複雑・ファジー小説
- Re: 灰被れのペナルティ ( No.6 )
- 日時: 2018/04/30 19:02
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)
—6—
顔が火を噴いているみたいに熱い。息も浅い。荒い。心臓が痛い。
心臓が、たしかに動いている。
「死んで……ない?」
自分の手を握ってみる。汗ばんでいた。
首にも、脚にも、腕にも触れてみる。どこも熱を持っていた。
——私はまだ、生きている?
「だめだ。見失ってしまったようです」
「あの子、大丈夫でしょうか? 医務室の場所なら知っていたのに……」
追ってきていたのか、さっきの男性と女性の声がする。
また心音が騒ぎだした。
「ああでも、杞憂でしたね」
「どうしてです?」
「僕たちはもう死んでますから」
「ああ……そうでしたね」
「身体が冷たいだけで、ほかに怪我も病気もないことでしょう」
足音が遠ざかっていく。話し声も聞こえなくなると、私は改めて長い息をついた。
よろよろと立ち上がって残りわずかだった階段をのぼりきる。
二階にもまた、人影がうろついていた。
「……」
話し合っている人もいる。笑っている人も、黙々と歩いている人も、座りこんでいる人もいる。
思った以上の数だった。見知らぬ人間がうじゃうじゃと視界の中に入ってくる。
もうまちがいはないと思う。ここは私の走馬灯の中じゃない。
断罪された人間たちの、死後の世界だ。
だけど。
私はその場から走り出した。足音に気づいた人が何人か振り返った気がした。
自分がどこを走っているのかも、なにから逃げているのかもよくわからなかった。
また階段をのぼりきったとき、すぐ目の前に、また人物がいた。
「!」
たしかに目が合う。
とたんに怖くなって、一歩後ろに下がりそうになったときだった。
「こっち!」
かけ声。ぐんと腕を引かれる。なにが起こったのかわからなかった。
気がつけば私は、水道の近くにまで来ていた。ここは水を飲んだり掃除のときに使ったりする、生徒の教室がある階にかならず設置されているスペースだ。
薄暗いこともあって、周りにはだれもいなかった。
「はあ……。ここだと安心できるんじゃないかな?」
「え?」
女の子の声だった。
同い年くらいの女の子だ。いままで見た中でいちばん制服が似合っている。どうやらこの子にここまで連れてこられたらしい。
目の前にいる彼女は顔を上げた。
「ね、あんただれから逃げてたの?」
長いまつ毛だ。目元とかはっきりしてて、切れ長で強気な顔をしている。でも化粧をしている感じではなかった。きっと素材がいいんだろう。
明るい茶色のポニーテールを揺らして、女の子は小首をかしげた。
「? どしたの?」
「あ、ううん。なんでも」
「ふーん。そんでさ、だれから逃げてたのよあんた」
「え? いや、だれからっていうのはないけど……」
また、ふーんと女の子は適当な返事をした。
私の友だちにはいないタイプだ。
クラスの中心にいそうで、人気者そうな、陽性の生徒。しゃべり方もハキハキしている。目を合わせるのもおこがましい気がして、やや視線をそらした。
「ねえね、あんたはなんで死んじゃったの?」
「え?」
「ここに来たってことはさ、落とされたんでしょ? あの柱から」
「……」
「死んじゃった者同士さ、仲良くしよーよ。タメくらいでしょ?」
「まあ」
「はは。返事短っ」
屈託のない笑みでへらっと笑った。
そのとき。
なぜだか私は、——この子は、どこかで見覚えがあると思った。
「あたし、間宮若菜ってんだけどさー」
「……え。え、いま、なんて」
「なにもしかして、知ってる?」
「間宮……」
『次のニュースです。昨夜、また新たに被害者が出ました。昨夜18時頃、東京都にお住まいの——間宮若菜さんが……』
ぼんやりと眺めてたテレビ画面に映っていた顔。そして、今朝回ってきたメールに記載されていた名前とが、いま一致した。
「こんなところでおなじ学校の人に会うなんて……」
「へ? なに? おなじ学校なの?」
「あ、えと……今朝、連絡網回ってきて……そこに間宮さんの名前が」
「まじか! うわー! え、何組?」
「3組」
「あたし7組! こりゃ会わないわけだわ〜。……そっかー。なに、捜索とかされてんの?」
「……うん。テレビで、また被害者が出ましたとかって」
「うわ、はっず。どうせあれでしょ、塾へ行く途中で、とかそういう感じで」
「うん」
「あ、いまあんた、あたしの顔見て『塾とかマジメに行ってなさそう〜』って思ったでしょ」
「えっ思ってないよ」
「まじ? ならいーけど」
無邪気に笑いながら、間宮さんは水道のふちに腰をかけた。
彼女は、室内用の上履きを履いていた。短いスカートから細くて長い脚を伸ばして、つま先をゆらゆら揺らしている。
「あたしさ……ほんとはアナウンサーになりたかったんだよね」
間宮さんは下を向いたままそう言った。
「自分の声に自信があるとかじゃないんだけどさ、でも実は本読むのとかも好きなんだよね、こー見えて」
「……そ、そうなんだ」
「あと、うちのお母さん元々アナウンサーなんだ。結婚してやめちゃったけど。テレビに映ってたときとかめっちゃかっこよくてさ、そんで憧れてて、あたしにもなれるかなーって思ってたんだけど……」
「……」
「アナウンサーって、頭よくなきゃなれないんだって。ちょっと前までギャルとかいるグループにいたあたしが、思い切って遊びとか断ってさ、バカみたいに必死こいて塾とか行ってたんだけど……いい成績、ぜんぜん取れなくてさ。あたりまえだよね。いままでやってこなかったんだもん。そんで、お母さんの期待とか、アナウンサー目指すって決めた自分に対してとか、罪悪感、感じちゃってさ……。……なんかごめんって気持ちで、いっぱいになった」
——罪悪感。
心臓に、なにかが刺さるような痛みが奔った。
「やっぱ、ぜんぜん向いてなかったんだよ。勉強すんのも夢見んのも」
もう表情が見えなくなっていた。茶色の前髪が、じっと下を向いている。
「あんたも思うっしょ? こんなハンパな気持ちじゃムリだろーって」
「……思わないよ」
つい、口からこぼれ出た。
「すごいと思う。だって私には、きっと口にもできない。そんな大きな夢。うらやましいくらい、すごいなって……」
初めてだった。
心の奥底にしまいこんでいて、口に出したら負けを認めそうで嫌だったからいままで言わなかった。
ぱっちり開いた両目で、間宮さんは私を見ていた。
「いいなって、思うよ」