです」
 「罪ある人間が、処罰を受けにくる場所……そう申し上げれば、おわかりですか?」
 「……」

 そういうことを聞きたいんじゃなくて——そうとは言えずに、ただ口を結んだ。

 「安心してついてきてください」

 十字架の男性はそう言った。
 『あなたは処刑されます』と言われ、安心してその背中についていける人間がどこにいるというのか。
 けれど正直な話、私には行く宛がない。

 夢だ。ここは夢だ。夢の中なんだ。
 思いこみに焦りが混じる——と、私はあの広い背中を追っていた。



 私と十字架さん(勝手に命名した)は、しばらくの間なんの変化もない景色の中を歩いていた。
 天上からはまばらに光が射し、ガラスのない水の壁の中で魚が泳いでいて、純白の柱や床に蔓が這う。そんな夢のような光景が、夢であってほしいと願いながら。
 またしても途中でタイルを見かけた。上の階へ行くための、宙に浮いている純白のタイルだ。

 「さあ、お手をどうぞ」

 足をすべらせた記憶が駆け抜けたので、しぶしぶ十字架さんの白い手袋に自分を手を重ねた。
 十字架さんに支えられながら、私は手をついたり膝をついたりして、タイルの階段を上っていた。
 そのときだった。

 私の視界の先で、なにか黒い影が、真っ逆さまに落ちていった気がした。
 
 「……え」

 危うく指をすべらせそうになった私の腕を、十字架さんは強くつかむ。

 「おっと。大丈夫ですか?」
 「……い、いま、向こうで、なにか落ちて……」
 「ああ、罪人でしょう」

 心臓の鼓動が速くなる。罪人、と口にした十字架さんには表情がなく、あきらかに私だけが動揺していた。
 そうこうしている間に、私は上の階に足を踏み入れていた。
 顔を上げると、

 「……」

 いままでとはちがう景色が広がっていた。

 最上階——に、近いと思われる。床の面積があまりにも広い。純白の床は一切の穢れを許さないように、美しい太陽の光にさらされて反射している。海に揺らめく白波のようだとふと思った。
 そして。
 穢れのない純白の世界に、数えきれないほどの十字架が突き刺さっていた。

 墓場のように思えた。

 「ここが処刑場です」
 「……」
 「では参りましょうか」

 差し出された白い手を、今度は力強くひっぱたいた。

 「いや!」
 「……」
 「なんで……なにもしてないよ! 罪なんか犯してない! 罪が犯せるほど度胸もないのに!」
 「……? ——ああ、なるほど! ははは!」
 「な、なんで笑うの……?」
 「これは失敬。あなたの発言がおかしくて笑ったのではありません。あなた、かんちがいをされていますね?」
 「かん……ちがい?」
 「あなたは処刑されませんよ」

 十字架さんは続けた。

 「あなたは処刑をする側です」

 思考が、停止した。

 「処刑を……する?」
 「ええ」
 「……なんで?」
 「あとでご説明します。すこし歩きましょう」

 なにも言えなくなり、私は十字架さんに促されるまま、——数多もの墓標に向けて歩きだした。
 一歩、近づくたびに吐き気がした。
 うつむいていたのだと思う。しばらくして、私は、十字架さんのかけ声で我に返った。

 「顔を上げて、振り返ってください」

 言われた通りに振り返った私は、驚愕した。
 
 
 一本の巨大な柱が、視界に入る。
 おそらく私たちが上ってきた、いままで柱だと思いこんでいたもの。
 その柱から、横におなじ太さと思われる柱が伸びて、——それはまさしく十字架を模していた。


 「見えますでしょう? あれが断罪の場です。さきほどあなたが目にした罪人は、あそこから落とされたのです」
 「……」
 「さて。罪人があなたをお待ちです。戻りましょう」

 今度は墓標を背に、視界に入りきらないほど巨大な十字架を目指して、歩いてきた道をたどった。
 眩暈がした。

 巨大な十字架の近くまでくると、十字架の横に伸びた部分がもうすっかり遥か高いところに位置していた。
 巨大な十字架の側面に向けて、まっすぐタイルが配置されている。
 まさしく階段みたいに。
 この先へ行けと、言わんばかりの光景だ。

 「階段を上がりましょう」

 有無を言わさない声色に、私の片足がひとりでにタイルに乗った。
 ローファーの底が独特の音を鳴らして、ひとつずつ階段を上がっていく。
 ふと顔を上げたとき、小さな影が見えた。
 小さな影はだんだん大きくなっていく。やがて、それが人の形だとわかると、さらに心音が跳ねた。

 身体は小さい。髪は短く切り揃えられていて、なんでもないようなプリントのTシャツに短パンという、実に少年らしい格好をしていた。
 少年は、私に気づいた。

 「……」
 「……」

 十字架に背を向けて立っている少年は、私が最後の一段を上りきる様子を目で追っていた。
 お腹も、口も、足首も、全身を縄で縛られた少年が、ごく至近距離で立っている。
 ついてきていた十字架さんが、少年の身体をむりやり動かして、階段の端に立たせる。

 私と少年は向き合った。

 私が手を伸ばせば、ひっくり返って、そのまま落ちていくだろうということは、最速で理解した。

 「さあ、断罪の時間です!」
 「……」
 「どうぞ突き落としてください。桐谷朱留様」

 もはや、自分の名前が呼ばれたことなど、気にならなかった。
 幼い顔で震えている。目の前でいままさに、迫りくる死の恐怖に怯えている。
 きっと私も。

 「さあッ!」

 私も震えていた。