複雑・ファジー小説

Re: 灰被れのペナルティ ( No.8 )
日時: 2018/05/02 14:07
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: JiXa8bGk)

 
 —8—
 
 
 長い廊下も、いくつもある教室も、どこを走っても、どこを見ても、
 人影がざわついていた。

 「なに、キリタニ? なんだっけ」
 「桐谷って子を探せって」
 「そう」
 「第一どんな子なんでしょう」
 「生者?」
 「生きてるやつがいるの?」

 角を曲がると、階段付近で人だまりに遭遇した。

 「!」

 反射的に振り返った。また走りだす。

 「ねえいまの!」
 「なんか逃げてるってことは……」
 「あの子か、キリタニさん!」

 しまった。気づくのが遅かった。
 あからさまに逃げている人物がいたらあやしいに決まっている。
 私のバカ、と頭の中で反省会を開きながらもひたすら走り続けた。

 

 

 「愚弄者ですって」

 教室を走りすぎるとき声が聞こえた。

 「生きてるのに、なんでここにきたの」
 「さあ」

 目が合った。だけど気にせずに足を動かす。

 「その子をつかまえたら、生き返らしてくんないかな」

 休むことなく走り続ける。だんだんと速度が落ちてくる。

 「生きてるの? 死んでるの?」

 ——生きてるよ。
 だってこんなにも心臓が、身体が、熱いままだ。

 

 

 

 「お嬢ちゃん、キリタニって子に見覚えないかい?」
 「え?」
 「どうやらまだみんな会ってなかったらしいんだよ」
 「……」
 「特徴がわかればなあ」
 「さあ……あたしも、よくわかんないです」
 「そうかい」
 「……でも、」
 「でも?」
 「あたしたち、ほんとに死んでるんですかね」
 「は? 死んでるだろう、身体も冷たいし」
 「……」
 「え、ちょっと、お嬢ちゃん!? ……どうしたんだろう、いきなり走りだして」

 

 

 

 
 一階。
 広い廊下でたくさんの人影が、私を探していた。
 階段のかげに隠れている私のすぐ目の前には、下駄箱スペースが広がっている。

 (さすがに、下駄箱にも人はいるか……)

 さてどうしたものか。
 そもそも私はなんで逃げているんだろう。いや、なにが私をつかまえようとしているんだろう、が正しいか。
 もしかしたら、あの男の子の代わりにここへきたこと自体がいけなかったのかもしれない。

 どこを見ても、人、人、人。いつまでもここで隠れていられるとは限らない。だれかに感づかれでもしたら、一巻の終わりだ。

 「……」

 これから、いったいどうしたらいいんだろう。
 私のことを探せと言われたものだから、走りだしたんだ。みんなが私を追いかけるから逃げてたんだ。つかまったらどうなるのかも、なにひとつ知らない。
 なにかはっきりした理由があるわけじゃないのに、ずっと逃げている。
 わけもわからず、この先もずっと、ずっと永遠に……このままだとしたら、
 私はいったいどうしたら——

 「おーい! みんな!」

 肩がびくりと震えた。
 すぐ近くで、大きな声がした。
 階段の壁にぴったりはりついていた私は、その場で腰を抜かした。声はおそらく階段からだ。おそるおそる見上げると、だれかがぶんぶんと手を振っているのが見えた。

 「キリタニって子、あっちへ行ったよー!」

 驚愕した。
 うろうろと廊下を徘徊していた人たちが、一斉に反対側の階段へ顔を向けた。
 そして、バタバタと走り出す。
 あれよあれよという間に、一階の廊下には人っ子ひとりいなくなった。
 頭上から声が降ってくる。

 「置いてくなんて、さびしーじゃん」

 階段から身を乗り出した間宮さんが、にっと笑った。

 「あんた、さっきも逃げてたよね」
 「……」
 「ねえ聞いてもいい」

 間宮さんが、階段の手すりに指をすべらせながら、一段ずつ下りてくる。

 「あたし……まだ生きてんの?」

 落ち着いた声が、階段スペースの暗がりに吸いこまれていった。

 「生きてるよ。心臓が動いてた」
 「……え」
 「間宮さんの心臓、動いてた。身体も熱かった。さっきぎゅってしてもらったとき、すごい温かくて、ひだまりみたいだって思った」
 「うそ、だって、冷たいよ? あたしが触っても、さっきもあんた、冷たかったよ!」
 「私には温かかった」

 身体の前で手を結ぶ。熱を感じた。じんわりと、芯のほうに伝わっていく。

 「私ね、罪人じゃないんだ」
 「……」
 「本当は、罪人を落とすほうだったの。でも落とせなかった。……から、自分が落ちた。たぶんこれが原因だと思う。私は本当は、ここにくるはずじゃなかった人間だから」
 「それじゃあ……」
 「私にしかわからないことなんだ。たぶん」

 確信は、ない。
 いま言ったことすべて。
 憶測でとどまっているだけの考えだ。なのに。

 「信じてもいい?」

 はっとして顔を上げたら、間宮さんが、わずかに喉を震わせながら、

 「ここから出られるかもしれないんだって」

 はっきりとそう言った。
 私の目をまっすぐ見ながら。

 「うん」

 私も目をそらさなかった。

 

 「そんで……どうすんの? 出る方法、なんかわかんの?」
 「……」

 正直、こんな夢みたいなとんでもない世界から抜け出す方法なんて、なにも思い浮かばない。
 不思議な扉があるとか、そのためのカギが落ちてるとか、わかりやすくラスボス登場! みたいな手順にしておいてくれたら簡単だったのに。

 だけど、なんのハプニングも起きないこの平静な状況が、なにかのヒントになるのかもしれないとも思った。

 「ちょっと、やばいよ! さっきの人たち戻ってきちゃった!」
 「……」

 廊下に、一人、二人と、だんだん人影が増えていく。
 時間に余裕はないみたいだ。

 「よし」

 すっくと立ち上がる。私を見上げる間宮さんが、なにかに気づいて視線を動かす。
 私たちの真上にある階段に目をやりながら、間宮さんが叫んだ。

 「きたよ! 走って!」

 階段の上に人がいた。
 私は走りだす。そんな私のあとを何十もの足音が追ってくる。

 「あの子だ! 追え!」

 
 まっすぐ玄関へ向かった。下駄箱スペースを抜ける。重たいガラスの引き戸を引いて、私は、校庭へ出た。