複雑・ファジー小説
- Re: 灰被れのペナルティ ( No.5 )
- 日時: 2018/04/30 18:33
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)
十字架が、罪人のいない柱の側面に向いている。
「……なぜ、罪ある人間が未来を手にし、罪のない人間が罰せられるのだ」
十字架は、断罪者がいたはずの柱の側面から振り返った。
「断罪者が、一名! 『中』に入った! 前例のないことだ、決して入ってはならない! ……娘だ! あの娘を探すのだ!」
—5—
あれの名前は、なんだっただろう。石灰? 石灰を引く道具、名称がいまいち思い出せなかった。
突然の石灰引き(勝手に命名した)に動揺していると、男性の声が聞こえてきた。何度見ても、男性は制服を着ている。
がっしりした大人の体格にまるでサイズが合っていない。いまにもはち切れそうだ。
それに、いくら考えても、見覚えのない顔だった。
「それにしても、こんなところで気の合う方に会えるなんて」
「はは。まったくですよ」
どうやら、一人ではなかったらしい。女性の凛とした声が聞こえてきた。スカートがふわりと靡いたので、女子用の制服を着ているとわかった。
「死んでからでも出会いがあるとは思いませんでした」
意識が、向いた。
男性たちはどちらからともなく足を止めて会話をし始める。
「そうですよ。死んだら意識もなにもなくなって、ただなにかに転生するのかと」
「転生するまでの期間があるんでしょうか」
「どうでしょう……でもいままさにこうしてあなたと話ができているんですから、その説を信じるしかないですよね。場所が場所ですが」
手前にいる男性は、石灰引きに体重をかけながらそう言った。
「たしかにそうですよね」
女性が苦笑いをこぼす。いままで気がつかなかったけれど、女性は額の上にメガネを乗せていた。
肩に引っかけているタオルで頬をなぜる仕草。校内はわりと涼しいほうだと思うのに彼女にとっては暑いのだろうか。
そして、女性のほうにも見覚えはなかった。
男性が話題を切り替える。
「ちなみに、あなたはどこへ向かうところだったのですか? まあ、死んだいまとなっては不毛な会話かとは思いますが」
「どこへ……ですか。そうですね。どこでもないところへ行きたかったというか」
「へえ。それはまた、どうして?」
「プレッシャーに弱くて。思わず出てきちゃったんですよ」
「ああ、なるほど……。僕も似たようなものです。おそらく、死因は心痛だったのかななんて。僕の場合は向かってる途中でしたけどね」
「向かうだけ素晴らしいじゃないですか。私は逃げてきました」
「そうですか? でもずっと億劫な気持ちでいたんですよ。逃げてはだめだと思いつつ、心の奥底では正直怯えてました。本当は全部投げ出したかったです」
——なんでだろう。すこし違和感のある会話だ。
「まさか人生まで投げ出すことになるなんてね」
私の予想が正しければ、向こうにいる男性も女性も、あの少年と同じ『罪人』だ。
死んでからもとか、死因とか、人生まで投げ出すとか、そういう言葉が口から出るということでまずまちがいないと思う。
でも、なんで私の走馬灯に出てくるのかがわからない。
それに服装のことも、発言もすこし気になるところがある。
見覚えがないのに走馬灯に出てくるだろうか? それにどうして制服を着ているのだろう。学校だから? ここが本当に私の通ってた学校だとするなら、見ず知らずの人物が出てくるのはやっぱりおかしいと思う。女性のほうはまだしも、あの男性は廊下でガラガラと石灰引きを転がしてきたわけだし。
——石灰引きを、転がしてきた?
そもそも石灰引きは廊下で使うものじゃない。校庭の倉庫に置いてあるもので、わざわざ校内に持ちこんでなにができるというわけでもない。
ラインの引き方は人それぞれだとしても、男性はさっき石灰引きを自分の後ろにやって片手で取っ手を引いていた。いまは石灰引きをまっすぐ立たせ、長い取っ手の部分に腕を乗せている。
『ちなみに、あなたはどこへ向かうところだったのですか?』
さっきの言葉。
そしてあの立ち方、石灰引きの転がし方、どこからどう見ても——、
「どうかしたのかい、君?」
耳元で声がした。
「この子、顔が青ざめてるわ。気分が悪いのかもしれません」
「そうですね。どこか休むところがあるはずです。君、つらいかもしれないけど、いっしょに行こう」
「……」
腕をつかまれた。突然のことに混乱したのだと思う。呼吸が浅かった。声が出ない代わりに、つかまれた腕を振りほどいて、その場から力いっぱい走り出した。
「ちょ、ちょっと! 君!」
不審な人物だと思ったわけじゃない。はからずも立ち聞きをしてしまったからわかる。あの男性も女性も悪い人間には思えなかった。
私だけがいるはずだった世界を破られたのが、なんとなく怖かった。
校舎の構造は理解してる。体育館のすぐ近くには階段があって、上の階へ行ける。私は駆け足で階段を上がった。
けれど、階段のひとつの段に、私は思いっきり足をぶつけた。
「いっ!」
声が出てすぐに態勢が崩れた。冷たい階段に手のひらをついて、重たい上体を支える。じぃん、と手のひらが痛みだす。私は、呼吸を整える間もなく階段の途中で座りこんだ。
「……え……」
心臓がうるさい。
ドクン、ドクンと息衝いているのを、いやでも実感した。