複雑・ファジー小説

Re: 灰被れのペナルティ ( No.9 )
日時: 2018/05/05 19:08
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: zXyKVICa)

  
 —9—
 
 
 砂利を踏みしめる音。ローファーの底でコンクリートを蹴る。くたくたになった両足を、まだがんばれと励ましながら。
 私は、校門を目指して走っていた。

 ここから出る方法を私なりに考えて出したこれが、答えだ。
 なにかの建物から出ていくのに、門を通るのが一番だと思ったんだ。

 玄関から校門までの距離はそう遠くない。等間隔で並んだ木鉢をぐんぐん追い抜かしていく。
 もうすぐだ。
 と、思った矢先。

 「いっ!」

 ローファーが、なにかにつまずいた。
 傾く身体。肝が冷えるのと同時に、私は自分の身体を思いきり地面に打ちつけた。

 「いった……」
 「お手をどうぞ」

 どこからともなく、低い、声音が聞こえた。

 「まあ差し伸べる手もありませんが」

 顔だけ起こすと、校門の前に、ひとつの十字架が突き立っていた。

 「……」
 「どちらへ行くのですか」

 私はゆっくり立ち上がって、一歩、踏みだした。
 ——駆け足の音たちが近づいてくる。
 振り返ると何十人もの人が群れをなして、私をつかまえるために、迫ってきていた。

 「行くんじゃなくて、帰るんです」

 十字架は返事をしなかった。


 一歩、一歩が、スローモーションのように流れる。
 走っているはずなのに。
 走馬灯ってきっとこんな感じだと思った。

 「どうなっても知りませんよ」

 彼はすこし遅れてそう返してきた。

 「本当に死んでしまっても」

 彼のすぐ横を抜けて、

 「いいんですね」

 校門をくぐろうとしたそのときに、
 立ち止まる。


 「なにもしないよりずっといい」


 私は校門から外へ出た。



 何十人もの人が、校門の内側で、急に足を止めた。それ以上は近づいてこられないみたいに、じっとこちらをうかがっている。
 いくつもある校舎の窓からも、何人かが顔を出して私を見ている。
 男性も、女性も、老人も、子どもも、
 そして間宮さんも、みんなおなじ顔をして、じっと私を見ていた。

 私は叫んだ。


 「皆さん! 皆さんはまだ生きています!」

 「死んでなんかいません。罪なんて犯していません!」


 「だからここから出ましょう! ——帰りましょう、一緒に!」



 手を差し出した。
 だれも疑いはしなかった。

 重なる足音。みんなが一斉に動きだす。
 校舎から、校門から、人々の足が飛びだして、

 

 

 

 






 
 「え」

 
 ウィン、と自動ドアが開いた。
 喧噪に背中を押されて、私は店内に足を踏み入れた。

 「……」

 よく知っている本屋の風景だ。棚の配置もレジの位置も、新刊コーナーの飾りかたも、なにひとつ変わらない景色がそこに広がっていた。

 戻ってきたのだろうか。
 元いた場所に。

 私はゆっくり歩きだして、しばらくは店内を見渡していた。みんなちがう服を着ている。スーツ姿の人が小説コーナーをうろついていたり、Tシャツにジーンズみたいなラフな格好で雑誌を立ち読みをする姿も見える。もちろん、制服を着ている若い人もいた。
 思い返せば私は、マンガを買いにきてたんだっけ。
 ずいぶんと長いことちがう場所に飛ばされていたものだから、あやうく忘れるところだった。そう思いながらマンガコーナーへ向かおうとしたとき。
 レジの近くに、原稿用紙の売り場を見つけた。

 「……」

 私が本屋を出たのは、それからすぐのことだった。

 

 






 「あら、遅かったのね」

 インターホンを鳴らすと、すぐに母が玄関から現れた。

 「もうとっくに帰ってるかと思って買い物から戻ったら、あんたいなかったから。なに、遊びに行ってたの?」

 夕焼けであかく滲んだ空。
 そこに灰色が混じって、夜を告げるまであともうすこしといったときだった。
 私は、買い物袋を手に持ったまま、母の胸に飛びこんだ。

 「ちょ、ちょっと、なによ突然。どうしたの?」
 「……」
 「ねえったら」
 「ただいま」


 今日ほど言いたいと思える日は、きっとこの先二度とこないだろうと思った。

 

 「ただいま、お母さん」
 「おかえり、朱留」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 *次回最終話になります。