複雑・ファジー小説

Re: 灰被れのペナルティ ( No.4 )
日時: 2018/04/29 10:53
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)

  
 —4—
 
 
 混乱のあまり、用意もしていなかった言葉が、口から出た。

 「あの、なんで、この子……突き落とさなきゃ、いけないんですか」

 十字架さんのほうを向いてみたけれど、彼は変わらない表情で、間の抜けた返事をした。

 「……はい……?」
 「これは、そういう、夢、ですか?」
 「夢? なんのことだかわかりませんが、彼は罪人なので、処刑するのです。あなたが」
 「こんな小さな子が、罪を?」
 「はい」
 「どんな?」
 「……。なるほど、あなたはそういう方なのですね。他人に言われたから『はい、やります』というわけではなく、つまりは納得のいく説明が必要だと?」
 「え? ああ、まあ……」

 ただこの場をなんとかしなきゃという一心で、そう適当に返した。

 「では特別にお教えしましょう。その少年の罪状は、窃盗罪です。鉛筆を盗みました」
 「……え?」
 「ですから、クラスメイトの鉛筆を盗んだのです」

 十字架さんは続けた。

 「彼はひどく罪の意識に苛まれ、こうしてここに立っているのです」
 「鉛筆……」
 「さあ、罪状もおわかりいただけたかと思うので、どうぞこの少年に処罰を」

 鉛筆を盗んだから、目の前の少年は死ななければいけない?
 ——いや、もちろん罪の大小に関わらず、罪を犯した人間はそれ相応の罰を受けなきゃいけないとは思う。それは理解してる。けれど。

 クラスメイトの鉛筆を盗んだくらいで、この子は死ななければいけない?
 私よりもずっと、未来ある幼い子どもが。

 「あの……」
 「まだ質問がおありですか。あまり長引かせると、この少年がかわいそうですよ」
 「……」
 「桐谷朱留様?」

 心音がさわがしいまま、私はもうひとつ問いかけた。

 「どうして……私、なんですか? 処刑するのはなにも、なんの関係もない私じゃなくても……」
 「知らなくてよいことです」
 「……」
 「それになんの関係もないからこそ、殺したっていいでしょうべつに。処刑する人間はたしかにこちらで選ばせていただいていますが、この場が終わりさえすれば、もといたところに帰します」
 「え?」
 「もちろん、ここでの記憶は失われますよ。人を殺したという罪の意識を持たれてしまってはこちらが困ります」
 「……」
 「帰りたいでしょう?」

 少年を見た。
 まだ怯えている。当然か。十字架さんの話によれば、この子は鉛筆を盗んだだけで処刑されてしまうのだから。
 きっといまごろ、鉛筆なんか盗まきゃよかったって思っているにちがいない。
 その証拠に、大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれていた。
 縄でふさがれた口から私にしか聞こえないくらい、小さな嗚咽をもらしながら。

 「どうぞ」

 涙でぐしゃぐしゃになったひどい顔で、私を見上げている。
 声にならない「助けて」が、聞こえてくる。
 瞼に熱が奔った。


 『この場が終わりさえすれば、もといたところに帰します』


 進路を決めるよりずっと、単純だ。
 私は足を引いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 「え?」


 最後に見えたのは、少年の驚いたような顔だった。
 世界が巡る。
 気持ちの悪い感覚がした。

 さっきまでいた場所と、意識とが、遠くへいった。





























 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 目を覚ますと、そこからは、体育館の天井が見えた。

 よく知っている体育館だ。天井はうんと高くて、鉄の管が張ってるみたいな造りをしている。体育の授業中によく見上げて、電灯の数とか何の気なしに数えてたりしたけどいつも諦めてた。

 「……え」

 私は起き上がった。

 「……ここ……学校……」

 まちがいなく私は、自分が二年間通ってきた高校の体育館のフロアに座りこんでいた。
 いったいどういうことだろうと思った。
 すこし前の記憶を思い返す。


 純白の柱、
 純白の床、
 新緑の蔓、
 水の壁の中で泳ぐ魚たち、
 それら景色のすべてに降り注ぐ光。
 墓。
 十字架。
 少年の泣き顔。

 ——飛び降りた私。


 正確には、とてつもなく高い柱から私は落ちた。背中で風を受けるあの感覚もまだ新しい。
 ああ死ぬんだな、と漠然と意識して、その意識ごと気を失ったのだと思う。
 そうするとここは、死後の世界だろうか?

 (もしかして……走馬灯?)

 そうか。いま私は生前の記憶の中にいて、思い出の渦に巻きこまれているんだ。
 それにしても、まさか高校の景色が思い浮かぶだなんて。部活も委員会も、ましてや恋愛もまともにしてこなかった味気のない二年間に、なんの思いを馳せているというのか。
 それに走馬灯は脳裏に思い出が浮かんでくるというイメージが強いのだけれど、思い出の中に実際に飛びこんでしまうとは予想外だった。大した思い出があるわけでもないのに。

 もしも、いま見ているこの景色がまさしく走馬灯の中なのだとしたら、私はきっと本当に死んでしまったんだ。

 「あっけないんだな」

 意外にも淡泊な声が出た。

 

 とくにやることもない私は、校内探検をすべく体育館をあとにした。
 校内探検、というには新入生らしくないくたびれたローファーで廊下を歩く。
 体育館を出たところの長い廊下をぼんやりと歩いていた、そのとき。
 前方に、人影が揺らめいた。

 とっさに廊下のはじっこに身を寄せた。壁にぴったりくっついている柱の陰に隠れて、そこからちらりと前方を覗く。
 私はギョッとした。

 「え」

 どう見ても、成人してから十数年は経っていそうな地味な顔つきの男性が、わが校の制服をぴっちりと着こんでいる。
 校庭に白い粉を引くときのあの道具をガラガラと引きながら。