複雑・ファジー小説
- Re: 夜明けのファルズフ ( No.1 )
- 日時: 2018/04/18 00:47
- 名前: ヨモツカミ (ID: NAPnyItZ)
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私は、影。淀み。暗闇。そういったものの中から生まれたのだろう。光は私自身が呑み込んでしまったのか。暗い。何も見えはしない。
しかし、何処からか音が聴こえた。旋律。音色。歌声だ。高く耳に心地よいメロディ。私を呼んでいるかのよう。なのに、私は蹲ったまま動きはしない。動けないのだ。まだ足が無いから。
やがて、何も聴こえなくなってしまう。はじめから何も無かったかのように。あれは幻聴だったのだろうか。そう疑ってしまうほどの静寂に、私はまた沈みこんでいく。
土の匂いと、冷たい床の感触に目を覚した。
どうやら自分は横たわっていたようで、ぼやける視界に飛び込んできたのは、土気色をした石の床と、なにやら装飾を施された石の柱だった。よく見るとどちらもヒビが入っていたり、所々欠けていたり、表面が削れている。長い時間をかけて、雨風に晒されて朽ちかけているのだろう。
ゆったりと上体を起こしてみて最初に抱いた疑問は、ここは何処だろう、ということ。辺りを見回してみても、ひび割れた床の上に太い石の柱が等間隔で生えている景色が何処までも広がっているだけだ。目を凝らして遠くを見れば、何処からか光が差し込んでいるのがわかる。天井に穴が空いて、光が漏れているのだろうか。
次に抱いた疑問は、自分が何者であるか、ということ。自分に関連する情報が、何一つ思い出せないのだ。名前も自分の容姿も。
とりあえず、身体を起こすときに使った腕であろうものに視線を落とす。人間と似たような形をしているが、二の腕の辺りまで黒い羽毛に覆われた腕。そこから覗く、爬虫類を思わせる細く鋭い爪を携えた指先がある。記憶にある生物のどれとも結び付かないその姿に、若干の恐怖を覚えた。
ふと、自分の容姿を確認しながら新たな疑問が浮かぶ。今、知識として知っていた人間だの羽毛だの爬虫類だのという存在を、私は一度も見たことがないはずなのだ。だというのに、知っている。それを薄気味悪いと感じた──が、その感覚さえも、過去に何かの経験をしていないと抱くことがないのではないか? 先程自分自身に抱いた恐怖もそうだ。“何か”を知っていなければ抱かない。だとしたら、私は何であったのか。
私は、何者だ。
不意に木霊した騒音に、思考が遮られる。何処からだろう、と音のした方に顔を向ければ、先程天井が崩れて光が差し込んでいるのだろうと推測した方向だった。瓦礫が崩れるような音だった──と、思うのも、私は瓦礫が崩れる音を知っているからなのか? わからない。現時点で分からないことが多すぎる。それならやることは一つ。謎の解明。調べるのだ。
床に手を付いて、地に足をついて、立ち上がる。その時初めて自らの脚を目にすることになった。脚の付け根は腕同様に、黒い羽毛に覆われているが、膝から下は黒く細長い……鳥の脚の様なものになっている。鋭く鋭利な爪は、なんのためにあるのか。
「不気味……」
口を開閉させ、喉を震わせる。案外高く、聞き取りやすい音が出た。今のが自分の声であろう。人間の女性のような声だった。姿は鳥のようであったり、爬虫類のようであったりするのに、人間に近い特徴も多い。自分のことがよくわからない。
ふう、と小さく嘆息しながら光の方へと歩き出す。こんな細い足で体重が支えられるのかと不安だったが、特に問題なく地を踏みしめて、先へ進むことができた。
自分がいた場所は随分広い空間だったようで、前にも後ろにも左右にも、同じような景色が広がっていたが、光が差し込んでいる場所に近づくと、高い壁が見えてきた。その壁もまた、石の柱と同じような装飾が施されており、所々塗装が剥がれている。
光の差し込んでいた部分は、天井が崩れてできた穴では無く、意図的に作られたものらしく、そこへ繋がる石の階段があった。勿論、その階段も所々ひびがあったり、欠けていたりして、登ったら底が抜けてしまうのではないかと心配になる。だからといって、諦めて別の道を探すという発想には至らなかったので、そのまま進むことにした。
階段を上がり切ると、あまりの眩しさにおもわず目を瞑る。涼しい風が頬を撫でて、私の長い髪を攫う。そこで初めて自分の頭皮から生える長髪の存在を意識した。膝の上辺りまであり、風に煽られると煩わしく感じる。光に当たると透明にすら見える白髪だ。手に取ってみると、毛質は柔らかく、指の間を逃れるように滑り落ちてゆく。見たこともないはずなのに、雪のようだと思った。
辺りを見渡すと、さっきいた場所同様に石の床から生えた柱が等間隔に並んでいたが、此方には天井も壁もない。見上げれば見事な青空が広がっており、心地良い風や日差しを遮るものもないためか、石の床の隙間から雑草や苔が生えていた。どうしてか、その風景を懐かしいと感じた。
「おや、珍しい」
不意に、後方から低く威厳のある声が響いた。反射的に振り返り、声の主を睨み付ける。
「そう警戒しなさるな。どうせ我もお主も、淀みから生まれしファンタズマよ」
軽快に笑いながら言う声の主を目にして、鳥肌が立つのがわかった……が、鳥肌が立つなんて、本当に私は人間なのか爬虫類なのか鳥なのか。鳥寄りの爬虫類風人間もどきといったところだろうか。いや、今はどうでもいいか。
声を発していたのは、私の体よりも大きな、灰色の大蛇──の頭を持ち、大型の鳥の体と、蹄のついた脚を持つ生物。
恐らく、羽毛に覆われた爬虫類の腕と鳥類の脚を持つ私の見た目もなかなかキモいはずだが、この得体の知れない生物のほうが遥かにキモいだろう。蛇も鳥も、蹄を持つ生き物も見たことはないが、それらを複合させた生物なんてもっと知らない。ゾッとした私は思わず声を上げた。
「ばっ、バケモノ!」
「いや、それ、お主もだろう……」
「む、確かにそうだったな」
私もなんの生物にも分類できぬバケモノであった。しかし、目の前の蛇頭のバケモノのほうがキモい。そこは譲れない。
「お前は、何者だ? さっき、ふぁんたじすた? とかなんとか言っていたが……」
私が咳払いをしてからそう言うと、蛇頭のバケモノは呆れたように首を振って、嘆息する。表情筋も無いくせに、何処か表情豊かだ。
「ファンタズマじゃな。我らのことを誰かがそう呼ぶ。お主、まさかそんな事も知らぬのか?」
「当たり前だ。誰も教えてくれてないのだから」
蛇頭のバケモノはきょとんとした顔で──と言っても表情筋が無いのだから、そういうふうに見えただけだが。そんな目で私を凝視した。それからもたげていた首を下げて、舌をチロチロと出しながら唸るような声で言う。
「哀れな子よ……しかし、知らぬならそれもまた運命なのかも知れんな」
「お前が教えてくれるわけではないのか?」
「それがお主に与えられた理なのだろう。ならば、我がこれ以上干渉する必要もあるまい」
「何が運命だ、説明が面倒だからはぐらかそうとしているだけじゃないか? 教えてくれよ」
私の言葉を無視して、蛇頭のバケモノは大きな灰白色の翼を広げ、飛び去ろうとする。私は慌てて羽毛に掴みかかり、引き止める。わからないままは嫌だったし、ここで一人にされたくは無かった。
「どこへ行く気だ。話は終わってないぞ。私を一人にするな!」
「ふふ、可愛い子だ。しかしお嬢さん、誰かに頼っていては道は開けぬよ」
「ん? わ、私が……可愛い? そうか、そうかな? えへっ」
火照る頬に右手を当てる。鱗でガサガサした掌が顔に触れるのが不快だったし、尖った爪が当たって痛かったので直ぐに手を降ろした。
「そういう意味では言っとらんよ。面倒臭いからナチュラルに照れるでないよ……」
蛇頭のバケモノは口を小さく開けて、はあ、と深く息を吐く。本日二度目の溜め息である。
「ファンタズマは影。淀み。暗闇。お主がその姿で生まれたからにはそこに意味がある。でも、それを見つけるのはお主の役目だ」
役目。生まれた意味。私が私である理由。声に出さずに脳内で復唱してみて、理解できたような気になってみたが、分からないことが増えただけのように感じる。
「意味が見つかると良いな」
その言葉は妙に優しげに響いた。ちょっと驚いて蛇の頭を見つめてみるが、表情なんて分かりっこない。舌をチロチロと出す仕草は、何を意味するのか、知るはずもないし。
「……あなたは見つけたのか?」
私の問いに、蛇頭のバケモノは首を振りながら翼を広げた。大きく開いた両翼は5メートル近くある。その姿に慄いて、私は僅かに後ずさる。
「さてね。ここでお主と語らうことも我の生まれた意味だったのかもしれぬし、もっと別にあるかも知れん。我にも知らぬことばかりよ。ただまあ、最後にお主と話せてよかった。そんな気がするわい」
「最後?」
蛇頭のバケモノは広げた翼を激しく羽ばたかせて、蹄の脚で地を蹴った。風に巻き上げられた土埃に思わず目を伏せる。次に目を開いたときには、眼前に彼はいなかった。影が落ちている。見上げれば快晴の宙を舞う大型の鳥類。舞いながら、脚が灰色の粒子に変わり始めていた。ぎょっとして目で追っていると、脚が完全に消失し、身体も少しずつ粒子に変わっていき、やがて翼を失って落下。地に付くまでに首も頭も灰白色の粒子に変わってしまい、最後はキラキラと空気に溶けていった。
私達は影。淀み。暗闇。それはやがて消えゆくもの。だから彼は消えた。私もいつか、いなくなるのだろう。
その前に。
“意味が見つかると良いな”。彼の言葉が脳裏で反響する。果たして私に見つけられるだろうか。